「E・テラー」の原稿を投稿します。画像はシカゴの街並みを使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】
エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、晩年のオッペンハイマーと対立します。
エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。そうした中で原子核物理学・分子物物理で多くの業績を残しました。ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式は彼の業績です。
アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。政治的にはドイツ時代に資本主義の崩壊を目の当たりにしたテラーは共産主義に関心を抱いていた様子もありましたが、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を強めます。その時期以降にエドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての原爆の利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは否定派でした。
実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
テラーはそんな研究人生を歩みました。
〆
以上、間違い・ご意見は
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/22_初稿投稿
2021/07/01 _改定投稿
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