また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて4/4(日)朝の時点で、前日と比較すると【11355⇒11366】です。こんなペース。焦らず作業。
【以下が投稿原稿です】
本多光太郎は日本の鉄鋼業界での研究土壌を作り上げ、研究者として多くの人材を育て上げた偉人です。彼の逸話を聞けば聞くほど人間臭い所が感じられて、本人に会ってみたくなります。古い着物を着て、靴底が擦り切れるまで靴を履き、雑種の犬を引きながら大学に出勤していたようです。そんな人です。
本多光太郎は子供時代は学校の成績も悪くて大柄な割に、いつも青ばなをたらしてて、「はなたらしの光さん」と呼ばれていた学校嫌いの子供でした。そんな本多光太郎が東大に進学して理学系の物理学科を卒業します。今は理物と物工(りぶつ、と、ぶっこう)があるのでしょうが当時はどうだったのでしょうか。その後に本多光太郎はドイツとイギリスに留学します。帰国後、東北大学で教授を務め理化学研究所で研究を進める中で有名な「KS鋼」を発明します。本多光太郎は金属に対しての材料物性学の研究を世界に先駆けて始めていました。より性能の優れた材料を作り上げる為に所謂「冶金」の過程を研究していったのです。KS鋼(新KS鋼)は発明時に世界最強の永久磁石でした。現代での硬質磁性材料に繋がる研究の端緒をつけたのです。
なにより、本多光太郎は無類の実験好きでした。「今日は晴れているから実験しよう」と言いながら実験を始めたり、「今日は雨だから実験しよう」と言って実験を続けたりしていました。結婚式をあげた時に本多光太郎本人が居なかったので探しに行ったら実験室で実験をしていたという。とぼけたエピソードもあります。全般的に身の回りの細かい事は気にかけない大雑把な人でした。そんな本多光太郎は組織を育て人を育てたことで有名です。要職を務めたり創設に携わった研究機関を羅列すると、東北帝国大学附属鉄鋼研究所、東北帝国大学総長、千葉工業大学設立、東京理科大学初代学長、日本金属学会創設初代会長、後の電磁研初代理事長です。指導している仲間に対しては毎日のように「どんな状況?」と実験の具合を尋ね、論文に対して細かく意見を加えていたそうです。
最後に、本多光太郎の残した言葉を残します。
「今が大切」「つとめてやむな」
私にはトーマス・マンの
「くよくよするな働け」という言葉と重なります。
本多光太郎は仕事として実験を
何時までも考えていた人だったのでしょう。
nowkouji226@gmail.com
〆
以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2021/04/06_初稿投稿
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