【以下は原稿です】
仁科芳雄は稀代の人たらし
だったと言われています。
人に入れあげ、彼の元に人が集まり、
人々を育てあげた凄さがあります。
仁科本人はニールス・ボーアのもと
で育ち、その自由闊達な学風を持ち込み
日本で多くの学者を育てました。
1928年にオスカル・クラインと
コンプトン散乱の有効断面積を
議論しています。また帰国後には
ハイゼンベルクやディラックを
日本に招待して理解を深めています。
また、師であるボーアも日本に
呼び寄せています。
研究内容として仁科はサイクロンの
建設を進め様々な成果をあげてます。
そのサイクロンを大型化する際には
仁科は大変苦労しています。先行する
カリフォルニア大学のローレンスとは
日米関係に伴い関係が悪くなっていき、
終戦共にサイクロンはGHQにより
東京湾に破棄されてしまいます。
戦後には仁科は理研の所長を務め、
科研製薬の前身で社長を務めましたが、
肝臓ガンを患い61歳で亡くなります。
放射線被ばくの影響もあったであろう
と言われています。多くの人材育成に
捧げた人生だったと感じています。
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nowkouji226@gmail.com
【舞台別のご紹介】
2020/12/13_初版投稿
2021/01/22_改定投稿
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