@南部陽一郎
Aロバート・フック
Bロバート・ミリカン
C朝永 振一郎
Dサティエンドラ・ナート・ボース
Eエンリコ・フェルミ
F長岡半太郎
【@南部陽一郎の原稿】
南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。
所が、時は第二次大戦中。彼の頭脳は
武器製造に貢献できると判断されて、
陸軍のレーダー研に配属されました。
どんな研究をしていたんでしょうね。
そして、どんな気持ちだったのでしょうね。
戦後、南部 陽一郎は朝永振一郎のグループ
で研究を続けます。そして物質を構成する
原子を考えていき、今に続く素粒子論を
完成させていきます。中間子をひもとき、
素粒子間の総合作用を考え、その形成に
関して実験事実と、つじつまの合う理論を
展開していきます。そうした研究を重ね
南部陽一郎は自発的対称性の破れで
ノーベル賞を受賞しています。
また彼は量子色力学や紐理論でも
成果を上げています。
そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に
使っていた教科書の著者でした。
その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に
疑問を抱いたものです。
ダイソン・私も使ってます♪
私は理論物理学の研究室に所属していましたが、
卒業後も研究を続けて研究者として身を立てて
いる仲間は今では数えるほどしかいません。
多くは私のように、民間の会社に所属して
物理学とは全く関係のない業務に従事しています。
少子化という流れもありますが、
名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは
低いとも感じていました。それだから
南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは
少し理解できます。
以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/10_初版投稿
2020/12/09_改定投稿
【Aロバート・フックの原稿】
イギリスに生まれたフックは若い時代にボイルの
下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。
そしてまた、ユークリッドの原論や力学、
光の屈折など様々な考え方を
身に着けていきます。
この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、
最終的にフックは寂しい人生を送っています。
フックには子孫が居ませんでした。また、
同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。
年配のフックをニュートンは敬っていた
ようですが最後はどうしても論戦になり、
科学的な思考の深さと明快な視点で
反論されてしまったのでしょう。
とはいえ、その業績は特筆に値します。
有名な仕事はバネでの、フックの法則です。
ばねに働く力が長さの一乗に比例する
という法則は非常に明快で今でも
色々な分野に応用されています。
また、惑星間に働く力が距離のマイナス
2乗に働くという法則もフックの発案で
あるという主張もありました。
もはや今となっては真相は不明です。
理論として体系立てることも大事ですが
先ずは気付きを与えるという事も大事
です。その意味でフックは議論をしてた
というだけで素晴らしいと感じます。
以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/11_初版投稿
2020/12/10_改定投稿
【Bロバート・ミリカンの原稿】
ミリカンは非常に優れたアメリカの実験家でした。
光に粒子性と波動性がある事を実証していく段階で
波動性を前面に出した理論を展開していきます。
ただ、実験事実として粒子性を使った実験が
非常につじつまの合う結果を出していたことに
ミリカン自身も自問自答を繰返したと思えます。
結果としてアインシュタインが論じた光電効果を
ミリカンも実験的に裏付けます。また、そうした
実験と光の波長からプランク定数を定めました。
加えて、電気素量を導き出した実験も見事です。
金属板の間の油滴の運動を考え、ミリカンらは
重力の効果に対してクーロン力の兼ね合いを考えて
厳密に計測値が求まる油滴の重量から
電気素量を導きます。
この2つの業績でミリカンは
ノーベル賞を受けました。
また、ミリカンは非常に優れた教育者として
多くの教科書を世に送り、
その中で少し先んじた概念を紹介しています。
更にミリカンはカリフォルニア工科大学の
創設に大きく関わりました。
今でも同大学に彼の名を冠した建物があるそうです。
【そもそも米国の通例で、1号館と言う代わりに
ミリカン・ホールという名をつけたりします】
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/12_初稿投稿
2020/12/11_改定投稿
【C朝永振一郎の原稿】
朝永振一郎は私が使っていた教科書
【Diracの「量子力学」】の訳者でした。
そのご先祖様は大村藩((現在の長崎県内
にありました)の流れをくみます。
そんな彼の父は京都大学哲学科教授でした。
また、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身
となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、
最終的には学長を務めます。
東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。
朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大であると
思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる
不可思議な模式図で表現される現象がありますが、
そこでの素粒子の反応過程と数学的矛盾を
見事に説明しています。
ファインマンの経路積分にも数学的な美点を
感じますが朝永振一郎の理論の方が直感に訴える
説得力を持っています。好みといえば好みの
問題ですが。
朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。
朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていたと聞いています。
また、朝永振一郎は湯川秀樹と同期でした。
それぞれの形で当時の物理学で完成形を作り上げたのです。
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/12_初稿投稿
2020/12/12_改定投稿
【Dサティエンドラ・ナート・ボースの原稿】
ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。
以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。「ズ」の所。
BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)・ボゾンといった用語で議論
していた時代の癖がどうしても消えません。そもそも、ここに拘っている人は少ない印象です故。
さて、インドは独自の数学体系を持ち
計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。
そんな学問体系で素粒子の世界に挑んだボーズは
統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に
今でいうBOSE粒子群(BOSON)の振る舞いを定式化するのです。
前段の知識として後世の理解で整理すると
素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの
二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でも
BOSONは特異な振る舞いを示します。
具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、グルーオン、
π中間子やK中間子、D中間子、B中間子はスピン0、ρ中間子、等で
スピンの奇遇性からボゾンに分類されて、
BOSE−EINSTEIN統計に従います。
ただ残念な事に西洋の学者と異なり、
インド系のボーズは「人となり」が伝わっていません。
何よりボーズの業績である、BOSONで名を残しています。
私がインドに行って調べたいくらいですが
あいにく機会ができません。いつか調べてみたいと思っています。
以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/12_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿
【Eエンリコ・フェルミエンリコ・フェルミの原稿】
フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで死没しています。
その業績は社会的側面が大きいものもある一方で
純理論を突き詰めた後世の誰しもが使う原理・概念もあります。
まさにパラダイムシフトを起こした立役者です。
そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。
一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、
その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。
その後。フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所
の創設に携わり、フェルミは社会を大きく変えていきます。
アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点で
フェルミの業績は計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や
福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。
このブログの中で私が何回か主張しているように識者が
知恵を集結して問いかけなければいけません。かっての
ラッセルーアインシュタイン宣言のように。一方で
我々、大衆も皆さんが分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねば。
民衆の英知を集結させるべきです。政治家に頼れない昨今です。
さてフェルミに戻します。フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミとディラックは別の粒子群に着目します。
後世の理解ではスピン角運動量が半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはクォークや電子、ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は伝導率の物性を議論するときには欠かせません。
こうして沢山の業績を世に残し、フェルミは天に召されました。
彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、その流速を出していたと言われています。
フェルミこそ、生粋の物理学者でした。謹んでご冥福をお祈り致します。
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/13_初回投稿
2020/112/19_改訂版投稿
【F長岡半太郎の原稿】
この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ。
学生時代は山川健次郎やボルツマンに学びます。
長岡半太郎の研究業績として大きいのは、
なんと言っても原子モデルでしょう。
トムソンがブドウパンの中のブドウの形で
電子の存在を仮定していたのに対し、
長岡半太郎は原子の周りを電子が回転
する土星のようなモデルを提唱しました。
今日の物理学、特に量子力学的な知見では
不完全なモデルとも言えますが、
長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを
大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。
素晴らしいパラダイムシフトでした。
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/13_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿
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