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2021年01月11日

南部 陽一郎_フック_ミリカン_朝永 振一郎_ボーズ_フェルミ_長岡半太郎【初回投稿_9/10~9/13】

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@南部陽一郎
Aロバート・フック
Bロバート・ミリカン
C朝永 振一郎
Dサティエンドラ・ナート・ボース
Eエンリコ・フェルミ
F長岡半太郎

【@南部陽一郎の原稿】


南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。
所が、時は第二次大戦中。彼の頭脳は
武器製造に貢献できると判断されて、
陸軍のレーダー研に配属されました。
どんな研究をしていたんでしょうね。
そして、どんな気持ちだったのでしょうね。



戦後、南部 陽一郎は朝永振一郎のグループ
で研究を続けます。そして物質を構成する
原子を考えていき、今に続く素粒子論を
完成させていきます。中間子をひもとき、
素粒子間の総合作用を考え、その形成に
関して実験事実と、つじつまの合う理論を
展開していきます。そうした研究を重ね
南部陽一郎は自発的対称性の破れで
ノーベル賞を受賞しています。
また彼は量子色力学や紐理論でも
成果を上げています。



そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に
使っていた教科書の著者でした。
その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に
疑問を抱いたものです。



ダイソン・私も使ってます♪


私は理論物理学の研究室に所属していましたが、
卒業後も研究を続けて研究者として身を立てて
いる仲間は今では数えるほどしかいません。
多くは私のように、民間の会社に所属して
物理学とは全く関係のない業務に従事しています。





少子化という流れもありますが、
名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは
低いとも感じていました。それだから
南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは
少し理解できます。







以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/10_初版投稿
2020/12/09_改定投稿





OJISAN.png




【Aロバート・フックの原稿】


イギリスに生まれたフックは若い時代にボイルの
下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。
そしてまた、ユークリッドの原論や力学、
光の屈折など様々な考え方を
身に着けていきます。



この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、
最終的にフックは寂しい人生を送っています。
フックには子孫が居ませんでした。また、
同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。
年配のフックをニュートンは敬っていた
ようですが最後はどうしても論戦になり、
科学的な思考の深さと明快な視点で
反論されてしまったのでしょう。



とはいえ、その業績は特筆に値します。
有名な仕事はバネでの、フックの法則です。
ばねに働く力が長さの一乗に比例する
という法則は非常に明快で今でも
色々な分野に応用されています。



また、惑星間に働く力が距離のマイナス
2乗に働くという法則もフックの発案で
あるという主張もありました。
もはや今となっては真相は不明です。
理論として体系立てることも大事ですが
先ずは気付きを与えるという事も大事
です。その意味でフックは議論をしてた
というだけで素晴らしいと感じます。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/11_初版投稿
2020/12/10_改定投稿





OJISAN.png




【Bロバート・ミリカンの原稿】


ミリカンは非常に優れたアメリカの実験家でした。
光に粒子性と波動性がある事を実証していく段階で
波動性を前面に出した理論を展開していきます。

ただ、実験事実として粒子性を使った実験が
非常につじつまの合う結果を出していたことに
ミリカン自身も自問自答を繰返したと思えます。
結果としてアインシュタインが論じた光電効果を
ミリカンも実験的に裏付けます。また、そうした
実験と光の波長からプランク定数を定めました。





加えて、電気素量を導き出した実験も見事です。
金属板の間の油滴の運動を考え、ミリカンらは
重力の効果に対してクーロン力の兼ね合いを考えて
厳密に計測値が求まる油滴の重量から
電気素量を導きます。



この2つの業績でミリカンは
ノーベル賞を受けました。
また、ミリカンは非常に優れた教育者として
多くの教科書を世に送り、
その中で少し先んじた概念を紹介しています。
更にミリカンはカリフォルニア工科大学の
創設に大きく関わりました。
今でも同大学に彼の名を冠した建物があるそうです。
【そもそも米国の通例で、1号館と言う代わりに
ミリカン・ホールという名をつけたりします】









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初稿投稿
2020/12/11_改定投稿





OJISAN.png




【C朝永振一郎の原稿】


朝永振一郎は私が使っていた教科書
【Diracの「量子力学」】の訳者でした。
そのご先祖様は大村藩((現在の長崎県内
にありました)の流れをくみます。
そんな彼の父は京都大学哲学科教授でした。





また、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身
となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、
最終的には学長を務めます。
東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。



朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大であると
思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる
不可思議な模式図で表現される現象がありますが、
そこでの素粒子の反応過程と数学的矛盾を
見事に説明しています。
ファインマンの経路積分にも数学的な美点を
感じますが朝永振一郎の理論の方が直感に訴える
説得力を持っています。好みといえば好みの
問題ですが。



朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていたと聞いています。




また、朝永振一郎は湯川秀樹と同期でした。
それぞれの形で当時の物理学で完成形を作り上げたのです。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初稿投稿
2020/12/12_改定投稿





OJISAN.png



【Dサティエンドラ・ナート・ボースの原稿】


ボーズ(BOSE)は珍しいインド人物理学者です。
以下、ボーズの名前に濁音がついていますがご了承下さい。「ズ」の所。
BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)・ボゾンといった用語で議論
していた時代の癖がどうしても消えません。そもそも、ここに拘っている人は少ない印象です故。





さて、インドは独自の数学体系を持ち
計算(暗算)方式も独自の形式を持ちます。
そんな学問体系で素粒子の世界に挑んだボーズは
統計力学で今世紀初頭にEinsteinと共に
今でいうBOSE粒子群(BOSON)の振る舞いを定式化するのです。




前段の知識として後世の理解で整理すると
素粒子はスピン角運動量の数でBOSONとFERMIONの
二種類に分かれます。いわゆる凝縮系の世界でも
BOSONは特異な振る舞いを示します。
具体的にBOSONとは光子、音子、ウィークボソン、グルーオン、
π中間子やK中間子、D中間子、B中間子はスピン0、ρ中間子、等で
スピンの奇遇性からボゾンに分類されて、
BOSE−EINSTEIN統計に従います。





ただ残念な事に西洋の学者と異なり、
インド系のボーズは「人となり」が伝わっていません。
何よりボーズの業績である、BOSONで名を残しています。
私がインドに行って調べたいくらいですが
あいにく機会ができません。いつか調べてみたいと思っています。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/12_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿






OJISAN.png



【Eエンリコ・フェルミエンリコ・フェルミの原稿】


フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで死没しています。
その業績は社会的側面が大きいものもある一方で
純理論を突き詰めた後世の誰しもが使う原理・概念もあります。
まさにパラダイムシフトを起こした立役者です。



そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。
一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、
その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。
その後。フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所
の創設に携わり、フェルミは社会を大きく変えていきます。
アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点で
フェルミの業績は計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や
福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。




このブログの中で私が何回か主張しているように識者が
知恵を集結して問いかけなければいけません。かっての
ラッセルーアインシュタイン宣言のように。一方で
我々、大衆も皆さんが分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねば。
民衆の英知を集結させるべきです。政治家に頼れない昨今です。





さてフェルミに戻します。フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミとディラックは別の粒子群に着目します。
後世の理解ではスピン角運動量が半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはクォークや電子、ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は伝導率の物性を議論するときには欠かせません。




こうして沢山の業績を世に残し、フェルミは天に召されました。
彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、その流速を出していたと言われています。
フェルミこそ、生粋の物理学者でした。謹んでご冥福をお祈り致します。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/13_初回投稿
2020/112/19_改訂版投稿






OJISAN.png




【F長岡半太郎の原稿】


この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ。
学生時代は山川健次郎やボルツマンに学びます。





長岡半太郎の研究業績として大きいのは、
なんと言っても原子モデルでしょう。
トムソンがブドウパンの中のブドウの形で
電子の存在を仮定していたのに対し、
長岡半太郎は原子の周りを電子が回転
する土星のようなモデルを提唱しました。





今日の物理学、特に量子力学的な知見では
不完全なモデルとも言えますが、
長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを
大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。
素晴らしいパラダイムシフトでした。





以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/09/13_初回投稿
2020/12/19_改訂版投稿






OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定
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