@ダニエル・ベルヌーイ
Aルイ・コーシー
BN・L・S・カルノー
Cポール・ランジュヴァン
Dピーター・ゼーマン
【@ベルヌーイ原稿_10/30時点の記事】
ダニエル・ベルヌーイの名前で
ダニエルって大事です。科学史
に詳しい人ならピンと来るの
ですが、ベルヌーイ一族は沢山、
科学史に出てきます。
3世代で8人が特に有名です。
先ず、今回取り上げたダニエルは
3兄弟で、全て物理学者・数学者
です。また、ダニエルの父の世代
にも何人かの学者が居るようで、
ダニエルの叔父の仕事を父が
引継ぐ場面もあったようです。
また、こんな事もありました。
1734年のパリ・アカデミー大賞で
父のヨハンと息子のダニエルが
同時に賞を受賞した事が父の名誉
を傷つけダニエルはベルヌーイ家
から出入り禁止の扱いを受けます。
父は死ぬまでダニエルを恨んで
いました。有名なダニエルの
流体力学に関する著作でヨハン
による盗用もあったようです。
そんな事もありましたが、ダニエルは
研究を続け、パリ・アカデミー大賞
の受賞も10回になったようです。
何よりニュートン力学と数学を組み
合わせ流体力学を発展させました。
そうした仕事は船舶運航等に大変、
役立ちました。
【Aコーシー_10/31時点での記事】
その名は正確には、オーギュスタン=ルイ・コーシー
(フランス人)Augustin Louis Cauchyです。
コーシーは数学者で、天文学、光学、流体力学に大きく貢献しています。
コーシーの生まれた時代にフランスでは
革命が起きていて
それを避ける為に家族は郊外に居を移します。
彼の生まれた時期でした。
コーシーの一家がパリ郊外に移り住んだ時に
近くにラプラスが住んでいました。
コーシーの父とラプラスが交流を進める中で
ラプラスはコーシーのセンスに気づきます。
素晴らしい出会いだったのです。
やがてコーシーの一家はパリに戻って
サロンでの交流をしたりします。
コーシーはそんな中で土木学校を卒業して
港を作る仕事をしていたようです。
思想的には両親の影響を受け保守的なところがあり、
シャルル10世の国外退去に伴い、
共に流浪の時代を送ります。
そこでコーシーはボルドー公の家庭教師
などをしていました。
研究においては置換方法にコーシーは工夫を凝らし
群論に繋がる研究成果を纏めています。
また解析学の面では、その厳密な性格から
ε・∂(イプシロン・デルタ)論法の原型となる考えを
作り出しました。結果として、
解析学では厳密な定式化を進め、
現代の数学の礎を作ったのです。
級数の置換をスマートに進めていたと思います。
連続・非連続をつないでいったと
言えないでしょうか。
私も複素平面・留数定理…と
学んでいった事を思い出します。
現代で使っている解析学では
コーシーが作り上げたものが多いです。
コーシー・リーマンの方程式・コーシー列・
コーシーの平均値の定理・
コーシーの積分定理等、枚挙にいとまがありません。
その業績は広くたたえられ、
エッフェル塔にその名を残しています。
【Bカルノー】
その名は正確にはニコラ・レオナール・サディ・カルノー
: Nicolas Léonard Sadi Carnot。
理論的な熱機関カルノーサイクルから考え続けました。
カルノーの関心は蒸気機関にありました。
当時の産業界は蒸気機関を
理論的に説明出来ていなかったのです。
ニュートン力学で出てくる力の他に
その力を加え続けた距離を考えて仕事量の概念を作ります。
重い荷物を「数cm引きずる」のと「数km引きずる」のでは
大きな差があり感覚的に理解出来ます。
例えば、物体を動かす力と動いたときに発生する摩擦熱
の間には関係があり、それらを結びつけるのに
カルノーは仕事量の概念を使いました。
他、比熱、熱容量、といった概念が出来て
様々な現象が繋がっていったのです。
ただ残念な事に、
非常に短い人生を送っていて
36歳の時に病死してしまいます。
カルノーが評価を受けたのは死後でした。
クライペロン・トムソン卿が評価し、
その後にマッハが評価をしています。
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時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_記
【Cランジュバン_11/02時点での記事】
ランジュバンは双子のパラドックス
で有名ですね。その矛盾の指摘は、
初めアインシュタインが指摘した
2つの慣性系での時間差から始まる
話ですが、ランジュバンが双子の例え
に置き換えて分かりやすくしました。
そんな時代の人です。無論、
ソルベー会議等に参加しています。
研究者としてはキャヴェンディッシュ研究所で
ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後
にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、
学位を得ました得た。磁性の研究をする一方で
水晶振動子を開発して超音波を発生させる
メカを実用化しました。
また、マリ・キューリとの恋仲も
知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが。
そして、何年か後には二人の孫同士が結婚してます。
また、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られて
います。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けて
いる訳ですね。
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2020/10/31_記
【Dゼーマン_】
ゼーマンはローレンツと同じ時代の理論家で
ローレンツと同時にノーベル賞を受賞してます。
当然、アインシュタインとも交流をもちます。
ゼーマンにとって幸運だったのは
ローレンツとカメリー・オンネスに師事した
事です。稀代の理論家と実験家の指導のもと、
ゼーマンは素晴らしい環境で育ちます。
そんなゼーマン等が出した結果が
ゼーマン効果です。具体的には
磁場中に置かれたナトリウム原子の
スペクトルを観察した時に、
それが分裂していたのです。
ローレンツとゼーマンによって
成された説明はナトリウム原子の
内部構造についてのものでした。
細かくは原子内部の電子が電荷
を持ち、磁場中では今で言う
縮退状態からの開放と
スピンの性質から、
放射特性が変化するのです。
更には、その電荷の物理量が
別に理論を進めていたJ.J.トムソン
のそれと近しい値をとった事で
ローレンツとゼーマンの理論は
説得力をもちました。結果、
ノーベル賞が贈られます。
また、ノーベル賞受賞後に
ゼーマンはアムステルダムで
研究所を運営し、そこで電磁光学
の研究を進めています。特に、
移動する媒質の中での光の伝播
に関しても研究していますが、
それは相対論の形成に有益
でローレンツやアインシュタイン
も評価していたと言われています。
ローレンツとゼーマンの素晴らしい
点はナトリウム原子の構造を
解きほぐす手法にあると思います。
実験結果の積み重ね、仮設の設定、
そして全てを使った理論構築の
モデルはその後に多くの学者が
活用可能な手法だったかと。
その後に他の原子も次々と性格が
明らかにされていきます。
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nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_記
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