こんにちはコウジです!
「チャドウィック」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
チャドウィックが生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)
初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。
SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
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【1891年10月20日 ~ 1974年7月24日】
ラザフォードの弟子チャドウィック
ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンターを使い
放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は
ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を務めていました。
キャンデビッシュ研究所での討論や助言は
多分に有益だったであろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わしたのです。そんな中で
チャドウィックは中性子を発見していきます。
チャドウィックと中性子
ベリリウムにアルファ粒子を衝突させたボーテ【Walther Bothe(独)】
の1950年代の実験でチャドウィックは知見を得て、
電荷をもたない理論的な粒子である
「中性子」を予感し考察を進め、キューリ夫妻の息子である
イレーヌ・ジョリオ=キュリーによるポロニウムとベリリウムで行った
1932年の実験検証を進めます。実験装置を工夫し、
理論を完成させます。
原子核の理解にとって大きな前進です。
中性子が説明されたのです。
ハイゼンベルク が「中性子とは陽子と電子の組ではなく
新たな核子である」と考察していましたが質量は未確定でした。
その時点では実態の完全把握が未完でした。
そうした中性に対してチャドウィックは明確に質量を示し、
重陽子の光壊変によって中性子質量を確定します。
質量の発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。
更にチャドウィックは中性子がガン治療に有益であろうと考えます。
軍需産業と物理学者
ただ残念な事に、チャドウィックの時代は世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスチームのリーダーとして計画を進めて
いました。トリニティー実験も目の当たりにしたようです。
自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に
利用されていく有り様をチャドウィックは、
どう感じていたのでしょうか。
不満だった筈です。
その他、パウリとの議論の発展、
サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道については
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はひとまず筆を納めます。
チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長として
晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学には
彼の名を冠した研究所が残っています。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/29_初回投稿
2024/01/26‗改定投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)
Rutherford's disciple Chadwick
James Chadwick was blessed with a research environment. He has been under the guidance of Rutherford since the days of the University of Manchester, and during his overseas studies he accumulated his knowledge of radiation measurement under Geiger. He uses the newly developed Geiger counter to achieve a proven track record in radiation characteristics.
After the end of World War I, he continued his work under Rutherford again at the Cavendish Laboratory at the University of Cambridge. After graduating from his doctor, he was an assistant to Rutherford for more than 10 years. The discussions and advice at the Candebish Institute were probably helpful. In addition to Chadwick, talented researchers were gathered. We had a discussion in that. Meanwhile, Chadwick discovers neutrons.
Chadwick and neutrons
In the 1950s experiment of Beaute [Walther Bothe (Germany)] in which alpha particles collided with berylium, Chadwick gained knowledge and foresaw "neutrons", which are theoretical particles without electric charges, and proceeded with consideration. We will proceed with the 1932 experimental verification of polonium and berylium by Irene Joliot-Curie, the son of Mr. and Mrs. Curie.
He devises experimental equipment and completes the theory. It's a big step forward in understanding the nucleus. Neutrons were explained. Heisenberg considered that neutrons are new nucleons rather than proton-electron pairs, but their masses are uncertain. At that time, a complete grasp of the actual situation was incomplete.
Chadwick clearly indicates the mass for such neutrality, and the neutron mass is determined by the photodestruction of deuterons. The discovery revealed another atomic structure. In addition, Chadwick believes that neutrons may be beneficial in treating cancer.
Munitions industry and physicist
Unfortunately, the era of Chadwick overlaps with the era of World War. He was the leader of the British team in the Manhattan Project. He also seems to have witnessed the Trinity experiment. How did Chadwick feel that the concept he had created with all his heart and soul was being used politically? He must have been dissatisfied.
In addition, I would like to keep track of the development of discussions with Pauli, the introduction of Cycletron, and the use of the Nobel Prize money, and repost it properly. This article will be written for the time being. Chadwick spends his later years as a dorm director at Keys College. And the University of Liverpool still has a laboratory bearing his name.
〆
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