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2023年05月11日

ルネ・デカルト 
5/11改訂【我思う、故に我あり|近代(合理)哲学の祖】

こんにちはコウジです!
「デカルト」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はタイトルの再考です。
初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
【以下改訂した原稿です】



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【1596年3月31日〜1650年2月11日没】



デカルト概説


ルネ・デカルト(仏: René Descartes)は、


フランスに生まれた哲学者にして、数学者です。
そして。合理主義哲学の祖でもあります。
一般には近世哲学の祖として知られています。


「我思う、ゆえに我あり」の言葉は有名です。


思索の主体と対象を考えている命題で、


当時主流だったスコラ哲学による考え方と大きく異なります。


スコラ哲学時従えば、信仰とは元来、自己を捧げる事で成立する行為で、


信仰が人間では作り上げられない「真理」の獲得へと繋がっていくのです。


当時流行していたスコラ哲学の保守的な考え方にデカルトは疑問を抱き、


新しい哲学的な命題を打ち立てたのです。


太陽の光が大地に降り注ぐように、


人間の理性が自然に活動する中で真理へと


近づいていけるであろうという考えがデカルトの信念なのです。



デカルトの修業時代


経緯を考えていくと、デカルトは
イエズス会の学校に所属して研鑽を進めます。


先ずイエズス会のラ・フレーシュ (La Flèche) 学院
に入学します。当時、


イエズス会の学校はフランスに15校。


その中でもフランス王アンリ4世自身が


関わっていたラ・フレーシュ学院です。


当時はとても有名でした。


 

ラ・フレーシュ学院ではフランス中から
優秀な教師、生徒が集まっていました。


プロテスタントは「信仰と理性は調和しえない」
という教義に基づきます。


それに対してカソリックを掲げるイエズス会は
理性を信仰に取り入れて
スコラ哲学を
教育カリキュラムに取り入れていました。


更に自然科学の前進となる考えも好意的に取り入れていて、


ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて木星の衛星をとらえた時には


学院ではお祝いの催しが開かれたそうです。


デカルトが教えを受けた学院での教義の中では哲学は不完全なもので、


「その完成には哲学が必要である」と断言しています。


デカルトは学院で論理学・形而上学・自然学、占星術、


秘術(今で言う魔術の系統)を学んでいきます。


とりわけ自然科学の中で数学を好んで数学的な論法で


議論する事もありました。そうした基礎教養を身に着けた後に



デカルトの遍歴時代


遍歴の時代をデカルトは過ごします。


22歳のときにデカルトはオランダで軍隊に参加します。


対象の時期は80年戦争での休戦期間なので、


デカルトの実戦参加は無かったであろうという考えが定説です。


それよりも寧ろ、軍隊の中での最新兵器の
開発にデカルトは興味を持ちました。


優秀な技術者と交流して知見を広める事が
大きな軍隊参加の目的の一つでした。



ベークマンとの幸運な出会い


後にデカルトはイザーク・ベークマンという人物


に出会い知的な刺激を受けます。ベークマンは医者でありながら


自然科学や数学に長けていました。


ベークマンからデカルトが知った概念は次のようなものです。
@原子の概念、
A真空の概念、
B運動保存の概念、です。


それらは現代の物理学へと繋がっていく概念です。
この時期にそうした概念の「基礎」が出来てきたのですね。
そしてベーグマンはコペルニクスの考えに共鳴していて指示していました。
ベーグマンと共にデカルトは思想を発展させていきます。
自由落下に対して見識を深め、
水圧に対して見識を深め、
三次方程式などの数学的な概念も発展させていきます。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。



nowkouji226@gmail.com

2022/10/02_初稿投稿
2023/05/11‗改訂投稿

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About Descartes


René Descartes was a philosopher and mathematician born in France.
And. He is also the founder of rationalist philosophy.
He is generally known as the founder of early modern philosophy.


He is famous for saying, "I think, therefore I am. It is a proposition that considers the subject and object of contemplation.


This is a proposition that differs greatly from the viewpoint of Scholastic philosophy, which was the mainstream at the time.


According to the Scholastic philosophy, faith is an act that is originally formed by offering oneself.


Faith leads to the acquisition of "truth" that cannot be created by human beings.


Descartes questioned the conservatism of the scholastic philosophy


and Descartes questioned the conservatism of scholastic philosophy and formulated a new philosophical proposition.


Just as the sun's rays fall on the earth. As the sun's rays fall on the earth,


the natural activity of human reason Descartes' belief is that


we can come closer to the truth through the natural activity of human reason,


just as the sun's rays fall on the earth.



scholl days of Descartes


Descartes belonged to the school of the Jesuits,


where he studied. He first entered the Jesuit Institute of La Flèche.


At the time, there were 15 Jesuit schools in France.


Among them was the famous La Flèche Institute, where King Henry IV of France himself had involved.


There, excellent teachers and students gathered at that Jesuits.


Protestantism is based on the doctrine that "faith and attitude cannot be reconciled.


The Jesuits, on the other hand, were catholic, and they adopted reason


as an aggressor and incorporated scholastic philosophy into their educational curriculum.


They also favored ideas that advanced the natural sciences,


and celebrations they held at the Institute when Galileo Galilei first observed


the moons of Jupiter through his telescope.


In the doctrine of the Institute where they taught Descartes, philosophy was incomplete.


In the doctrine of the Institute where Descartes was taught,


philosophy is incomplete and "needs philosophy for its perfection".


Descartes studied logic, metaphysics, natural science, astrology, and the mystic arts


(the lineage of what we now call witchcraft) at the Institute.


He was especially fond of mathematics in the natural sciences,


and sometimes used mathematical arguments in his discussions.



itinerancy of Descattes


After acquiring such a basic education, Descartes spent a period of itinerancy.


At the age of 22, Descartes joined the army in the Netherlands.


They said that he would not have fought in actual battles during this period,


as it was a period of truce during the 80 Years War.


Rather, Descartes had been interested in the development of the latest weapons in the army.


It seems that his goal was to interact with excellent engineers and broaden his knowledge.



Meet with Beekman


Descartes then met Isak Beekman, they gave an intellectual stimulus with each other.


Beekman was a doctor. Beekman also had knowkedge in the natural sciences and mathematics.


Descartes learned the following concepts from Beekman.
(1) the concept of the atom,
(2) the concept of the vacuum, and
(3) the concept of the conservation of motion.


These are concepts that lead to modern physics.


It was during this period that Desvarts got the "foundation" for such concepts.


And Beegman was sympathetic to and directed Copernicus' ideas.


Descartes developed his ideas together with Beegman.


He gained insight into free fall, he gained insight into water pressure,


and he also developed mathematical concepts such as cubic equations.


(At first, I translated with www.DeepL.com/Translator (free version) and collected)

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