こんにちはコウジです!
「ジョリオ=キューリー」の原稿を改定します。
投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。
今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使いません。
2021/7/11(日)から始めていてSNSの感じが分かりました。
流入はありますが労力がかかります。
今後はSEO中心に考えてSNSはブログと常時関連させません。
SNSは戦略的に使っていきます。
何より紹介の内容を吟味します。【以下改訂した原稿です】
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【1900年3月19日 〜 1958年8月14日】
今回のご紹介はジャン・フレデリック・ジョリオ=キューリーです。
、J-F・ジョリオ=キューリーはフランスパリに生まれ、
亡くなるまでパリで暮らしました。
そんな人の58年の人生のご紹介です。
名前の綴りはJean Frédéric Joliot-Curieとなります。
著名なキューリー夫妻の娘婿としてご紹介するとわかりやすいでしょうか。
つまり、義理の父はピエール・キュリー、
義理の母はマリー・キュリー。
義理の妹はエーヴ・キュリーとなります。
このご紹介の中でフレデリックとご紹介していきますが、
フレデリックはラジウム研究所でマリ・キューリーの助手となりました。
その研究所でマリの娘イレーヌを知り交際を深め。
まもなく2人は結婚しました。
その時点で姓を「ジョリオ=キューリー」としたのです。
ジョリオはフレデリックの血筋の名前でキューリーは
イレーヌの血筋の名前でした。二人は後に一緒にノーベル賞を受けます。
フレデリックとイレーヌの夫婦は同位体元素への反応過程を研究して
新しい物質を作り上げたのです。
具体的にはアルミニウムに対してアルファ線を照射したときに
人工放射性同位元素である30P(リン30)が発生したのです。
その後、フレデリックはフランス原子力庁の長官として
フランス初の原子炉を1947年に建設するプロジェクトに加わります。
原子力の平和的な利用と環境に及ぼす影響については
各論があると思えますが、今のフランスの電源構成に
大きな影響を与えた人だと言えます。
政治的な活動としてフレデリックは第二次世界大戦時には
ナチスドイツに対抗するレジスタンス運動に参加しました。
そして終戦後は先述したフランス原子力庁の仕事をしながら
フランス国立科学研究センター総裁、
コレージュ・ド・フランスの教授も務めていました。
他、パグウォッシュ会議(核兵器と戦争の廃絶を訴える国際会議)
の創始、世界平和評議会の初代議長、
フランス共産党の党員と多方面で尽力し活躍をしました。
教育者としてフレデリックは日本初の女性物理学者である
湯浅年子に物理学を指導しています。
その実績も我々日本人には新鮮なのではないでしょうか。
本当に多彩な魅力を持っていた人だと言えます。
更に意外な側面は柔道との関わりです。
フレデリックはフランス柔術クラブの名誉会長でした。
柔道創始者の嘉納治五郎も就いていた役職です。
フレデリックがいかにフランス国民から敬愛されていたかがわかりますね。
〆最後に〆
TechAcademy [テックアカデミー]
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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2022/04/05_初回投稿
2023/01/29_改定投稿
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(対応英訳)
Introducing this time is Jean Frederick Jorio-Curie, but JF Jorio-Curie was born in Paris, France and lived in Paris until his death. This is an introduction to such a person's 58-year life. His name is spelled Jean Frédéric Joliot-Curie. Is it easy to introduce as the son-in-law of the famous Mr. and Mrs. Curie? That is, his father-in-law is Pierre Curie and his mother-in-law is Marie Curie. His sister-in-law will be Ave Curie.
In this introduction, I will introduce you to Frederick, who became an assistant to Marie Curie at the Radium Institute. He got to know Mali's daughter Irene at the institute and deepened his relationship. Soon the two got married. At that point he changed his surname to "Jorio-Curie". Jorio was the name of Frederick's lineage and Curie was the name of Irene's lineage. The two will later receive the Nobel Prize together.
The couple of Frederick and Irene studied the process of reaction to isotopes and created a new substance. Specifically, when aluminum was irradiated with alpha rays, the artificial radioisotope 30P (phosphorus 30) was generated.
Frederick then joined the project to build France's first nuclear reactor in 1947 as Secretary of the French Atomic Energy Agency. There seems to be some debate about the peaceful use of nuclear energy and its impact on the environment, but he is one of the most influential people in France's current power mix.
As a political activity, Frederick participated in the resistance movement against Nazi Germany during World War II. And after the end of the war, he was also the president of the French National Center for Scientific Research and a professor at Collège de France, while working for the French Atomic Energy Agency mentioned above. H
e and others have worked extensively with the founding of the Pugwash Conference (an international conference calling for the abolition of nuclear weapons and war), the first chairman of the World Peace Council, and members of the French Communist Party.
As an educator, Frederick teaches physics to Toshiko Yuasa, Japan's first female physicist. I think that achievement is also fresh for us Japanese. It can be said that he really had a variety of charms.
A more surprising aspect is the relationship with judo. Frederick was the Honorary Chairman of the French Jiu-Jitsu Club. He was also in the position of Judo founder Jigoro Kano. You can see how Frederick was loved by the French people.
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