2008年07月27日
生きてることが辛いなら・・・
森山直太郎さんの新曲「生きてることが辛いなら」が話題になっています。
8月27日発売の新曲ですが、先の6月8日にNHKで放送された環境特別番組「SAVE THE FUTURE」の中で、「エコうた」の一つとして初披露されたことから歌詞の是非を巡って多くのブログが取り上げました。
僕はNHKの放送を見てなくて、先日のYahooニュースの中で取り上げられていたことからこの歌を知りました。歌詞を読んでみて ”ドキッ!”っとしました。
(以下、生きてることが辛いなら 歌詞一部抜粋)
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
・・・・・
この歌詞を見てどう思いますか?
森山さんのコメントの中に「死ぬことを考えてみるところから、生きてる意味を感じて大切にして欲しい」とありました。「いっそ小さく死ねばいい」という歌詞は、つまりそういう意味なんだと思います。もちろん、生きる上での死を表現するのであれば、まして、万人の耳に入る森山さんに歌わせるのであれば、もう少し違った表現ができるのでは?と、思わないでもありませんが、何も『辛いなら死んだらよかんべ(栃木弁)』って意味では無いと僕は受け取りました。それよりも、インパクトのある1番の歌詞だけで議論されていること自体、僕には不思議でなりません。
1番目の「死ねばいい」の歌詞が2番目以降には「わめき散らして泣けばいい」「悲しみをとくと見るがいい」「嫌になるまで生きるがいい」と続き、最後に「くたばる喜びとっておけ」で終わります。こうして歌詞全体を眺めていると、「小さく死ね」の意味が「死ね」ではなく「生きるために・・・」ということだと感じられてきます。
僕が特に好きなところは3番の歌詞。
(以下、生きてることが辛いなら 歌詞一部抜粋)
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい
八王子の通り魔事件で犠牲になったのは、宇都宮出身の女子大生でした。今、ニュースで頻繁に流れている彼女の文集には、生きる上での彼女の覚悟がつづられています。その彼女を殺めた犯人の自供が「だれでもよかった」「テレビに出たかった」では、ふざけるな!って憤りを感じます。それに加えて不快だったのが、父親のインタビューです。あれではまるで他人事だもの。起きた事件の大きさを考えると、”なんなんだ!この親父は!!”と耳を疑いました。
今、森山さんのこの歌が物議を呼んでいるとの話ですが、ここまでど真ん中ストレートの歌がNHKで放送された事実も驚きですが、歌った森山さんにしろ聴いた多くの人たちにしろ、意見の相違は当然あるとしても、真正面からこのメッセージを捉えた人が多かったことは素晴らしいことだと感じます。
日本語には、同じ言葉の中にもたくさんの意味が込められていたり、たとえ試験問題では×になる言葉であっても、決して間違いだとは言えない言葉というものがあるはずです。それを理解することのできる感受性が育てられていないことの方が問題だと僕は思うのですが、いかがでしょうか?
通り魔の話題なんて絶対に取り上げないと密かに誓っていたのに、結局、取り上げてしまいました。二度と同じような事件が起こって欲しくないと切に願います。
犠牲になってしまった斉木さんのご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。
■この歌をまだ知らない人は ⇒ 生きてることが辛いなら(歌詞)
■SAVE THE FUTUREの模様 ⇒ 生きてることが辛いなら(動画:YouTube)
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