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2022年04月07日

氏神様に 思う  

300px-大御食神社正面.jpg
写真出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)Hansaki460 - 作成: 2012年9月12日


大御食神社増改築に伴う、寄付金のお願いの案内が隣組経由で届いた。1900年記念事業に事寄せしていることは分かるのだが、本来人間が持っている純粋な心情が伝わってこない、それに内容がよく分からないところがあったので、今までの神社の経過を調べてみました。下記です。

今までどのように維持されてきたのか、駒ケ根市誌を見てみると、下巻に現在までの、建て替え記録が載っていた。
本殿の最初の建替え       1149年
246年経過後本殿 建替え   1395年
272年経過後本殿 建替え   1667年
197年経過後本殿 建替え   1864年
その後158年経過して現在があります。

拝殿については 1920年建築
神楽殿     1920年に旧拝殿を改築
現在まで102年経過
(ここまでの参考文献及び出展「駒ケ根市誌下巻」)
となっていた。
記録されている数字を追っていくと、凡そ200年から250〜270年で、4回の建替えを経ております。
@ 今回の増改築は、本殿に覆い屋の新築
A 幣殿の新築
B 拝殿の改築となっている。

1 40年から50年後には、本殿建替えのサイクルに入ることになります。なので現在の本殿には覆いでなく、建替えを視野に入れた維持管理だけでいいのではないでしょうかね。
 覆い屋は本殿の建替え時には邪魔になり壊すしかない。それに太陽の光を遮る覆い屋は、陽光の恩恵を遮断することになり、思わぬ弊害を心配しなくていいのだろうか。
 幣殿の新築は、使用頻度を鑑みると必要性において大いに疑問。幣拝殿として兼用している神社もあり、幣殿を今回新築すると、後世の人たちは、主な建屋だけでも本殿・拝殿・幣殿・神楽殿の四殿を維持・建替えすることになって、負担が増すことになってしまう。

更に現在は、コロナの禍(わざわい)の最中で、正常な経済活動ができない状態が続いていることは、ご承知の通り。加えて、いつになればこの災難が収まるのか見当もつかないという苦しみの真っ最中であり、石油系統の燃料は上がり続け、食料品も上がり続けるばかりというあり様です。
現実に仕事の無くなった人々が私たちの周りにいるのです。

 この時期に、記念行事と雖も、他のやり方を考慮しなかったかと強く思います。
 建物診断をした形跡がありません。しているとしても報告がない。
 図面は添付されていたものの、工法が書いてない。
 今までの検討経過を知らせて頂きたいという質問には、誤解されると困るので出来ないという、何とも誠実でない、情けない返事ではいけませんね。議事録・会議録が残されていないのですかね。
 文面からは、こちらに伝わってくるものが少なすぎて、切なるものが何にも伝わってきません。真剣で真面目なところを感じることができません。
駒ケ根市の二代目市長さんで、北原名田造さんという偉大な政治家がおりました。この方は、東京大学の農学部を出て、桔梗が原で農園を営んでおり、県議会にも出ておりましたが、議員は性に合わなかったらしくて、任期満了で辞退してしまいます。が、只者でないこの方は、農業の傍ら山羊飼育では日本の第一人者でもありました。で、初代駒ケ根市長が宮田町との合併話が拗れにこじれてしまい、嫌気がさして辞職してしまいます。その後の市長選に同級生らの懇願に応じて出馬して当選されており、その後伊那谷の発展に大変な功績を残されております。その大政治家の政治信条の一つに「万機公論によって決する」という信念がありました。公約通りにされております。
万(よろず)の事は、特に公の事は何事も、公論(公の論議)を経て決めるということです。

 大御食神社は個人の所有物でないことは皆さんご存じのはずです。経過説明にも計画にも、手抜きであってはいけません。神社の維持管理は大事なことです。それと共に氏子の負担が重いものでなくなるような、思いやりも大事なことです。ということは、名田造さんの言うような万機公論という配慮が根底にないといけません。

10 お祭りの寄付集めなら、隣組にお願いしてもいいでしょうが、金額が大きくなる建設費用の集金まで、隣組に丸投げしてしまうという粗野なやり方は乱暴が過ぎますね。

神社という、世界に類を見ない神々への崇拝は、日本独自に発展してきたもので、自然崇拝と共に神々の働きを感じ取り、信仰を集めた宗教ではない信仰です。教祖がおりませんし、経典もないそれは、神社神道となり世界に誇る信仰です。神々の譜系としての神典古事記や日本書紀はあります。絶やしてはいけませんし、大御食神社は、この土地の守り神です、氏神様としての役割を担っておられます。殿堂を増やすことが氏子の主な役目ではないはずです。純粋な信仰の姿を後世に伝えることが第一義で、それには神事を絶やさないように歴史と伝統を重ねる事のほうが重要です。
人間は神の子、神の御霊(みたま)分けです。それ所以で神様の体である霊性・神性(かむさが)が備わっていて、見えない世界が見える方もいるわけです。神の子である人間が暮らす近くに氏神さまがあれば、誰でも氏子と呼ばれるわけです。

達磨大師と武帝との故事に「無功徳」という逸話が残っています。武帝は仏教に帰依していて、お坊さんの庇護や伽藍の寄付を積極的にしていた王です。その王様が私にはどういう功徳があるのでしょうかと、訊ねます。対して「無功徳」と応じます。「ない」ということです。
功徳がないことなどありません。あるのですが「『私にはどんな功徳があるのなか?』そんなことに執着しなくてよろしい」ということでしょうね。王様として、民の安泰のために普段からできることをしていれば結構という意味もあるようです。

私は、古神道を長年研究してきました。それは今でも続いています。出来の悪い私にも信仰心があり、自然崇拝の延長線上にある神道が私の信仰です。

今回の計画の役員には、私のお世話になった方や、知り合いや古くからの友人知人親戚といった方々がおり、その方々には心苦しく思いますが、盲目的に従うことはできません。

後世の人々の負担が増すような計画、加えて差迫った理由もなく、無駄になるような計画に、寄付をお願いしますと言われても、私としては断るしかありません。


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