2018年01月16日
年賀の 解説 と 私の 真意 です
今年の年賀は上記です。
その最後に「私の出す『年賀のしるし』はこれが最後です」と書いた。
これが、評判が悪いのだ。
「一人で何を考えとるんだ・どこに行くんだ・もっと分かるように説明しろ」などです。
どこにも行きません。特別なことをするのではありません。
では、説明の始まりです。
私が最近感じるのは、なんつう「つまらん」世の中になったのだろう。これを強く感じるようになった。特に政治を見ていると、これが人民を大切にする方法?かな、と疑いたくなることばかりです。
例えは、年金支給額は減るばかり。消費税はまた上がる寸前。デフレから抜け出る気配がない。サラリーマンの給与は上がらない。商売は縮んてゆくばかり。商売を伸ばしているのは「市場を席巻できる会社だけ」で、世の中と共に、自然体で国内にいる商売は、消費人口の減少と共に・・・・ですから、伸びる要素はありません。その他にも一杯矛盾はあるのですよ。幼児教育や大学まで細かな問題はいっぱいある。モリカケがあれだけ騒がれたのに、便宜供与に何も結論を出せないままです。税金の徴収に関する法律は、「みなす」ということを認めています。強く疑われても仕方のない状況では、事実よりも「みなす」という行為でいいのです。これを、モリカケに当てはめることは、しましたか、しませんか。
今の日本は、このままだと破滅すると、これは昭和58年に没した、安岡正篤先生がその著書の中に残しています。これは、財政がパンクするとか、天変地異が起こるとかのことではありません。好い状態の・好ましい状態の日本という国でなくなるという意味です。あちこちで、辻褄の合わないことが起こる。住み難くなる。暮らし難くなる。ということです。残念ですが、その通りになってしまいました。
つづきます。長くなるから、また来て読んでね。
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