古四王神社(こしおうじんじゃ)は、秋田県大仙市大曲字古四王際にある神社。本殿は重要文化財に指定されている。
古四王神社本殿
歴史
古四王神社本殿は、氏子総代の冨樫家の古文書によると、1570年(元亀元年) に領主戸沢氏が、孔雀城主である冨樫氏(冨樫左衛門太郎勝家)を奉行として建立したと伝えられる。1930年(昭和5年)に行われた文部省(現文部科学省)による解体修理の際に、軒の組物の中に「古川村 大工 甚兵衛」という墨書が発見され、現在の岐阜県飛騨市出身の大工・甚兵衛の作であることが判明した[1]。古四王神社本殿は1905年(明治38年)、文部省古社寺保存会嘱託で工学博士の伊東忠太(東京帝国大学教授)の調査を経て、1908年(明治41年)に当時の古社寺保存法に基づく「特別保護建造物」(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定された。秋田県では初の文化財指定建造物である。
祭神と神社の由来
祭神は『古事記』・『日本書紀』で北陸を平定したとされる大彦命(オオビコノミコト)と他五柱( 天照皇大神、豊受大神、建御名方命、八坂刀売命、水波女神)。コシオウという神社は、中部以北の日本海側に多く見られ、「胡四王」、「腰王」、「故将」などと書く社の例もあり、その由来については以下の説がある。
祭神である大彦命が高志(越)国(現在の北陸地方)の王であったからという高志王説。
秋田城を鎮護する四天王寺が神仏習合して鎮守となった四王堂の四王が、古四王に転訛したという四天王寺説などがある。
本社の由来は高志王説に基づく。
秋田県内では本社の他に、秋田市寺内、にかほ市象潟町、鹿角市八幡平に鎮座する。古代史研究家の新野直吉によると、『日本書紀』斉明天皇条にみえる秋田浦の神が北方遠征を行った阿倍比羅夫と接触し,北陸の神高志(越)王と結合したと推測している。また、祭神の一つである大彦命の北陸平定神話から、本社には勝負事の利益を求めて参詣する人もいる。
本殿の特色
室町時代末期の作で、材質は杉・松・桧・栗などが適所に使用されている。和様・禅宗様(唐様)・大仏様(天竺様)などの各様式を採り入れた折衷様で、地方色も採り入れているのが特徴である。向拝の側面上にある藤唐草の彫刻や、木目を利用した一木造りの擬宝珠など、細部に様々な手法が施されている。また、通常神社は南か東を向いているものが多いが、古四王神社は北を向いている場合が多く、古四王神社崇敬については、武神との関わりから、古代の蝦夷支配との関係を指摘する声もある。当時、美術建築の権威であった伊東忠太(東京帝国大学教授)は「奇中の奇、珍中の珍」と感嘆し、後に建築史家の天沼俊一(京都帝国大学教授)も「和(日本)・唐(中国)・天(インド)を超越した天下一品の建物」と絶賛した。
行事
恒例の神事は9月8日(例大祭)、5月8日(戸開)と12月8日(戸閉)があり、12月31日から元旦にかけて正月行事が行われる。例大祭では神楽、獅子舞、刀舞、梵天の奉納が行われるほか、本殿の御開帳やライトアップが行われる。また、文化財防火デーに因んで1月には古四王神社文化財防火デー・古四王堂火消しもちまつりが行われる。防火訓練では、地元の消防団の他、東大曲小学校児童らも活躍し、続いて行われる火消しもちまつりでは、雪中田植え、天筆焼、もちつきが行われる。
所在地 秋田県大仙市大曲字古四王際30
位置 北緯39度26分17.1秒 東経140度29分57.0秒
主祭神 大彦命
天照皇大神
豊受大神
建御名方命
八坂刀売命
水波女神
社格等 神饌幣帛料供進神社
創建 伝1570年(元亀元年)
本殿の様式 一間社入母屋造
例祭 9月8日
2023年08月04日
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