忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は、山口県下関市にある神社。長府(城下町エリア)のほぼ中心に位置し、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる。
概要
式内社で、旧社格は国幣小社。長門国二宮とされ、現在は神社本庁の別表神社である。飛地境内として国の天然記念物満珠島干珠島を有している。
また、魁傑將晃が現役時代、荒熊稲荷神社で九州場所の必勝祈願を行い優勝したことが縁となり、毎年11月3日の三日相撲に合わせて参拝する。荒熊稲荷神社脇には相撲資料館が併設され魁傑や大乃国康(現:芝田山)の化粧まわしや優勝杯、大銀杏などが展示されている。
祭神
本殿 第一殿:仲哀天皇、第二殿:神功皇后、第三殿:応神天皇
歴史
仲哀天皇元年(192年)に熊襲の征討に訪れ、仲哀天皇2年(193年)に行宮豊浦宮を建てられた。三代実録によれば、仲哀天皇4年(195年)に秦の始皇11代の孫功満王(こまおう)が渡来して日本に住みつき、珍しい宝物である蚕(かいこ)の卵を奉献したとされ、豊浦宮(現在の忌宮神社)が蚕種渡来の地とされる。
仲哀天皇8年(199年)に天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝える。聖武天皇の時代に神功皇后・応神天皇を奉斎して、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神天皇を祀る神殿を「豊明宮」と称し、三殿別立となっていた。中世に、火災により全て「忌宮」に合祀したことから「忌宮」と呼ばれるようになった。延喜式神名帳では「長門国豊浦郡 忌宮神社」と記載され、小社に列している。
延元元年(1336年)、足利尊氏が忌宮神社で戦勝祈願を行い延元2年(1337年)に法楽和歌を奉納する。長府毛利家の厚い庇護を受け、境内社として歴代藩主を祀る豊功神社も置かれた(現在は長府海岸近くの宮崎八幡宮と合祀され豊功神社として祀られている)。古来、文武の神・勝運の神として歴朝の尊崇厚く、また安産の神として庶民の信仰を受けてきた。
文化財
重要文化財
刀 無銘(伝則宗)折り紙付き
太刀 銘備州長船盛光 応永廿三年八月日
豊浦宮法楽和歌 (足利尊氏奉納)
忌宮神社文書 28巻3冊(372通)・忌宮神社境内絵図1幅(附:忌宮神社記録2巻12冊)
県指定文化財
狩野芳崖奉納の絵馬
市指定文化財
能面・狂言面
所在地 山口県下関市長府宮の内1-18
位置 北緯33度59分56.3秒 東経130度59分15.2秒
主祭神 仲哀天皇
神功皇后
応神天皇
社格等 式内社(小)
長門国二宮
旧国幣小社
別表神社
創建 仲哀天皇8年(199年)
例祭 12月15日
主な神事 数方庭祭(8月7日 - 13日)
御斎神事(12月7日 - 15日)
2023年06月29日
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