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デキる人は「???」が多い

デキる人は
「???」が多い・・の前に、


皆さんは、仕事がデキる人にどんな
印象をお持ちですか?

バリバリ仕事をこなす人、

表舞台で華やかな立場にある人、

肩書きが素晴らしい人、

色んな見方がありますが、
私は人を見る目が厳しいです。


見た目は、
バリバリ仕事をこなす人でも・・、
よく見たら、ひとつの内容でしか
バリバリやってない人も・・
これって、ひとつの事だけしか
できない人って事ですよね。

表舞台で
華やかな立場にある人でも・・、
よく見たら、
人の手助けがなければ
その場所に立てない人も・・
それって、
ただのお人形ですよね。

肩書きが素晴らしい人、
よーくみたら
その人を尊敬する部下は
いないって人も・・
それって、
井の中の蛙か
小山の大将ですよね。


デキるって思っていても、
こんなアナあったら
ダメですね・・・
いわゆるメッキです。


本物のデキる人って
何でしょう?




ここで、もう一度 
デキる人は「???」が多いを
考えてみましょう。


私が思う「???」は
「引き出し」です。


デキる人は
「引き出し」が多いと思います。


ただ、この「引き出し」とは
机の引き出しではありません。


私が言う「引き出し」とは、
「技術と知識」です。



「引き出しの多い人」とは、
言い換えるなら、
「技術と知識の多い人」
じゃないでしょうか。


「技術と知識」は
「応用力」へ発展します。


「応用力」がある人は、
「色んな対処」が出来ます。


「引き出しの多い人」とは、
「対処法が多い人」。



「引き出し」が多ければ、
ひとつの事柄でも、
状況によってやり方を変えられます。


つまり、いつも通りやっていたことが、
いつも通りできなくなっても、
いつも通りのゴールに導ける。



頼っていた誰かに頼れなくなっても、
やり方を変えて同じ結果に導ける


こんな事です。


先日、仕事で
「引き出しの多い人」に出会いました。

放送前なので詳しく
書くことはできませんが

依頼する誰からも、
対応困難で、そんな短い期間で
準備できないと
断られるような特殊な内容・・・


そんな依頼を、その方は、
「少し考えさせて欲しい」と
言った後、快諾。

しかも、こんな感じでいかがでしょう?と
具体的な作業プランも
同時に提出されてきました。


後日、その方と打ち合わせしたら、
「今までやっていたことの
応用で対応できるんで、
新たにいろいろ考えなくても
前にやった方法を少し
アレンジすればいいから・・」と、
笑顔で話してくれました。


なんて、
仕事がデキる人なんでしょう。


この方は、
お仕事を2つされており、
しかもそれぞれ、
代表、もしくは核となるお立場、
完全に両立されています。

しかもそこに余裕がある、、


私も、仕事と空手と
2つ頑張っていますが、
上には上がいると、
改めて自身の足りなさを感じました。


「確実に出来る技術」
「絶対の知識」をたくさん持つ。

「必要な時に」に
「正しい選択」で
その「技術と知識」を出し
「一発で決める」


これこそが、
私が思う「デキる人」です。


生徒の皆さんは、
いつか仕事をすることでしょう、

その時に
「デキる人」になりたいと思いませんか?


「デキる人」になるためには、


「確実に出来る技術を身に着ける」
「絶対の知識をもつ」
「色んな場面で、それらを適切に選択する」
「本番で一発で成功させる」

これらの感覚と経験を
社会人になる前に、
「社会人になるための基礎」として
持っておく必要があります。


何を出来るようになるかは、
就いた仕事次第ですが、
この「社会人になるための基礎」
がないと

「デキる人」にはならないですよ。


「説明を理解する」

「正しい内容で
十分な量練習し身に着ける」

「試合中に自分のやるべきことを
冷静に判断し実行する」


空手の教えって、
「社会人になるための基礎」に
通じるものが
あると思いませんか?


私は思います。


早田

目標を達成するために必要な事は「???」

目標を立てるときに必要な事。


道場生の皆さん、

技術の向上や、試合の成績など
「目標」をたて頑張っていますね。

そんな皆さんに目標を実現するための
アドバイスがあります。

これは、私は実践してうまくいってます。
空手に限らず、仕事、自分自身の事、
色んな「目標達成」に役立つ事です。

それは、何か・・・
簡単です。


目標を立てた時に、この一言を足して下さい。

「○月○日までに」

目標達成に期限をつけるんです。

短い期間でも、長い期間でも一緒です。

成りたい自分が見えて、そうなりたいと思った時、
漠然と、「・・・・に成りたい」と思うのではなく


「○月○日までに・・・・に成っている」と
期限を決めた「未来完了形」で自己認識する事です。

私はずっと前から実践しています。

「いつまでに、絶対にこうなっている。」

こんな目標がたくさんあり、
同時進行で頑張ってます。


期限を決めると決めないのの
大きな違いは、
中間地点が明確かそうでないかです。

期限が決まったら、自動的に
いつまでには、
最低でもこれくらいに成っていないといけない
という、中間の目標値ができます。

その中間の細かい目標を確実にクリアしていけば、
いいんです。


まわりを見て下さい。

漠然とこうなりたい、これを覚えたい、と言ってる人で
全くそうなる気配のない人いませんか?

そんなタイプの人の共通点は、「そのうちいつか」と言う感覚です。


「そのうちいつか」という気持ちは、
今頑張らなくていいという言い訳、
言ってみれば目的に対する
熱意の無さの現れです。


勝ちたい、そのうち・・
出来るようになりたい、そのうち・・
痩せたい、そのうち・・
覚えたい、そのうち・・
一人前になりたい、そのうち・・・

いつまでたっても、絶対になりません。

目標を決めるという事は、
自分が具体的に、
いつどうなっているかというイメージを
しっかり頭に描く事です。


みなさんが、成りたい自分はどんな自分ですか?
それは、いつまでに成っていたいですか?

そうなるために、
1か月後はどうなっていなきゃなりませんか?

じゃ、今日は何をしなくてはならないですか?


とう言う事で、今日も練習頑張りましょうね!


早田

何のために空手をするのか?「???」するためです。

何のために空手をするのか?
「???」するためです。

何のために空手をするの?と言う問いに
皆さん、何と答えますか?

強くなるため。

礼儀正しくなるため。

集中力をつけるため。

色んな思いがあることでしょう。

私が空手を始めた理由は
「ケンカ」に強くなりたかったからです。

今は、少し違います。
皆さんに「あること」を感じていただきたい、

その「あること」を体感していただくよう
稽古や試合の環境作りをしています。

さて、その「あること」とは・・


「感動」です。


空手を何のためにするか?

「感動」するためです。


「感動」とは、簡単に手に入るものや、
ラッキーで手に入るものでは味わえません。

良い話を聞いたり、嬉しかったりの感動も
ありますが、私の言う感動はそれでは
ありません。


私が言う「感動」は「達成感を味わう感動」です。


最初は、無理だと思った・・

絶対無理だと思った・・

何回挑戦してもダメだった・・

でも、諦めず、研究と努力を重ねたら出来た。

ここで感じる「達成感」こそ、
心を成長させる「感動」です。


最初から出来ないとあきらめる考えは、
挑戦する意欲と、這い上がる粘り強さを
無くします。


失敗をしないよう無難にいけばいいやと、
成功してもなんの達成感も味わえない結果
しか出ません。


もちろんそこに感動はないでしょう・・


努力で勝ち取った「感動」は「自信」になります。


自信は、努力を継続する力になり、
技量を向上する結果につながります。

そして、あらたなステージに
挑戦したいという向上心に発展します。

新たなステージで挑戦し成功すること、
これがまさに、「感動する仕組み」です。

成長した先での成功を望むため努力し、成功する
これ以外感動する方法あるでしょうか?




じゃあ、感動するために何が必要?

簡単です。

@無理だと思うことに挑戦する勇気
Aできるようになるための努力・研究
B失敗しても、再挑戦する粘り強さ


これらを鍛える事ってなんでしょうか・・・?


皆さんがやっている「空手」です。

「空手」を一生懸命する
「感動」できる人になる
「成長」する
「成りたい自分」になる


私の空手指導の芯です。


早田

切磋琢磨の裏にある「聞く」と「言う」

お互いに質を高めあう際に使用される
「切磋琢磨」という言葉。

物事を覚える段階の初期は、自分自身だけの
努力が主ですが、

覚えてしまった事を、高めるか、そのままか、
にするかは、この切磋琢磨が必要です。

切磋琢磨とは、未熟な状態で行う事ではなく
一般的に通用するだけの、技量を有してから
行う事だと思います。


通用するだけの技量を身に着け、
その技量で何度と難局を乗り越えた時、
人は自信をつけます。

しかし、その技量が通用した環境は
日々変わります。
これまで通用した技量が、
ある日通用しなくなることもあります。

その時に、過去の成功とその方法にしがみつき
失敗する、人から助言を受けても、
それまでの自身から生まれたプライドが邪魔し
アドバイスを聞き入れることが出来ない。

ありがちです。

こういうときこそ、「切磋琢磨」なのです。

一般的に、切磋琢磨は、
同じ環境下の同じ技量の人が互い
を高めあう事と認識されていると思います。

私は、すこしだけ違います。

自分を高めるのは
同じ環境の人にかぎらず、
全く違う環境の人もいれば、
同じ技量に限らず、
技量が上の人、下の人、
ない人もいるはずです。


切磋琢磨とは、「我以外皆師」と
言う気持ちの上にあること、

どんな人からでも
、自分に対する助言を「聞き入れる器量」
それと、言いにくくても
その人の為に言う「言う勇気」が
重なり合う事と考えます。


こうすればいいのに、先輩だから言いにくい、
後輩にこう言いたいが、
すねられたら面倒だから言わない、

わかってない人の意見なんか聞くか、

こんな思いが、自分の成長を止めます。

成長が止まるのは、停滞ではありません。
周りが進んでいくから、後退なんです。


技量を身に着けても、相手へ敬意をもった
「聞く器量」「言う勇気」で切磋琢磨しないと、
自分が後退します。


道場のみなさん、
隣の人の気合が抜けていませんか?
なにかこうしたら良いと思うのに、
言わずにいないですか?

先輩、後輩から何か言われても、
意地になって聞かなくなってないですか?

上級者になればなるほど、
この切磋琢磨の気持ちを意識
しましょう。

これは、空手以外でも、きっと役に立ちますよ。


早田に

分相応を意識

「分相応」であるという事

私が好きな言葉に「分相応」という言葉があります。
分相応とは、人の中身と生活スタイルが合っているという意味です。

分相応をわかりやすく例えるなら、
自分の腕一本で成功した人が優雅な生活をすること、

逆に分不相応とは、
ロクに仕事をしたことのないボンボンが
親から譲り受けた社長という肩書きだけ
振りかざして偉ぶり、優雅に暮らすこと、


同じ、優雅な生活でも、中身が伴わない人は、
人に尊敬されないだけでなく、頭の良い人に
いいように利用されます。
さらに、人からバカにされます。


中身が伴う人は、尊敬され人が付いてきます。
その人を目標にする人が現れます。


分相応の人は、人に自分を認めさせた人、
分不相応の人は、人から認められないのに
良い立場だけ手にした「裸の王様」です。

空手でも同じことが言えます。

帯の色は、その色までに習得すべきことを
全て習得しているという証。

つまり、その色でできるはずのことは出来て当然、
出来ないのは、分不相応なんです。

皆さんは、自分の帯相当の技量や精神を持っていますか?

そして、極真空手を学ぶ人としての器量は持っていますか?

もし、足りないと思うなら、まずは

キビキビする、ハキハキする、最後まで気を抜かないという事を
始めましょう。

そしたら、技術的な事は、だいたい解決します。単純なんです。
この単純なことを怠ったら、あっという間に
分不相応な人になります。

常に分相応を意識してください。
これは自身のプライドです。


分相応がわからないまま大人になると、
何もできない、すべて人任せ、
伴うものは何もないのに立場だけは上、
人に利用される、慕われていると思っていたのに
実はバカにされている、、

そんな裸の王様になりますよ。

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アサヒカップ お疲れ様でした

11月14日のアサヒカップに出場した選手の皆さん、
保護者の皆さん、審判の小島先生、内柴先生、
全体のセコンドをしてくださった大川指導員、

お疲れ様でした。私に関しましては、
急な仕事で最初までしか現場にいる事が出来ず
申し訳ありませんでした。

試合の結果と内容は、
それぞれからメールいただきました、
ありがとうございました。



勝てなかった人は、
まずは内容を良く振り返りましょう。

負けていても、もしかしたら前回よりも
成長していることがあるかもしれません。

前回出来なかった事が出来ていたら、
結果は負けでも、中身は大成功です。

結果でなく、
自分が練習で成長できたかどうかを重視して下さい。

でも、やっぱり負けるのは悔しくつらいです・・

だから、

今回はくじけない心を鍛える試合だったと思いましょう、
負けるには原因がありますが、

結果にくじけていては、改善できません、
くじけず、次やるべきことをすぐやればいいのです。


最後の最後で負けた人は、
ツメの甘さに気づかされた試合と思いましょう。

一瞬の気の緩みで勝敗がひっくり返ります。
練習の中で気を抜かないようにすればいいです。



優勝できた人は、
練習で身に着けたことが発揮できた試合だったんです。

これからも同じように頑張って、周りの手本となりましょう。



勝負の世界で勝つのは難しいです、勝ち続けることはもっと難しいです。



毎回の練習で気が抜けたり、
力を抜いたり、正確にしなかったら、

今回の勝者も、次回は敗者になります。



逆に、今回負けても、
今日からの練習で気持ちと動作を変えたら次回から勝てます。



私達はやっていることは、まさに「継続」という訓練です。



「やり続けるから維持できる」、
「内容を理解してレベルをあげながら継続するから成長する」

「そこで得ることに喜びを感じる」
これが心を成長させるために必要なやり方だと

信じています。



また、一緒に頑張りましょう、
そしてみんなで一緒に喜びましょう!




早田





「褒める」と「おだて」

「褒める」と「おだて」

よく、「褒めて伸ばす」と言う
指導論を耳にします。

いい事だと思います。
私もそういう指導におおいに賛成です。

しかし、褒め方を間違っている人と、
褒められるという意味を
間違っている人が多いという
現実に悲しい思いをする事があります。


昔、こんな事がありました・・

仕事で失敗の出来ない
状況にある人に
つめの甘いところや、
感覚として甘いところを
指摘しました。

もちろん、絶対失敗出来ない状況と
聞かされていたからです。

そしたら、

「どうしてそんなに厳しく言うのか?」
「他の人はみんな、それいいね、
頑張ってと励ますのに」
「全くこっちを応援する気がない」と
逆ギレされました。

全く意味が分かりませんでした。


きっとこの人は、
「自分が気づいていないポイントを
指摘されること」は「批判」で、

このまま行けばうまくいくだろうという
楽観的推測を共に喜ぶ事を「応援」
だと思っているのでしょう。


悲しい勘違いです。


忘れてはいけない事は、
「失敗できない、責任を全うする」
という事

そのために必要なものは
何かが分かっていないようです。


ここで、先述の
「褒めて伸ばす」に話を戻します。

褒めて伸ばすとう時の「褒める」事とは、
その人が出来ない事が出来るようになった時に
使う賞賛と、その努力に対する敬意です。


その人が絶対の成功を目指し真剣であれば
本当の意味の応援は、「厳しい目」です、

「厳しい目」が見るところとは、
「成功するために絶対必要だけど、
まだ出来ていない事」です。


その「厳しい目」で見た時に、
すごい、そこまで
やっているんだね、
そこまで出来るようになったんだね、
そう気づかされた時に出る言葉は
まさに「褒め言葉」です。

逆に、

今出来ている現状と、
まだ出来ていない事を
いつか出来るだろう、
出来たら良いねと
不確定な明るい結果を一緒に
想像して喜ばせるのは、
「おだて」です。


その人が成功するか
失敗するかどうでもいいと思う人は、
「それいいねぇ」と、
とりあえず出来ることを良く言い、
成功の根拠がない
明るい未来を語るものです。


これって、無責任に人の気分を
よくするだけの「おだて」ですよね。


「頑張っている人を伸ばしたい」と
「褒め」ているつもりでも、
それがただの「おだて」だったら、
その人は伸びません。


おだてられる事に慣れてしまった人は、
自らハードルを下げ、
やって当たり前のことをやってでも
おだてられたいとなりがちです、

この結果は、
必要なはずの、厳しい試練に
耐えられない体質へとつながります。

さらに、その人のために本当に
必要な助言をする人を
拒絶してしまう傾向になります。



無責任な「おだて」は
人をダメにすると思います。



私は、稽古内で
生徒を褒めることがあります。

これは、継続した努力でしか
出来ない事が出来たとき、
今の状況で最高以上の事を
やってのけたときだけです。

これは、結構よくあります。
生徒は、本当に「褒める」に
値する結果を見せてくれます。


しかし、それ以外の、
がんばったレベルの時、
出来て当たり前の時は、
「褒める」ではなく、
「状況をわかっている」と
意思表示します。


「きついのによく頑張った」
「痛いのによく耐えた」
「怖いのによく向かっていった」
見ていてわかったとその場で伝えます。

これは、決して「褒め」ではありません。
頑張るだけでは、「褒め」てはいけないのです。

これは、指導員側の「ガマン」
でもあります。
本音を言うと、
必死で頑張っている事は
褒めちぎちたいものです・・


簡単ではない、
一回で成功できるものでない、
そんな事を突破させるためには、

「褒め」と「おだて」を区別して
使わなくてはならないと思っています。





早田

向上心とは・・

向上心とは

「向上心」とは、
「今以上に出来る事を増やしたい・質を上げたいと思う事」


みなさんも同じような意味で捉えていらっしゃると思います。

私は、「向上心」こそ、
人として、成長するために身につけなくてはならない
「感覚」だと思います。


さて、向上心ってどうやったら身につくんでしょう?


向上心のを全面に出して、まい進する状態を
「ガツガツする」といいますよね。

ガツガツしている人は、目的意識がはっきりしています。

いつまでに何をしたいと言う目標があるから
予定通りに事を進めようとする事が特徴です。


目標はそれぞれですが、この「感覚」は
自立するために必要な感覚だと私は思います。


反対に、無理はしない、頑張らない、適当、
気が向いた時に気が向いた事しかしない、
熱中出来ない、消極的・・

こういう人は、よく「おっとり」と言われます。


私は、おっとりしているから・・

この子は、おっとりしてりるから・・・


こういうフレーズをたまに耳にします。


「ガツガツ」「おっとり」を性格の表現として捉えると
それぞれを否定することはできず、
それはそれ、これはこれとしなくてはなりません。


私はここに疑問を感じます。


そもそも、「おっとり」というのは
「心が常に落ち着いておだやかな人」という意味では
ないでしょうか?

学ぶ意欲のない人を表す言葉ではないはずです。


それを、学ぶ意欲を放棄している人を美化するように使い方が蔓延すると、

「学ぶ意欲が無い」ことを、「おっとり」した性格と言い換えて
やるべき努力をしないことを正当化する人が出ます。

その結果、

自立をしなくてはならない年齢になっても、
自立出来ないという事例が発生するのかもしれません。



「覚えなくてもいいや」、「出来なくてもいいや」と思う人は、
それが許される事が「子供時代」だけ
という事に気がついてないのだと思います。


親元を離れる、親が死ぬ、
それまでに、自分だけで生きる力と知恵を
身につけなくてはなりません。

だから、学ぶ意欲を持てないと言うことを放置してはいけません。

そこで必要なことが、「向上心」です。


「出来なくてもどうにかなる」と思っている人、

いつかどうにもならなくなります。


その時、あなたが「向上心」を持てない体質だったたら、
人に頼って生きる人生を余儀なくされますよ・・


歳をとっても、何も出来ない・・学び取れない、
意欲を持てない、自立が出来ない・・

こういう人は、組織で信用されにくいから働く場に
入れてもらいにくくなり、
社会人の先輩からの指導を受ける機会も減ります。


そのため社会人としての常識・マナーも身に付ける事が
難しくなります。

それでも、何か仕事をしたいと思いは出るでしょう、
しかし、仕事組織に入りにくいため、
自分で起業したりします。

しかし、これらの人は、ものを学ぶ意欲も方法も身についていないから
万全の知識・技術を用意できないままの起業になる例も少なくありません。


本来、起業して成功する人というのは、
人並み以上の技術・知識・そして経験を積んでいる人です。


そんな人たちの聖域に、準備不足・経験不足のまま起業しました
という人が通用するはずもなく、当然のごとく辛い目に遭います・・


めんどくさい事や大変な事は覚えられない、人任せ、
やってもらえるうちはいいけど、見放されたらお手上げ、


組織を作くるからとりあえず部下はできる、
しかし何もできないのが部下に知れたら、
尊敬されることはなく組織が崩壊・・・

部下は独立するか、出来る上司を求めて去り、結局ひとり・・・

ひとりでは何もできないからの人任せは、最終的にはトラブル勃発に発展する・・


負のスパイラルです。



「ガツガツ」が最良とは言いません。
ただ、「出来なくてもいいや」という感覚は確実に
自分に不利益を与えます。

どんな性格でも、「今は難しいけど、努力で出来るようになろう」
そしてそれが出来るようになったら、
「また努力して、今以上次出来るようになろう」
この繰り返しが「向上心」という感覚につながると思います。


「今、出来ない事」を「努力」で「出来る事」にする

単純なことの繰り返しです。


これって、道場稽古でやっていることですよ。


今日から、「出来なくてもいいや」と言う気持ちは捨てて下さい。

「絶対出来るようになってやる」と思うようにしてみて下さい。

あなた自身に変化が現れますよ。



早田

10年後になりたい自分は?

10年後になりたい自分は?

色々あると思います。
しかしここで聞きたいのは職種ではありません。

10年後にやっている「生き方」です。

生き方の区分はシンプルです。

「(力・知識・技術など自分の武器が)強いか弱い」

「頭が良いか悪い(物覚えが良いか悪い)」


どっちの生き方が自分らしく生きられるのでしょう?
どっちの生き方をあなたは望むのでしょう?
どっちの生き方を、自分の子供にして欲しいでしょう?

私は、強い人、頭が良い人になりたいです。
自分の子供にもそうなってもらいたいです。

なぜかというと、

力の弱い者は、理不尽な暴力にねじふせられる。

物覚えが悪い(知識や技術を身につけられない)者は
物覚えのいい人に利用される。


それぞれの後者は、常に主従関係の従の方、
自分の意思を出しにくい立場です。

やる事は、常に人の指示、人の意思、
そこに自分らしさがあると言う人もいるかもしれません。
それを否定はしません。

しかし私は、自分の意思をもてる生き方をしたいです。


必要な事を学び習得出来る自分、
理不尽な暴力に屈しない自分が理想です。


しかし
自分だけではどうしようも出来ないことは
人に頼まないといけません。


人に頼みを聞いてもらうには

@合法的に脅す
A頼み倒して情に働きかける
B相手に利益を与える


この3つだと思います。

一番望ましいのは、Bだと思います。

プライドの無い人は、ここで身を売ったり、
心を売って相手の欲求を満たすという利益を与え
願いを聞いてもらうでしょう。

そういう生き方を否定はしません。

私はしませんけど。

私は、強く、賢く、
そして協力者に金銭的な利益を与える、
または相手に心から信頼され
望んで協力したいと思うわれるようになりたいです。

10年後には、必ずそうなってやると決め、
頑張ってる最中です。


10年後になっていたい自分、
10年後にやっていたい生き方をはっきりさせたら
今やるべきことがわかりますよ。


皆さんはどんな人になって、どんな生き方をしたいですか?


今やっていることで、その自分になれそうですか?


道場で、やっている事、学んでいる事は、
なりたい自分になるための根っこの部分です。

体の強さ・ものの覚え方・そしてくじけない心・根性です。

毎回の稽古は、将来の自分につながります。

稽古を頑張って損することはありません、
しかし、だらけたら、損することありますよ・・

さぁ、次の稽古
あなたはどんな気持ちで望みますか?


早田

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