「褒める」と「おだて」
「褒める」と「おだて」
よく、「褒めて伸ばす」と言う
指導論を耳にします。
いい事だと思います。
私もそういう指導におおいに賛成です。
しかし、褒め方を間違っている人と、
褒められるという意味を
間違っている人が多いという
現実に悲しい思いをする事があります。
昔、こんな事がありました・・
仕事で失敗の出来ない
状況にある人に
つめの甘いところや、
感覚として甘いところを
指摘しました。
もちろん、絶対失敗出来ない状況と
聞かされていたからです。
そしたら、
「どうしてそんなに厳しく言うのか?」
「他の人はみんな、それいいね、
頑張ってと励ますのに」
「全くこっちを応援する気がない」と
逆ギレされました。
全く意味が分かりませんでした。
きっとこの人は、
「自分が気づいていないポイントを
指摘されること」は「批判」で、
このまま行けばうまくいくだろうという
楽観的推測を共に喜ぶ事を「応援」
だと思っているのでしょう。
悲しい勘違いです。
忘れてはいけない事は、
「失敗できない、責任を全うする」
という事
そのために必要なものは
何かが分かっていないようです。
ここで、先述の
「褒めて伸ばす」に話を戻します。
褒めて伸ばすとう時の「褒める」事とは、
その人が出来ない事が出来るようになった時に
使う賞賛と、その努力に対する敬意です。
その人が絶対の成功を目指し真剣であれば
本当の意味の応援は、「厳しい目」です、
「厳しい目」が見るところとは、
「成功するために絶対必要だけど、
まだ出来ていない事」です。
その「厳しい目」で見た時に、
すごい、そこまで
やっているんだね、
そこまで出来るようになったんだね、
そう気づかされた時に出る言葉は
まさに「褒め言葉」です。
逆に、
今出来ている現状と、
まだ出来ていない事を
いつか出来るだろう、
出来たら良いねと
不確定な明るい結果を一緒に
想像して喜ばせるのは、
「おだて」です。
その人が成功するか
失敗するかどうでもいいと思う人は、
「それいいねぇ」と、
とりあえず出来ることを良く言い、
成功の根拠がない
明るい未来を語るものです。
これって、無責任に人の気分を
よくするだけの「おだて」ですよね。
「頑張っている人を伸ばしたい」と
「褒め」ているつもりでも、
それがただの「おだて」だったら、
その人は伸びません。
おだてられる事に慣れてしまった人は、
自らハードルを下げ、
やって当たり前のことをやってでも
おだてられたいとなりがちです、
この結果は、
必要なはずの、厳しい試練に
耐えられない体質へとつながります。
さらに、その人のために本当に
必要な助言をする人を
拒絶してしまう傾向になります。
無責任な「おだて」は
人をダメにすると思います。
私は、稽古内で
生徒を褒めることがあります。
これは、継続した努力でしか
出来ない事が出来たとき、
今の状況で最高以上の事を
やってのけたときだけです。
これは、結構よくあります。
生徒は、本当に「褒める」に
値する結果を見せてくれます。
しかし、それ以外の、
がんばったレベルの時、
出来て当たり前の時は、
「褒める」ではなく、
「状況をわかっている」と
意思表示します。
「きついのによく頑張った」
「痛いのによく耐えた」
「怖いのによく向かっていった」
見ていてわかったとその場で伝えます。
これは、決して「褒め」ではありません。
頑張るだけでは、「褒め」てはいけないのです。
これは、指導員側の「ガマン」
でもあります。
本音を言うと、
必死で頑張っている事は
褒めちぎちたいものです・・
簡単ではない、
一回で成功できるものでない、
そんな事を突破させるためには、
「褒め」と「おだて」を区別して
使わなくてはならないと思っています。
早田
よく、「褒めて伸ばす」と言う
指導論を耳にします。
いい事だと思います。
私もそういう指導におおいに賛成です。
しかし、褒め方を間違っている人と、
褒められるという意味を
間違っている人が多いという
現実に悲しい思いをする事があります。
昔、こんな事がありました・・
仕事で失敗の出来ない
状況にある人に
つめの甘いところや、
感覚として甘いところを
指摘しました。
もちろん、絶対失敗出来ない状況と
聞かされていたからです。
そしたら、
「どうしてそんなに厳しく言うのか?」
「他の人はみんな、それいいね、
頑張ってと励ますのに」
「全くこっちを応援する気がない」と
逆ギレされました。
全く意味が分かりませんでした。
きっとこの人は、
「自分が気づいていないポイントを
指摘されること」は「批判」で、
このまま行けばうまくいくだろうという
楽観的推測を共に喜ぶ事を「応援」
だと思っているのでしょう。
悲しい勘違いです。
忘れてはいけない事は、
「失敗できない、責任を全うする」
という事
そのために必要なものは
何かが分かっていないようです。
ここで、先述の
「褒めて伸ばす」に話を戻します。
褒めて伸ばすとう時の「褒める」事とは、
その人が出来ない事が出来るようになった時に
使う賞賛と、その努力に対する敬意です。
その人が絶対の成功を目指し真剣であれば
本当の意味の応援は、「厳しい目」です、
「厳しい目」が見るところとは、
「成功するために絶対必要だけど、
まだ出来ていない事」です。
その「厳しい目」で見た時に、
すごい、そこまで
やっているんだね、
そこまで出来るようになったんだね、
そう気づかされた時に出る言葉は
まさに「褒め言葉」です。
逆に、
今出来ている現状と、
まだ出来ていない事を
いつか出来るだろう、
出来たら良いねと
不確定な明るい結果を一緒に
想像して喜ばせるのは、
「おだて」です。
その人が成功するか
失敗するかどうでもいいと思う人は、
「それいいねぇ」と、
とりあえず出来ることを良く言い、
成功の根拠がない
明るい未来を語るものです。
これって、無責任に人の気分を
よくするだけの「おだて」ですよね。
「頑張っている人を伸ばしたい」と
「褒め」ているつもりでも、
それがただの「おだて」だったら、
その人は伸びません。
おだてられる事に慣れてしまった人は、
自らハードルを下げ、
やって当たり前のことをやってでも
おだてられたいとなりがちです、
この結果は、
必要なはずの、厳しい試練に
耐えられない体質へとつながります。
さらに、その人のために本当に
必要な助言をする人を
拒絶してしまう傾向になります。
無責任な「おだて」は
人をダメにすると思います。
私は、稽古内で
生徒を褒めることがあります。
これは、継続した努力でしか
出来ない事が出来たとき、
今の状況で最高以上の事を
やってのけたときだけです。
これは、結構よくあります。
生徒は、本当に「褒める」に
値する結果を見せてくれます。
しかし、それ以外の、
がんばったレベルの時、
出来て当たり前の時は、
「褒める」ではなく、
「状況をわかっている」と
意思表示します。
「きついのによく頑張った」
「痛いのによく耐えた」
「怖いのによく向かっていった」
見ていてわかったとその場で伝えます。
これは、決して「褒め」ではありません。
頑張るだけでは、「褒め」てはいけないのです。
これは、指導員側の「ガマン」
でもあります。
本音を言うと、
必死で頑張っている事は
褒めちぎちたいものです・・
簡単ではない、
一回で成功できるものでない、
そんな事を突破させるためには、
「褒め」と「おだて」を区別して
使わなくてはならないと思っています。
早田
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