切磋琢磨の裏にある「聞く」と「言う」
お互いに質を高めあう際に使用される
「切磋琢磨」という言葉。
物事を覚える段階の初期は、自分自身だけの
努力が主ですが、
覚えてしまった事を、高めるか、そのままか、
にするかは、この切磋琢磨が必要です。
切磋琢磨とは、未熟な状態で行う事ではなく
一般的に通用するだけの、技量を有してから
行う事だと思います。
通用するだけの技量を身に着け、
その技量で何度と難局を乗り越えた時、
人は自信をつけます。
しかし、その技量が通用した環境は
日々変わります。
これまで通用した技量が、
ある日通用しなくなることもあります。
その時に、過去の成功とその方法にしがみつき
失敗する、人から助言を受けても、
それまでの自身から生まれたプライドが邪魔し
アドバイスを聞き入れることが出来ない。
ありがちです。
こういうときこそ、「切磋琢磨」なのです。
一般的に、切磋琢磨は、
同じ環境下の同じ技量の人が互い
を高めあう事と認識されていると思います。
私は、すこしだけ違います。
自分を高めるのは
同じ環境の人にかぎらず、
全く違う環境の人もいれば、
同じ技量に限らず、
技量が上の人、下の人、
ない人もいるはずです。
切磋琢磨とは、「我以外皆師」と
言う気持ちの上にあること、
どんな人からでも
、自分に対する助言を「聞き入れる器量」
それと、言いにくくても
その人の為に言う「言う勇気」が
重なり合う事と考えます。
こうすればいいのに、先輩だから言いにくい、
後輩にこう言いたいが、
すねられたら面倒だから言わない、
わかってない人の意見なんか聞くか、
こんな思いが、自分の成長を止めます。
成長が止まるのは、停滞ではありません。
周りが進んでいくから、後退なんです。
技量を身に着けても、相手へ敬意をもった
「聞く器量」「言う勇気」で切磋琢磨しないと、
自分が後退します。
道場のみなさん、
隣の人の気合が抜けていませんか?
なにかこうしたら良いと思うのに、
言わずにいないですか?
先輩、後輩から何か言われても、
意地になって聞かなくなってないですか?
上級者になればなるほど、
この切磋琢磨の気持ちを意識
しましょう。
これは、空手以外でも、きっと役に立ちますよ。
早田に
「切磋琢磨」という言葉。
物事を覚える段階の初期は、自分自身だけの
努力が主ですが、
覚えてしまった事を、高めるか、そのままか、
にするかは、この切磋琢磨が必要です。
切磋琢磨とは、未熟な状態で行う事ではなく
一般的に通用するだけの、技量を有してから
行う事だと思います。
通用するだけの技量を身に着け、
その技量で何度と難局を乗り越えた時、
人は自信をつけます。
しかし、その技量が通用した環境は
日々変わります。
これまで通用した技量が、
ある日通用しなくなることもあります。
その時に、過去の成功とその方法にしがみつき
失敗する、人から助言を受けても、
それまでの自身から生まれたプライドが邪魔し
アドバイスを聞き入れることが出来ない。
ありがちです。
こういうときこそ、「切磋琢磨」なのです。
一般的に、切磋琢磨は、
同じ環境下の同じ技量の人が互い
を高めあう事と認識されていると思います。
私は、すこしだけ違います。
自分を高めるのは
同じ環境の人にかぎらず、
全く違う環境の人もいれば、
同じ技量に限らず、
技量が上の人、下の人、
ない人もいるはずです。
切磋琢磨とは、「我以外皆師」と
言う気持ちの上にあること、
どんな人からでも
、自分に対する助言を「聞き入れる器量」
それと、言いにくくても
その人の為に言う「言う勇気」が
重なり合う事と考えます。
こうすればいいのに、先輩だから言いにくい、
後輩にこう言いたいが、
すねられたら面倒だから言わない、
わかってない人の意見なんか聞くか、
こんな思いが、自分の成長を止めます。
成長が止まるのは、停滞ではありません。
周りが進んでいくから、後退なんです。
技量を身に着けても、相手へ敬意をもった
「聞く器量」「言う勇気」で切磋琢磨しないと、
自分が後退します。
道場のみなさん、
隣の人の気合が抜けていませんか?
なにかこうしたら良いと思うのに、
言わずにいないですか?
先輩、後輩から何か言われても、
意地になって聞かなくなってないですか?
上級者になればなるほど、
この切磋琢磨の気持ちを意識
しましょう。
これは、空手以外でも、きっと役に立ちますよ。
早田に
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