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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2015年05月31日

東京直下型地震はいつくるのか?を予言

 どうも、ともなりたかひろです。

 今日も皆さんのご機嫌を伺いに参りました。

 昨日(2015年5月30日)は、少しビビりましたね。

 東海・関東地方に震度5強の地震が起こり、僕の家も海老名市(関東)にあるので、結構激しい横揺れが続き、「ああ、これは近々、でかいのがくるな」とぼんやりオナニーの手を休めず思いました(オナニーしてたんかい!)。

 というわけで、今回は、

「もし、東京都心で大地震が起こったら?」をプロデュース!

 ・・・じゃなかった、「もし、東京都心で大地震が起こったら?」について語ってみたいと思うとるわけです。

 
 まず、思うのはですね、「もし、東京都心で大地震が起こったら?」という予測と対策は、もうさまざまな研究者の方々が語りつくしていると思うんですよ。

 でも、僕は真の「問題」は、地震をどう防ぐかではなく、地震が起きたあとどうアフターケアをするのかの方が問題だと思うんですよ。

 それが、あまり語られていないように思います。

 だって、考えてみてくださいよ、奥さん(なぜに奥さん?)。

 地震、起こりますよね?
 そうしたら、電車は当然ダメ、道路も地割れ+車の渋滞でダメ、で、避難しようとした六本木ヒルズなども火災が発生しているかもしれないじゃないですか。

 つまり、東京都心は「逃げる場所がない」土地なんですよ。

 安部公房的にいえば、『燃えつきた地図』なわけです。

 これが、東北だったら、また話が違ってきます。

 東北の田舎(失礼な言い方ですみません)だったら、まだ「村」というミニマムな単位があったじゃないですか。
 だから、一応は「避難場所」も確保できたし、仮説も用意できる土地もあったし、少なくとも、「地震後の対策」が出来る可能性はあったんです。

 ですが、東京に避難場所があるでしょうか?
 
 東京に、仮設が立てられるスペースがあるでしょうか?

 おそらく、ない、ですよね。

 それが問題だと思うんです。

 
 でもね、――ここからが重要な話になるんですが、もし仮に、東京都心に直下型の大地震がきても、その大半の人々は、・・・東京から逃げられないと思うんです。


 その理由を、映画監督の岩井俊二さんが以前語っておりました。
 以下、それを僕なりに要約して、説明しましょう。


 3.11の後、福島に残った人々が一定数いましたよね?
 あんな放射線に脅かされる土地に。

 そのとき外部の人々の大半は、「ああ、この人たちは郷土愛が強い人たちなんだなぁ」と思ったのです。

 でも、それは違うのではないか、と岩井さんは語ります。

 彼らが福島に固執しているのは、郷土愛からなどではなく、そこの社会というシステムに組み込まれているからなのです。

 もう少し噛み砕いて言いますと、福島(社会)を捨てたら、彼ら自身の「仕事」がなくなるから、彼らは福島を離れられないのです。

 明日から他の土地へ引っ越せ、と急に言われたって、「じゃあ、明日から仕事はどうなるの?」となりますし、他にも、もし、その人がある会社の社長なら、その人が他の土地に引っ越しただけで、社員全員、職を失うことに繋がるのです。

 つまり、繰り返しになりますが、我々はその土地に愛着があるから逃げられないのではなく、不可避的にその土地の社会のネットワークに組み込まれているから、その土地から逃げられないのです。

 岩井俊二さんは、こう結論づけています。

3.11で学んだことは、――僕らが思っていた以上に(社会というネットワークから)逃げられないんだな、ってことだと思うんですよね。


 そして、この真理は、東京という土地に変換しても成り立つと思います。
 
 もし、東京都心で大地震が起こっても、一部のセレブ(金持ち)の方はそりゃ逃げられるかもしれませんが、一般のサラリーマン家庭などは、――やっぱり、逃げられないのではないでしょうか。

 だって、明日から仕事がなくなるわけですからね。

 
 ・・・などと、日曜日だというのに、前回の記事と同様、ずいぶんシリアスなトーンになってしまいましたね。


 ところで、余談ですが、読者である貴方は、もし仮に大地震が起こったとき、どういう振る舞いをしますか?

 「死にたくない!」とテンパりますか?

 それとも、冷静に「死」を受け入れますか?


 僕は個人的には、前者が振る舞いだけはしたくない主義です。

 なぜなら、・・・人間として見苦しいからです。

 緊急時でも怯まない人間でいたい。
 ですから、このブログの冒頭で書いたように、昨日の地震が起きたときにも「オナニーしていた」のです。
 はい、これで「伏線」が回収されましたね。まぁ、そこは一応、小説家ですから。

 人間、極限状態に追い詰められたときにこそ、本当の本性がわかります。
 それは、サルトルも『水いらず』(新潮文庫)の中の短編「壁」で明らかにしています。

 僕は、最後の最後まで、怯まず、人を助けるのが、理想的な人間だと思います。


 
 ・・・というわけで、今回ご紹介する商品は、こちら(結局宣伝かよ)。


  宮崎駿監督作『風立ちぬ』。


 風立ちぬ [DVD]




 もう大半の人がご存知でしょうが、この映画の主人公堀越二郎は、関東大震災のときでも、まったく怯まず、むしろ、人助けを優先するような、かっこいい男でした。

 皆さんもこの映画を買って観て、勇気ある人間になって下さい。



 ――最後に、もうすぐ大地震がくるかもしれないわけですから、どうです? 夏休みぐらい、旅行に行っておきませんか?
 もう、僕たちに残された時間は少ないかもしれないのですから。

 というわけで、この文章の下に表示されてあるアフィリエイト(二つ)もご利用していただき、悔いのない人生を送りましょう。

 以上です。






2015年05月29日

死後の世界はあるのか?――今井雅之氏と今いくよ氏の訃報によせて――

 まず、今井雅之さんと、今いくよさんに、追悼の意を表します。

「人間の一生」という大事業、お疲れさまでした。

・・・というわけで、今日も皆さんのご機嫌を伺いに参りました。

 そうです、小説家のともなりたかひろです。


 今日は、前回のように打算(自分の利益)に走ることなく、「死後の世界はあるのか?」という真面目な疑問について、真面目に考えてみたいと思います。

 その前に、大前提として、「死」とはなんなのか? という問題をちょちょっと片付けてみたい、と思います。

 みなさんは、「生があるから死がある」、あるいは、「死があるから生がある」、つまり、「生の結果」=「死」、と思っているのではないでしょうか。

 しかし、「生」と「死」の問題を、そのひとの「内面」(精神)と「外面」(肉体)に区別して考えると、どうもそうではなさそうです。

 少し、考えてみてください。 

 そのひとの「人生の価値」(内面)の結果は、「死体」という無関係な「外面」となってあらわれます。

 つまり、「死」と「死体になる」ということは同一の事実ではない、ということが言えるわけです。

 例えば、仮に「自殺したい」と思っている人がいるとしましょう。
 けれども、それは「死にたかった」だけであって、「死体になりたかった」ということではなかったはずです。

 これが「死」の本質です。

 
 では、次に本題の「死後の世界はあるのか?」という問題について、面倒くさいですが、そして、読者の皆さんも面倒くさいでしょうけれど、少し語ってみたいと思います。

 結論から言いましょう。

 「死後の世界」はあるともないとも言えない。

 それが人間の出せる回答の「限界」でしょう。

 そして「死後の世界」について考えることは、「この世界」を超えてあるもの=「神」はいるのか、ということを考えることと同義です。

 これについては、柄谷行人さんの著書『探求U』の中で、最も上手い回答を考案しております。

 それを要約いたしますと、「この世界」を超えてあるもの(神)はなく、「この世界」が「在る」こと自体が「神」である、と言っています。

 つまり、「神」は「この世界」そのもの(内在的)である、ということです。

 これを、スピノザという哲学者の「決定論」と言います。

 しかし、宗教では、「この世界」を超越するような、さまざまな「人格神」(ヤハウェなど)を想像してしまいがちです。

 ですが、その想像も、「この世界」に生きている人間の妄想、という意味では、やはり、「この世界」の中に回収されることになり、「この世界」を超越している、とは言えないわけです。

 こう考えると、「死後の世界」など、ありそうもありません。

 しかし、宗教の世界では、「死後の世界」はあるよ、「神」(人格神)はいるよ、と言わなければいけません。
 言うまでもなく、「商売」にならないからです。

 
 ここで、このブログお約束の関連話カットインです。

 韓国映画に『シークレットサンシャイン』というのがあります。

 あの映画のテーマは「宗教」でしたが、ことに素晴らしいのは、「宗教が持つ矛盾」の核心をついた、という点です。

 「宗教の持つ矛盾」――。

 それはずばり、善人も悪人も平等に救ってしまう、という点です。

 言い換えると、それが「宗教」の限界であるといえるわけです。



 ――などと、今日は、どうも湿っぽい話になってしまいました。
 
 なので最後は、明るい・ノー天気な曲を紹介して終りたいと思います。

 以下、ゴールデンボンバーの新曲です。


 死 ん だ 妻 に 似 て い る [鬼龍院 翔 歌唱] [ボディースメルフレグランス(体臭付きカード)+CD]

 
 
 この曲でもきいて、死の悲しみを吹き飛ばしましょう。
 
 追記。

 明るい・ノー天気といえば、もうすぐ「夏」がきますね。
 
 もう、ぶっちゃけます。 

 この記事の最後に、「夏休み」に関するアフィリエイトを掲載しております。
 
 読者の皆さんにも役立つ情報だと思いますし、――何より、僕の文章が読み続けたいのなら(お金がないので)、クリックして、契約してみてください。
 
 それでは。

 




 

2015年05月27日

宇多丸、実写版『進撃の巨人』を批判(ネタバレあり)!

 はい。
 これが、タイトルほいほい、ってヤツですね。

 実際は、宇多丸氏は関係ないし、まったく映画を批判するつもりはありません。

 別に『進撃の巨人』も嫌いじゃないし、実写化もいいと思うし、SEKAI NO OWARIも別に嫌いじゃないです(というか、よく知らないです)。

 というわけで、本日も皆さんのご機嫌を伺いに馳せ参じました。

 小説家のともなりたかひろと申します。

 以下、真面目に『進撃の巨人』を論じますので、最後までお読み下さい。

 
 まず、原作(漫画)の話からしますと、僕は1巻しか持っていません。

 理由は、どこの本屋(というか海老名市に本屋は2件しかない)にも売ってないんですよね! それに、最後の砦のブックオフにも置いてない始末。
 じゃあ、Amazonで買えばいいじゃないか、と言われるかもしれませんが、・・・うーん、そこまでして読みたい漫画でもないかな、と思ってしまって、すいません、結局、1巻以降は買わずじまいの僕なのでした。

 でも、1巻を読んで、なるほど、と思う点が多々ありました。

 つまりこれは、3.11に代表されるような「世界の不条理」をテーマにした「文学的な漫画」なんだな、ということです。

 ようは「巨人」という存在は、「地震」だったり、「津波」だったり、人類がどうしようもできない「世界の不条理さ」の象徴なわけですよね?

 この点から、『進撃の巨人』はある種の「寓話」だ、と言えるわけです。

 だから、「巨人」という存在を、前述の通り、「地震」だったり、「津波」だったりと、色んなものに置き換えて考えてみるとより面白い、ということなのではないでしょうか。

 僕がこの漫画を読んだのは去年ですから、読んですぐに「ああ、この漫画は3.11のことを描いているんだな」と思いました。

 でも、連載開始は、2009年ですよね。
 だから、作者の諌山創さんは、すごく先見の明があるな、と素直に感心しました。
 まぁ、もちろん、諌山さん自身はそんなことは意識してなかったでしょうけど。

 ゲームでいえば、『FF10』の「シン」、文学でいえば、うん、やっぱりカフカの『審判』や『城』でしょうね。
 まぁ、安部公房も入れてもいいんですが、彼の著作の大半はカフカのパクリですから度外視してもいいかな、とも思います。


 それでまぁ、今後の展開についてですが、――勿論、1巻しか読んでいない僕に展開予想もクソもないわけですが、今後、こうしていったらいいんじゃないかな、という勝手な提案を一つさせて頂きたいなと思います。

 僕はですね、「巨人」を倒す、とか、「巨人」の正体を明かす、とか、あるいは、「巨人」が実はある登場人物と関連があった、みたいな展開にはしてほしくないなぁ、と思うんです(もう既にそういう展開になっているかもしれませんが)。

 「巨人」=「地震」=「津波」は、あくまで「世界の不条理」のまま、「謎」のまま、絶対に崩せない「壁」のまま、屹立していてほしいんです。

 なぜなら、この漫画の「力点」は、おそらくですけど、「巨人」=「地震」=「津波」(世界の不条理)を前にしたら人類はどういう振る舞いをするのか、にあるからだと思うからです。

 一応、1巻から推察するに、人類は「巨人」を倒そうと立ち上がる選択をしているみたいですけど、人類が他の振る舞いをする可能性もあると思うんです。

 だって、考えてみてください。

 あの3.11が起こって、当初、僕たちは自然(巨人)の猛威に対して、唖然としましたよね。 
 そして、一方では原発問題や東電批判があり、また、一方ではボランティア活動が盛んに行われました。
 勿論、東京も危ないから関西に引っ越そう的な卑怯な振る舞いをした人もいましたが、日本人の大半が「これからはちゃんと人類の未来について真剣に考えよう」と真剣に考えていたはずです。

 しかし、現在はどうでしょうか。

 すっかり震災のことなど忘れ、「いつも通りの一週間」が戻ってきて、芸能ニュースに一喜一憂したり、スポーツ選手の大躍進に湧いたり、かの宇多丸氏が言うところの「ものの見事に過去から学ばねぇ」平和ボケ的な振る舞いが復活してきました。

 『進撃の巨人』も、こういった「風化してしまった」時期の人類の振る舞いを描けば、より「深みのある漫画」になるのではないでしょうか。

 つまり、「巨人」が去ってしまった「平和な時期」をあえて描くのです。

 そうしたら、人類はどういう振る舞いをするでしょうか?

 もしかしたら、より高い壁を作り、「よし、これで未来永劫安全」と思い込むんじゃないでしょうか。
 でも、その中でも疑問を持つ人は出てくるでしょう。
「100年 壁が壊されなかったからといって 今日壊されない保障なんか どこにもないのに・・・」(1巻のアルミンなる人物の台詞より引用)。

 ――なんてね。

 繰り返すようですが、勿論、こんな展開になるわけがないし、根本のテーマ自体も少し捻じ曲げてしまっているし(元々のテーマは抑圧にあえて挑み、自由=外の世界を見たいということでしょうし)、それにもし、こんな展開になったら、まず「少年漫画」として失格でしょう。

 だがしかし、この漫画の「力点」は、「巨人」を倒す云々よりも、「巨人」(不条理)を前にしたときの人類の振る舞いにこそある、ということは確実ラインだとは思うんです。

 などと、長々と話してきました。

 最後に、関係ないですが、SEKAI NO OWARIというバンドの勢いは、凄いですね。
 僕はボーカルのFukaseくんとは同年代なのですが、なんだか、別世界の人みたいに思えます。
 それに比べて、――ね、神聖かまってちゃん。
 『進撃の巨人』の作者諌山さんも、神聖かまってちゃんのファンだそうで、たびたびブログで取り上げているようですが、SEKAI NO OWARIと同世代なのに、なんだか、いまいち伸びきらないですね。
 
 そんな彼らをフックアップするために、『小説・神聖かまってちゃん』を紹介して、この記事を終りたいと思います。
 この小説を読めば、神聖かまってちゃんのイメージが随分変わると思います。



         小説・神聖かまってちゃん


 
 というわけで、完全に無関係の宣伝になりましたが、その理由は、・・・・・・言わなくてもわかるね?

2015年05月25日

がんと闘ったアイドル丸山夏鈴さんの死の真相

 どうも。
 今日も、皆さんのご機嫌を伺いにやってきました。

 ところで、今、がんと闘ったアイドル丸山夏鈴さんの死が、巷で話題になっておりますよね。

 僕は別段、彼女のファンでもないので、彼女のことなどほとんど何も知りません。

 けれども、語れることがありそうなので、書いてみようと思います。

 僕は、“がんなのに必死に最後までアイドル活動を続けようとした彼女に感動した”、という視点には、あまり興味が持てません。

 むしろ、丸山夏鈴さんにとって、がんは諸刃の剣だった、という視点に興味があります。

 わかりやすく言うと、丸山夏鈴さんにとって、がんという存在は、人生を潰すものでもあり、逆に、人生の「武器」にもなった、ということです。

 その証拠として、彼女が芸能事務所のオーディションに送る用であろうプロモーションビデオの映像を見ると、撮影場所は、病院内であり、術着的な患者服を着ている彼女の姿が映っています。

 結果、丸山夏鈴さんは、今の芸能事務所に入ることが出来た。

 つまり、丸山夏鈴さん側の策略はともかく、芸能事務所側は、明らかに「ああ、これは“がんと闘っているアイドル”というパッケージで売れるな」と確信したからこそ、彼女を採用したのではないか、と推察されるわけです。

 だって、・・・これは故人に対して鞭打つような言い方ではばかられるのですが、丸山夏鈴さん本人は、お世辞にも「かわいい」とは言えません。
 いえ、はっきり言いましょう。
 彼女は、ブスです。

 ゆえに、もし、彼女に「がんと闘っているアイドル」というパッケージの付加価値がなければ、彼女はアイドルとして相手にされてなかったとも言えるのです。
 
 もちろん、これは僕故人の憶測です。
 真実は、誰も知りえません。

 しかし、丸山夏鈴さん側の策略としても「ガンなのに頑張ってアイドルを目指している」ことを多少は「売り」にしていただろうし、また、事務所側もそこが「売り」になるだろう、と思って契約したはずなのです、という推論は、当らずとも遠からずと言えると思うのであります。

 だから、所属事務所の社長が集めていた募金を持ち逃げしたところで、どうせ聞いたこともない弱小事務所でしょうから、推して知るべし、でしょうし、何より、そんな弱小事務所でもいいと彼女が選んだわけですから、誰も恨むことは出来ません。


 ところで、この丸山夏鈴さんと似たようなケースが、以前にもありました。

 それは元人気AV女優の麻美ゆまさんです。

 彼女は、2012年の6月に境界悪性腫瘍を患い、その後、子宮と卵巣の全摘出をし、さらに直腸への転移も認められ、抗がん剤の治療を受けていることが、一時期、ニュースになりました。

 そのとき、ファンのリアクションはどうだったでしょうか?

 今まで、彼女を「性的対象」=「物」として見ていたファンたちは、「ああ、この人は人間なんだ」と気付き、彼女に対して「人間として」同情しはじめました。

 お気づきの通り、始めの文章からすっかりテーマが変っていますが、僕はこの「男性の女性への差別意識」というテーマに対しても、かなりの興味を持っています。

 ここで、中村うさぎさんの『私という病』(新潮文庫)という著書から、このテーマに関連する名言を紹介してみたいと思います。


『つい最近、私に向かって、「僕は女の人をリスペクトしています。女性という存在に対して、超越者のような荘厳なイメージを持っています」と熱く語った人がいて、私に水のような絶望感をもたらした。「差別ではない、リスペクトじゃないか」と反論する人もいるだろうが、私に言わせれば、これもまた、女を人間として見られない男たちがよく使う「欺瞞」なのだ。己の中の差別意識を正当化しようとして、逆に女を「神格化」するワケよ。人間性を認めない、という点では、露骨な男尊女卑論とまったく変わらん。下のものを上に持って来ただけじゃん。女は、「人間」なのである。あなたの母も妻も娘も、すべての女は「神」でもなければ「獣」でもない、あなたと同じ生身の「人間」なのだ。』

 
 どうでしょうか?
 この文章を読んだあと、前述の、アイドル丸山夏鈴さんの人生や、元AV女優麻美ゆまさんのことを思い返すと、考えさせられるアイドルファンやAVファンは多くおられるのではないでしょうか。


 さて、最後に、前述の元AV女優の麻美ゆまさんの自叙伝を紹介して、今日のブログを終わりたいと思います。


 Re Start ~明日へ~ (初回限定盤B)


 ・・・ほんと、男っていう生き物は、哀れですね。
 
 そして、一生、男と女は理解しあえない宿命なのでしょうね。

2015年05月23日

じゃんけん必勝法

 どうも。

 今日も、皆さん(読者)のご機嫌を伺いにやってまいりました。 

 一肌恋しいこの季節(どこがやねん)、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

 実は、わたくし、このたび、「新しいじゃんけん」なるものを発明致しまして。

 それをこれから、説明していきたいと思います。


 まず大前提として、じゃんけんには、「グー」「チョキ」「パー」があり、「グー」は「パー」に負け、「パー」は「チョキ」に勝ち、「チョキ」は「グー」に勝ちます。

 ここまでは、よろしいですよね。

 で、僕がした「発明」は、2つあるんです。



 1つ目の「発明」は、「設定の変更」です。
 僕は、こう変更しました。 
 
 れいの「グー」「チョキ」「パー」、これらすべてに勝てる技「スナイパー」を設定しました。
 これに接した読者は、「え? それって、最強じゃん! 誰だって、それ出すよ!」と反論してくるだろう。
 勿論、わたくしも、わかっている。
 そこで、次の変更を考えた。
 「スナイパー」に勝てる技を設定したのだ。
 それを仮に、「フレミング」と名づけよう。
 
 この「フレミング」は、最強の「スナイパー」に勝てる
 が、しかし、「グー」「チョキ」「パー」には絶対に負けるのだ。

 まさに新・三すくみ。
 
 こうすれば、じゃんけんの面白みはさらに増すだろう。


 さて、2つ目の「発明」は、「勝者が“ルール”を決める権威を持つ」というものだ。

 どういうことか、と言うと、先の例の通りの「新・三すくみじゃんけん」の元で、勝った者がいたとしよう。
 すると、その勝者は、次のじゃんけんの「ルール」を決める権利を得るのだ。

 例えば、次のようなものである。

次回のじゃんけんから、『グー』『チョキ』『パー』禁止な!

 という具合に。

 しかし、この「新じゃんけん」にも、限界がある。

 なぜならば、次に勝った勝者が、「次の勝者にはルール変更をさせない! 元のルールに戻す!」と決めたら、元の木阿弥、それで終わりだからである。

 けれども、このアイデアは、なかなか面白くないか。

 僕は、このアイデアを利用し、楽しいじゃんけんをしてくれる人が一人でも増えることを切に望む者である。

 人間、まさに、K・U・F・U(from Rhymester)、アイデア勝負である。

 ちなみに、この「発明」は、バカルディー(現さまぁ〜ず)のコント『布袋』から暗示を与えられた。

 なので、今夜は、さまぁ〜ずのコントライブの中でも抜きん出て傑作だと思われるDVD『さまぁ〜ずライブ5』を紹介して、筆を置きたいと思う。


 さまぁ~ずライブ 5 [DVD]



 
 僕は、このDVDの中でもとりわけ『駅』というコントが大好きだ。
 それでは(僕の記事を読み続けたい方は、ぜひAmazonで買ってね)。

2015年05月22日

「萩原流行さん妻」ドタバタ会見について

この経緯は、多くの人がYahooニュースや報道番組で知っているだろうから、割愛させていただく。

僕が問題視しているのは、夫(それも有名な俳優)が死んだあとの妻の態度についてなのである。

僕は、基本的には、残された妻は、悲しみを隠し、凛として、なにか、死後の夫の評価を上げるようなことをするべきだ、と考えている。

今回の場合では、萩原流行の「お別れ会」でも開き、盟友たちを呼びつけ、生前の萩原さんの心温まるエピソードを語り合ったりするのが正道である。

それで、萩原さんの「死後の評価(印象)」は、ずっと良いものになったはずなのである。

それなのに、彼女は、やれ警察にイチャモンをつけて、裁判沙汰に持っていこうとすらしている。

これでは、萩原流行さんという俳優の「死後の印象」が少なくとも良くは映らないだろうに。

過去の前例を見よ。

かのジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさんは、ジョンが殺された直後にも関わらず、凛とした姿勢で冷静に事件を対処し、夫であるジョン・レノンの「意志」(人類愛)を受け継ぎ、その後も積極的に慈善活動をすることによって、結果、夫のジョン・レノンの「死後の評価」を見事に上げたではないか。

これこそが、残された妻の取るべき行動としての「模範解答」であろう。

勿論、萩原流行さんとジョン・レノンとでは、「スター性」が違うから比較にはならないだろうが、これほど残された妻の言動によって、死んだ夫の「死後の評価」に差異が生まれるのだ。

まゆ美さん。

あなたは、有名俳優の妻が取る言動として、間違っている。

もう一度、重ねて言う。

有名人の夫が死んだ場合、妻は、死んだ夫の「死後の評価」が上がるように行動するべきだ。

オノ・ヨーコは、ジョンが殺害された翌日、こんな声明を発表したそうだ。


『ジョンの葬儀は行われません。ジョンは人類を愛し、人類のために祈りました。彼のために同じことをしてください。愛をこめてヨーコ』


これぞ、有名人の「妻の鏡」であろう。

というわけで、今日は、ジョン・レノンのベスト・アルバムを紹介したいと思う。



レノン・レジェンド ― ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン



もう、皆買っていると思うが、世界で一「最高のアルバム」の一つなので、ぜひ手元に置いてみて欲しい。

2015年05月21日

降谷建志ソロプロジェクトについて

 さる5月20日に、第一弾シングル『Stairway』が販売されたそうだ。

 僕も、YoutubeでPVと共に拝聴させてもらった。




 曲の感想は置いておくとして、僕は、そもそもこの降谷建志ソロプロジェクト自体に、「欠陥」があると思った。

 まず、降谷建志ソロプロジェクトと銘打ったのなら、「海外進出」を目標にするべきだと思うのだ。

 なぜなら、降谷建志ことKjは、アルバムの『LILY OF DA VALLEY』のとき、ロックインJAPANのインタビューで、

海外進出は考えている。けど、それは日本を制してからでいい。

 的なことを放言していた。

 Dragon Ashは、今や「日本を制した」ロックバンドだ。
 このタイミングで、ソロ活動をするならば、海外への兆戦が妥当であろう。

 実際、ソロプロジェクト第一弾として発表した曲『Swallow Dive』は、「全編英詩」であった。
 この要素だけで、明らかに「海外進出」向けの曲と取れる。
 なにせ、日本人には、歌詞の内容は理解できないのだから。
 その、「海外進出」向けの曲を日本人向けの曲として発表していること自体に、この降谷建志ソロプロジェクト自体のベクトル(方向性)が揺らいでいる気がするのである。
 このソロプロジェクトのベクトル(方向性)を日本国内に絞っているのなら、『Swallow Dive』は明らかに失敗曲である。


 もう一つ、そもそも降谷建志ソロプロジェクトの「欠陥」をあげるとすれば、やはり、「プロジェクト感のなさ」だろう。
 降谷建志ソロプロジェクトと銘打っているのだから、当然、曲とPVを配信するだけでなく、何か、プロジェクトにふさわしい「イベント」があるんでしょうね? と思うじゃないですか。

 でも、何もない。

 曲とPVを配信しているだけなのだ。

 これでは、注目度も、Youtubeでの再生数が上がらないのも、仕方のないことだと思うのだ。

 僕は、こう考える。

 くどいようだが、今回は、降谷建志個人のソロプロジェクトである、という点が重要なのだ。

 ゆえに、降谷建志個人を前面に押し出さなくてどうする、ということにならないか。

 例としては、「プロジェクト」と冠しているぐらいなのだから、それこそ、ニコニコ動画でも使って、「生配信」でもして、ファンとの交流・対話をするべきだろう。

 そして、その交流・対話の中で、発表した曲に関する「物語」を追加し、完結させていけば、一曲一曲としての「プロジェクト感」が出るではないか。

 このままだと、いくら曲が良くても、「プロジェクト感」ではなく、「趣味感」ばかりがフィーチャーされてしまうだろう。

 「プロジェクト」ほどの大掛かりな冒険でもなく、個人名義で曲を発表しているだけの「趣味」じゃん

 ファンに、そう思われても、仕方がないではないか。

 けれども、降谷建志の音楽は、僕の青春である。

 曲は、とてもいいのだ。

 だから、これからも頑張ってほしい。

 降谷くんのために、第一弾シングル『Stairway』を買ってやってください。

   Stairway (完全生産限定盤)

抗精神薬の断薬による「離脱症状」のすべて

 今日は、抗精神薬を断薬しようと考えている方々のために、抗精神薬を急に断薬したときの「離脱症状」の真実を丁寧に書いてみようと思う。

 僕は、今年(2015年)の2月に、ふと、急に飲んでいた薬を全部やめてみた。

 理由は、ある種の衝動から、あるいは、好奇心から、としか言いようがない。

 さて、辞めた薬は、以下のものたちである。

・サインバルタ40mg

・メイラックス1mg

・ドグマチール50mg

・デパス0.5mg2錠

・マイスリー10mg

・ロプヒロール1mg


 僕は辞めた当初、「たいしたことないだろう」とたかをくくっていた。
 なぜなら、僕の病名は、気分変調症と自己愛性人格障害で、人格障害の人にはあまり薬の効果がないという話をきいたことがあったからだ。
 が、その「離脱症状」は、あまりにも耐えがたいものであった。
 それもそのはずだ。
 自身のお薬手帳の最初のページを見ると、平成17年だ。
 もう、8年間も薬を飲み続けているのである。
 そんな薬に慣らされた体から急に薬を抜けば、「脳の習慣」が狂って、さまざまな「離脱症状」が起こるのは、理の当然であった。

 では、その「離脱症状」の数々を紹介していこう。

【身体的症状】
@吐き気。
これは絶え間なく、続く。身体症状では、もっとも辛い。

A頭部全体の「火照り」(熱が出たような)と、対照的に指先の「冷え」。
これもなかなかに辛いものだった。

B味覚障害。
端的な例としては、あれだけ美味しかったタバコが、物凄く苦く感じるようになった。

C身体全体の「神経」の弛緩。
これは、喩えるならば、全身の神経を、ぐーっと最大まで伸ばしたあと、パッと手を放して、結果、神経がゆるゆるになり、常に「腑抜け状態」になったような感じである。

D不眠。
これには理由など不要だろう。


【脳の症状】
@離人感。
これは、ご存知の通り、「自分が自分でないような感覚」、あるいは、「自分が自分であると“認知”できない状態」のことを指す。
また、これは前述の【身体症状】のA頭部全体の「火照り」と相まって、倍の苦しみを与えられた。

A「思考」がまったくできなくなる。
・・・これは、「離脱症状」で、おそらく一番おそろしい症状である、と言い切れる。
「思考」ができなくなるとは、どういうことか。
少し言い換えた方が、理解が早いかもしれない。
「思考」ができなくなる、というよりは、「認知」が一切できなくなるのだ。
こう書くと大げさな嘘みたいに思われるかもしれないが、これが事実なのである。
わかりやすい例を出そう。
我々は、ふつう、「月曜日」という日を、「一週間」という時空間のパースペクティヴ(距離感)の中で捉えられる。「ああ、今日は、一週間の中の月曜日かぁ」と。
しかし、断薬した途端、僕は「一週間」という時空間を「認知」できなくなった。
つまり、「現在」がまったく「認知」できなくなったのである。
「現在」が認知できなくなると、『「認知」されなかった今日』が「過去」になっていく。すると、「過去」の分別がまるで出来なくなる。
『「認知」されなかった過去』が積み重なるので、昨日のことも、おとといのことも、あるいは、10年前のことも、同質化して、見分けがつかなくなってしまうのだ。
こうなると、当然、「未来」のことにも思考がまったく働かない。
もはや「浦島太郎」状態である。
僕は、これらの症状に襲われたとき、本気で「ボケたのかな?」あるいは「アルツハイマーにでもなったのかな?」と焦ったものだ。

 と、だいたい以上が、抗精神薬の「離脱症状」のすべてだと言っていいだろう。


 結論としては、急な断薬はしない方が絶対いい。
 というよりは、もう長年薬を飲み続けている人は、一生薬を飲み続ける運命なのだと思った方がいい
 飲み続ける方が、明らかに「健康」に暮らせるのだ。
 人間、いつか死ぬのである。
 死ぬまで「健康」に暮らせるのなら、薬を飲み続けた方がいいに決まっている。


 ところで、僕は絶対に手放したくない薬が、一つある。

 それは、「マイスリー」である。

 ご存知の方もいると思うが、マイスリーには、麻薬のようにラリッて、気持ちが高揚してしまうという効用がある

 ならば、アルコールでもいいじゃないか、という声もあるのかもしれないが、アルコールは体調によってその効果が左右されるし、次の日に二日酔いと共に重い憂鬱が残るリスクがある。

 しかし、このマイスリーには、そのリスクはまったくない。

 いつも一定の効果が得られるのである。

 僕は、この効用に、ずいぶん助けられたし、今も、助けられている。
 というより、夜の10時頃に、マイスリーを飲み、寝ないで起き続けて、あのラリッた不思議な高揚感を味わいたいがために、日々、生きている。

 このマイスリーの効果は、小説家としての僕の仕事にも、大いに役立ってくれた。
 僕は、昼間は太陽の明るさが憂鬱すぎて、ろくすっぽ執筆もできない体質なのだが、夜、マイスリーを飲んでから執筆に取り掛かると、驚くほど筆が進むし、アイデアも浮かぶのである。

 僕は、この先他の薬をやめることがあっても、マイスリーだけはやめないつもりだ。

 そのぐらい、あの薬は素晴らしいものだ。

 精神を煩っていない、皆さんにも、このマイスリーはおススメしたい。

 下世話な話だが、これを飲んでオナニーすると、――それはもう、最高の高揚感が得られるのである。

 というわけで、今回の商品はこれ。

 TENGA ディープスロート・カップ ソフト[SOFT] 【ねっとり吸いつく、絡みつく。至福のバキューム】


 そして、これ(ラブドール)さえ付け足せば、最高のオナニーライフを送れる。

LOVE BODY aki (ラブボディー アキ)



 本当は、マイスリーを薦めてあげたかったのだが、Amazonでは法律では売ってはいけないので、仕方がない。
 お許しください。

2015年05月20日

ニートは悪くない

 このブログの主、僕(ともなりたかひろ)は小説家・物書きなのである(もちろん無名だが)。

 そして、現在、収入がまったくないのである。

 いや、それは語弊がある。
 僕が出版した著作の印税が、200円ぐらい収入としてあるばかりだ。

 バイトも今年の2月にバックレてしまった。

 つまり、僕(ともなりたかひろ)は、物書きの仕事はしつつも、ほとんどニートである、と言えよう。

 ただ、一つ言いたいことがある。

 僕は、ニートになったのではなく、元々ニートであったのだ、という一事だ。


 なぜなら、例えば、高校という教育機関に属していなければ、僕はニートになっていたに違いないのである。
 あるいは、大学という教育機関に属していなければ、僕は完全にニートなのである。

 
 僕は子供の頃から疑問に思っていることがあった。

 それは、よくある質問、『将来の夢はなんですか?』についてであった。

 まず、この質問の間違いは、『将来の夢』=『職業』という潜在的な決め付けにある。

 なぜ、『将来の夢』=『職業』でなくてはならないのだろう。

 もし仮に、『将来の夢』=『職業』であれば、こう言い直さなければ適切ではない。

 『将来の夢』とは、『将来の“現実問題”である』と。

 その点に気付いた僕は、もう、現実世界ではやっていけない、と思わされた。

 なぜなら、子供心にも僕はなんの職業にも就きたくなかったのである。

 それは、なぜか?

 ここで、僕のもう一つの性癖を明かさなければならぬ。

 僕は、普通の人と違うのである。
 もちろん、悪い意味で。

 普通の人の人生プランは、大学に入って、就職して、30ぐらいで結婚して、家庭を持って、子供を2、3人出来て、そんで、50、60ぐらいになれば、もう息子・娘たちは自立し、自分たち夫婦も退職して自由な時間が出来たから、何か好きな趣味を楽しんで余生を過ごそう、といったところだろう。

 しかし、僕の場合は違う。

 僕は、大学生の頃から、“精神的”には「老人」あるいは「晩年」だったのである。
 理由は、――一言でいえば、エラン・ヴィタール(生きる力)が欠如していたから、としか言えないだろう。

 ゆえに、普通の人が「これから人生を始める人間」だとすると、僕は「これから人生を終らせる人間」だったのである。

 つまり、当時20代そこそこの僕にとって、残りの人生は「余生」だったのである。

 20代で「余生」の域に達していた僕にとって、先述の、就職やら結婚やら子供を持つやらは、もう通り過ごしてきた「過去のこと」であって、まったく執着する対象ではなかったのである。

 だから、就職に失敗して自殺してしまった青年の話などをきくと、不憫に思う。

 なぜなら、「就職して会社で働いて過ごす時間」など、「人生」の中での「一期間」でしかないからだ。

 ほとんどの人は、この点に気付いていない。

 ほとんどの人は、「就職して会社で働いて過ごす時間」が、「人生」のメインだと思いこんでいるのだ。だから、就職に失敗したぐらいで、自殺するのだ。

 考え直してみて欲しい。

 先述の「ふつうの人」の人生プランを再考してみても、どうだ、「人生」の晩年には、働かず、「余生」を楽しんでいるではないか。

 これはつまり、大人も誰もがニートになりたく思っている、という証左なのだ。

 言い換えれば、大人たちは、将来ニートになるために日夜必死に働いている、とも取れるのである。


 僕の場合、精神的にすでに「晩年の老人」なので、人生プランの中盤をすっ飛ばして、「余生」=「ニート」を楽しんでいるのだ。

 そして、「余生」を送っている精神状態だと、「どうせ死ぬのだから」という観念が頭に去来するようになる。

 ここで、小説家としての僕に話を戻すと、なぜ僕が小説家・物書きを志したか、と言えば、答えは簡単、「どうせ死ぬのだから」せめて美しい芸術作品をこの世に残したい、という動機に他ならない。

 問題は、どうやって「世の中」から逃避するか、にかかっている。

 近親からの批判の声。

 お金のやりくり。

 僕は、これらの問題を、自身を「精神病」にわざとかかることによって、回避し続けた。

 その余の話は、次の記事で、するかもしれぬ。

 とりあえず、今日は、『ニートの歩き方』という本(1706円)をご紹介して、筆を置く。
 ここまでの記事で、意の一端が通じた読者は、ぜひ買って頂きたい。
 そうでなければ、――僕は、次の記事が書けないかもしれないのだから(金欠で)。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

2015年05月19日

AV女優の引退後の人生

 ふと、「AV女優の引退後って?」と思い、

『職業としてのAV女優(幻冬舎新書)』
をちらと立ち読みしてみた。
 
 すると、次のようなことがわかった。書いてみると、なあんだ、当然じゃないか、と思うレベルの事実であるが、なるべく丁寧に書いてみたい。

 まず、現役時代に、アイドル的な人気を得ていたAV女優の場合。
 03年にマルチタレントに転身した及川奈央は、子供番組である『炎神戦隊ゴーオンジャー』にレギュラー出演したり、NHK大河ドラマ『竜馬伝』に主演したりするなど、すっかり芸能界に韜晦する(紛れ込む)ことに成功(どうも性交という言葉がよぎってしまう)している。
 そして、この及川奈央が、その後のAV女優たちの芸能界での活躍の分水嶺になっている、と作者は言及している。

 その後、インターネットの普及と、AVの世界市場化、それに伴う海賊版の流出により、日本のAV女優の人気は、実は日本国内よりも、国外のアジア圏内での方が凄まじいのだそうだ。
 例えば、蒼井そらや小澤マリアなどが、香港や台湾や中国を訪問するときは、SPの人がつくほどの人気らしい。特に小澤マリアは、中国の某大手検索サイトによる、「美女検索ランキング」「女性スター検索ランキング」の両方で1位を獲得するほどの人気と知名度があるそうだ。

 そこにとどめをさすかのように、08年に放送開始した、テレビ東京系深夜番組『おねがい! マスカット』に出演するAV女優たちによって結成された、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』が大ブレイクし、日比谷野音でのライブがソールドアウトになったことは、記憶に新しい。

 こうした「脱がないAV女優」の活躍がめざましいのには理由がある。00年代に突入して以降、性同一性障害が社会問題として注目されたりするうちに、大衆の性的マイノリティーに対する意識の変容があり、結果、「性意識のポップ化」が進んだ。ゆえに現在、ニューハーフやオカマのタレントがお茶の間を賑わす、という光景が当たり前になっている。

 話を元に戻すと、現役時代、アイドル的人気を得ていたAV女優ならば、引退直後、例えば、「元AV女優の○○と焼肉デート!」等の権利を、オークションで数万円で落札させることも可能らしい。また、政財界などから、「あのAV女優を抱きたい!」という依頼が、モデルプロダクションにくることもあるらしい。

 では、それ以外の人たちの「第二の人生」はどうなっているのか、といえば、その3分の2が、いわゆる風俗業に流れているという。
 残りの3分の1は、というと、AV女優時代に貯蓄したお金で、資格習得のため学校へ行き直す人が多いという。ことにも、看護学校や、ヘアメイクを目指す人が多いらしい。なので、AVの撮影現場で、元AV女優が、ヘアメイクとして働いている姿は、よく見かける光景だそうだ。

 当然だが、企業への就職は厳しいそうだ。木下いつきという元AV女優は、システムエンジニアに転職できたらしいが、さすがにレアケースである、と作者も言っている。その他の門戸(いや、イヤラシイ響きですな)としては、AVメーカーにおける広報やADの仕事だったり、所属していたモデルプロダクションのAV女優を管理するマネージャーとしての仕事などがある。


 ところで、モデルプロダクションに所属してはいるものの、一度も仕事をしていないAV女優を含めると、年間で4000人〜6000人のAV女優が生まれ、そして、消えているらしい。
 作者は、AV女優がAV女優を辞める理由を、9つに要約しているが、中でも、ここでは@だけをあげておく。曰く、「企画単体」から「企画」へとランクが落ちて、ギャラが減ったから、というものだ。

 これに関していえば、そもそも、一番上のランクである「単体」は、基本的に、3本/3ヶ月契約であり、当然、販売成績が悪ければ契約更新にはならず、その一つ下のランクである「企画単体」に降格することになる。
 また、その「企画単体」ですら、設定した値段で売れなければ、容赦なく10万単位でギャラは下がっていくそうである。
 しかも、実際の仕事内容は、「単体」よりも過激になるので、過剰労働のわりにリターンが少なくなり、結果、AV女優を続けていく意欲が削られるそうだ。


 順番が逆になってしまったが、ここで、AV女優のカテゴリーと、そのカテゴリーごとのお金の動きをおさらいしておこう。
「単体」
これに属するAV女優は、AV業界のトップといえよう。主役として、まるまる一本の作品に出演できる。モデルプロダクションは、AVメーカーと主演本数・契約期間を取り決め、ギャラを交渉することになる。逆に言うと、契約を結んだメーカー以外のAVには出演できない。
「企画単体」
これは、「単体」によくある『○○デビュー!』というような、大々的なデビューができるわけではないが、「単体」と同じく、一本の作品で主演をはれるAV女優たちを指す。「単体」との最大の違いは、ギャラの仕組みである。「企画単体」の場合、ギャラは、一日単位での計算である。ネガティブなように聞こえるかもしれなが、メーカーとの契約がないということは、言い換えれば、どんな作品に主演しようが自由ということでもある。現在の、AV業界を支えているのは、この「企画単体」のAV女優さんたちである。
「企画」
この「企画」と、一つ前の「企画単体」の最大の違いは、名前が出ないことだ。よって、いつまで経っても知名度が低いままだ。撮影会や、ストリップも、名前がなければ、集客はできない。当然、ギャラも、「企画単体」と比べて、格段に安くなる。いわば、アルバイト的な立ち位置である。

 AV業界のギャラは、「入れ込み」と呼ばれる、撮影当日の待ち合わせ場所で、担当マネージャーに現金を手渡しするのが、これまでの慣例だったそうだ。
 90年代までは、モデルプロダクション自体が、法人化しないことで税収から逃れる地下業者のようなところが多かったらしく、いわば人身売買のような趣があったそうだが、現在では、それもだいぶ改善されてきているそうだ。多くのモデルプロダクションは、その求人広告で、「即金、当日払い」を謳っている。

 では、どうやって、お金が動くのか。
 例えば、「元グラビアアイドル」という箔がついており、ある程度の販売が見込める場合、モデルプロダクション側主導で交渉され、その価格も跳ね上がる。逆に、そのモデルプロダクションが、まず「単体」という冠をつけさせておいて、将来的には「企画単体」として長期的に売り出したいと考えている場合、AVメーカー主導となり、当然、価格はだいぶ抑えられる。
「単体」として契約した場合、値幅はかなりあるが、一本あたり100万〜250万程度の金が動くそうだ。これが、以下に記すように、「企画単体」や「企画」になってくると、話は違ってくる。

 AV業界では、セックス行為を「絡み」と呼び、セックス行為なしを「擬似」と呼ぶ。

 一日の仕事を仮に「2絡み+1擬似」だとすると、「企画単体」は、30万〜80万、「企画」は、15〜25万が日当として支払われるそうだ。ここから、モデルプロダクションと、AVメーカーとの交渉がはじまる。

 例えば、「2絡み+1擬似」=20万を前提とした場合、もし「企画」女優が「1絡み」しかしないとすると、ギャラはその半額の10万になったりする。これは、「1擬似」の価値が相当に低いことを意味している。
また、「2絡み+1擬似」セットを、同じモデルプロダクションからもう一人使ってやりたいから、10%値引いて18万にしてくれ、などという交渉も行われる(グロス価格というらしい)。ギャラ交渉の大きな決め手はやはり「絡み」で、「擬似」だけだと、それこそ、3〜5万で行われることもあるそうだ。

 しかも、AV業界は現在不況であるから、例えば、100万円の出演料を組んだ場合でも、次のように様々に組み合わせを変え、なるべく低コストで高リターンを得ようと画策する。
@「企画」の「1絡み=10万」×10人
A「企画単体」の「2絡み+1擬似=40万円」×1人+別会社の「企画単体」の「2絡み+1擬似=30万円(人数が増えた分値引きされる)」×2人
今までは、@のように、パッケージに多くの女性の顔が載っている方が「お得感」があって目を引きやすかったが、現在では、Aのような方式の方が売り上げがいいようである。

 などと長々書いてきてしまったが、このへんでよす。
 僕は、こういう現実を前に、何も言えない。ただ、身につまされるだけだ。

・・・けれども、やっぱりAV、観ちゃうんだよねぇ。

 最後に、おススメの一本を紹介して、筆を置く。

小倉ゆず 中出し超高級ソープ嬢 [DVD]
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