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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2015年05月20日

ニートは悪くない

 このブログの主、僕(ともなりたかひろ)は小説家・物書きなのである(もちろん無名だが)。

 そして、現在、収入がまったくないのである。

 いや、それは語弊がある。
 僕が出版した著作の印税が、200円ぐらい収入としてあるばかりだ。

 バイトも今年の2月にバックレてしまった。

 つまり、僕(ともなりたかひろ)は、物書きの仕事はしつつも、ほとんどニートである、と言えよう。

 ただ、一つ言いたいことがある。

 僕は、ニートになったのではなく、元々ニートであったのだ、という一事だ。


 なぜなら、例えば、高校という教育機関に属していなければ、僕はニートになっていたに違いないのである。
 あるいは、大学という教育機関に属していなければ、僕は完全にニートなのである。

 
 僕は子供の頃から疑問に思っていることがあった。

 それは、よくある質問、『将来の夢はなんですか?』についてであった。

 まず、この質問の間違いは、『将来の夢』=『職業』という潜在的な決め付けにある。

 なぜ、『将来の夢』=『職業』でなくてはならないのだろう。

 もし仮に、『将来の夢』=『職業』であれば、こう言い直さなければ適切ではない。

 『将来の夢』とは、『将来の“現実問題”である』と。

 その点に気付いた僕は、もう、現実世界ではやっていけない、と思わされた。

 なぜなら、子供心にも僕はなんの職業にも就きたくなかったのである。

 それは、なぜか?

 ここで、僕のもう一つの性癖を明かさなければならぬ。

 僕は、普通の人と違うのである。
 もちろん、悪い意味で。

 普通の人の人生プランは、大学に入って、就職して、30ぐらいで結婚して、家庭を持って、子供を2、3人出来て、そんで、50、60ぐらいになれば、もう息子・娘たちは自立し、自分たち夫婦も退職して自由な時間が出来たから、何か好きな趣味を楽しんで余生を過ごそう、といったところだろう。

 しかし、僕の場合は違う。

 僕は、大学生の頃から、“精神的”には「老人」あるいは「晩年」だったのである。
 理由は、――一言でいえば、エラン・ヴィタール(生きる力)が欠如していたから、としか言えないだろう。

 ゆえに、普通の人が「これから人生を始める人間」だとすると、僕は「これから人生を終らせる人間」だったのである。

 つまり、当時20代そこそこの僕にとって、残りの人生は「余生」だったのである。

 20代で「余生」の域に達していた僕にとって、先述の、就職やら結婚やら子供を持つやらは、もう通り過ごしてきた「過去のこと」であって、まったく執着する対象ではなかったのである。

 だから、就職に失敗して自殺してしまった青年の話などをきくと、不憫に思う。

 なぜなら、「就職して会社で働いて過ごす時間」など、「人生」の中での「一期間」でしかないからだ。

 ほとんどの人は、この点に気付いていない。

 ほとんどの人は、「就職して会社で働いて過ごす時間」が、「人生」のメインだと思いこんでいるのだ。だから、就職に失敗したぐらいで、自殺するのだ。

 考え直してみて欲しい。

 先述の「ふつうの人」の人生プランを再考してみても、どうだ、「人生」の晩年には、働かず、「余生」を楽しんでいるではないか。

 これはつまり、大人も誰もがニートになりたく思っている、という証左なのだ。

 言い換えれば、大人たちは、将来ニートになるために日夜必死に働いている、とも取れるのである。


 僕の場合、精神的にすでに「晩年の老人」なので、人生プランの中盤をすっ飛ばして、「余生」=「ニート」を楽しんでいるのだ。

 そして、「余生」を送っている精神状態だと、「どうせ死ぬのだから」という観念が頭に去来するようになる。

 ここで、小説家としての僕に話を戻すと、なぜ僕が小説家・物書きを志したか、と言えば、答えは簡単、「どうせ死ぬのだから」せめて美しい芸術作品をこの世に残したい、という動機に他ならない。

 問題は、どうやって「世の中」から逃避するか、にかかっている。

 近親からの批判の声。

 お金のやりくり。

 僕は、これらの問題を、自身を「精神病」にわざとかかることによって、回避し続けた。

 その余の話は、次の記事で、するかもしれぬ。

 とりあえず、今日は、『ニートの歩き方』という本(1706円)をご紹介して、筆を置く。
 ここまでの記事で、意の一端が通じた読者は、ぜひ買って頂きたい。
 そうでなければ、――僕は、次の記事が書けないかもしれないのだから(金欠で)。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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