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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2016年02月04日

僕たちの「人生」自体が全て『依存』である、をプロデュース!〜清原容疑者逮捕の件に際して〜

ねぇ、今週のブログテーマは、「今年注目のチョコを教えて」ということですが、そんなことは、以前僕が創ったテキスト漫才『バレンタインデー』を見て頂けると分かると思う。

テキスト漫才『バレンタインデー』(漫才ヘヴン)→http://manzaiheaven.com/n/5cbb


まぁ「チョコ」と言えば「ビター」ということで、ちょっと「ビターな記事」になりますよ、今回は(話の持って行き方が強引すぎる)。

今一番「ビター」な、つまり、チョコのように「甘くない」現実と立ち向かっているのは、言わずもがな、清原容疑者でしょう。

清原容疑者のことは、だいたい僕のTwitter上→https://twitter.com/jiga_from_jigaで余すところなく書いたように思うので、ここでは、この件のキーワードである「依存」の本質について書いておく。

「依存」ときくと、だいたいの人が、「薬物」や「覚せい剤」や「セックス」のことを想起するだろうが、ここで定義する『依存』とは「生活全般」に渡る言動のことを指す。

それらは、「合法か」、「非合法か」の違いに過ぎない。

つまり、これを読んでいる貴方も、無関係ではないのだっ!!

分かってんのか! 清原を叩いている「街ゆく人たち」よ! ・・・このノロマが!!(?)

ゆえに、自分のこととして、以下の記事をお読み下さい。


というわけで今回は、『依存』の本質をプロデュース!


早速だが、ラッパーのGAKU‐MCさんの『a day in the life』という曲中に、こんな一節がある。

「いつものところに いつものものがない そんな小さなことで 僕らはおかしくなる」

この一節は、僕らの「生活全般」に渡る『依存』の本質を余すところなく言い当てていると言ってよい。


手始めに、僕らの「生活」の「小さな『依存』」から紐解いてみようか。

例えば、「携帯がなくなった」。
それだけで、貴方、大慌てでしょう? 誰とも連絡もつかないし、ネットにも接続できないわけですから。これ、いわゆる「携帯依存」ですよね。

あるいは、「自転車が盗まれた」。
それだけで、貴方、「あわわ、今日の仕事、間に合わないわ、どうしよう!」と大慌てでしょう?
これは別に、「車」でもいいし、「PASMO」でも構わないです。

あるいは、身近な例で言えば、「タバコがきれた」も、そうでしょう。一日吸えないだけで、もうイライラして、貧乏ゆすりが止まらないはずだ。

とにかく、たった一つ、たった一つでも、「生活」の「習慣」=『依存』を取られると、僕らはすぐにあたふたしてしまうわけです。

ここまでで、だいたい、『依存』の「本質」、分かってきて頂いたでしょうか?
次に、話を「人生」単位に移し、その『依存』の本質を暴いていこう、と思う。


――ここからは、「生きがい」=『依存』と定義させて頂く。

なぜなら、「生きがい」という言葉は、「かっこいいポジティブな言葉」だと思われているが、それを奪われたらおしまい、という意味では、「『依存』でしかない」という「ネガティブな側面」を有しているからだ。


例えば、「仕事」が「生きがい」の人が、定年を迎え、その「仕事」=「生きがい」を失った途端、何もする気がなくなった、というケースはよく耳にする話だろう。
つまり、逆説的に言えば、その人は「仕事」に『依存』していたのだ。
というわけで、はい、『依存』ハンコ、ポン!『依存』確定で〜す。(?)

あるいは、「家族」なども『依存』の代表例に入るだろう。
これもよく聞く話だと思うが、長く連れ添った夫婦が一組、いたとしよう。もう結婚して40年にもなる。ゆえに、夫の方は無口で、妻に対してロクに口もきかず、過ごしていた。決して冷たく接していたのではない。そんな不愛想な態度が、その夫にとっては当たり前だったのだ。
だが、ある日突然、妻が死んでしまったとする。
そうした途端、なんとたった一日で、その不愛想な夫の髪の毛が真っ白になってしまい、その日以来、廃人になってしまったという。
たとえ、お金も持っていても、豪華な一軒家を持っていても、妻という要素を引き抜いてしまえば、こんなふがいないことになってしまう。
これも、無意識のうちに、「妻」という存在に『依存』していた、ということが言えるだろう。

などなど、例を出せばキリがないが、僕たちの「生活」あるいは「人生」全般のすべてが、実は『依存』で成り立っていることがお分かり頂けただろう。

最後に、三島由紀夫のこんな言葉を置いておこう。
精神を凌駕できるのは、習慣という化け物だけなのだ。











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