2017年11月13日
(遺稿)『猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説「恋愛事件」あとがき〜』
【注】
(株)ルラックの「インディーズ文庫」担当の宮根進と申します。
以下の記事は、故人・ともなりたかひろの『遺稿』の中の一つ、「猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説『恋愛事件』あとがき〜」(2016年11月19日)を、原文ママのまま、抜粋したものです。発表日も彼の『遺稿』の指示通りであります。
ゆえに、この記事が現在の状況とは食い違う面もあるかもしれません。その点をどうか、ご容赦頂きたく思います。
(株)ルラックの「インディーズ文庫」担当の宮根進と申します。
以下の記事は、故人・ともなりたかひろの『遺稿』の中の一つ、「猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説『恋愛事件』あとがき〜」(2016年11月19日)を、原文ママのまま、抜粋したものです。発表日も彼の『遺稿』の指示通りであります。
ゆえに、この記事が現在の状況とは食い違う面もあるかもしれません。その点をどうか、ご容赦頂きたく思います。
<我々は、例えば、宮崎勤などの事件に接するたび、
「ああいう、ヤバいAV(虚構)空間が、ああいうヤバい奴を生んだんだ。おお、こわ」
と、「異常者」のレッテルを貼って、自分を「普通の人」と規定し、他人事ぶる。
が、しかし、ならば、その事件を、テレビという「虚構」で知り、テレビが作り上げた「犯人像」(虚構)をイメージしている僕たちと、どこが違うのだろうか。
レベルは違えど、同じく「虚構」の中で、生きていることに変わりない。
(中略)
エロ・グロのDVDを禁止にするなら、
テレビも壊そう、
新聞も燃やそう、
ネットも禁止にしよう、
うん、そうしよう。
その後で、はじめて、貴方は「普通の人」を名乗りたまえ。
(中略)
AVのジャンルには、首を絞めたり、人形愛(死姦)がある。
ということは、この状況は、まるで、
「女子高生モノ」を観ている人々が、
「死体をレイプするAVを観る奴らなんて、絶対『異常者』だ!」
と指弾しているようなものだ。
いやいや、あんたも、違う性癖のAV(虚構)を観てシコっとるやんけ、っていうツッコミは当然なのではないか。
どこなのだろう、「普通」か・「異常」かの、「線引き」は。
(中略)
ちなみに、人形愛や死姦的な性癖の根本は、あえて言い切るが、自身の容貌の醜さを「見られたくない」コンプレックスの「ねじれ」の一形態だろう。
彼らは、「自身は見られなくて済む」ような状況において、「一方的に性的対象を見たい」のである。
(中略)
疑う者は、食人鬼の佐川くんを見よ、である。
彼は著書『蜃気楼』の中で、「自身の容貌(ブサイク・低身長)」のコンプレックスから、「異性」との「対等な人間関係」を築けなかったことを告白している。
(中略)
逆に言えば、人形愛や死姦趣味の男は、
『「異性」(他者)から自分自身を見られる』ことに、超ビビっているのだ。
人形や死体相手ならば、「自分を見られず」に、完全に「性的対象」を「支配」することが出来る。
このへんの心理は、安倍公房氏の『箱男』の「Dの場合」の章を参照のこと、と言っておけば十分だろう。
(中略)
勿論、「思う」(殺したいと思う)と「行為」(殺してしまう)の間には「飛躍」があることは大前提としても、
例えば、一般的な「夫婦間のセックス」(性癖の一つ)が、
なぜ「正常」と見做され、「異常で猟奇的」とは見做されないのか、
という「当たり前さ」への「疑い」から始めなくてはならないことも当然である。
(中略)
その事件の関係者、被害者ですら、どの人間も、「自分が『異常者』ではない」ということは証明できない。
むしろ、犯人を「異常者だ」と必死で否定したがっていること自体が、
自分自身に潜む「異常性」を必死に否定したがっていることの「裏返し」なのだ。
(中略)
人間は、生きている限りは、「病み続け」である。
(中略)
例えば、イスラム国の捕虜になった二人の日本人が処刑される動画があったであろう。
僕はあの動画こそが、「異常者」か/「普通の人」か、の「踏み絵」になっている、と考えている。
(中略)
僕自身、あの動画を、「怖いもの見たさ」で、どうしても観たくなり、観た。
そして、一人目の男の首が、電動ノコギリで切られていくさまを、目の前で食い入るように観ながら、
「可哀想だ、観てられない!」
とは思わなかった。
それよりも、何か、名状しがたい、
おしっこを我慢しているような、恐怖と興奮が入り混じった「好奇心の目」で観ていたのだ。
もし、この一人の人間が首を切られていくさまを、
恐怖と興奮が入り混じった「好奇心の目」で観る態度が、
「性的衝動」
からきているとしたら、僕も「異常者」の一人であろう。
――貴方は、どうだっただろうか?
(中略)
かつまた、未だに、加藤智弘くん(彼とは同学年だが)みたいな「異常な犯罪者」が出てくると、決まって、
「心の闇が」
というフレーズが乱用されるが、この表現は適切ではない。
本当は、「心の空洞が」なのである。
「人生なんて、無意味だ」
と思い、それを「当然のこと」と思いがちな、僕らの世代に、
そんな根深い「心の闇」があるはずがない。
むしろ、「心が空洞」、「心が空っぽ」、「語るべき闇(過去)すらロクにない空っぽな人生」だからこそ、平然と異常な事件を起こせるのだ。
(中略)
僕が『恋愛事件』において、もっとも悔やんでいるのは「表紙絵」で、
(中略)
「表紙絵」を、例の、アメブロにログインするときに出てくる、「画像認証」システムをパロディーとして使い、
「画像認証」として、様々な「若い男」の絵を整列させて、以下のようなフレーズを付加する。
「以下の画像から、『普通の人』全てに、チェックを入れて下さい」>
『恋愛事件』(パブー/無料)→http://p.booklog.jp/book/88340
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