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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2015年05月29日

死後の世界はあるのか?――今井雅之氏と今いくよ氏の訃報によせて――

 まず、今井雅之さんと、今いくよさんに、追悼の意を表します。

「人間の一生」という大事業、お疲れさまでした。

・・・というわけで、今日も皆さんのご機嫌を伺いに参りました。

 そうです、小説家のともなりたかひろです。


 今日は、前回のように打算(自分の利益)に走ることなく、「死後の世界はあるのか?」という真面目な疑問について、真面目に考えてみたいと思います。

 その前に、大前提として、「死」とはなんなのか? という問題をちょちょっと片付けてみたい、と思います。

 みなさんは、「生があるから死がある」、あるいは、「死があるから生がある」、つまり、「生の結果」=「死」、と思っているのではないでしょうか。

 しかし、「生」と「死」の問題を、そのひとの「内面」(精神)と「外面」(肉体)に区別して考えると、どうもそうではなさそうです。

 少し、考えてみてください。 

 そのひとの「人生の価値」(内面)の結果は、「死体」という無関係な「外面」となってあらわれます。

 つまり、「死」と「死体になる」ということは同一の事実ではない、ということが言えるわけです。

 例えば、仮に「自殺したい」と思っている人がいるとしましょう。
 けれども、それは「死にたかった」だけであって、「死体になりたかった」ということではなかったはずです。

 これが「死」の本質です。

 
 では、次に本題の「死後の世界はあるのか?」という問題について、面倒くさいですが、そして、読者の皆さんも面倒くさいでしょうけれど、少し語ってみたいと思います。

 結論から言いましょう。

 「死後の世界」はあるともないとも言えない。

 それが人間の出せる回答の「限界」でしょう。

 そして「死後の世界」について考えることは、「この世界」を超えてあるもの=「神」はいるのか、ということを考えることと同義です。

 これについては、柄谷行人さんの著書『探求U』の中で、最も上手い回答を考案しております。

 それを要約いたしますと、「この世界」を超えてあるもの(神)はなく、「この世界」が「在る」こと自体が「神」である、と言っています。

 つまり、「神」は「この世界」そのもの(内在的)である、ということです。

 これを、スピノザという哲学者の「決定論」と言います。

 しかし、宗教では、「この世界」を超越するような、さまざまな「人格神」(ヤハウェなど)を想像してしまいがちです。

 ですが、その想像も、「この世界」に生きている人間の妄想、という意味では、やはり、「この世界」の中に回収されることになり、「この世界」を超越している、とは言えないわけです。

 こう考えると、「死後の世界」など、ありそうもありません。

 しかし、宗教の世界では、「死後の世界」はあるよ、「神」(人格神)はいるよ、と言わなければいけません。
 言うまでもなく、「商売」にならないからです。

 
 ここで、このブログお約束の関連話カットインです。

 韓国映画に『シークレットサンシャイン』というのがあります。

 あの映画のテーマは「宗教」でしたが、ことに素晴らしいのは、「宗教が持つ矛盾」の核心をついた、という点です。

 「宗教の持つ矛盾」――。

 それはずばり、善人も悪人も平等に救ってしまう、という点です。

 言い換えると、それが「宗教」の限界であるといえるわけです。



 ――などと、今日は、どうも湿っぽい話になってしまいました。
 
 なので最後は、明るい・ノー天気な曲を紹介して終りたいと思います。

 以下、ゴールデンボンバーの新曲です。


 死 ん だ 妻 に 似 て い る [鬼龍院 翔 歌唱] [ボディースメルフレグランス(体臭付きカード)+CD]

 
 
 この曲でもきいて、死の悲しみを吹き飛ばしましょう。
 
 追記。

 明るい・ノー天気といえば、もうすぐ「夏」がきますね。
 
 もう、ぶっちゃけます。 

 この記事の最後に、「夏休み」に関するアフィリエイトを掲載しております。
 
 読者の皆さんにも役立つ情報だと思いますし、――何より、僕の文章が読み続けたいのなら(お金がないので)、クリックして、契約してみてください。
 
 それでは。

 




 

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