2020年10月10日
病(やまい)は、気から・・・2
つづき
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(前回の内容を少し)![](https://fanblogs.jp/_images_g/f16.png)
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私は、目の違和感から、眼科を受診した際に直ぐに紹介状を書くから大学病院に行きなさいと言われて、大学病院で様々な検査をした結果、難病のベーチェト病である事を告げられ、『良くて失明、悪くて死にます。』と宣告されました。
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そして、セカンドオピニオンで、その当時眼科が良いと言われていた大阪赤十字病院を受診しましたが、大学病院と同じ診断結果でした。
そこからの約半年間は、徐々に悪くなり、『あ〜失明するんや。』と思い、見える内に目に映る様々な情景を焼き付けておこうとしました。
まさに医師に告げられた、ストーリーをそのまま進んでいくだけのものでした。
なので、人前では明るく見せても、『いつ見えなくなるのか。』『いつ死んでしまうのか。』と言った不安が付いてきていて、笑顔が消えていました。
半年経った時、いつもの仕事が休みの日の夕方、疲れを取るために、夜ご飯まで、ベッドで横たわっていました。
その時、どこから聞こえたのでしょうか、『難病って、医者も治し方わからんから難病なのと違うの。と言う事は、全然、今まで患者がした事ない事やする筈のない事をしたら治るかもしれんて事やな。』と心の奥から声が聞こえてきました。
その言葉の主は、私がその約15年後に知る、『私の魂(たましい)』だったように思います。
この魂(たましい)話は、宗教的ですが、私は無宗教なので、また、話す気になり、機会があれば書きます。
それよりも、その言葉に非常に強く納得し、そこから笑顔がこぼれてきまして、明るくなり、気分が晴れてきました。
『どうせ、同じ悪くなるのでも、前を向いて、最後まで諦めない。』
司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の中にあった、『たとえドブの中でも前のめりで死にたい。』という言葉まで思い出してきたのでした。
それからの私は、薬を飲んだら、手のひらを眺めながら、『薬よ、身体の悪い奴を全て叩き潰してくれ。』と祈り、週に3回の目の玉への注射も『悪い炎症を抑えてくれ。』と言い、片目の視力が0.01ぐらいまで落ちていたので、暇ある毎に遠くを眺め、目に良いブルーベリー系の食べ物を頻繁に摂ったり、体質改善のサプリを飲んだりと、ありとあらゆる良いと思った事をして、3年かかりましたが、『完治とは難病なので言えませんが、奇跡的に回復しました。』と医師に言われました。
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☆Amazon Kindle 【死中求活〜数々の病気や怪我を乗り越えて、令和になって、『病(やまい)は気(気持ち)から』と言えたこと】三谷 ふたり著
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︎ ペンネームで執筆しました。
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この時、私は、病気の結果を待つのではなく、悪あがきでも、着実に前を向く事が大切だと思いました。
だから親友も最後まで諦めなければ、1週間は長く生きらたかもしれません。
だけど、親友の場合は、その1週間を苦しまずに済んだと考えたら、それも納得できます。
私も初めての大きな病気で、気持ちを切り替えるのに約半年かかりましたので、初めての場合は、その切り替えは簡単には無理だとは思います。
しかし、親友が1週間長く生きれたら、その間、お薬も飲むので、10日は長く生きれたかもしれません。
その10日で、また、何かの作用が働いて、親友は2週間になったかもしれません。
![B84E5BC1-9A13-47DF-BD18-94A82925F355.jpeg](/mooming2style/file/image/B84E5BC1-9A13-47DF-BD18-94A82925F355-thumbnail2.jpeg)
と、プラス思考がどんどんプラスに働いて、最終的には治ってしまうんじゃないかと思ってしまうのです。
とにかく、残された者にとって、親友の死を受け入れなくないのです。
だから、自分では出来ない事だったのかもしれませんが、親友には、どんな事をしても、少しでも長く生きて欲しかった。
![F0A0F6B0-70DD-476E-9A01-C9DEE8822D45.jpeg](/mooming2style/file/image/F0A0F6B0-70DD-476E-9A01-C9DEE8822D45-thumbnail2.jpeg)
私は、経験してきたので、今なら、いきなり宣告されても、必死に『1日でも長く生きてやろう。』と思えます。
約20年前の交通事故の時も複雑骨折した足は、もう曲がらない確率が高く、曲がっても歩行は困難だと言われてました。
つづく
![](https://www24.a8.net/svt/bgt?aid=180106975490&wid=001&eno=01&mid=s00000000018015025000&mc=1)
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私は、目の違和感から、眼科を受診した際に直ぐに紹介状を書くから大学病院に行きなさいと言われて、大学病院で様々な検査をした結果、難病のベーチェト病である事を告げられ、『良くて失明、悪くて死にます。』と宣告されました。
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そして、セカンドオピニオンで、その当時眼科が良いと言われていた大阪赤十字病院を受診しましたが、大学病院と同じ診断結果でした。
そこからの約半年間は、徐々に悪くなり、『あ〜失明するんや。』と思い、見える内に目に映る様々な情景を焼き付けておこうとしました。
まさに医師に告げられた、ストーリーをそのまま進んでいくだけのものでした。
なので、人前では明るく見せても、『いつ見えなくなるのか。』『いつ死んでしまうのか。』と言った不安が付いてきていて、笑顔が消えていました。
半年経った時、いつもの仕事が休みの日の夕方、疲れを取るために、夜ご飯まで、ベッドで横たわっていました。
その時、どこから聞こえたのでしょうか、『難病って、医者も治し方わからんから難病なのと違うの。と言う事は、全然、今まで患者がした事ない事やする筈のない事をしたら治るかもしれんて事やな。』と心の奥から声が聞こえてきました。
その言葉の主は、私がその約15年後に知る、『私の魂(たましい)』だったように思います。
この魂(たましい)話は、宗教的ですが、私は無宗教なので、また、話す気になり、機会があれば書きます。
それよりも、その言葉に非常に強く納得し、そこから笑顔がこぼれてきまして、明るくなり、気分が晴れてきました。
『どうせ、同じ悪くなるのでも、前を向いて、最後まで諦めない。』
司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の中にあった、『たとえドブの中でも前のめりで死にたい。』という言葉まで思い出してきたのでした。
それからの私は、薬を飲んだら、手のひらを眺めながら、『薬よ、身体の悪い奴を全て叩き潰してくれ。』と祈り、週に3回の目の玉への注射も『悪い炎症を抑えてくれ。』と言い、片目の視力が0.01ぐらいまで落ちていたので、暇ある毎に遠くを眺め、目に良いブルーベリー系の食べ物を頻繁に摂ったり、体質改善のサプリを飲んだりと、ありとあらゆる良いと思った事をして、3年かかりましたが、『完治とは難病なので言えませんが、奇跡的に回復しました。』と医師に言われました。
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☆Amazon Kindle 【死中求活〜数々の病気や怪我を乗り越えて、令和になって、『病(やまい)は気(気持ち)から』と言えたこと】三谷 ふたり著
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この時、私は、病気の結果を待つのではなく、悪あがきでも、着実に前を向く事が大切だと思いました。
だから親友も最後まで諦めなければ、1週間は長く生きらたかもしれません。
だけど、親友の場合は、その1週間を苦しまずに済んだと考えたら、それも納得できます。
私も初めての大きな病気で、気持ちを切り替えるのに約半年かかりましたので、初めての場合は、その切り替えは簡単には無理だとは思います。
しかし、親友が1週間長く生きれたら、その間、お薬も飲むので、10日は長く生きれたかもしれません。
その10日で、また、何かの作用が働いて、親友は2週間になったかもしれません。
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と、プラス思考がどんどんプラスに働いて、最終的には治ってしまうんじゃないかと思ってしまうのです。
とにかく、残された者にとって、親友の死を受け入れなくないのです。
だから、自分では出来ない事だったのかもしれませんが、親友には、どんな事をしても、少しでも長く生きて欲しかった。
![F0A0F6B0-70DD-476E-9A01-C9DEE8822D45.jpeg](/mooming2style/file/image/F0A0F6B0-70DD-476E-9A01-C9DEE8822D45-thumbnail2.jpeg)
私は、経験してきたので、今なら、いきなり宣告されても、必死に『1日でも長く生きてやろう。』と思えます。
約20年前の交通事故の時も複雑骨折した足は、もう曲がらない確率が高く、曲がっても歩行は困難だと言われてました。
つづく
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タグ:病は気から
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