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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年09月27日
龍馬伝39話を見て
第二次長州征伐でしたね。

というより、冒頭でグラバーが岩崎弥太郎の部下になってましたが…。

これは本当の事です。

というのも明治維新後、グラバーは明治政府との関係を深めて、商売をしていたんですが、武器が売れなくなったり、諸藩からの資金回収が滞っ為、1870年(明治3年)にグラバー商会は倒産してます。

その後彼は高島炭鉱の実質的経営者として日本にとどまったのですが、その炭鉱を三菱の岩崎弥太郎が買い取ったのでまあ、弥太郎の部下になった訳ですね。

その後も三菱財閥の相談役として活躍したそうです。

ちょっと話がそれてしまいましたが…。

今回は海援隊と奇兵隊、大活躍でしたね。

昔見た映画「RONIN」では龍馬の奇襲は大筒を撃つのですが、全く射程距離が無く、発射後すぐ海に落ちてしまったり、小倉に攻め込んだ奇兵隊を佐賀藩のガトリング砲がさんざん打ちのめしたり…といったシーンがありましたが、今回は粛々と騎兵隊が幕府軍を蹴散らしてましたね。

また、高杉晋作は三味線持ちながら鎧も着けずに奮闘してました。
(格好いいけどこれはフィクションですね。)

もうすぐ高杉晋作もいなくなると思うとちょっと寂しいですね。

伊勢谷友介氏の高杉晋作が気に入っていたものですから…。

でも今日の見どころは最後の桂小五郎と龍馬の対立ですね。

前回の西郷とのやり取りといい、小曽根の言葉といい…。

また、冒頭で弥太郎の母が何故龍馬が殺されたかを語らなければいけないというくだりといい…。

謎めいてきましたね。

NHKは実行犯を見廻り組説で放送すると言ってますし…。

そこに何らかの理由をつけるんでしょうね。

龍馬が何故斬られるのか…。

その理由づけというか、定義付けに関してどう描くのか…。

かなり楽しみにしています。



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Posted by たか at 03:26 | 幕末 | この記事のURL
2010年09月20日
龍馬伝38話を見て
龍馬、ハネムーン行ってましたね。

といっても…今の新婚さんが行くようなうきうきしたものではないでしょうが…。

以前、寺田屋の襲撃の件で何度か記載ましたが、龍馬は左手の人差し指が動かなくなるんですが…。

動いてましたね。

まあ、人差し指が動かなくなるっていうのも、確実な説ではないんでしょうが…。

ただ、今回の見どころは、いよいよ幕末の時代の流れが加速していった所ですかね。

西郷隆盛、桂小五郎、坂本龍馬…。

この3者が同じ方向を見ているつもりが、龍馬がずれていった…ってとこですかね。

ただ、この時期の龍馬って無血革命を目指してたんでしょうか?

ちょっと私には判断しかねる所なんですけど…。

この龍馬伝では薩長同盟を薩摩と長州を守るための奇策として描いてますが…。

実際の所どうなんでしょう。

もし、龍馬が幕府に対抗する力をもたせるためだけに薩摩と長州を組ませたとすれば…天下二分の計とでもいう所でしょうか。

しかしながら、天下二分という考えからは、その先は決戦しかありませんよね。

三国志にあるように天下三分の計ならば、均衡状態を作る事は可能ですが、二分ではやはり最後は決戦になります。

決戦になった場合、薩摩、長州がいくら雄藩とは言え、他の諸藩全てを敵に回して勝てる道理がありませんよね。

逆に長州を救うためだけに献策した事なんでしょうか?

そんな策は一時しのぎにしかなりませんよね。

となると、私にはどうしても薩摩と長州を組ませた龍馬の考えは…。

長州一藩ならば幕府はたやすく落とせても、薩摩が絡むと、若干の長期戦を覚悟しないといけないですよね。

しかも、グラバーのコネでイギリスの援助をこぎつける所まで視野に入れていたでしょうから…。

その圧倒的に不利な状況で持ちこたえる薩摩、長州連合を天下に知らせる事で、幕府の権威失墜を画策し、薩長に付く藩を増やして最終的には倒幕に至る。

という考えが一番この時期の薩摩と長州にはベストだったと思うんですよね。

そうなると、龍馬はやはり戦争を視野に入れて薩摩と長州を組ませたと取るのが自然な解釈だと私は思うのですが…。

まあ、そのあたりはいろんな人がいろんな意見をもっているでしょうから、このあたりにします。

先週の小曽根の発言、西郷隆盛の「舞台から降りてもらわなければ」発言。

この辺から判断するとこの龍馬伝は龍馬暗殺の黒幕に西郷を絡めてくるんでしょうか。

先週もそういう形で来るのかな?といった事を記載ましたが、そこは天下のNHK、通説通り見廻り組で終わらせるんだろうなという思いもありました。

でも、今回を見ていると…案外西郷、桂辺りの黒幕説で演出する考えなのかも知れませんね。

なかなか目が離せない所です。

ちなみに…。

池内蔵太は…あまりにもあっけなく死にましたね。

もうちょっと演出に時間を割いてあげてもいいのではと思うのですが…。

まあ、龍馬伝ですからね。

龍馬をメインに演出したらあの程度でいいのかも知れませんね。

ちなみに、龍馬は池内蔵太を自分の後継者に考えていたみたいなんですよね。

内蔵太が死を聞いた時に龍馬は、「わしより先に死ぬ奴があるか。わしより生きれば、わし亡き後の海援隊を継がせるつもりだったのに」と嘆き悲しんだそうです。



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Posted by たか at 04:31 | 幕末 | この記事のURL
2010年09月18日
桜田門外の変
幕末の暗黒部分の幕開けと言っても過言ではない、桜田門外の変。

これはすごい事ですよ!

以前、このブログで「内閣総理大臣が殺されたようなもの」と書きましたが、正確には「副総理が殺されたようなもの」と言うべきでしょうか…。
(帝と天皇をイコールに考えると、内閣総理大臣は征夷大将軍ですもんね。)

何が凄いって…。

そんなVIPが暗殺されたというのも驚き(SP達もいますしね。)ですが、その暗殺を企てた18人の内17人が水戸の脱藩浪人というのが凄い所です。

水戸藩というのは、徳川家には御三家というのがあり、それが尾張、水戸、紀伊の三藩なんですね。

徳川本家に世継ぎが出来なかった場合、それらの藩から世継ぎが選ばれる形になります。

有名な所では徳川吉宗(米将軍、暴れん坊将軍)が紀伊徳川家、徳川慶喜が水戸徳川家出身ですね。

そんな、徳川本家を支える立場にある水戸の脱藩浪士が徳川幕府の屋台骨である大老を暗殺するんですからね。
(まあ、井伊直弼の首を取ったのは薩摩の脱藩浪士有村次左衛門ですが…。唯一の水戸脱藩浪士ではない人ですね。)

元々はペリーの来航に始まるのですが、井伊直弼が独断で帝の勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、徳川家茂を将軍継嗣にしたりした事に対して反対する人達を弾圧、処分した安政の大獄に始まります。

安政の大獄に対する反撃として井伊直弼暗殺に至った訳ですが…。

多くの暗殺が横行した幕末の中で、この桜田門外の変はちょっと異質な暗殺となります。

というのも、幕末の殆どの暗殺が刀でのものだったのに対し、この桜田門外の変はピストルが用いられているんですね。

浪士の一人が襲撃開始と共にピストルを井伊直弼の駕籠に放ち、これが直接直弼の体に命中したようなんです。

その為、井伊直弼はなすすべなく首を奪われる事になったそうです。

しかも、直弼の共周りの人たちもその銃撃におびえて反撃する者が少なかったそうです。

以降、幕末の暗殺でピストルが用いられたのは坂下門外の変くらいだそうです。

ちょっと意外ですよね。

何故、ピストルが暗殺にあまり用いられなかったかと言いますと…。

元々、桜田門外の変でもピストルが暗殺の決め手となった事は長い事無かった話になっていたんですね。

というのも、開国に反対する浪士達が欧米の兵器ピストルに頼った事を恥じていた為、ピストルの使用については話さなかったそうです。

桜田門外の変以降、多くの暗殺が横行しますが、そのほとんどが刀で行われたのは実は、こういう訳があったんですね。
(尊王攘夷を唱える自分達が欧米の兵器を使うわけにはいかないと…)

成程という所ですね。

ピストルは暗殺に有効な兵器だけれども、尊王攘夷を唱える自分達は欧米の武器に頼れない…。

当時の武士の葛藤が聞こえてきそうなエピソードですね。




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Posted by たか at 02:09 | 幕末 | この記事のURL
2010年09月17日
石田三成の才覚
この所、幕末ネタ、三国志ネタばかりで、全く戦国時代ネタを書いてませんでした…。

という事で!!

強引にネタを作ってみました。

先日、何かのテレビで見ましたが最近の教科書には豊臣秀吉よりも石田三成の方が多く出てくるそうですね。

「へぇ〜」って思うのと同時に、「どうかしてるぜ!日本の歴史教科書!!」って思います。

まあ、関ヶ原の部分で多いんだと思うんですが…。

秀吉は三成の主君ですよ!

何故に負けるんだろう…。

秀吉は天下統一したし、太閤検地、刀狩り、利休の切腹、朝鮮出兵等々…。

教科書に取り上げられそうなネタも三成よりもかなり多いと思うのですが…。
(三成って朝鮮出兵と関ヶ原くらいでしょ?まあ、太閤検地にも絡んでますが、そこまで教科書で欠くとは思えないし…)

この事実、私はほんとうに???ですね。

前置きはこれくらいにして…。

じゃあ、石田三成ってどういう男なんだろう…と考えた時、私にはあまり良いイメージがありませんね。
(多くの人もそうだと思いますが…)

秀吉の側近として、太閤検地等に関わり、かなりの頭の切れを発揮した男なんですが、その後はダメダメですね。

以前なにかの映画で(「梟の城」だったと思いますが…)三成がぼけてきた秀吉を上手い事使っているシーンを見た事がありますが、私のイメージも結構そんなところですね。

この人が崩れだすのは、恐らく秀吉の朝鮮出兵の頃からでしょうね。

この頃から加藤清正や福島正則といったいわゆる武断派の人達との溝が深くなっていきますし…。

この人のええ加減な対応が気になる所です。

明や朝鮮からの使者と秀吉の間に立って、どちらにもいい事をいい(要はちゃんと通訳をしないで話している事を捻じ曲げて場を取り繕うとした)、その結果、再度の朝鮮出兵となり、そこでも講和を進めようとするんですが、不調に終わってます。

三成から言わせれば「豊臣家の為にやった事」となるんでしょうが…。

私に言わせれば、「豊臣家の為を思うのであれば、一番やってはいけない事」です。

小手先の口車で盤石な講和を結べるわけがない。

すぐに再戦となりますよ普通。

また、武将としての才覚は…。

これがまたひどい。

関ヶ原の際も総大将は毛利輝元なんですが、実際の総大将は三成のようなものでした。

この時点で、もう関ヶ原は負けているんです。

三成の才覚云々以前に、全国的にも小規模の領土しか与えられていない大名が大大名達を動かすんですから…。

そういう立場であるにも関わらず三成は軍議で島津や他の大名が提案した夜襲を一蹴したり、その他の策も取り入れていません。

大名側からすれば、格下の大名に自分の提案を一蹴される訳です。

こら、やる気をなくしますよね。

しかも、戦の経験の少ない青二才に…。

本当に身の程をわきまえない男です。

また、関ヶ原にしても…。

大垣城に寄り美濃にて家康軍を食い止めるはずが、そこは攻城戦の苦手な家康。

あえて西に向かい、その動きをみた三成が決戦の地を関ヶ原と踏み、先に現場について有利な土地を占拠しようとして夜通し駆けて、先に到着、見事な迎撃の陣を敷きます。

ここも、武将としてダメな所なんですが…というか戦の経験のなさというか…。

まず、有利な地形を占拠するのは戦の常識ですが、夜通し駆けて早朝から戦というのは、かなり無理な話です。

人はサイボーグではないんですから…。

さらに軍議での態度から、積極的に協力してくれる大名をかなり減らしています。
(実際に戦の際、鶴翼の陣の右翼は全て家康に寝返り、島津は全く動かなかったですからね。)

これではどうあがいても勝てるわけがありません。

この一連の流れを見ると、この人は野戦の将としては最低ランクの武将だと言えますよね。

机上では正しい事も、実際にそれを実行するにはタイミングや条件によって正しくなくなる事もあるんですね。

そこが分かっていない、悲しき秀才ですね。

この石田三成を思うたびに、永田町に巣食う官僚達と全く同じだなと感じてしまいます…。

能力は認めるが、なんとなく好きになれない武将です。



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2010年09月14日
ナスカの地上絵が危機!!
先週、YAHOOで見た記事の影響で「死海文書」と「アトランティス」という、このブログにはちょっとふさわしくないかもしれない話題を記載しましたが、今回も、ちょっとふさわしくないかもしれませんが、その折に見た記事の一つから記載します。

ナスカの地上絵はご存知ですよね?

174410003793.jpg

一応、概略を述べると…。

1939年に、アメリカの考古学者のポール・コソック博士によって存在が明らかにされたもので、ナスカおよびフマナ平原にあり、首都リマの南400km、太平洋岸から50kmの不毛の約450平方kmにわたる広範囲に書かれた大きな絵です。

海抜500mの乾燥した大平原に、ハチドリ、コンドル、オウム、ペリカン、猿、犬、トカゲ、クモなどの生物、魚、花などの植物、或は、数kmの長さの幾何学様式の人物のみならず架空の人物の地上絵を描写しています。

ちなみに、インカ期のナスカ文明によって作られたものだそうです。

年代で言うと、紀元前500年から期限後500年に描かれたものとされています。

これらの巨大線画は、連続性、数、性情、サイズの点から言っても考古学的に不可解な謎とされています。

今の所、星座等の天体と結び付いた暦の役割をしていたものと信じられているそうです。

しまった。殆どその記事のままだ…。

ちなみにその記事は、

「ナスカ及びフマナ平原の地上絵」

http://worldheritage.travel.yahoo.co.jp/detail.html?wc=1744

です。

ドイツの女性数学者マリア・ライヒェが現地に移り住んで、私財を投じて巨大絵の解読作業と保護活動に取り組んでこられたそうですが、1998年6月に亡くなられたそうです。

現在は、心ない旅行者の線画へのいたずら、送電線の施設や違法道路による線画の寸断、小型飛行機の墜落、エルニーニョ現象による異常気象などによって地上絵の消滅が危惧されているそうです。

正直「えっ!!」

って感じでした。

あれだけの遺跡が無くなるかも知れないとは…。

エルニーニョ現象による異常気象は仕方ないとしても、旅行者のいたずらってどういう神経してるんでしょうね。

また、小型飛行機の墜落も、地上絵を見に来た飛行機だったりする訳ですしね…。

何より、送電線の施設や違法道路による線画の寸断って…。

「なんで??」って感じですね。

その線画を横切らないといけないんでしょうか…。

異常気象のようなある意味天災で遺跡が無くなってしまうのであればまだしも、人災によって無くなるのはちょっと納得できないですね。

人がちょっと気をつければ、この遺跡をつぶすような行動にはならないと思うんですが…。

何とも悲しい話ですね。

ナスカの地上絵、なんとか守れないものですかね…。



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Posted by たか at 03:46 | その他 | この記事のURL
2010年09月13日
龍馬伝37話を見て
今日はとうとう龍馬と楢崎龍の結婚でしたね。

先週の龍馬伝で楢崎龍役の真木よう子さんが色々とネットで騒がれてましたね。

2チャンネルなんかが凄かったようですが…。

原因は伏見奉行所の面々が寺田屋を囲んだシーンについて…。

通説では入浴中の楢崎龍が奉行所の面々が寺田屋を取り囲むのを風呂場から見て、裸で龍馬の元へ急を知らせに行くシーンで、楢崎龍役の真木よう子さんが服を着ていた事についての批判が凄かったようですが…。

中には「なんで真木よう子にしたんだ!」みたいな意見があったそうですが…。

なんかあきれますね。

「えっ!!真木よう子の裸を見れるって期待して見てたの??」

って感じですね。

私も先週の放送の後でブログに記載しましたが…。

どうでもいい事ですよね。

そない怒る事でもないでしょうに…。

ネットのこういう所が嫌いですね。

顔が見えないし、自分が誰かなんて事がネットの世界では分からないので調子に乗って適当なことを書いたり、誹謗中傷をガンガンしたり…。

あほか!!って感じですね。

なんかそういう事をする人たちの人間の器が小さく見えてほんとにいやになります。

正直不快です。

かなり話がそれてしまいましたが…本題に入ります。

今回の龍馬伝はなかなか深い話でしたね。

特にあのグラバー邸でマージャンをしているシーン。

龍馬の次の動き等をそれとなく探り、「出来るだけ戦をせずに倒幕をしたい」と言った後のあの商人たちの顔が…。

う〜ん深い。

あのシーンは少しの言葉と表情で「商人の耳の速さ」と「今後どれだけ武器が売れるのかを探りたい」という所と「ここまで来て商売にならないのか」と言った内容をかなり表現してましたね。

良いシーンでした。

また、終盤で小曽根乾堂が息子に「龍馬に深入りするな」と警告する辺り…。

ちょっと期待させてくれますね。

龍馬暗殺に長崎の商人達が絡むという形で表現をするのでしょうか…。

となると、見廻り組説はちょっと無いかも知れませんね。この龍馬伝では…。

現段階で一番想像できるのは西郷隆盛を動かすという所でしょうか…。

と言いながら、結局この商人達は絡まず、見廻り組説で放送してちゃんちゃん。

なんて事もあるかも知れませんが…。

この先、ちょっと注目ですね。




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Posted by たか at 01:38 | 幕末 | この記事のURL
2010年09月12日
春日局は家光の母??
2010年9月11日の「世界不思議発見」は江戸時代の大奥特集でした。

その中でちょっと気になる話が…。

「春日局は徳川家光の母だった!?」

というものです。

ご存じの通り春日局は徳川家光の乳母ですよね。

それが母??

実は私は戦国時代には興味はあるんですが、その後は幕末まで興味がなく、あまり詳しくないんですよね。

でも春日局が家光の乳母だったことぐらいは知っていました。

一般的に徳川家光は…。

徳川秀忠と江の間に生まれた子供。

ちなみに江は浅井長政と織田信長の妹、お市の間に生まれた子供ですね。

しかしながら番組の内容では、以下のような事を言ってました。

「松のさかえ」という史料が東京の京橋にある図書館に保存されているとの事。

そこには春日局が家光の母との記載があるそうです。

また、家光は「二世権現、二世将軍」と書いた物を持っていたという話でした。

確かに、東照大権現が家康の神号ですし、征夷大将軍に任命されたのも家康。

二世権現、二世将軍という事は父である秀忠を完全に無視してますよね。

しかも、番組では「家光の父親が家康という説もある」と話していました。

そこで、Wikipediaで調べてみました。

春日局が家光の母親であるというのは、小説家八切止夫がたてた説だそうです。

紅葉文庫にあった「松のさかえ」という資料が明治44年に国書刊行会により活字本として刊行され、そのうちの「新君家康江御遺文」(慶長十九年二月二十五日付)に秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局 三世将軍家光公也、左大臣」と記されていることを根拠としているようです。
(ちなみに竹千代君とは家光の事)

確かに「御腹 春日局」と記載されています。

という事は…。

家光は秀忠と春日局との間に生まれた子供なんでしょうか?

ただ、家光は東照大権現として祀られた祖父の家康を深く尊崇していたそうです。

春日局の筆と伝わる「東照大権現祝詞」(日光山輪王寺所蔵)には、病弱で3歳時に大病した家光が家康の調薬によって回復し、以降も病に臥せる度に家康の霊夢によって回復した話や、家光を粗略に扱う秀忠夫妻に激怒した家康が、家光を駿府に引き取って養子にしてから三代将軍に就けると叱責した話等が記されているそうです。

また家康の命日と家光の生誕日が17日と一致していることなどから、父秀忠よりも祖父家康の恩を意識していたと考えられているそうです。

さらに、寛永13年(1636年)に東照宮を造営すると日光社参を生涯のうちに10回行っていたり、晩年家光は度々家康の姿を夢に見て、狩野探幽にその像を何度も描かせているそうです。

他にも、家光は身に付けていた守袋に「二世ごんげん(権現)、二世将軍」や「生きるも 死ぬるも 何事もみな 大権現様次第に」等と書いた紙を入れていて、家康とのつながりの意識の強さと、その尊崇ぶりをいかんなく発揮しています。

以上Wikipediaより徳川家光及び春日局を調べ、その記載を元に記述しました。

何とも微妙な話ですね。

確かに、秀忠夫妻は次男(長男は若くして早世)の家光よりも弟の忠長を寵愛していたそうですし、家光としては父母の愛情を余り感じられなかったのかも知れません。

が、家光が秀忠夫妻の子供ではなく家康の子供だったとすれば…。

何らかの理由で秀忠夫妻に彼らの子供として育てられていたという事になるんでしょうね。

秀忠夫妻からすれば家光よりも自分達の子供である忠長を愛するのは納得できます。

しかも、家光が秀忠よりも家康を尊敬していた理由や、「二世権現、二世将軍」の意味も理解できますね。

また秀忠夫妻が家光より忠長を寵愛して、家光を粗略に扱っている事に対し、家康が激怒したのもうなずけます。

となると…。

本当は家光は家康と春日局の間に生まれた子供なんでしょうか…。

謎ですね。



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2010年09月11日
于禁の投降
先日来、陳瞬臣氏の「曹操(ソウソウ)」を読んでますが…。

昔読んだ本なんですが、案外覚えてないもんですね。

陳瞬臣氏は三国志関連の小説を色々と書かれてますが、この人の特徴は独自の解釈に基づいて記載している事が多いので、基本を押さえた(吉川英治氏の三国志とか…)人が読むと、なかなか刺激があり、面白い本です。

今丁度于禁(ウキン)の投降の場面なんですが…。

于禁、字は文則(ブンソク)。

三国志演義や吉川三国志、もしくはゲーム等から三国志を知る事になった人は「えっ于禁?あの楽進(ガクシン)とコンビの二流のわき役でしょ?」なんて思うかも知れませんが…。

于禁は必要以上に悪役であったり、弱い将軍として記載されています。

しかしながら、実際にはこの男、曹操の主要な戦には殆ど参加して武功をあげています。
(勿論、楽進もそう。楽進も曹操の主要な戦には参加し、武功をあげています。)

魏で名将といえばぱっと浮かぶのは張遼(チョウリョウ)でしょうか、張ゴウ(字が出ない)でしょうか、もしくは夏侯惇(カコウトン)、夏侯淵(カコウエン)、曹仁(ソウジン)、徐晃(ジョコウ)あたりでしょうか…。

勿論、みんな名将ですが、三国志演義や吉川三国志のみを読まれた方からすると、関羽(カンウ)、張飛(チョウヒ)、趙雲(チョウウン)等に比べると数段落ちる将軍と思われがちです。

そうなんです。

三国志演義は曹操を悪者として書いてますんで、曹操陣営の将軍はあまり良くは記載されません。
(例外は張遼でしょうか…。)

みんな名将なんです。

どちらかというと、関羽や張飛の方が個人の武に頼りすぎで全体的な指揮という点で言うと、超一流かと言えばちょっと疑問がのこります。

当時の魏軍で言えば于禁は張遼、張ゴウ、楽進、徐晃と言った面々と共に名将と謳われています。

元々鮑信(ホウシン)の部下として登場します。

鮑信が戦死した後、曹操の配下になります。

最初は陪臣だったんですが、「優に大将軍とするに足る」として推挙されます。

そこから、彼の抜群の活躍が始まるのですが…。

この人の最後は関羽が襄陽(ジョウヨウ)に攻め込んだ際に于禁は援軍として駆けつけますが、漢水の氾濫の為、于禁はホウ徳(ホウの字は表示されない為カタカナにします)と共に関羽に捕らわれます。

勿論、于禁が率いてきた3万の兵と共に。

ホウ徳は曹操への忠義を貫いて打ち首となりますが、于禁は関羽に降伏して助命されます。

その際曹操は悲しみと嘆息を込めて「わしが于禁を知って30年になるが、危機を前にし、困難にあってホウ徳に及ばなかったとは思いもよらなかった」と言ったそうです。

その後、関羽は孫権(ソンケン)に攻められ打ち首になり、于禁も孫権に捕らえられ賓客としてもてなされます。

曹操が死に、曹丕(ソウヒ)が禅譲を受けて皇帝となると、孫権は魏に従い、于禁を送り返します。

曹丕が于禁を引見したとき、于禁は鬚も髪も真っ白で、顔はげっそりとやつれていました。

曹丕は于禁を表向き慰め、安遠将軍に任命し、呉への使者に任命するとして、高陵(曹操の墓)を参拝させました。

が、

曹丕はあらかじめ、高陵(曹操の墓)に関羽が戦いに勝ち、龐徳が憤怒して降服を拒み、于禁が降服したありさまを絵に描かせておき、于禁はこれを見ると面目なさと腹立ちのため病に倒れ、死去しました。

北宋の司馬光(シバコウ)は「資治通鑑」で「文帝(曹丕)は于禁を罷免する事も、殺す事も出来たのに陵屋に于禁が降伏した有様を描かせてこれを辱めた。君主のやる事ではない」と言って批判してます。
(ちなみに、ホウ徳は曹操の配下になって約4年)

あれだけ活躍したのに最後でミソをつけてしまった形になりましたが…。

ただ、于禁ってそんなにすぐに降伏する男ではないと思うんですが…。
(勝手な私の思いこみかもしれませんが…)

ここで、陳瞬臣氏はこの于禁の投降を「関羽に投降することによって食糧の負担を大きくした」という観点から記載されています。
(かなりな慧眼だと思います。)

要は、于禁が3万の兵と共に降る事により、関羽軍の兵糧が足りなくなるんですね。

実際、于禁が投降した後、関羽は官庫(多くの米が備蓄されている倉庫)を襲って兵糧を得ます。

おおざっぱな関羽は「また後で返す」と軽く考えているようでしたが…。

この行動が孫権が関羽討伐に踏み切る一因になるんですよね。

となると、于禁の投降って、彼の深謀遠慮と言えなくもないですよね。

結局、ここでの関羽の敗死が諸葛亮(ショカツリョウ)の天下三分の計を狂わせ、蜀(ショク)の飛躍の芽を刈り取った事になりますからね。

曹操は「わしが于禁を知って30年になるが、危機を前にし、困難にあってホウ徳に及ばなかったとは思いもよらなかった」と言ってますが、逆に于禁を曹操が理解していなかった…。

なんて事も考えられますよね。

于禁ってかなりの活躍をした人なのに三国志演義では悪く書かれ、正史でもみじめな死に方をして(死に方は三国志演義もほぼ同じですが、三国志演義では于禁に命乞いをさせてます。)、本当に浮かばれない武将ですね。



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Posted by たか at 02:59 | 三国志 | この記事のURL
2010年09月10日
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Posted by たか at 11:03 | お知らせ | この記事のURL
2010年09月08日
龍馬暗殺 西郷黒幕説
龍馬暗殺の黒幕として私が一番疑っているのは西郷隆盛です。

「西郷は龍馬の同志やん!」なんてツッコミを入れる人もいるでしょうが…。

私が最近読んだ本の中で、きれいに西郷黒幕説をまとめていた物がありましたので、そこから抜粋させていただきます。

ちなみにその本は

「暗殺の日本史」 歴史の謎を探る会編 KAWADE夢文庫

です。

この本の中で挙げられている西郷黒幕説の根拠は以下の通り

1.暗殺集団の声をかくれて聞いていた女中の証言

  暗殺のあった夜、暗殺集団の声を隠れて聞いていたという女中がいるそうです。

  彼女の証言によると、暗殺者は九州の言葉を話していたとの事。

2.肥後の密偵の報告

  当時京にいた肥後の密偵は「薩摩の人間の犯行」と本国に報告しているそうです。

3.実行犯とされる今井信郎の処遇

  龍馬暗殺の供述をした今井信郎は静岡藩預かりの禁固という軽い刑

  明治五年(1872年)には特赦で赦免になっている。
  (約2年で許されている)

  理由としては西郷隆盛が手をまわして今井を助けた為。

  今井信郎の孫、今井幸彦氏も「祖父の助命運動に乗り出してくれたのは西郷隆盛」と証言。


やっぱり西郷隆盛って怪しいですよね。

西郷隆盛は通説では義と情に厚い人ですが、冷酷な革命政治家という面も合わせて持ってますよね。


勿論、この西郷隆盛黒幕説にも難点があります。

1.龍馬暗殺当時、薩摩、長州にとって龍馬はさほど重要な存在ではなくなっていた。

2.龍馬が敵に回ったとしても藩のバックアップも無く、強力な軍隊も持っていない。

3.西郷には龍馬は殺す程の存在ではなく、他に倒すべき人が大勢いた。

といったあたり。

例えば、「龍馬は殺す程の存在ではなく、他に倒すべき人が大勢いた」という事からいえば…。

西郷隆盛という人は肖像画等から勘違いされがちですが、この人、本当に小さい事まで目の届く人です。
(かなりの用心深さを持った人です。)

平和裏の倒幕を目指す坂本龍馬は当然藩のバックアップも無く、強力な軍隊も持っていないですが、そんな彼は薩長同盟を実現しました。

正直言って、西郷にとっての龍馬は何を仕掛けてくるか想像のできない人物なんですね。

その為、取るに足らない存在と侮る事ができないはずです。

西郷にとって龍馬は生かしておいても何もできないでしょうが、龍馬の行動に一抹の不安を持っていたと思われます。

そういう思いにふたが出来る男ではないですよね西郷どんは。

だから、黒幕として龍馬暗殺に関わったのでは?というのが私の勝手な意見です。




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Posted by たか at 09:03 | 幕末 | この記事のURL
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