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たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
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2010年10月21日
死海文書がネットで全編公開!!
2010年10月20日のYAHOOのニュースで死海文書について記載されているのを発見しました。

「死海文書」をデジタル化、ネット上で全編公開へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101020-00000012-cnn-int

死海文書というのは約2000年以上前に羊皮紙などに書かれた文書で、1947年以降に死海のほとりで発見された物です。

内容はユダヤ教の聖書らしいですが…。

以前、このブログでそのあたりを調べて記載した記事がありますので、ご興味のある方は下をクリックしてください。

「死海文書!?」

IAA(イスラエル考古学庁)は劣化への懸念から、死海文書の展示や撮影を厳しく制限してきたようですが、この度米検索大手Googleと共同プロジェクトを起こし、デジタル撮影してインターネット上に公開する計画を発表したそうです。

プロジェクトでは、赤外線撮影などの最新技術を駆使して文書の画像をひとつのデータベースにまとめ、ネット上に公開するようです。

しかも、そうすれば現物を外部にさらす必要も無くなり、劣化を懸念する事もないという事ですね。

これはすごいプロジェクトですよね。

しかも、現代の科学によって内容を保存し、半永久的に残す事が出来るんですよね。

しかも一般人までその文書を見る事が出来るという…。

本当に科学って進歩してますよね。

ネット検索、翻訳の技術を持つグーグルが文書の分類などに協力しますが、非営利、非独占の立場から、他社や研究者らの参加も歓迎するそうです。

私がもし、この死海文書を研究する考古学者ならば、間違いなく手を挙げてますね。

だって、こんなにわくわくするプロジェクトって他に無いですもんね。

歴史プラス科学力でどんどん過去の事が判っていく…。

本当に人類の進歩ってすごいですね。

死海文書は残り15%が解読されていないそうです。

ネットで公開されれば、世界中の人の目に触れる事ができますので、もしかしたらすぐに全てが判明するかもしれませんね。



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Posted by たか at 01:55 | その他 | この記事のURL
2010年09月14日
ナスカの地上絵が危機!!
先週、YAHOOで見た記事の影響で「死海文書」と「アトランティス」という、このブログにはちょっとふさわしくないかもしれない話題を記載しましたが、今回も、ちょっとふさわしくないかもしれませんが、その折に見た記事の一つから記載します。

ナスカの地上絵はご存知ですよね?

174410003793.jpg

一応、概略を述べると…。

1939年に、アメリカの考古学者のポール・コソック博士によって存在が明らかにされたもので、ナスカおよびフマナ平原にあり、首都リマの南400km、太平洋岸から50kmの不毛の約450平方kmにわたる広範囲に書かれた大きな絵です。

海抜500mの乾燥した大平原に、ハチドリ、コンドル、オウム、ペリカン、猿、犬、トカゲ、クモなどの生物、魚、花などの植物、或は、数kmの長さの幾何学様式の人物のみならず架空の人物の地上絵を描写しています。

ちなみに、インカ期のナスカ文明によって作られたものだそうです。

年代で言うと、紀元前500年から期限後500年に描かれたものとされています。

これらの巨大線画は、連続性、数、性情、サイズの点から言っても考古学的に不可解な謎とされています。

今の所、星座等の天体と結び付いた暦の役割をしていたものと信じられているそうです。

しまった。殆どその記事のままだ…。

ちなみにその記事は、

「ナスカ及びフマナ平原の地上絵」

http://worldheritage.travel.yahoo.co.jp/detail.html?wc=1744

です。

ドイツの女性数学者マリア・ライヒェが現地に移り住んで、私財を投じて巨大絵の解読作業と保護活動に取り組んでこられたそうですが、1998年6月に亡くなられたそうです。

現在は、心ない旅行者の線画へのいたずら、送電線の施設や違法道路による線画の寸断、小型飛行機の墜落、エルニーニョ現象による異常気象などによって地上絵の消滅が危惧されているそうです。

正直「えっ!!」

って感じでした。

あれだけの遺跡が無くなるかも知れないとは…。

エルニーニョ現象による異常気象は仕方ないとしても、旅行者のいたずらってどういう神経してるんでしょうね。

また、小型飛行機の墜落も、地上絵を見に来た飛行機だったりする訳ですしね…。

何より、送電線の施設や違法道路による線画の寸断って…。

「なんで??」って感じですね。

その線画を横切らないといけないんでしょうか…。

異常気象のようなある意味天災で遺跡が無くなってしまうのであればまだしも、人災によって無くなるのはちょっと納得できないですね。

人がちょっと気をつければ、この遺跡をつぶすような行動にはならないと思うんですが…。

何とも悲しい話ですね。

ナスカの地上絵、なんとか守れないものですかね…。



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Posted by たか at 03:46 | その他 | この記事のURL
2010年05月22日
ピラミッドの石はコンクリート?
昨晩の「みんなの教科SHOW」というテレビで、興味深い内容をやってました。

ギザの大ピラミッドなんですが、今までの通説で行くと「石切り場で石を切り出し、人力で運んで積み上げたもので、約25年の歳月をかけて作り上げられた」というものでした。

まあ、私の子供の頃の話と変わっているのは、以前は労働力として奴隷を使ったという事でしたが、近年では正式に雇った人を用いて、人夫には毎日決まった手当と、食事やビール等が配給されていたという資料が見つかり、こちらが定説になった事ですかね。

それが、このテレビを見ていると、石を積み上げたのではなく、コンクリートだったという説があるという事でした。

唱えられているのはフランスの学者の方(すみません名前を忘れました。)だそうです。

また、この学者はコンクリートの造り方まで話をしてました。

さっそく番組では、コンクリートの専門家(確か山口大学の名誉教授)を連れ、その通りのやり方でミニチュアのブロックを1つ造っていました。

そのコンクリートの造り方は…。

石切り場で、石を砕いたモノを採取し、ヤシの木の灰を混ぜ、水にミイラの防腐剤を混ぜたモノを混ぜ、型に入れて3日間待つというものでした。
(今回は入れませんでしたが、貝殻や、骨などを入れて強度を増したとも言われているそうです。)

この制作の過程で、コンクリートの専門家が以下の点を指摘されてました。

1.採石場には地層があり、ピラミッドサイズの石を切り出す事は難しい。
  (地層の部分で薄くはがれてしまう。)
2.ピラミッドの石には貝殻や骨が混ざったモノがあるが、採石場にそれらは無い。

次に、出来上がったモノを成分分析した所、ピラミッドの石は石膏、マグネシウムが入っているのに対し、今回制作した石にはそれらが入っていない(当然ですよね。混ぜてませんから。)ので違うモノとの判断でしたが、制作した石に石膏、マグネシウムを混入するとかなり近いものができると言っていました。

成分分析をされた方は以下の点を指摘されてました。
1.石膏やマグネシウムは天然の石には含まれておらず、人工的に入れないと含有されない。

これらを見ると、どうも人工的に造られた感がありますね。

そうすると、石を運ぶ手間はかなり軽減されますし、これが正しいんでは?なんて思ってしまいます。

現代では時代が進み、どんどん科学が進歩している現在では、歴史に対して科学的アプローチができ、それらによって新説が裏付けられたりしていますね。

子供のころに謎だった事が解明されていく…。

何か本当にわくわくしますね。

Posted by たか at 04:06 | その他 | この記事のURL
2010年04月27日
狡兎死して走狗煮られる
「狡兎死して走狗煮られる」という言葉は有名ですので、ご存知の方も多いかと思われますが…。

そのままの意味で行くと、ずるがしこい兎が全て狩られるとその狩猟を手伝っていた狗は役に立たなくなり、煮て食べられるという意味ですね。

この言葉、歴史において、多くの例があります。

日本で有名なのは源義経になろうかと思われますが…。

源頼朝が征夷大将軍になり、一番平家との戦で活躍した義経を攻め滅ぼしてしまう訳ですね。

また、ある意味戦国時代における黒田官兵衛、幕末時代の西郷隆盛なんかでしょうか。

黒田官兵衛は秀吉に危険視されてその功績の割には12万石という少しの領土しか与えられず、しかも隠居に追いやられてますよね。

また、西郷隆盛は…。

これは諸説ありますので、一概には言えないのですが「征韓論」で中央政府のお偉い方とそりが合わず、隠居することになり、西南戦争に引きづり込まれるあたり、倒幕の英雄を追い込んで消したのでは?なんて私は思っていますのでここに挙げましたが…。

中国にも多くのこの事例があります。

越王勾践(エツオウコウセン)を支えた文種(ブンシュ)、漢の高祖(カンノコウソ)を支えた韓信(カンシン)、彭越(ホウエツ)、英布(エイフ/但し英布は自ら反乱)等々、数え上げたらきりがないですね。

ただ、勾践に仕えた臣下の内、一番の功労者である范蠡(ハンレイ)、高祖の頭脳として働いた張良(チョウリョウ)等は早くから主君の性質を見切っており、覇権を確立した後に早々に陣営を去った為、難を逃れましたが…。

世の中というのは往々にしてそういう物なんでしょうね。

今の社会も企業に長年尽くしてきた人達をリストラして若返りを図るなどといった事をしてますが…こちらもまさに、狡兎死して走狗煮られるといった状況ですね。

Posted by たか at 00:05 | その他 | この記事のURL
2010年02月09日
お家騒動
歴史を読むと日本でも中国でも必ず出てくるのが「お家騒動」です。

このお家騒動は殆ど跡取りを誰にするかとか、決まっているのに兄弟が名乗りを上げるといった形になります。

それだけ、跡取りを決めるという事は重要課題だった訳ですが…。

私に言わせれば(誰に言わせても)本当に無駄な争いと思います。

このお家騒動には色々とパターンがあります。

第一に、先代が跡取りを決めないうちに死んでしまう。

これは戦で急死とか言った形もあるのである意味責めれないですが、100%先代の責任です。

日本ですと上杉家なんかこの代表的パターンですし、三国志ならば袁紹(エンショウ)がこのパターンですね。

いつ死ぬか分からないのだからすぐに決めておけばいいのに…。

第二に、周りにそそのかされて立つ。

そそのかす人は母親であったり、家臣であったりします。

このパターンが一番多く、一番最悪ですね。

まずは母親のパターン。

日本で行くと伊達正宗なんかは嫡子なのに母親に殺されかかってますしね。

他にも、織田信長なんかもそうです。

その為に信長は領内を真っ二つに割った戦いをする事になりますね。

また、三国志では劉表(リュウヒョウ)がこのパターン。

劉表には劉g(リュウキ)、劉j(リュウソウ)という兄弟がいた訳ですが、劉gは劉表の前妻の子で、すでに母親は死んでいました。

後妻の座に座った蔡氏(サイシ)が我が子劉jをどうしても跡取りにしたいと考え、策を弄して劉gを遠ざけ、結果的に劉jを跡取りにしますが、その直後、曹操(ソウソウ)が攻めてきて、一戦も交えず全面降伏します。
(これじゃ何の為に跡取りになったんだか…。)

信長の場合も、劉表の場合も、母が我が子を跡取りにしようと(信長の場合は対立した信行と同じ母親ですが…)画策し、対立した両者の家臣も二つの派閥に割れる訳ですから、お家(領土も含む)を二つに割る事になり、決して国力のプラスにはならず100%マイナスになるのにそんな事をするんですね。

また、家臣が煽りたてて後継者争いを産んでしまう事もありますね。

曹操の跡継ぎ争いなんかは正にこのパターンと思います。

曹操が賢明だったので国を割るという事はなかったですが、結果として曹植(ソウショク)一派の楊修(ヨウシュウ)が死んだり、その他の家臣も曹植同様飼い殺しになってしまいました。

これは人材の無駄遣いといえますね。

母親や家臣達に煽られて後継者に立候補するやつもバカですが、煽る方はもっとバカですね。

煽るのは欲にかまけてしまうから煽るんですよね。

母親は息子が後継ぎになり、君主として立ったら自分は絶大な権力をもちますし、家臣達は出世して良い生活ができるなんて考えるんでしょうね。

でもこれが国を滅ぼす原因になるという事まで考えれたら、こんなことは起きないはずなんですが…。

一番の理想は長男が後を継ぎ、他の兄弟は長男を支えて国を切り盛りするのが理想なんですが…。

ここで、「長男が凡庸やったらどうすんねん!」なんてツッコミが聞こえそうですが、私は2009年11月14日の記事「君主の資質」でも記載しました(ファンブログ版をご覧の方はリンクよりseesaa版に飛んでいただき、ご覧ください)通り、君主の能力は、時に邪魔になると記載しました。

私の考えでは、君主というのは変に能力を持っているんであればむしろ無能な方がいいと考えてます。

家臣達に優秀な人がそろっていればいいんです。

そうする事によってお家騒動もなく、国力を削ることなく乱世に立ち向かえると考えております。

ただ、中国の皇帝の場合は複雑で、この意見に合わない事がままあります。

それは中国の皇帝の周りにいるダニ、宦官(カンガン)の存在です。

彼らさえ厚遇しなければ、やはり君主は無能でも良い訳です。


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Posted by たか at 02:13 | その他 | この記事のURL
2010年02月04日
戦は時代によっても変わる
今回はちょっと違う観点から戦について書きたいと思います。

昔の日本における戦の編成は大体中国に影響を受けています。

そんな部隊編成等では当たり前に出てくる騎馬隊ですが、太古の中国には騎馬隊は存在しませんでした。

どういう機動隊を出していたかというと、それは戦車です。
(戦車って言ってもティーガーとかレオパルドとかではないですよ。)

馬に車を引かせるのですが、その車に乗るのは将軍(もしくは君主)と馬を操る御者、将を守る勇者という3人編成のものです。

ただ、太古の中国に存在しないと言ってましたが、異民族と呼ばれた遊牧民族等は純粋に騎馬隊を持ってました。

戦車はやはり平地でなければ展開しづらく、戦う場所を選ぶのに対し、騎馬隊は戦える場所は平地に限りません。

どう考えても戦車よりも騎馬隊の方が有利なんですが、それを導入しなかったのは訳があります。

当時中国の大夫(要は偉いさん方)は裾が長く、株がスカート状の服を着ていて、乗馬の為には、これは邪魔です。

遊牧民は乗馬に適したズボン式の服装(胡服)を着ていたので馬に乗る事が出来たのですが、当時の中国の大夫達はその服装を卑しい人の服としてさげすんでいたので、着る事はありませんでした。
(要はプライドが邪魔をしていたんですね)

そんな状況を打破する人が現れます。
(どんな時代にもプライドとか外見よりも実を取る人はいるもんだ。)

紀元前307年に趙という国に武霊王(ブレイオウ)が「胡服騎射」と言って要は胡服(ズボンのような服)を着て馬に乗って弓を射るという事を取り入れます。
(最初は反発がありましたが、粘り強く説得を続けて導入にこぎつけます)

出来上がった騎馬隊を用いて快進撃を遂げる武霊王を見て、他の君主達も取り入れていった結果、戦車隊は無くなり、騎馬隊が残った訳です。

また、時代は変わりますが、屯田兵という制度があり、これを成功させたのは三国志の曹操(ソウソウ)ですが、民屯と軍屯に分かれます。

この民屯は農民に土地をあてがい、耕せるという制度で、軍屯とは戦争をしている際にその駐屯地で兵を使って田を耕すというものです。

これで曹操はかなりの成果を挙げました。
(やはり遠征していると兵糧が不安になりますが、その土地で耕し収穫すれば良い訳ですからね。)

しかしながら、日本の戦国時代、織田信長は兵士と農民を分ける事で成果を出しました。
(兵農分離)

日本の戦国時代の戦は秋の収穫時になると兵が刈入れを行う為に国に帰らないといけなく、その為、そこで戦が打ち切りになるんですが、信長の兵農分離で兵は収穫をしなくて良くなった為、いつまでも戦場にいる事が出来るという事で成果を挙げました。

まあ、中国では人が多いので兵隊は専業だったので軍屯が有効だった訳ですが…。

兵に耕させる事で成果を挙げた曹操、兵に耕させない事で成果を挙げた信長。

時代と条件が変われば取る策も変わり、逆の動きもまた効果的になるという事なんですね。

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Posted by たか at 01:27 | その他 | この記事のURL
2010年01月21日
歴史という授業
歴史って「嫌い!」という人が多いですよね。

まあ、近年の歴女ブームで少し見直されているようですが…。

歴史って本当は面白い物だと思います。

例えば日本の歴史で行くと、今の日本を創ってきた過程がそこにありますよね。

多くの人が精いっぱい生きた軌跡がそこにはあるんです。

でも、嫌いっていう人が多いのは歴史の授業が悪いんですね。

私も普通に学校で歴史を学びましたが、確かに学校で習う歴史は面白くありませんでした。

最近の歴史の授業は違うのかも知れませんが、とりあえず暗記モノの授業ですよね。

当然、暗記は繰り返さないとできない訳で、そうなると努力が必要な訳で、そうなると好きになれない訳で…。

わかります。

でも本当の歴史の面白さって点じゃないんですよね。
(暗記は点ですよね。)

例えば「桜田門外の変」という事件を例にとりましょう。

この事件は現役の大老が暗殺されるという、今で言うと総理大臣が暗殺されたような衝撃的な事件です。

これを授業で習うとペリーが来航し、幕府に開国を迫られ井伊直弼は朝廷の勅許を得ず、独断で条約を結んだ事に対して怒った攘夷派が暗殺した。

年代は1860年です。

という感じで終わります。

そんなの面白くないですよね。

桜田門外の変っていうのはそんな簡単な事ではないです。

まず、当時の幕府というのは徳川家が主催していた訳ですが、この徳川家には御三家という物が存在します。

尾張、水戸、紀伊という3つの徳川家が江戸の補佐という事で存在している訳です。

例えば、将軍の世継ぎが絶えた時、その御三家から世継ぎを迎えるとかいった機能も果たしてます。

桜田門外で井伊直弼を斬ったのはその御三家のひとつ、水戸藩の脱藩浪士なんですね。

それだけでも、「なんで?」なんて思うじゃないですか。

江戸の将軍家を支えるはずの水戸藩から幕府の大老を暗殺した者が出たというだけでも大スキャンダルですよね。

要はペリーが来航した1853年以降日本国中は外国人に対してどういう対処を取るかという事で沸騰する訳です。

今まで鎖国をしてきた日本は西洋の列強国の中ではオランダとしか国交をひらいていない訳で、ペリーというアメリカから来た人が貿易をしようと言って来た問題をどう処理するのかという事が日本中の多くの所で議論されてきました。

結局、攘夷派と開国派に分かれる事になりますが、このペリー来航から桜田門外の変までの間に、日本中の塾で、様々な議論や信念が語られ、その殆どは攘夷となっていた訳です。

水戸藩では天狗党と言われる人達が結集し、攘夷に走るべし!という過激な集団になって行きました。

勿論、吉田松陰の松下村塾なんかも断じて攘夷!という塾でかなり過激な人達が日本中を往来することになって行きます。

何故過激かというと、攘夷というのは外国人を打ち払うという事で、外国人を斬るという事なんです。

しかしながら、幕府は開国を決定します。

そうなると、攘夷派の面々はより過激になり、外国人を斬る事に執念を燃やします。

そんな事態を重く見た幕府が過激な指導者等を一斉に検挙し、弾圧したのが「安政の大獄」です。

吉田松陰もここで死にます。

師を殺された人達は当然、幕府の処置を不当とし、より一層攘夷に走り、今度は倒幕を考えだします。

そういったエネルギーが噴出したのが桜田門外の変という訳ですね。

歴史は点では無く、線や面なんです。

ストーリーで理解していくと歴史というのは面白いものなんです。

私が学んだ歴史でテストに出た所というのは年代とか法律の名前とか人物の名前とかで、それらにつながりがないんですよね。

勿論、そう言った事は大事なんですが、それよりももっと大事なのは、事件ならそこに至るまでの経緯、法律ならばそれが必要になった背景、人物ならその人の思考パターンや取った行動というのは、どうしてそうなったのかという所が面白い訳です。

明智光秀は何故織田信長を殺したのか、坂本龍馬は何故殺されなければいけなかったのか、誰が坂本龍馬を殺したのか、その黒幕は…。

どんどん、歴史の面白い所にはまっていく訳です。

歴史は絶対に背景や流れが重要だと思いますし、そういった所が授業で本当にできれば、テストでそういう問題を取り扱えれば、歴史というのは難しいものでも、つまらないものでもなく、むしろ面白いものです。






Posted by たか at 16:41 | その他 | この記事のURL

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