アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

たか
歴史と80年代ハードロック、80年代歌謡曲、競馬をこよなく愛する39歳(独身)です。 色々と好き勝手に述べます。
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2010年04月30日
光秀と天海
明智光秀は本能寺の変で有名な信長殺しの主犯ですね。

ずいぶん昔から、明智光秀は天海だという説が流布してますね。

ちなみに天海とは、晩年の家康陣営に突如ブレーンとして現れた天台宗の僧、南光坊天海の事です。

彼は家康の神号(東照大権現)と決めたり、日光東照宮の建立に携わったり、3大将軍家光の頃には江戸の都市計画にも加わった人です。

光秀が天海という理由としては、本能寺の変後に突如家康の側近として天海が登場する事、日光に明智平と呼ばれる区画がある事、光秀が亡くなったはずの天正10年(1582年)以降に比叡山に光秀の名で寄進された石碑が残っている事、光秀の家老、斎藤利三の娘が徳川家光の乳母(春日野局)になっている事他、色々と理由が取りざたされています。

また、筆跡も似ているそうで…。

こうなるとあやしい気分になってきますね。

光秀は秀吉に敗れた後、居城の坂本を目指して落ちのびる途中に小栗栖で落ち武者狩りにあって落命したと伝わってます。

また、秀吉の前に首実検として出された首級は腐敗が激しかった等とも言われてます。

なかなかあやしげな最後ですよね。

でもどうなんでしょうか…。

光秀って天海なんですかね?

Wikipediaを調べてみるともし光秀が天海だった場合、116歳で死んだ事になるそうです。

これに対し、天海が死んだのは108歳という事になっていて会わないそうですが…。

私的には、それ以前に明智光秀の産まれた年って正確にわかっていなかったと思っているのですが…。
(諸説ある為)

116歳と決定できるレベルのものではないと思うのですが…。

まあ、何にせよ当時の平均年齢からいったら倍くらいの長生きになりますね。

ちょっとあり得ない気もします。

天海がいきなり家康の側近になったのは確かにあやしいですが…。

もし天海が光秀ならば、本能寺の変の黒幕は家康ですね。

でなければ、光秀を厚遇する理由がない。

もし、本能寺の変で家康が黒幕でなければ、光秀を雇った家康は秀吉が家康を攻める為の絶好の口実を作ることになりますしね。

小牧、長久手の戦いで秀吉は家康に敗れたと言っても、その当時と天下統一後の秀吉では動かせる兵力が違います。

当時の家康は、秀吉に睨まれたら確実に攻め滅ぼされる立場に会った訳です。

そんな危ない橋を渡る男ではないです。

そういった辺りから考えるとやっぱり、天海は光秀ではないのでは?と思います。

天海が名付けた明智平、比叡山に残る光秀死後に光秀の名前で寄進された石碑等、あやしい要素はありますが…。

光秀=天海ではないにせよ、天海は光秀に同情的だったか、光秀に関係していた人なんでしょうね。

明智平と名付けたのは光秀をしのぶ為で、光秀の名前で比叡山に寄進した石碑は、光秀が信長の命令で焼き討ちにした比叡山に対し、どこか気にかけていて日ごろから何かしたいという事を漏らしていたかもしれない。

その事を覚えていた生き残りの家臣か、縁者が光秀の名前で寄進したのかもしれない。

いずれにせよ、天海は光秀ではないと考えています。

2010年04月27日
狡兎死して走狗煮られる
「狡兎死して走狗煮られる」という言葉は有名ですので、ご存知の方も多いかと思われますが…。

そのままの意味で行くと、ずるがしこい兎が全て狩られるとその狩猟を手伝っていた狗は役に立たなくなり、煮て食べられるという意味ですね。

この言葉、歴史において、多くの例があります。

日本で有名なのは源義経になろうかと思われますが…。

源頼朝が征夷大将軍になり、一番平家との戦で活躍した義経を攻め滅ぼしてしまう訳ですね。

また、ある意味戦国時代における黒田官兵衛、幕末時代の西郷隆盛なんかでしょうか。

黒田官兵衛は秀吉に危険視されてその功績の割には12万石という少しの領土しか与えられず、しかも隠居に追いやられてますよね。

また、西郷隆盛は…。

これは諸説ありますので、一概には言えないのですが「征韓論」で中央政府のお偉い方とそりが合わず、隠居することになり、西南戦争に引きづり込まれるあたり、倒幕の英雄を追い込んで消したのでは?なんて私は思っていますのでここに挙げましたが…。

中国にも多くのこの事例があります。

越王勾践(エツオウコウセン)を支えた文種(ブンシュ)、漢の高祖(カンノコウソ)を支えた韓信(カンシン)、彭越(ホウエツ)、英布(エイフ/但し英布は自ら反乱)等々、数え上げたらきりがないですね。

ただ、勾践に仕えた臣下の内、一番の功労者である范蠡(ハンレイ)、高祖の頭脳として働いた張良(チョウリョウ)等は早くから主君の性質を見切っており、覇権を確立した後に早々に陣営を去った為、難を逃れましたが…。

世の中というのは往々にしてそういう物なんでしょうね。

今の社会も企業に長年尽くしてきた人達をリストラして若返りを図るなどといった事をしてますが…こちらもまさに、狡兎死して走狗煮られるといった状況ですね。

Posted by たか at 00:05 | その他 | この記事のURL
2010年04月26日
龍馬伝17話を見て
今回はとうとうジョン万次郎が出てきましたね。

結構、歴史の教科書なんかにも出てくる有名人ですね。

本名は中濱萬次郎って言うらしいですね。

ただ、歴史的に価値があるといわれている書物の中に、坂本龍馬とジョン万次郎が会ったという明確な記述はないそうです。

へぇ〜って感じですが、Qサマの問題で昔出てました。

アメリカの凄さを見たにも関わらず、何故帰って来たの?という質問に対し、「日本人やから、日本人にもできると思ったから」と言ったようなセリフがありましたが、良いセリフですね。

私も日本に誇りを持っていますので、しっくりきました。

また、今回は岡田以蔵が崩れてきましたね。

まあ、どんなドラマや映画、小説等でも、岡田以蔵は崩れて行きますが…。

本当はどうだったんだろう?

それに明快な答えを与えてくれる物って無いのでしょうが…。

まあ、武市の命令で訳も分からず人を斬って斬って斬りまくっていたら、精神も病んでくるでしょうね。

同じ人斬りでも、新撰組なんかは京の治安を守るという使命があるので、精神を病む人も少ないのでしょうが、以蔵のように訳も分からず人を斬っているとやはり精神を病むっていうのが自然な流れのような気がします。

武市もそろそろ下り坂になりそうですね。

そろそろ、新撰組の登場でしょうか。

時代的にはそうですよね。

ちなみに、今回、高杉晋作は出てこないのでしょうか…。

龍馬はピストルを晋作からもらっているので、恐らく出てくるんだと思うんですが…。

公式HPのキャストにも、高杉晋作の名前はあるのですが、役者が分からない。

Posted by たか at 02:38 | 幕末 | この記事のURL
2010年04月22日
美女貂蝉
最近、ゲーム等で三国志の登場人物がかなり有名になってますが、この貂蝉(チョウセン)もかなり有名になったのではないでしょうか?

格闘ゲームの三国無双シリーズでは、紅一点として一番最初に出て来た女性キャラですね。
(三国無双の一番最初の物で1対1の格闘ゲームでした。)

ご存知の通り、この女性は王允(オウイン)が当時の権力者である董卓(トウタク)と、そのボディーガード的人物呂布(リョフ)の仲を割く為に送り込んだ女性で、期待通りに董卓と呂布の仲を裂き(美女連環の計)、呂布に董卓を殺させてますね。

その後、三国志演義では呂布の妾として生きながらえ、子供はできなかったものの呂布の出陣を引きとめたりといった場面で出てきます。

最終的にどうなったかは記載されてませんが…。

ちなみに、吉川三国志では連環の計を遂げた貂蝉が自害して果てるということになってますが…。

色々とあるのは、この人は本当は歴史に登場しない人物だからですね。

元となったのは正史三国志の「呂布が董卓の侍女と密通し、発覚を恐れて王允に相談…云々」というくだりがあり、この侍女に名前をつけ、王允と絡めて面白く作り上げたのがこの貂蝉というキャラクターですね。

しかしながら…。

この悲劇的な人生を送らざるを得なかった貂蝉の人気がすごかったんでしょうか、この人にはかなり多くの民間伝承が伝わっています。

例えば、もう少しで呂布を下せるとなった時に攻め手の総大将である曹操(ソウソウ)に同じ陣営にいた関羽(カンウ)が「呂布の侍女を賜りたい」なんて言っている話が伝わっています。

これは貂蝉を指すと言われてますが…。

結局呂布を下した曹操が関羽に侍女を与えようとしたのですがあまりに美人なので自分の妾にし、関羽はもんもんとした日々を送ると言った話もあります。

また、劉備(リュウビ)と張飛(チョウヒ)が貂蝉の美しさに狂い、仲間割れの危機が生じた為、関羽が貂蝉を斬ったとか…。

中でも、一番つっこみたくなる話は…。

貂蝉は元々ぶさいくで王允が華佗(カダ 三国志に出てくる伝説の名医)に相談した所、首を西施(セイシ 中国古代四代美女の一人。呉国を滅ぼす為に越王勾践/コウセン から送られた美女)のものと取り換え、度胸がなく行動に移せない為に肝を荊軻(ケイカ 始皇帝暗殺の為に単身乗り込んだ刺客)のものと取り換えたなんて逸話まであります。

もはやサイボーグですね。

ショッカーに改造された仮面ライダーのようなものでしょうか…。

中国恐るべし!!

なんにせよ、この貂蝉は男くさい三国志の中でひときわ華を感じさせる数少ない人物ですね。

Posted by たか at 00:41 | 三国志 | この記事のURL
2010年04月19日
龍馬伝第16話を見て
ついに勝海舟と出会いましたね。

こういう形で勝海舟との出会いを描きますか…。

成程成程。

よく描かれる形は…龍馬が勝海舟を斬りに行って、そこで勝海舟に外国の驚異と日本の取るべき道を聞かされ弟子入りするという形ですが…。

成程成程。

今回の形もなかなか魅せますね。

また、勝海舟はもっと軽い人間に描かれる事が多いですが、今回の勝はちょっと重い感じですね。

武市はどんどん傲慢になっていきますね。

ほんと、歴史を知らない人が見ても「この人、失脚するな。」って分かりますね。

ちなみに…。

勝海舟は日本人の手で広い太平洋を渡りアメリカまで行ったような事を言ってましたが、聞く話では、勝海舟は船酔いが激しく、船室で一日中ゲロゲロやっていたそうで…。

実際には同船していた測量船フェニモア・クーパー号船長、ジョン・ブルック大尉やその他のアメリカ人の手によってサンフランシスコに就いたというのが実情だそうです。

私は、勝海舟をかなり胡散臭三味線男と思ってます。

まあ、あの当時の幕府では外国に対抗する策を考えていた一人ではあるんでしょうが…。

今後、どういった形で描かれるんでしょうか…。

なかなか期待できそうです。(あくまでドラマとして…。)

Posted by たか at 01:19 | 幕末 | この記事のURL
2010年04月17日
高順という男
先日、「惜しいかな陳宮(チンキュウ)」という記事を記載しました。
(2010年4月4日の記事)

こちらに対して「高順(コウジュン)+陳宮で劉備(リュウビ)に仕えれば面白かったかも」というご意見と高順のリクエストを頂きましたので本日は高順について記載したいと考えております。
(seesaa版において。)

高順は字(アザナ)が伝わっていません。

その為、字なしとなりますが…。

近年、ゲーム等で三国志の武将というのはかなり有名になりましたが…。

この男ももっと有名になってもなんらおかしくない活躍をしているのですが、かなり地味な武将にとどまっていますね。

この男が話に出てくるのは呂布(リョフ)の配下としてです。

恐らく、丁原(テイゲン)-董卓(トウタク)-呂布という流れで仕えていると思うのですが…。

呂布の配下で猛将というと、真っ先に浮かぶのが張遼(リョウリョウ)かと思いますが、この男もかなりの猛将です。

恐らく、呂布の配下として張遼よりも位は上の人物だったと思われます。
(張遼を率いている記述がありますしね。)

攻撃したら必ず敵を討ち破るという所から彼の異名は「陥陣営」。
(敵の陣営を必ず落とすという所から…。)

まさに猛将と言えますね。

しかも、臧覇(ゾウハ)に対するやり取りでは、しっかりと状況を把握できており戦略眼も感じられます。

高順の人となりは…。

寡黙な男で、清廉潔白。
威厳があり一切酒を飲まなかったそうです。

しかも、呂布に対してはかなりの忠誠心を持っていて時には諫言も行ったそうですね。
(でも、それを呂布に疎まれているようですが…。)

なかなかできる男ですよ。

ちなみに「蒼天航路」という曹操(ソウソウ)を主人公としたマンガではなかなか渋い役割をしています。

ただ、問題としては呂布軍の軍師である陳宮と折り合いが悪かったそうです。

勝手に想像するに…高順は「自分こそ呂布の一番の配下」と思っていたのではないでしょうか。

それに対し、右腕のようにふるまう陳宮が疎ましかったのでは?なんて想像しています。

気になる所は、呂布が曹操に負けて主だった武将が捕らえられた際に、陳宮、張遼は曹操が惜しんで配下にしようとしているのに対し、高順は問答無用で処刑されてますね。

あの人材マニアの曹操が…。

私としては、かなり気になる所ですね。

何が不満だったのでしょうか…。


コメントで頂いたように「もし、高順+陳宮が劉備に仕えたら」…。

この高順という男は間違いなくプライドの高い関羽(カンウ)、張飛(チョウヒ)と折り合いが悪く、劉備も陳宮は頭脳として必要なのでかばったとしても、高順はそれ程必要視せず(必要なんですが、関羽、張飛をなだめてまでというレベルではないでしょうね)あまりかばう事をしないでしょう。

そうなると、陳宮と折り合いの悪い高順は武将仲間であるべき関羽、張飛とも折り合いが悪く、戦場での活躍の場を失ってしまうと考えられます。
(戦の際に出陣はするが、手柄をあげれそうもない位置に布陣させられたり…。)

高順が劉備陣営で成功するには…。

劉備軍が蹴散らされる程の状況で、彼がひとり八面六臂の大活躍をする事(要は関羽、張飛に自分が必要であると認めさせる事)と、陳宮に対し、高順から折れて親交を結ぶ事が必要でしょうね。

そうすると、高順が機能しだし、かなり強力な劉備軍が出来上がると思われます。

個々の能力だけを並べると、関羽、張飛、高順、陳宮というメンバーがそろえばかなり強力なんですが…。
(しかも、徐州を治めている頃の劉備なら陳羣/チングン もいますしね。)

人は感情、プライド等々のしがらみがあるので、なかなかうまくやるのは難しいですね。

地味な感じがぬぐえない名将高順。

恐らく、活躍の時間が短かった事と、曹操に選ばれなかった事が彼の評価を低くし、地味な印象を与えてしまっているんでしょうね。

でも、私は結構好きですよ。

Posted by たか at 08:48 | 三国志 | この記事のURL
2010年04月16日
池田屋の階段
池田屋は恐らく、幕末に詳しくない人でもその名を聞いた人はいるんじゃないでしょうか…。

新撰組を一躍有名にした場所ですね。

映画、「銀ちゃん!」で有名な蒲田行進曲でも池田屋のシーンがありますね。

池田屋でイメージする所というと、あの大きな階段を近藤勇が上って出てきた志士を斬り、その大きな階段を斬られた志士が転がり堕ちるシーンだと思いますが…。

あれは全くのフィクションです。

大体、当時の京都の宿で玄関入ってすぐにあんな大きな階段がある宿はないですね。

というのも、昔の京都は玄関の間口で税金が決まっていたとか…。

その為、間口を小さく、奥に長くという家、宿、店が多かったんですね。
(今でも京都の古い家やお店はそうなってます。)

狭い間口に大きな階段を作る事は不可能なんです。

その為、本当の池田屋は人が一人通れる程度の幅の階段しか無いんですよ。

京都東山の霊山歴史館に池田屋を再現した模型がありますので、興味のある方は一度ご覧になられたらいかがかと思います。

現在では池田屋は無く、池田屋跡という石碑が建っているだけなんですが、最近、居酒屋「池田屋」ができたそうです。

ずっと気にはなっているのですが、まだ行けてません。

太秦映画村の監修であの大きな階段があるそうです。

ウソなのにね。

でもかなり興味がありますね。

最近はお日柄もよく(でも今週は寒いですが…)そろそろ京都散策に出かけたいと思っている今日この頃です。

Posted by たか at 02:17 | 幕末 | この記事のURL
2010年04月15日
徐庶の名前
徐庶(ジョショ)字を元直(ゲンチョク)、悲劇の軍師として三国志演義では描かれている人物です。

私が三国志の登場人物の中で一番好きな人物でもあります。

この人は三国志演義の中で最初「単福/ゼンフク、ゼンプク、タンプク等々」という名前で出てきます。

これは三国志演義の作者の誤解です。

三国志演義というのは正史三国志を元に記載された小説なんですが、その正史三国志の中で「単家(タンカ、ゼンカ等)の出身である」という記述があります。

これを見て、三国志演義の作者は「単」というのが姓と勘違いしたようです。

単家というのは姓の事ではなく、中国独特の表現で「権勢のない家柄、(或いは寒門)の出身である。」という事なんですね。

また、福という名前ですが…。

これも正史三国志の記載で「元の名は福であり…」というくだりがあるので採用したようです。

この福に関しては正しい解釈です。

元々、徐庶は「徐福(ジョフク)」という名前だったんですね。

ちなみに…始皇帝の頃にも徐福は出てきます。

彼は始皇帝に対し「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と言って東方に船出した男です。

日本に辿りついたという噂も…現に和歌山には彼の墓があるとか…。

「不死の薬を名目に始皇帝から物品をせしめた詐欺師」と描かれる事もあります。

勿論この徐福とは別人です。
(そら400年くらい話が離れてますもんね。)

話がそれましたが…。

この男、徐福から徐庶に名前を変えたのは、実は魏に仕えて御史中丞(ギョシチュウジョウ)まで出世しますが、この頃はまだ徐福だったそうです。

徐庶に名前を変えるのはもっと晩年だったとの事です。

この御史中丞という役職ですが…。

諸葛亮(ショカツリョウ)が晩年に「徐庶が御史中丞程度の官職とは魏は人材が豊富なんだな」というような内容の記載が正史三国志にあるので、かなり低い役職と思われがちですが、実際は副総理位の役職のようです。

州の刺史(州を治める長官)を監督する仕事もこの御史中丞だったそうですから…結構高い官職なんですよ。

また、話がそれましたが…要は劉備(リュウビ)に仕えていた頃の彼の名前は「単福」でも「徐庶」でもなく「徐福」なんですね。

またまたちなみに…。

この人、実は600年くらい後の話にも登場します。

倒れていた村人を助けた仙人が、その村人に名前を聞かれると「徐庶じゃ」と答えたそうです。

彼は仙人になっていたんですね…。

んなあほな!!!

Posted by たか at 02:16 | 三国志 | この記事のURL
2010年04月14日
劉巴という硬骨漢
劉巴(リュウハ)字を子初(シショ)という人がいます。

恐らく、印象に残っているのは劉備(リュウビ)の配下になってからではないでしょうか?

しかしながらこの男、実は208年に曹操(ソウソウ)が荊州(ケイシュウ)に侵攻した際、多くの人士が劉備に従ってなんかする中、残って曹操に仕えています。

その元で長沙(チョウサ)郡等、荊州南部の三郡を平定する任務を受けますが、曹操が赤壁(セキヘキ)で敗北し、劉備が荊州南部に攻め込んできた為、曹操の元に戻れなくなります。

ここでも、劉巴は劉備の配下になる事を嫌い、もっと南の交州(コウシュウ)まで逃げます。

その後、太守と不和になり、益州(エキシュウ)の劉章(リュウショウ)に仕えます。

劉章が劉備を益州に招こうとした際に黄権(コウケン)と共に猛反対もしています。

これだけ見ていると、かなり劉備が嫌いなんでしょうね。

その後、劉備が益州を治めるようになると、劉巴は以前の罪を詫び、劉備もとがめず、劉備に仕官を乞われた為、劉備配下になります。

この男、かなり政治能力に優れていて諸葛亮(ショカツリョウ)と共に蜀科(蜀の法律)を作ったり、その他政策において功績をあげています。

ちなみに、4月9日のこのブログで記載した陳羣(チングン)は敵勢力であるにも関わらず、諸葛亮宛てに手紙を出し、劉巴の消息を聞いたりしています。

この時代、名士と呼ばれる人達は敵勢力であっても交流があり、名士サロンのような物を形成していたようです。

劉巴は敵勢力からも消息を聞かれるほど有名な名士だったんですね。

そんな名声にあこがれて…。

劉備の片腕である万夫不当の張飛(チョウヒ)が交流を持ちたいと思い、劉巴にアプローチするのですが、これがまた…劉巴は話をしようともしなかったそうです。

張飛もかなり腹を立てたので、諸葛亮が劉巴にとりなした所…。

「大丈夫(立派な男)がこの世に生をうけたからには、当然四海の英雄と交わるべきです。どうして一兵卒と語り合う必要がありましょうか。」
と言って張飛と全く親交を結ぶ事がなかったそうです。
(ちなみに、一兵卒は張飛を指してます。)

これを以て当時は士大夫と庶民との間に厳然たる身分差や差別があったと言われますが…。

あったのはあったのでしょうけど、この考え方はむしろ、中国の根本的な考え方を表しているといえます。

中国では文を第一とします。

いくら万夫不当の豪勇を持っていても、優れた知識を持っていなければ所詮「匹夫の勇」と言われます。

恐らく、劉巴は張飛を「匹夫の勇」と侮っていたのでは?と思います。

ただ、張飛と言えば主君である劉備の股肱の臣。

そんな男にも反発心をはっきりと言える劉巴はある意味凄いですね。

劉備に従うのを潔しとしなかったのも…これは劉備も含めてバカにしていたのでしょうか?

となると、やはり士大夫と庶民の差別なんでしょうか…。
(ちなみに劉備は中山靖王劉勝/リュザンセイオウリュウショウ の末裔とされますが、あくまで自称で、世に出る前は筵や草鞋を売って生計を立てていました。)

劉巴、恐るべし。

Posted by たか at 02:13 | 三国志 | この記事のURL
2010年04月13日
龍馬伝第15話を見て
う〜ん。

加尾、つらい所でしたね。

かなり、時代や周りに翻弄されてますね。

今回、かなり重要な役回りをしましたね。

龍馬に勝海舟を推薦するとは…。

私は広末涼子という女優はあまりタイプじゃないというか…はっきり言って嫌いな人なんですが、今回は切なく、美しく感じましたね。

また、この武市半平太の以蔵の使い方…。

なかなか魅せてくれますね。

とうとう以蔵が本格的な人斬りになってきました。

思えば以蔵も可哀そうな人ですね。

ただ武市の役に立ちたいが為に…。

多くの岡田以蔵を描いた小説や映画では人を斬るごとにどんどん人格が崩壊していくという形に描かれてますが、今回の龍馬伝ではどういう風に描かれるのでしょうね。

かなり楽しみです。

Posted by たか at 03:06 | 幕末 | この記事のURL
>> 次へ

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。