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ハインツ・グーデリアン
ハインツ・グーデリアン Heinz Guderianの生まれ変わり、もち冗談です。 ドイツ軍マニア、ミリタリー好きです。
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2010年03月31日
ティーガーT
ティーガーT  Panzerkampfwagen VI Ausf. E (Sd Kfz 181)

フランス戦で連合軍のB1 bisやマチルダ歩兵戦車と対峙したドイツ陸軍は、これらの重装甲戦車に対抗するため、火力と装甲を重視した本格的重戦車の開発に着手した。
DW I、DW II、VK 3001(H)の開発コードの名ですでに4号戦車を上回る火力と装甲を持った戦車の開発が数種進められていたが、フランス戦での戦訓からこれらの計画は破棄され、新たに1941年5月からより強力な戦車を求めるVK 4501(H)計画に変更された。
88ミリ高射砲を戦車砲に改造した砲を搭載し、前面100ミリの装甲を纏った本車は当時最強の戦車として完成した。
VI号戦車E型、ティーガーの名称を与えられた本車は1942年8月より量産が開始され、わずか一ヶ月後の9月から新編成の第502重戦車大隊に配備されてレニングラード近郊の戦闘に投入された。
新型戦車を早く投入したいヒトラーの意向のため投入時期が早められた為、初期欠陥の露呈に加え、重戦車の行動に向かない地形での戦闘で散々な初陣となってしまった。
1942年11月から北アフリカのチュニジアに投入された第501重戦車大隊の少数のティーガーは、重戦車の特徴を活かせる視界の広い平坦な地形でその強火力と重装甲を存分に発揮し、連合軍を恐怖に陥れティーガー伝説の始まりとなる。
燃費が悪く、航続距離が短かい上、頻繁に整備が必要という欠点はあったが、1943年までは世界最強の戦車といえる車両だった。
725mmにおよぶ幅広のキャタピラは57tの重量を分散し、重戦車にもかかわらず4号、3号戦車より面積当たりの接地圧は低かった。
またパンターより高価なトランスミッションを搭載しており、操縦がし易く、戦車兵はパンターよりティーガーに乗りたがったという。
垂直の装甲は傾斜装甲に比べ不利であったが、車体を敵に対し45度の角度をとる運用により、傾斜装甲と似た効果を発揮できた。
価格が高く工程も多いため量産が進まぬ車両だったが、1944年の8月まで生産が続けられ総計で1335輌が完成した。
ティーガーは数は少ないが、独立重戦車大隊などに配備され戦線の火消し的存在として活躍し、多くのエース戦車長を生んだ。
その名はドイツ戦車の代名詞的戦車としてあまりにも有名である。

<ティーガーI重戦車 初期型>

全長:    8.45m
車体長:   6.316m
全幅:    3.705m
全高:    3.00m
全備重量: 57.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL210P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 195km
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:   25〜100mm








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