2010年02月10日
1号戦車
Panzerkampfwagen I (1号戦車)
第一次世界大戦の敗北で戦車の開発製造が禁止されていたドイツだが、戦後秘密裏に戦車の試作実験が再開された。
1号戦車は農業用トラクター(Landwirtschaftlicher Schlepper)の名目で試作され、第一次大戦後製造されたドイツ軍初の戦車である。
ハインツ・グーデリアンが陸軍機械化構想を提案し、陸軍内で将来の戦車師団の姿がイメージされ始めていたが、本格的な戦車を製造するには時間を要するため、繋ぎ戦車として1号戦車は製造された。
1934年、ヒトラーの再軍備宣言によって戦車の製造が大っぴらに行われるようになり、Landwirtschaftlicher Schlepperの秘匿名称からPanzerkampfwagen I Ausf A(I 号戦車A型)の制式名称が与えられた。
訓練と戦車製造のノウハウを得る目的で製造された戦車なので弱武装、弱装甲の戦車ではあったが、後のドイツ機甲部隊の主役となるpanzerの元祖的存在であり、再生ドイツのプロパガンダに大いに利用された。
生産台数は1400輌〜2000輌。
<I号軽戦車A型>
全長: 4.02m
全幅: 2.06m
全高: 1.72m
全備重量: 5.4t
乗員: 2名
エンジン: クルップM305 水平対向4気筒空冷ガソリン
最大出力: 57hp/2,500rpm
最大速度: 37km/h
航続距離: 145km
武装: 7.92mm機関銃MG13×2 (1,525発)
装甲厚: 6〜13mm
第一次世界大戦の敗北で戦車の開発製造が禁止されていたドイツだが、戦後秘密裏に戦車の試作実験が再開された。
1号戦車は農業用トラクター(Landwirtschaftlicher Schlepper)の名目で試作され、第一次大戦後製造されたドイツ軍初の戦車である。
ハインツ・グーデリアンが陸軍機械化構想を提案し、陸軍内で将来の戦車師団の姿がイメージされ始めていたが、本格的な戦車を製造するには時間を要するため、繋ぎ戦車として1号戦車は製造された。
1934年、ヒトラーの再軍備宣言によって戦車の製造が大っぴらに行われるようになり、Landwirtschaftlicher Schlepperの秘匿名称からPanzerkampfwagen I Ausf A(I 号戦車A型)の制式名称が与えられた。
訓練と戦車製造のノウハウを得る目的で製造された戦車なので弱武装、弱装甲の戦車ではあったが、後のドイツ機甲部隊の主役となるpanzerの元祖的存在であり、再生ドイツのプロパガンダに大いに利用された。
生産台数は1400輌〜2000輌。
<I号軽戦車A型>
全長: 4.02m
全幅: 2.06m
全高: 1.72m
全備重量: 5.4t
乗員: 2名
エンジン: クルップM305 水平対向4気筒空冷ガソリン
最大出力: 57hp/2,500rpm
最大速度: 37km/h
航続距離: 145km
武装: 7.92mm機関銃MG13×2 (1,525発)
装甲厚: 6〜13mm