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2024年09月12日
花村嘉英 履歴書
氏名 花村 嘉英 (はなむら よしひさ)
生年月日 1961年5月12日(63歳)
住所 〒359‐1132 埼玉県所沢市松が丘2丁目22番地14号
電話/Fax 04-2921-1820
専門 比較言語・文学 (英語、ドイツ語、中国語、日本語)、文体論、計算文学(トーマス・マンとファジィ、魯迅とカオス、森鴎外と感情、ナディン・ゴーディマと意欲、川端康成と認知発達など)、健康科学、シナジー論(人文と情報、心理とメディカル、文化と栄養)、リスク社会学、翻訳学(ドイツ語)
【学歴】
●1977年4月 埼玉県立川越高等学校入学
●1980年3月 埼玉県立川越高等学校卒業
●1981年4月 立教大学文学部ドイツ文学科入学
●1985年3月 立教大学文学部ドイツ文学科卒業
●同年4月 立教大学大学院文学研究科博士前期課程ドイツ文学専攻入学
●1987年3月 立教大学大学院文学研究科博士前期課程ドイツ文学専攻修了
修士論文の題目: Anfangen、beginnen、aufhörenにおける様相因子の動きから生まれる文の曖昧性−モンタギュー文法による形式意味論からの考察
●同年8月 ドイツ・マンハイム大学の夏季語学講座参加
●1988年4月 立教大学大学院文学研究科博士後期課程ドイツ文学専攻入学
●1989年9月-1990年8月 ドイツ・チュービンゲン大学へ交換留学
●1993年3月 立教大学大学院文学研究科博士後期課程ドイツ文学専攻退学
●同年4月チュービンゲン大学大学院新文献学部博士課程ドイツ語学言語学意味論専攻入学
●1995年8月チュービンゲン大学大学院新文献学部博士課程ドイツ語学言語学意味論専攻博士論文提出後退学
博士論文の題目と内容: HPSG für Textanalyse – zur Ironie Thomas Manns 論理文法(モンタギュー文法からGPSG、HPSGまで)の小史ならびにトーマス・マンのイロニーとファジー理論の相性の良さを「魔の山」より考察。論理計算による計算文学とシナジー論の基礎をなす。(2005年5月に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか」と題して出版済 出版証明書付)
「学術関連表彰」
「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(2015)(華東理工大学出版社)
●栄誉証書 大連外国語大学(文献学)2017年3月、
●栄誉証書 南京農業大学(文献学)2017年3月、2017年5月
●捐赠証書(奨励)北京大学 2017年3月
●捐赠証書(奨励)北京外国語大学 2017年3月
【職歴】
「ビジネス翻訳・産業翻訳・著述業(学術): 技術文の校正と機械翻訳並びに特許明細書の和訳」
●1995年10月 博士論文の印刷に向けて電子データを作成する傍ら、技術文の翻訳の勉強を始める。
●1996年8月-1997年11月 ユニバーサルインターアド・コピーライティング部
翻訳のチェッカー、退社後、翻訳スクールに通う。(1998年2月まで)
●1998年3月-1999年9月 富士通ラーニングメディア翻訳事業部
英語の技術文の日本語訳をチェックしていた。富士通グループの製品+外資系企業のソフトウェアのマニュアル及び契約書を担当していたため、技術文特有の用語とか文体について日々勉強していた。工業英語3級合格。実用数学技能検定準2級合格、Fisdomも参照すること。
●Babel 修了講座名 ドイツ語翻訳家養成講座1999年3月、中日契約書翻訳講座2017年10月
ドイツ語の古典新訳のワークショップでゲーテの「イタリア紀行」を共訳し、電子出版した(2010年)。2000年以降は、共生を目指して他の企業の技術文の翻訳プロジェクトにも参加した。
●2003年4月-2004年9月 ソニー・ネットワークエンジニアリング事業部
技術者がプログラムを通して組み立てたソフトウェアの日本語の技術文を現場で英訳した。技術者の説明を反映するために、製品のマニュアルにある表現やIT用語辞典を例にして和文英訳のレポートを作成した。
●2004年10月-2009年2月 機械翻訳(SOHO)
翻訳ソフトTRADOSを使用してドイツ語と英語の技術文をメモリーベースで和訳した。(1日に1500ワード翻訳)対応言語は、独日、英日で、分野は、ソフトウェア、汎用機械および特許である。レポート作成済み(「産業日本語の学習法とその応用例」)また、トーマス・マンとファジィ理論に関しても文理シナジー学会で発表し、2005年5月に「計算文学入門−トーマス・マンのイロニーはファジィ推論といえるのか?」を出版した。私にとって翻訳作業は、文理共生の下支えである。
●エイブス・メディカル翻訳修了講座 英和入門2014年5月、英和初級2015年9月、英和上級2016年2月
●2016年3月- 2021年10月 独日特許翻訳(SOHO)
バイオ、医療機器、技術関連(特許デイタセンター及び協和テクノサービス、翻訳エディタ使用)
●2020年11月- 2022年4月 「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファ―の原点を探る」の校正。
●2022年9月- 2023年5月 「小説をシナジーで読む−魯迅から莫言へ シナジーのメタファ―のために」の校正。
●2023年8月- 2024年2月「小説をシナジーで読む−森鴎外から川端康成へ データベースと病跡学に備えて」の校正。
●2024年4月- 2024年8月 「私の病跡学−作家の執筆脳を比較と共生で考える」の校正。
「日本語専門家: 教授法」
●2009年3月-2011年1月 武漢科技大学外語外事職業学院外国語学部日本語科
1年生と2年生の日本語会話を担当した。教材は、「みんなの日本語」と「日本語会話技巧編」等である。共にクラスを通して会話の場面のイメージ作りを試みた。例えば、基礎レベルでは日本語能力試験を模して質問文を読む間に音声から漢字を連想するトレーニングをした。学生が漢字系の学習者ためである。技巧編ではロールカードを使用してペアワークによる場面のイメージ作りを試みた。内容は、学内の研究発表会で説明済。
●2011年2月-2012年1月 集美大学外国語学部日本語科
3年生を対象に日本語の作文と中日翻訳の演習を担当した。教材は、それぞれ「实用日语写作教程」と「汉译日精教程」である。また、2年生の日本概況と1年生の日本語会話も担当した。内容については、「中日翻訳の高速化」と題して延辺大学の中日韓朝比較言語文学の学会で発表した。
●2012年2月-2013年1月 天津外国語大学外国語学部日本語科
3年生を対象に日本語の作文と新聞購読の演習を担当した。教材は「实用日语写作教程」と「構成/特徴/分野から学ぶ新聞の読解」である。作文では添削指導をし、新聞購読では教材終了後、直近の日本の新聞記事を使用して要約のトレーニングも試みた。内容については、国際日本語教育研究大会(名古屋大学)で発表済。
●2013年9月-2014年1月 湖南科技学院外国語学部日本語科
3年生は「日本語総合教程第5冊」のクラスを、4年生は金田一春彦著「日本語上下」を用いて日本語学の講義を担当した。インフルエンザのため帰国。休暇中に森鴎外の「山椒大夫」を題材にしてデータベースを作成した。また、在任中、四川外国語大学の国際シンポジウムで「魯迅とカオス」について研究発表をした。
●2014年9月- 2015年1月 武昌理工学院国際教育学院
文法外国語学部の日本語科の1、3、4年生のクラスを担当。例えば、4年生の「視听说」のクラスではDVDを使用しながら総合的な日本語のトレーニングを試みた。また、中日教学研究会江蘇分会で森鴎外の「山椒大夫」のデータベースについて発表した。(2014年11月)
●2015年3月-2016年1月 寧波大红鹰学院人文学部日本語科
3年生はビジネス日本語と中日通訳のための日本語のシャドウィング及び作文のクラス、4年生は日本の経済学入門を担当。1、2年生は日本語会話の上下巻を担当した。また、在任中に中日対照言語学研究会(上海外国語大学)で「技術日本語の学習法とその応用例」と題して研究発表をし、華東理工大学出版社から著作「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」を出版した。(2015年11月)
●2016年9月-2017年6月 盐城工学院外国語学部日本語科
4年生は視听说、3年生は日本概況、日本文学史、新聞雑誌購読、作文、2年生は中級日本語听力を担当した。また、上海の同済大学で開催された中日教学研究会上海分会で「シナジーのメタファーの作り方」と題して研究発表をし、南京東南大学出版社から著作「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」を出版した。(2017年6月)
●2018年3月-2019年1月 大連交通大学外国語学部日本語学科
3年生は日本語の基礎作文とビジネスメールの書き方に関する演習を、2年生は中級日本語会話を担当した。また、上海の同済大学で開催された中日教学研究会上海分会で「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」と題して研究発表をした。
「取得した主な資格」
●日本成人病予防協会(JAPA)健康管理士一般指導員認定2015年3月、健康管理能力検定1級取得 2015年3月、健康管理士ゴールド認定 2017年4月、健康管理士上級指導員認定 2020年3月、健康管理士統括指導員認定 2023年10月
●予防医学・代替医療振興協会修了講座 予防医学指導士 2015年12月、代替医療カウンセラー 2016年4月、認知症ケアカウンセラー 2016年12月
●Babel 中日契約書翻訳講座修了 2017年10月
●フードデリバリー 熱中症対策アドバイザー認定 2018年7月
●ソラスト修了講座 医師事務作業補助者(ドクターズオフィスワークアシスト)養成講座 2018年10月、医療事務講座クリニックコース 2019年3月
●技能認定振興協会(JSMA)医師事務作業補助者検定試験合格 2019年4年
●埼玉西武消防組合 甲種防火管理新規講習修了 2019年5月
●日本学術振興会 研究倫理eラーニング 「事例で「学ぶ/考える」研究倫理 誠実な科学者の心得」修了 2019年8月
●日本癌治療学会 Cancer eラーニング 104講座修了 受講証明書有 2019年8月
●ICR臨床研究入門修了講座 臨床研究の基礎知識講座、倫理審査委員会向けの倫理研修、臨床研究のデータベースマネージメント、再生医療研究のインフォームド・コンセント、臨床研究法 2019年8月
●Fisdom修了講座 10進法を2進法に変換、暗号化、パリティチェック、情報リテラシー Office2016、統計学入門、Python入門、学校における無線ネットワークの作り方、安全学入門、インターネットセキュリティ、情報法 2019年10月
●JTEX修了講座 製薬・医薬品の基礎 2019年10月、知的財産権入門 2019年12月
●東京女子医科大学 教育・支援プログラム 100講座修了 2020年2月
●動脈硬化予防啓発セミナー eラーニング 55講座修了 2020年5月
●INPIT 工業所有権研修・情報館 eラーニング 20講座受講済 2020年5月
●日本能力開発推進協会 マインドフルネススペシャリスト検定試験合格 2020年10月、上級心理カウンセラー検定試験合格2021年7月、行動心理士検定試験合格 2023年1月
●医療情報処理学会医療情報技師育成部会 eラーニング受講講座 医療情報基礎用語集、個人情報保護法の影響、医療統計セミナーB 2024年9月現在
●Gacco修了講座 セキュリティ・プライバシ・法令、公衆無線LANセキュリティ対策、SDGs(持続可能な開発目標)入門 、Memento Moriー死を想う、大学生のためのデータサイエンス、社会人のためのデータサイエンス 、多変量データ解析法 、統計学−データ分析の基礎、誰でも使えるオープンデータ、進化発生学入門、心理学スパイラルアップ、推論・知識処理・自然言語処理、クラウド基盤構築演習、アーキテクチャ・品質エンジニアリング、スマートIoTシステム・ビジネス入門、IoTとシステムズアプローチ、クラウドサービス・分散システム、センサ、機械学習、深層学習、社会の中のAI、ビジネスフィールドでのAI・データ活用スキル、がんゲノム医療オンライン講座2020 2024年9月現在
「所属協会及び研究会」
●日本成人病予防協会
https://fanblogs.jp/hanamura4/ 研究一覧
【連絡先】
電話 04-2921-1820、メール hanamura36@gmail.com
生年月日 1961年5月12日(63歳)
住所 〒359‐1132 埼玉県所沢市松が丘2丁目22番地14号
電話/Fax 04-2921-1820
専門 比較言語・文学 (英語、ドイツ語、中国語、日本語)、文体論、計算文学(トーマス・マンとファジィ、魯迅とカオス、森鴎外と感情、ナディン・ゴーディマと意欲、川端康成と認知発達など)、健康科学、シナジー論(人文と情報、心理とメディカル、文化と栄養)、リスク社会学、翻訳学(ドイツ語)
【学歴】
●1977年4月 埼玉県立川越高等学校入学
●1980年3月 埼玉県立川越高等学校卒業
●1981年4月 立教大学文学部ドイツ文学科入学
●1985年3月 立教大学文学部ドイツ文学科卒業
●同年4月 立教大学大学院文学研究科博士前期課程ドイツ文学専攻入学
●1987年3月 立教大学大学院文学研究科博士前期課程ドイツ文学専攻修了
修士論文の題目: Anfangen、beginnen、aufhörenにおける様相因子の動きから生まれる文の曖昧性−モンタギュー文法による形式意味論からの考察
●同年8月 ドイツ・マンハイム大学の夏季語学講座参加
●1988年4月 立教大学大学院文学研究科博士後期課程ドイツ文学専攻入学
●1989年9月-1990年8月 ドイツ・チュービンゲン大学へ交換留学
●1993年3月 立教大学大学院文学研究科博士後期課程ドイツ文学専攻退学
●同年4月チュービンゲン大学大学院新文献学部博士課程ドイツ語学言語学意味論専攻入学
●1995年8月チュービンゲン大学大学院新文献学部博士課程ドイツ語学言語学意味論専攻博士論文提出後退学
博士論文の題目と内容: HPSG für Textanalyse – zur Ironie Thomas Manns 論理文法(モンタギュー文法からGPSG、HPSGまで)の小史ならびにトーマス・マンのイロニーとファジー理論の相性の良さを「魔の山」より考察。論理計算による計算文学とシナジー論の基礎をなす。(2005年5月に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか」と題して出版済 出版証明書付)
「学術関連表彰」
「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(2015)(華東理工大学出版社)
●栄誉証書 大連外国語大学(文献学)2017年3月、
●栄誉証書 南京農業大学(文献学)2017年3月、2017年5月
●捐赠証書(奨励)北京大学 2017年3月
●捐赠証書(奨励)北京外国語大学 2017年3月
【職歴】
「ビジネス翻訳・産業翻訳・著述業(学術): 技術文の校正と機械翻訳並びに特許明細書の和訳」
●1995年10月 博士論文の印刷に向けて電子データを作成する傍ら、技術文の翻訳の勉強を始める。
●1996年8月-1997年11月 ユニバーサルインターアド・コピーライティング部
翻訳のチェッカー、退社後、翻訳スクールに通う。(1998年2月まで)
●1998年3月-1999年9月 富士通ラーニングメディア翻訳事業部
英語の技術文の日本語訳をチェックしていた。富士通グループの製品+外資系企業のソフトウェアのマニュアル及び契約書を担当していたため、技術文特有の用語とか文体について日々勉強していた。工業英語3級合格。実用数学技能検定準2級合格、Fisdomも参照すること。
●Babel 修了講座名 ドイツ語翻訳家養成講座1999年3月、中日契約書翻訳講座2017年10月
ドイツ語の古典新訳のワークショップでゲーテの「イタリア紀行」を共訳し、電子出版した(2010年)。2000年以降は、共生を目指して他の企業の技術文の翻訳プロジェクトにも参加した。
●2003年4月-2004年9月 ソニー・ネットワークエンジニアリング事業部
技術者がプログラムを通して組み立てたソフトウェアの日本語の技術文を現場で英訳した。技術者の説明を反映するために、製品のマニュアルにある表現やIT用語辞典を例にして和文英訳のレポートを作成した。
●2004年10月-2009年2月 機械翻訳(SOHO)
翻訳ソフトTRADOSを使用してドイツ語と英語の技術文をメモリーベースで和訳した。(1日に1500ワード翻訳)対応言語は、独日、英日で、分野は、ソフトウェア、汎用機械および特許である。レポート作成済み(「産業日本語の学習法とその応用例」)また、トーマス・マンとファジィ理論に関しても文理シナジー学会で発表し、2005年5月に「計算文学入門−トーマス・マンのイロニーはファジィ推論といえるのか?」を出版した。私にとって翻訳作業は、文理共生の下支えである。
●エイブス・メディカル翻訳修了講座 英和入門2014年5月、英和初級2015年9月、英和上級2016年2月
●2016年3月- 2021年10月 独日特許翻訳(SOHO)
バイオ、医療機器、技術関連(特許デイタセンター及び協和テクノサービス、翻訳エディタ使用)
●2020年11月- 2022年4月 「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファ―の原点を探る」の校正。
●2022年9月- 2023年5月 「小説をシナジーで読む−魯迅から莫言へ シナジーのメタファ―のために」の校正。
●2023年8月- 2024年2月「小説をシナジーで読む−森鴎外から川端康成へ データベースと病跡学に備えて」の校正。
●2024年4月- 2024年8月 「私の病跡学−作家の執筆脳を比較と共生で考える」の校正。
「日本語専門家: 教授法」
●2009年3月-2011年1月 武漢科技大学外語外事職業学院外国語学部日本語科
1年生と2年生の日本語会話を担当した。教材は、「みんなの日本語」と「日本語会話技巧編」等である。共にクラスを通して会話の場面のイメージ作りを試みた。例えば、基礎レベルでは日本語能力試験を模して質問文を読む間に音声から漢字を連想するトレーニングをした。学生が漢字系の学習者ためである。技巧編ではロールカードを使用してペアワークによる場面のイメージ作りを試みた。内容は、学内の研究発表会で説明済。
●2011年2月-2012年1月 集美大学外国語学部日本語科
3年生を対象に日本語の作文と中日翻訳の演習を担当した。教材は、それぞれ「实用日语写作教程」と「汉译日精教程」である。また、2年生の日本概況と1年生の日本語会話も担当した。内容については、「中日翻訳の高速化」と題して延辺大学の中日韓朝比較言語文学の学会で発表した。
●2012年2月-2013年1月 天津外国語大学外国語学部日本語科
3年生を対象に日本語の作文と新聞購読の演習を担当した。教材は「实用日语写作教程」と「構成/特徴/分野から学ぶ新聞の読解」である。作文では添削指導をし、新聞購読では教材終了後、直近の日本の新聞記事を使用して要約のトレーニングも試みた。内容については、国際日本語教育研究大会(名古屋大学)で発表済。
●2013年9月-2014年1月 湖南科技学院外国語学部日本語科
3年生は「日本語総合教程第5冊」のクラスを、4年生は金田一春彦著「日本語上下」を用いて日本語学の講義を担当した。インフルエンザのため帰国。休暇中に森鴎外の「山椒大夫」を題材にしてデータベースを作成した。また、在任中、四川外国語大学の国際シンポジウムで「魯迅とカオス」について研究発表をした。
●2014年9月- 2015年1月 武昌理工学院国際教育学院
文法外国語学部の日本語科の1、3、4年生のクラスを担当。例えば、4年生の「視听说」のクラスではDVDを使用しながら総合的な日本語のトレーニングを試みた。また、中日教学研究会江蘇分会で森鴎外の「山椒大夫」のデータベースについて発表した。(2014年11月)
●2015年3月-2016年1月 寧波大红鹰学院人文学部日本語科
3年生はビジネス日本語と中日通訳のための日本語のシャドウィング及び作文のクラス、4年生は日本の経済学入門を担当。1、2年生は日本語会話の上下巻を担当した。また、在任中に中日対照言語学研究会(上海外国語大学)で「技術日本語の学習法とその応用例」と題して研究発表をし、華東理工大学出版社から著作「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」を出版した。(2015年11月)
●2016年9月-2017年6月 盐城工学院外国語学部日本語科
4年生は視听说、3年生は日本概況、日本文学史、新聞雑誌購読、作文、2年生は中級日本語听力を担当した。また、上海の同済大学で開催された中日教学研究会上海分会で「シナジーのメタファーの作り方」と題して研究発表をし、南京東南大学出版社から著作「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」を出版した。(2017年6月)
●2018年3月-2019年1月 大連交通大学外国語学部日本語学科
3年生は日本語の基礎作文とビジネスメールの書き方に関する演習を、2年生は中級日本語会話を担当した。また、上海の同済大学で開催された中日教学研究会上海分会で「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」と題して研究発表をした。
「取得した主な資格」
●日本成人病予防協会(JAPA)健康管理士一般指導員認定2015年3月、健康管理能力検定1級取得 2015年3月、健康管理士ゴールド認定 2017年4月、健康管理士上級指導員認定 2020年3月、健康管理士統括指導員認定 2023年10月
●予防医学・代替医療振興協会修了講座 予防医学指導士 2015年12月、代替医療カウンセラー 2016年4月、認知症ケアカウンセラー 2016年12月
●Babel 中日契約書翻訳講座修了 2017年10月
●フードデリバリー 熱中症対策アドバイザー認定 2018年7月
●ソラスト修了講座 医師事務作業補助者(ドクターズオフィスワークアシスト)養成講座 2018年10月、医療事務講座クリニックコース 2019年3月
●技能認定振興協会(JSMA)医師事務作業補助者検定試験合格 2019年4年
●埼玉西武消防組合 甲種防火管理新規講習修了 2019年5月
●日本学術振興会 研究倫理eラーニング 「事例で「学ぶ/考える」研究倫理 誠実な科学者の心得」修了 2019年8月
●日本癌治療学会 Cancer eラーニング 104講座修了 受講証明書有 2019年8月
●ICR臨床研究入門修了講座 臨床研究の基礎知識講座、倫理審査委員会向けの倫理研修、臨床研究のデータベースマネージメント、再生医療研究のインフォームド・コンセント、臨床研究法 2019年8月
●Fisdom修了講座 10進法を2進法に変換、暗号化、パリティチェック、情報リテラシー Office2016、統計学入門、Python入門、学校における無線ネットワークの作り方、安全学入門、インターネットセキュリティ、情報法 2019年10月
●JTEX修了講座 製薬・医薬品の基礎 2019年10月、知的財産権入門 2019年12月
●東京女子医科大学 教育・支援プログラム 100講座修了 2020年2月
●動脈硬化予防啓発セミナー eラーニング 55講座修了 2020年5月
●INPIT 工業所有権研修・情報館 eラーニング 20講座受講済 2020年5月
●日本能力開発推進協会 マインドフルネススペシャリスト検定試験合格 2020年10月、上級心理カウンセラー検定試験合格2021年7月、行動心理士検定試験合格 2023年1月
●医療情報処理学会医療情報技師育成部会 eラーニング受講講座 医療情報基礎用語集、個人情報保護法の影響、医療統計セミナーB 2024年9月現在
●Gacco修了講座 セキュリティ・プライバシ・法令、公衆無線LANセキュリティ対策、SDGs(持続可能な開発目標)入門 、Memento Moriー死を想う、大学生のためのデータサイエンス、社会人のためのデータサイエンス 、多変量データ解析法 、統計学−データ分析の基礎、誰でも使えるオープンデータ、進化発生学入門、心理学スパイラルアップ、推論・知識処理・自然言語処理、クラウド基盤構築演習、アーキテクチャ・品質エンジニアリング、スマートIoTシステム・ビジネス入門、IoTとシステムズアプローチ、クラウドサービス・分散システム、センサ、機械学習、深層学習、社会の中のAI、ビジネスフィールドでのAI・データ活用スキル、がんゲノム医療オンライン講座2020 2024年9月現在
「所属協会及び研究会」
●日本成人病予防協会
https://fanblogs.jp/hanamura4/ 研究一覧
【連絡先】
電話 04-2921-1820、メール hanamura36@gmail.com
トーマス・マンとファジィ19
最初に、Hans Castorp、Dr. Krokowski そして Joachim Ziemßen 三者の距離をファジィ化する。Dr. Krokowski の話し振りは、「かすかな声」、「穏や かな声」そして「飾り気がある」に分類される。また、Hans Castorp の病状に関する特徴は、「軽い」、「中ぐらい」そして「重い」である。それぞれメンバーシップ関数の推移が恣意的に選択される。また、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離に対してもメンバーシップ値を割り当ててみよう。
次に、推論規則が立てられる。例えば、「Dr. Krokowski の声に飾り気 があって Hans Castorp の病気が軽けれは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は遠くなる」という規則である。ここで、 和結合に対しては最小値の演算子が、共通結合に対しては最大値の演算 子が使用される。簡易的に一覧表を作ってみよう。実際に、具体的な数字を推論規則の前件にあてはめていく。そして、推論規則の後件を求めるために、次のような推論を適応する。「Dr. Krokowski の声に飾り気があり Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は近くなる」。
また、 「Dr. Krokowski の声が穏やかで Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は中ぐらい」になる。 さらに、「Dr.Krokowski の声がとても小さいか、または、HansCastorpの 病気が軽けれは、Hans CastorpとJoachim Ziemßenのイロニー的な距離はかなり遠くなる」。その結果、イロニー的な距離に関するメンバーシップ関数は、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は、3.6mと計算される。
参考文献
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022
次に、推論規則が立てられる。例えば、「Dr. Krokowski の声に飾り気 があって Hans Castorp の病気が軽けれは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は遠くなる」という規則である。ここで、 和結合に対しては最小値の演算子が、共通結合に対しては最大値の演算 子が使用される。簡易的に一覧表を作ってみよう。実際に、具体的な数字を推論規則の前件にあてはめていく。そして、推論規則の後件を求めるために、次のような推論を適応する。「Dr. Krokowski の声に飾り気があり Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は近くなる」。
また、 「Dr. Krokowski の声が穏やかで Hans Castorp の病気が中ぐらいならば、 Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は中ぐらい」になる。 さらに、「Dr.Krokowski の声がとても小さいか、または、HansCastorpの 病気が軽けれは、Hans CastorpとJoachim Ziemßenのイロニー的な距離はかなり遠くなる」。その結果、イロニー的な距離に関するメンバーシップ関数は、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離は、3.6mと計算される。
参考文献
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022
トーマス・マンとファジィ18
Dr. Krokowski が、Davos の療養所で行う講演や日常会話の中で用いる 音にまつわるイロニーの問題を考察してみよう。Hans Castorp、Dr. KrokowskiそしてJoachim Ziemßen 三者がおりなすイロニーの距離が対象になる。Dr. Krokowskiは、療養所の患者たちを前に定期的に講演会を開く。 Hans Castorpは、当初Dr. Krokowski の講演に居合わせた Chauchat 婦人が気になって、話の内容がつかめなかった。どうやらテーマは愛の力のよ うだ。純潔と愛の戦いは、まず純潔が勝利しますが、愛は死なずに生きており、暗がりの中で自らを満たそうとする。はたしてどのような形で愛は再び現れるのであろうか。愛は病気という形で現れると Dr. Krokowski は説く。こうした結論は、療養所にいる患者たちに対するDr. Krokowski 一流の気配りである。しかし、Hans Castorp は、健康を自負しており、 次回から講演会に参加する気にはならなかった。そのため、カタルを患うJoachim Ziemßenとの距離は、比較的遠いといえる。
ここで問題となるのは、Dr. Krokowski の話し振りである。引きずるよ うな柔らかい感じの “r” を遠方から聞こえるかのように鳴らすバリトンのため、舌音と唇音の間に薄い母音を伴う1.5音節の彼の“ Liebe”は、 水気の多いミルクのように何やら青白い気の抜けたイメージのものとなり、Hans Castorpには不快でならなかった。それもあってか、講演後、 Hans Castorp は、Joachim Ziemßen に Dr. Krokowski の話しはさほど満足のいくものではなかったと語っている。
療養所は、午後安静療養の時間になる。Hans Castorp が Dr. Krokowski と対話をする場面がある。バリトンで柔らかい引きずるような何か飾りをつけた異国風の口蓋音 “r” に特徴がある Dr. Krokowski の話し振りは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離にも影響を与える。「我々の関係は新しい段階に入りました。つまり、あなたは、客人から同胞 (Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見え ます」と Dr. Krokowski は説明する。Hans CastorpとDr. Krokowski の距離が同胞となったことにより、Hans Castorp とJoachim Ziemßen は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になった。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいてきた。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
ここで問題となるのは、Dr. Krokowski の話し振りである。引きずるよ うな柔らかい感じの “r” を遠方から聞こえるかのように鳴らすバリトンのため、舌音と唇音の間に薄い母音を伴う1.5音節の彼の“ Liebe”は、 水気の多いミルクのように何やら青白い気の抜けたイメージのものとなり、Hans Castorpには不快でならなかった。それもあってか、講演後、 Hans Castorp は、Joachim Ziemßen に Dr. Krokowski の話しはさほど満足のいくものではなかったと語っている。
療養所は、午後安静療養の時間になる。Hans Castorp が Dr. Krokowski と対話をする場面がある。バリトンで柔らかい引きずるような何か飾りをつけた異国風の口蓋音 “r” に特徴がある Dr. Krokowski の話し振りは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離にも影響を与える。「我々の関係は新しい段階に入りました。つまり、あなたは、客人から同胞 (Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見え ます」と Dr. Krokowski は説明する。Hans CastorpとDr. Krokowski の距離が同胞となったことにより、Hans Castorp とJoachim Ziemßen は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になった。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいてきた。
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トーマス・マンとファジィ17
先にも述べたように、イロニー的な距離とは、物事を正確に把握すると同時に批判的にも捉えることができる間隔のことである。Hans Castorp と Chauchat 婦人の距離(3.4 m) に関するメンバーシップ値を割り当てると、近いは0%、中ぐらいは60%、遠いは 40% になる。ここで、注意するべきことは、この値が単なる物理的な距離ではなく心理的な距離も表している点である。次に、ファジィ化で算出したメンバーシップ値に推論規則を適用する。推論規則は、日常の経験に基づいている。例えば、距離が近ければ離れ、中ぐらいならばそのままで、遠ければ近くなる。
また、結合演算子も問題になる。問題を短時間で解決するために、和結合には最小値の演算子が、共通結合には最大値の演算子が適用される。そして、最後に、出力の部分集合のメンバーシップ値が計算される。これは、結論を導くためのメンバーシップ値に対する前提から引き継ぐことになる。個々のファジィ集合には、最低一つの推論規則が必要である。出力値のメンバーシップ値は、高い方できられる。これは、最大/最小の方法と呼ばれており、出力となるメンバーシップ関数の各ファジィ 集合に対して、その結果となるメンバーシップ値を移行する方法である。 この方法によるメンバーシップ値の推移は、恣意的な選択である。調節の必要があるイロニー的な距離の値は、脱ファジィ化において算出される。
脱ファジィ化は、ファジィ的な事柄を具体的な数や値に変換する。 一般的に、重心に基づいた脱ファジィ化が経験に見合った結果をもたらしてくれる。ここでは、「遠近の混合器」においてどのくらいの距離が調節されなければならないのかを確定する。脱ファジイ化の方法として、 最大値の中間を取るものが採用される。これは、出力集合の最大値の中 間にあたる横座標の値を出力値として使用する方法である。物理的で心 理的な距離を測定する場合、置かれた状況によって数字の持つ意味が異 なることは、主観的な印象や個人の経験に基づいて理解できる。求められたイロニー的な距離は、4mになる。但し、部分的な平面のオーバーラップは、顧慮されていない。
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また、結合演算子も問題になる。問題を短時間で解決するために、和結合には最小値の演算子が、共通結合には最大値の演算子が適用される。そして、最後に、出力の部分集合のメンバーシップ値が計算される。これは、結論を導くためのメンバーシップ値に対する前提から引き継ぐことになる。個々のファジィ集合には、最低一つの推論規則が必要である。出力値のメンバーシップ値は、高い方できられる。これは、最大/最小の方法と呼ばれており、出力となるメンバーシップ関数の各ファジィ 集合に対して、その結果となるメンバーシップ値を移行する方法である。 この方法によるメンバーシップ値の推移は、恣意的な選択である。調節の必要があるイロニー的な距離の値は、脱ファジィ化において算出される。
脱ファジィ化は、ファジィ的な事柄を具体的な数や値に変換する。 一般的に、重心に基づいた脱ファジィ化が経験に見合った結果をもたらしてくれる。ここでは、「遠近の混合器」においてどのくらいの距離が調節されなければならないのかを確定する。脱ファジイ化の方法として、 最大値の中間を取るものが採用される。これは、出力集合の最大値の中 間にあたる横座標の値を出力値として使用する方法である。物理的で心 理的な距離を測定する場合、置かれた状況によって数字の持つ意味が異 なることは、主観的な印象や個人の経験に基づいて理解できる。求められたイロニー的な距離は、4mになる。但し、部分的な平面のオーバーラップは、顧慮されていない。
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トーマス・マンとファジィ16
Hans CastorpのChauchat婦人に対する距離(3.4 m) をファジィ化する。考察される特徴は、「近い」、「中ぐらい」そして「離れている」である。最初に個々のファジィ集合を確定し、次にメンバーシップ関数の推移を恣意的に選択する。ファジィ化では、所与の事柄に対してメンバ ーシップ値を割り当てることが重要になる。また、メンバーシップ関数の推移は、後で修正することができる。
Hans Castorpは、Chauchat 婦人の脇に座り、謝肉祭を祝う療養所の住民たちの舞踏会を見物する。Chauchat 婦人は、Hans Castorp がかねてから興味を持っていた女性であるる。会場でChauchat 婦人を見っけたHans Castorpは、彼女が謝肉祭用に着飾っていることに気がつく。衣装のことをたずねたりダンスに誘ったりもするが、彼女からは、色よい返事が 返ってこない。気を引こうとして得意のフランス語を使って話しかけてみると(Hans Castorpの二次記憶)、従兄弟の方はもう退場したけどあなたはまだここにいるのという返事。Hans Castorp は、ドイツ人に対して融通のきかない小事にこだわるイメージがあるのかと聞き返す。
こうしたやりとりをしながら、Chauchat 婦人の隣に座っていることが Hans Castorp には夢のようで、まるで深い永遠の眠りに陥るかのような気持ちであった。一方、Chauchat 婦人は、ドイツ人をブルジョワ、ヒューマニ ストそして詩人として特徴づける。
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Hans Castorpは、Chauchat 婦人の脇に座り、謝肉祭を祝う療養所の住民たちの舞踏会を見物する。Chauchat 婦人は、Hans Castorp がかねてから興味を持っていた女性であるる。会場でChauchat 婦人を見っけたHans Castorpは、彼女が謝肉祭用に着飾っていることに気がつく。衣装のことをたずねたりダンスに誘ったりもするが、彼女からは、色よい返事が 返ってこない。気を引こうとして得意のフランス語を使って話しかけてみると(Hans Castorpの二次記憶)、従兄弟の方はもう退場したけどあなたはまだここにいるのという返事。Hans Castorp は、ドイツ人に対して融通のきかない小事にこだわるイメージがあるのかと聞き返す。
こうしたやりとりをしながら、Chauchat 婦人の隣に座っていることが Hans Castorp には夢のようで、まるで深い永遠の眠りに陥るかのような気持ちであった。一方、Chauchat 婦人は、ドイツ人をブルジョワ、ヒューマニ ストそして詩人として特徴づける。
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トーマス・マンとファジィ15
経験や体験に基づいた記憶や学習から得た知識は、推論の土台になる。 ダホスの療養所に着いて間もないHans Castorpは、Joachim Ziemßenから 平地と異なる山の上の慣習について話を聞かされる。そして、ホールから出てくる二人が、主治医のBehrensと危うくぶつかりそうになる。 Behrensは、「おい、気をつけてくれ」と二人に言い、「お互いにとって 事が多少悪く運ぶ場合もあったぞ」と強いNiedersachsen (オランダと接 するドイツ北部)地方の方言で、くどくどした何かを嚙むような口調である。Hans Castorpは、Hamburg (北欧への玄関口)の出身で、発音などに特徴が出る方言による言葉の違いは理解できた。これは、記憶から呼び出す際に似ている音声を誤って取 り違えてしまう一次記憶の特徴であろう。
また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発する。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発する。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ14
「計算文学入門」では、記憶とは、予め蓄えられた情報を必要に応じて呼び出すことができる能力としている。簡単に言うと、記憶には、 短期記憶と長期記憶がある。前者は、数秒から数分間蓄えられる情報であり、後者は、一生の間保存することができる情報である。
短期記憶には、感覚知覚的なものと一次的なものがある。感覚知覚的な刺激は、数百ミリセカンドもない間にコード化され、重要な特徴を引き出せるように自動的に感覚記憶に蓄えられる。しかし、経験からもわかるように、たちまちにして忘れてしまう。短期間の感覚知覚的な記憶から継続的なものへ情報を移動させる場合、通常、感覚的なデータを言葉によりコード化する方法が採用される。一次記憶は、言葉によりコード化されたデータを一時的に取り出す際に役に立つ。この容量は、 感覚知覚的な記憶に比べて小さくなる。また、非言語的にコード化されたデータは、訓練によって一次記憶から継続的な二次記憶へと緩和される。(例えば、注意深く繰り返すこと。)
長期記憶には、二次記憶と三次記憶がある。二次記憶は、継続的な大きい記憶システムである。一次記憶との組織上の違いは、記憶からデー 夕を呼び出す際に生じる間違え方によって明らかになる。一次記憶の場合、pとbのような音声的に似ている音の取り違えが問題になるが、二次記憶の場合は、類似した意味による単語の取り違えが問題になる。その 他の弁別特徴として、データ処理の時間を考えることができる。例えば、一次記憶は速く、二次記憶は遅くなる。二次記憶における忘却は、事前に学習されたことを通して学ぶべき題材に干渉することが原因となっている。つまり、こうした忘却は、物事が起こる前に反応する先走りによる障害から起こっている。先見的な障害は、学習したことに関す る多くの蓄えを自由に処理することができるため、重要な要素となる。 こう考えると、大部分の忘却は、予め学習したことに責任があるようだ。
三次記憶において問題となるのは、記憶痕跡(エングラム)である。例えば、これは、固有名詞、読み書きの能力、医学的な理由で他のすべての記憶が失われたとしても、もはや忘れることのない手先の器用さなどのことである。三次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えられているこうした記憶痕跡は、極めて短い時間のデータ処理により際立ってくるようである。但し、二次記憶の中で著しく固まってしまった記憶痕跡も同じように扱うことができる。それ故、長期記憶のモデルは、二次記憶と三次記憶に相応する。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
短期記憶には、感覚知覚的なものと一次的なものがある。感覚知覚的な刺激は、数百ミリセカンドもない間にコード化され、重要な特徴を引き出せるように自動的に感覚記憶に蓄えられる。しかし、経験からもわかるように、たちまちにして忘れてしまう。短期間の感覚知覚的な記憶から継続的なものへ情報を移動させる場合、通常、感覚的なデータを言葉によりコード化する方法が採用される。一次記憶は、言葉によりコード化されたデータを一時的に取り出す際に役に立つ。この容量は、 感覚知覚的な記憶に比べて小さくなる。また、非言語的にコード化されたデータは、訓練によって一次記憶から継続的な二次記憶へと緩和される。(例えば、注意深く繰り返すこと。)
長期記憶には、二次記憶と三次記憶がある。二次記憶は、継続的な大きい記憶システムである。一次記憶との組織上の違いは、記憶からデー 夕を呼び出す際に生じる間違え方によって明らかになる。一次記憶の場合、pとbのような音声的に似ている音の取り違えが問題になるが、二次記憶の場合は、類似した意味による単語の取り違えが問題になる。その 他の弁別特徴として、データ処理の時間を考えることができる。例えば、一次記憶は速く、二次記憶は遅くなる。二次記憶における忘却は、事前に学習されたことを通して学ぶべき題材に干渉することが原因となっている。つまり、こうした忘却は、物事が起こる前に反応する先走りによる障害から起こっている。先見的な障害は、学習したことに関す る多くの蓄えを自由に処理することができるため、重要な要素となる。 こう考えると、大部分の忘却は、予め学習したことに責任があるようだ。
三次記憶において問題となるのは、記憶痕跡(エングラム)である。例えば、これは、固有名詞、読み書きの能力、医学的な理由で他のすべての記憶が失われたとしても、もはや忘れることのない手先の器用さなどのことである。三次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えられているこうした記憶痕跡は、極めて短い時間のデータ処理により際立ってくるようである。但し、二次記憶の中で著しく固まってしまった記憶痕跡も同じように扱うことができる。それ故、長期記憶のモデルは、二次記憶と三次記憶に相応する。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ13
a) ファジィ化
曖昧でない値をファジィ集合へ割り当てることが問題になる。その値のファジィ集合に対するメンバーシップ値は、メンバーシップ関数が決定する。実際、メンバーシップ関数は、一つ一つ線的な流れによって証明される。例えは、Hans Castorpのある症状(めまい)との触れ合いを期待する度合を7とする。(ここでは簡単のために、期待を指数で表すことにします。)メンバーシップ関数が与えられると、結果として彼のイロニーは、ファジィ集合 「中ぐらい」の中で0.2、ファジィ集合「高い」の中で0.8になる。
b) 推論
推論は、変数の結合規則により実行され、加工規則または生産規則としても表記される。例として、Hans Castorpの幼年時代を考えてみよう。両親が亡くなってから、祖父がなくなるまでの1年半、Hans Castorpは、祖父の下で生活した。Hans Castorpが祖父を見ている場面がある。「特別で半分夢を見ているようなそし て半分不安な感情、それが交互にやってきてしばらく留まり再び元に戻っていく。一種のめまいである。幼いHans Castorpは、以前から知っている こうした感情に触れることを期待し、そしてまた希望しました」。Hans Castorp の期待が高まり、突然その願望が姿を現すと、彼のイロニーは強くなる。
ここで、和結合には最小値の演算子が、また共通結合には最大値の演算子が割り当てられる。そして、これまで記述したすべての規則を利用することにより、出力変数のメンバーシップ関数の都度の値が算出される。最大/最小の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、その都度算出されたメンバーシップ値によって部分的に灰色で区切られている。最大/積の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、 その都度算出されたメンバーシップ値によって算出される。
c) 脱ファジィ化
脱ファジイ化は、様々なファジイ集合に割り当てられる出力変数の正確な値を算出する。つまり、曖昧な事柄を具体的な数字や値に変換していく。最大/最小または最大/積の方法によって数字が統合され、重心が算出される。
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?(2005)より
曖昧でない値をファジィ集合へ割り当てることが問題になる。その値のファジィ集合に対するメンバーシップ値は、メンバーシップ関数が決定する。実際、メンバーシップ関数は、一つ一つ線的な流れによって証明される。例えは、Hans Castorpのある症状(めまい)との触れ合いを期待する度合を7とする。(ここでは簡単のために、期待を指数で表すことにします。)メンバーシップ関数が与えられると、結果として彼のイロニーは、ファジィ集合 「中ぐらい」の中で0.2、ファジィ集合「高い」の中で0.8になる。
b) 推論
推論は、変数の結合規則により実行され、加工規則または生産規則としても表記される。例として、Hans Castorpの幼年時代を考えてみよう。両親が亡くなってから、祖父がなくなるまでの1年半、Hans Castorpは、祖父の下で生活した。Hans Castorpが祖父を見ている場面がある。「特別で半分夢を見ているようなそし て半分不安な感情、それが交互にやってきてしばらく留まり再び元に戻っていく。一種のめまいである。幼いHans Castorpは、以前から知っている こうした感情に触れることを期待し、そしてまた希望しました」。Hans Castorp の期待が高まり、突然その願望が姿を現すと、彼のイロニーは強くなる。
ここで、和結合には最小値の演算子が、また共通結合には最大値の演算子が割り当てられる。そして、これまで記述したすべての規則を利用することにより、出力変数のメンバーシップ関数の都度の値が算出される。最大/最小の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、その都度算出されたメンバーシップ値によって部分的に灰色で区切られている。最大/積の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、 その都度算出されたメンバーシップ値によって算出される。
c) 脱ファジィ化
脱ファジイ化は、様々なファジイ集合に割り当てられる出力変数の正確な値を算出する。つまり、曖昧な事柄を具体的な数字や値に変換していく。最大/最小または最大/積の方法によって数字が統合され、重心が算出される。
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?(2005)より
トーマス・マンとファジィ12
ファジィ論理の主要領域は、ファジィコントロールである。ファジィの値に基づきプロセスを素早く簡単に規則化できれば、ファジィ論理の適用が意義のあるものになるからである。ファジイコントロールとは、 数学的なプロセスモデルではなく、「温度が高くて圧力も高ければ、弁は完全に開く」といった言語を形式化した単純な規則である。それ故に、 部分的に近づくことができないプロセスパラメータを伴って規則化されることもある。ファジィコントロールは、ファジィ化、推論そして脱ファジィ化により構成される。それでは一つ一つ見ていくことにしよう。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ11
体温計は、「魔の山」の中でしばしば話題になる。それは、療養所ゆえに検温が義務付けられているためである。Joachim Ziemßenが検温の際にぼやく場面がある。Joachimは、カタルを患っているため、時々発熱する。昨晚38°Cあった熱が37.5℃に下がった時、体温計に付いている目盛りを見ながら、この目盛りのおかげで軍務につけないとHans Castorpに心境を語っている。
また、Hans Castorpが発熱する場面もある。ある日の朝食後、体温計の水銀柱が37.7℃に上昇し、晚方は37.5°Cでしたが、翌日の早朝は37°Cに下がり、昼時にまた37.7℃に上がる様子が描かれている。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
また、Hans Castorpが発熱する場面もある。ある日の朝食後、体温計の水銀柱が37.7℃に上昇し、晚方は37.5°Cでしたが、翌日の早朝は37°Cに下がり、昼時にまた37.7℃に上がる様子が描かれている。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ10
要素自体がファジィの場合を考えてみよう。例えば、10ではなく、だ いたい10または10 ±10%などの扱い方が問題になる。すべての測定値は、 通常、絶対的な量や値ではなく、多かれ少なかれ許容範囲を伴う大きさである。つまり、測定器または測量器が示す値は、無条件で受け入れら れるべきではなく、常に測定器などの公差を伴うものとする。こうしたことは、測定技術において自明なことである。上記の数字は、インター バルとして考察され、数字自体(例えば、測定値)は、その中央に存在 し、その幅は、公差によって規定される。例えば、体温計が、36℃の体温を示しているとする。その公差を±1%とすると、メンバーシップ関 数による表記は、三角形になる。
測定値(36℃)とインターバルの制限を確認する。精度の低い測定器は、公差が大きく、大きなインターバルになる。一方、精度が高い測定器は、限りなく公差が小さく唯一の明白な値となる。また、垂直の線は、公差による値が問題となることを示している。
では、曖昧な数字のメンバーシップ値は、どのように算出できるのであろうか。最善の方法は、双方のメンバーシップ関数の交点において最大値を選択することであろう。例えば、体温計による測定値 36.0℃ ±0.4℃と健康の目安といえる曲線の流れが与えられる。それらを重ねると、その結果としてが出てくる。ファジィ集合「病気」に対する36.0°C 士 0.4℃のメンバーシップ値は、0.3から0.6 の範囲だが、最大値を使用することが実践的である。さらに、 多くのファジィ集合が問題になる場合もある。平温には個人差があり、低い人もいれば、高い人もいる。但し、ここで紹介した方法とは異なるものが、よりうまくこうした問題を解決できるならば、無論それをやさしい曖昧な数学に取り入れることに異論はないであろう。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
測定値(36℃)とインターバルの制限を確認する。精度の低い測定器は、公差が大きく、大きなインターバルになる。一方、精度が高い測定器は、限りなく公差が小さく唯一の明白な値となる。また、垂直の線は、公差による値が問題となることを示している。
では、曖昧な数字のメンバーシップ値は、どのように算出できるのであろうか。最善の方法は、双方のメンバーシップ関数の交点において最大値を選択することであろう。例えば、体温計による測定値 36.0℃ ±0.4℃と健康の目安といえる曲線の流れが与えられる。それらを重ねると、その結果としてが出てくる。ファジィ集合「病気」に対する36.0°C 士 0.4℃のメンバーシップ値は、0.3から0.6 の範囲だが、最大値を使用することが実践的である。さらに、 多くのファジィ集合が問題になる場合もある。平温には個人差があり、低い人もいれば、高い人もいる。但し、ここで紹介した方法とは異なるものが、よりうまくこうした問題を解決できるならば、無論それをやさしい曖昧な数学に取り入れることに異論はないであろう。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ9
修飾語(sehr とても)、mehr oder weniger(多かれ少なかれ)も一種 の演算子(オペレーター)と見なされる。但し、多少の影響は出るが、概ね真理値に変更は出ない。つまり、考察される要素の特徴を強めたり弱めたりする程度である。例えば、sehrは、ファジィ理論の中でメンバーシップ関数の2 乗によって表記される。mehr oder wenigerは、メンバーシップ関数の平方根によって表記される。こうし た修飾語を使用することにより、ファジィ集合の様々な組み合わせが表記できようになる。
ファジイ集合と修飾語の組み合わせの代わりに、独自の論理を定義することも可能である。これは、個々の集合の制限をそれぞれ決めることができるといった利点がある。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
ファジイ集合と修飾語の組み合わせの代わりに、独自の論理を定義することも可能である。これは、個々の集合の制限をそれぞれ決めることができるといった利点がある。
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トーマス・マンとファジィ8
集合論の演算と論理学の演算の違いを確認しよう。集合論の演算では、 2つのファジィ集合が完全に結合し、最後に再び集合が成り立つ。例えば、 我慢強い子供の集合は、月並みな子供の集合と結合し、最後に我慢強くて月並みな子供の集合が成立します。論理学の演算では、考察される要素の特徴が結び付けられ、最後に何れかの特徴を持った要素が立つ。ある子供の我慢強い特徴は、その子供の月並みという特徴と結びついて、我慢強くて月並みな特徴を持った要素(Hans Castorp) になる。
面白いことに、人間は、論理思考において、和結合または共通結合を純粋に使用することはごくまれである。たいていは、双方の中間に存在する結合を使用している。「魔の山」の中で、Hans Castorp は主人公であり、Joachim Ziehmßenは一人の登場人物である。Hans Castorpは、孤児で我慢強く背丈は中ぐらい。Joachim Ziehmßenは、体の幅があり背丈も大きくて几帳面な男である。ここで、我慢強くて強い男が求められているとしよう。簡単のため、双方の特徴は、選択時に同じように重要であることが前提となっている。Hans Castorpは、我慢強いが、強いというほどではない。いわば、我慢強さに対しては、メンバー シップ値が0.9となるが、強さに対しては、0.5ぐらいです。 Joachim Ziehmßenについても、同様にメンバーシップ値を当てることができる。我慢強くて強い男の集合に対する双方のメンバーシップ値を求めるために、最小値を求める演算が適用される。
古典論理では、この点が説明できない。我慢強くて強い男の集合は、 どちらも我慢強くて強い特徴を同時にそして完全に満たしていないため、空の集合になってしまう。一方、ファジィ論理は、こうした点を補 うことがでる。和結合と共通結合の間に相補演算子ラムダとガンマを置くからである。ラムダ演算子は、パラメータが純粋な和結合と純粋な共通結合の間のどこに位置しているのかを示してくれる。そして、λ = 0 の場合、共通結合の演算子となり、λ = 1の場合に、和結合の演算子になる。ガンマ演算子は、相補的な和結合の演算子ゆえに人間の感情をうまく再現してくれる。つまり、2つの集合のうちの一つを優先させるに際に効果がある。Gamma = 0の場合、和結合の演算子となり、Gamma =1の場合、共通結合の演算子となる。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
面白いことに、人間は、論理思考において、和結合または共通結合を純粋に使用することはごくまれである。たいていは、双方の中間に存在する結合を使用している。「魔の山」の中で、Hans Castorp は主人公であり、Joachim Ziehmßenは一人の登場人物である。Hans Castorpは、孤児で我慢強く背丈は中ぐらい。Joachim Ziehmßenは、体の幅があり背丈も大きくて几帳面な男である。ここで、我慢強くて強い男が求められているとしよう。簡単のため、双方の特徴は、選択時に同じように重要であることが前提となっている。Hans Castorpは、我慢強いが、強いというほどではない。いわば、我慢強さに対しては、メンバー シップ値が0.9となるが、強さに対しては、0.5ぐらいです。 Joachim Ziehmßenについても、同様にメンバーシップ値を当てることができる。我慢強くて強い男の集合に対する双方のメンバーシップ値を求めるために、最小値を求める演算が適用される。
古典論理では、この点が説明できない。我慢強くて強い男の集合は、 どちらも我慢強くて強い特徴を同時にそして完全に満たしていないため、空の集合になってしまう。一方、ファジィ論理は、こうした点を補 うことがでる。和結合と共通結合の間に相補演算子ラムダとガンマを置くからである。ラムダ演算子は、パラメータが純粋な和結合と純粋な共通結合の間のどこに位置しているのかを示してくれる。そして、λ = 0 の場合、共通結合の演算子となり、λ = 1の場合に、和結合の演算子になる。ガンマ演算子は、相補的な和結合の演算子ゆえに人間の感情をうまく再現してくれる。つまり、2つの集合のうちの一つを優先させるに際に効果がある。Gamma = 0の場合、和結合の演算子となり、Gamma =1の場合、共通結合の演算子となる。
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トーマス・マンとファジィ7
また、要素x0のメンバーシップ値μA(x0) への割り当てが、曖昧な場合がある。つまり、メンバーシップ関数μA(x0)自体が、曖昧となる場合が 想定される。これは、ウルトラファジィと呼ばれるケースである。上述したように、Hans Castorpは、幼少の時代に両親を亡くしていることから、元々我慢強い性格の持ち主といえる。両親が生きている間は甘えていられるが、一人になれば自ずと甘えは消えて我慢強くなる。この問題は、ウルトラファジイによって表現することができる。
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トーマス・マンとファジィ6
例えは、ダボスの療養所に到着した時点で23歳であった Hans Castorp の性格の一面を見てみよう。Hans Castorpの両親は、彼が5歳から7歳にかけて共に死亡している。最初に母親が塞栓症で亡くなり、父親も妻を頼っていたため、それ以来、精神的にもろくなり弱くなった。 頭が朦朧として、仕事でもミスが出始め、その結果、彼の会社 「Castorp & Sohn」は、莫大な損失を被った。翌々年の春に、強い風の吹く港にあった倉庫の検査をしている際、肺炎を患い、動揺した彼の心臓は高熱に耐えられず、手厚い介護にも関わらず亡くなった。その後、 Hans Castorpは、祖父にあずけられた。仕事がきついと健康が損なわれることは、上述のファジィ理論の表記を使用すると次のようになる。
μhard (momentary)=1
μhard (momentary) = 0.8
μhard, disordered (momentary) = min (1; 0.8) = 0.8
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μhard (momentary)=1
μhard (momentary) = 0.8
μhard, disordered (momentary) = min (1; 0.8) = 0.8
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トーマス・マンとファジィ5
ファジィ集合は、古典的な集合論の拡張であり、「若い」、「大きい」 などの言語上の変数によって表記される。また、「とても」、「ほとんど」、「かなり」といったいわゆる修飾語によっても変化することがある。例 えば、「背の大きい人達」という集合を考えてみよう。ここでは、言語の変数「大きい」が問題となる。「魔の山」において、Joachim Ziemßenは、 Hans Castorpよりも「背の大きい人達」という集合に属することになる。しかし、Joachim Ziemßenは、どの程度この集合の特徴を満たしているのであろうか。これを測るために、メンバーシップ値とメンバーシップ関数が存在する。(μA (x) = 0.7)これは、Xが集合Aに対して0.7のメンバーシップ値を持っていることを表している。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
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トーマス・マンとファジィ4
「計算文学入門」は、ファジイ理論が古典論理の拡張であり真偽だけではなく、たくさんの中間段階を考察することができるという立場である。つ まり、ファジイ理論を言語処理に適用する面白さは、古典論理で言う真偽では説明ができない数字のずれや、「ほとんど」とか「かなり」とい った修飾語を伴う日常表現も説明できる点にある。例えば、夏期休暇の避暑地における滞在に関して、「長い」の下限を21日とする。古典論理 では、21日以上の場合、割り当て可能であるが、21日未満の場合、不可能となる。
しかし、20日間の滞在でも、全く該当しないわけではない。 それどころか、ほとんど該当する。こうした奇妙な現象を解決するために、ファジイ理論は、メンバーシップ値を採用する。これにより、20日間の滞在は、95%「長い」となり、18日間の滞在は、86%「長い」となる。また、両方の数字の間には、ファジイコントロールと呼ばれる計算術が存在し、それは、ファジイ化、推論そして脱ファジイ化という3つのステップがある。以下では、簡単な用例を確認しながら、トーマス・マンとファジィの相性の良さを見ていこう。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
しかし、20日間の滞在でも、全く該当しないわけではない。 それどころか、ほとんど該当する。こうした奇妙な現象を解決するために、ファジイ理論は、メンバーシップ値を採用する。これにより、20日間の滞在は、95%「長い」となり、18日間の滞在は、86%「長い」となる。また、両方の数字の間には、ファジイコントロールと呼ばれる計算術が存在し、それは、ファジイ化、推論そして脱ファジイ化という3つのステップがある。以下では、簡単な用例を確認しながら、トーマス・マンとファジィの相性の良さを見ていこう。
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トーマス・マンとファジィ3
イロニーの原理
a) 定義 Thomas Mannは、彼の散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、 それを批判するために、つまり、イロニー的に。…この批判的な距離は、 イロニー的な距離になりうる。実際に、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、 言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。一方、ファジイ理論は、システムが複雑 になればなるほど、より正確な記述ができなくなることを主張する。
b) 特徴 双方に共通の特徴として、主観性を想定することができる。周知の通り、ファジィ理論は、科学の中に客観性ではなくて、主観性を導入する。 一方、Thomas Mann と Hans Castorp が歩んでいく道をベースにしたイロニーの原理は、自己を乗り越える原理である。 つまり、ファジィ理論における主観性は、個人的な主観であり、Thomas Maimの主観性は、超個人的な主観(主体性)となる。しかし、何れにせよ双方共に個人による規定や決定が問題となっており、両者をまとめて広い意味で主観と呼ぶことができる。
c) 語の選択 Thomas Mannが使用するイロニー的な語彙、例えば、形容詞とか副詞は、意図的な不正確さを通して言葉が持っている本来の意味合いをはずす。一方、ファジイ集合によって表現される概念は、「背の大きい人達」や「多かれ少なかれ」といった曖昧な概念であり、外延的でも内包的でもない中間的なものとなる。
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a) 定義 Thomas Mannは、彼の散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、 それを批判するために、つまり、イロニー的に。…この批判的な距離は、 イロニー的な距離になりうる。実際に、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、 言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。一方、ファジイ理論は、システムが複雑 になればなるほど、より正確な記述ができなくなることを主張する。
b) 特徴 双方に共通の特徴として、主観性を想定することができる。周知の通り、ファジィ理論は、科学の中に客観性ではなくて、主観性を導入する。 一方、Thomas Mann と Hans Castorp が歩んでいく道をベースにしたイロニーの原理は、自己を乗り越える原理である。 つまり、ファジィ理論における主観性は、個人的な主観であり、Thomas Maimの主観性は、超個人的な主観(主体性)となる。しかし、何れにせよ双方共に個人による規定や決定が問題となっており、両者をまとめて広い意味で主観と呼ぶことができる。
c) 語の選択 Thomas Mannが使用するイロニー的な語彙、例えば、形容詞とか副詞は、意図的な不正確さを通して言葉が持っている本来の意味合いをはずす。一方、ファジイ集合によって表現される概念は、「背の大きい人達」や「多かれ少なかれ」といった曖昧な概念であり、外延的でも内包的でもない中間的なものとなる。
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トーマス・マンとファジィ2
Thomas Mannのイロニーを一種の推論と見なし、テキストのダイナミズムを考察する。題材とする「魔の山」がThomas Manの全集においてイロニーの交差点と見なされているからである。(Baumgart 1964:147)
Frommer (1966)によれば、 諸々の対象は論理的に共存不可能であるが、それを可能にするためにイロニ 一が使われる。イロニーは、最終的な決定を知らない、それ故に、一種の推論になる。「AでもなければBでもない」とか「AでもありBでもあ る」の観点を対話の単位と結びつける。すると、双方の側面に対して留保することにより、両方へ同時に接近することができるようになる。これは、美的で中立な表現として主人公Hans Castorpのイロニーとなり、その都度、他方を批判するために、双方の観点を交互に自分のものとし、彼自身の中で二重に矛盾した社会参加(アンガージユマン) の表現になっていく。
一方、これまで理論言語学の枠組みでイロニーを表現することは難しかった。 しかし、Thomas Mann のイロニーと Zadeh の ファジィ理論の間に複数の共通項(イロニーの原理)が見い出せること から、本書では、Thomas Mannのイロニーを形式論で表記するためにファジィ理論を採用し、テキスト(「魔の山」)のダイナミズムを考察していく。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
Frommer (1966)によれば、 諸々の対象は論理的に共存不可能であるが、それを可能にするためにイロニ 一が使われる。イロニーは、最終的な決定を知らない、それ故に、一種の推論になる。「AでもなければBでもない」とか「AでもありBでもあ る」の観点を対話の単位と結びつける。すると、双方の側面に対して留保することにより、両方へ同時に接近することができるようになる。これは、美的で中立な表現として主人公Hans Castorpのイロニーとなり、その都度、他方を批判するために、双方の観点を交互に自分のものとし、彼自身の中で二重に矛盾した社会参加(アンガージユマン) の表現になっていく。
一方、これまで理論言語学の枠組みでイロニーを表現することは難しかった。 しかし、Thomas Mann のイロニーと Zadeh の ファジィ理論の間に複数の共通項(イロニーの原理)が見い出せること から、本書では、Thomas Mannのイロニーを形式論で表記するためにファジィ理論を採用し、テキスト(「魔の山」)のダイナミズムを考察していく。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
トーマス・マンとファジィ1
Thomas Mann は、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー 的に。…この批判的な距離は、イロニー的な距離になりうるであろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。
そして、ザデーはいう。正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、トーマス・マンもザデーも、物事を深く正確に突き詰めていってもそこ には限界があり、逆に深追いしないことにより良い結果が得られることを主張している。そこで私のブログでは、ファジイ理論とThomas Mannのイロニーをさらに掘り下げて、両者の整合性を見ていくことにする。 そして、トーマス・マンの「魔の山」の購読脳の出力は、イロニーとファジィとし、これが横に滑って作家の執筆脳であるファジィとニューラルにたどり着くというストーリーである。この小論では、ファジィは様相を拡大した推論であり、ニューラルは直感とする。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
そして、ザデーはいう。正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、トーマス・マンもザデーも、物事を深く正確に突き詰めていってもそこ には限界があり、逆に深追いしないことにより良い結果が得られることを主張している。そこで私のブログでは、ファジイ理論とThomas Mannのイロニーをさらに掘り下げて、両者の整合性を見ていくことにする。 そして、トーマス・マンの「魔の山」の購読脳の出力は、イロニーとファジィとし、これが横に滑って作家の執筆脳であるファジィとニューラルにたどり着くというストーリーである。この小論では、ファジィは様相を拡大した推論であり、ニューラルは直感とする。
花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について10
4 ファジィ測度の分析
エサウの家族とヤコブの家族について、同じ場所で生活できない理由に財産が多いからとある。(旧約聖書 創世記三十六章)それぞれの家族の最大の作業量を10とし、μ(A)とμ(B)が互いに干渉しなければ加法性が成り立つが、やはり干渉するため加法性は成り立たず、等式は成立しない。
エサウの家族とヤコブの家族が協力すれば(9)となり、別々に活動すれば抵抗反発により作業効率は下がり(10)になる。
(9)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)
(10)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)
そのため、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」に見るアンビグイティは成立する。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、ファジィ集合とファジィ測度という二つの特徴を持ち合わせた作家の執筆脳の分析へと展開している。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022
Thomas Mann Joseph und Seine Brüder, Frankfurt a. M., Fischer 1986(高橋義孝訳 ヨセフとその兄弟 現代世界文学全集34 新潮社)
日本成人病予防協会監修 健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
菅野道夫編 講座ファジィ3 ファジィ測度 日本工業新聞社 1993
日本聖書協会 聖書 三省堂 1974
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
エサウの家族とヤコブの家族について、同じ場所で生活できない理由に財産が多いからとある。(旧約聖書 創世記三十六章)それぞれの家族の最大の作業量を10とし、μ(A)とμ(B)が互いに干渉しなければ加法性が成り立つが、やはり干渉するため加法性は成り立たず、等式は成立しない。
エサウの家族とヤコブの家族が協力すれば(9)となり、別々に活動すれば抵抗反発により作業効率は下がり(10)になる。
(9)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)
(10)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)
そのため、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」に見るアンビグイティは成立する。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、ファジィ集合とファジィ測度という二つの特徴を持ち合わせた作家の執筆脳の分析へと展開している。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022
Thomas Mann Joseph und Seine Brüder, Frankfurt a. M., Fischer 1986(高橋義孝訳 ヨセフとその兄弟 現代世界文学全集34 新潮社)
日本成人病予防協会監修 健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
菅野道夫編 講座ファジィ3 ファジィ測度 日本工業新聞社 1993
日本聖書協会 聖書 三省堂 1974
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について9
◆ エサウは、妻子と家の人全員、家畜と全ての獣、カナンで得た財産を手にしてヤコブから離れてセイル山地に住む。彼らは財産が多かったためである。一方、ヤコブは父の寄留地カナンに住んだ。(旧約聖書 創世記三十六章)
◇ 小説ではエサウとヤコブは不仲である。二人が55歳になり、25年の歳月を経て再開した後、エサウが好きなセイルの山岳人の笛の響きがヤコブは大嫌い。Das erste, was Jaakob von Esau vernahm, war dessen Flötenspiel, das ihm von früh her bekannte,… (S. 147) エサウのセイルで共に暮らそうという誘いも乗らず、穏やかに断り、別々の路を進んでいく。Das war eine Absage in geschmeidiger Form, und Esau, etwas glotzend, verstand sie auch gleich so ziemlich als solche. (S. 151)(第二章ヤコブとエサウ エサウ)
表1 聖書による双子の比較
特徴 兄エサウ 弟ヤコブ
出生 母リベカから先に生まれる 兄の踵を掴んで生まれる
肌 赤くて全身毛だらけ 肌は滑らか
性格 狩猟者、野人 穏やかな人
間柄 弟を憎み殺意を抱く 長子の特権と祝福の特権を奪う
勝利 カナンで財産を獲得 神と人との力比べに勝つ。神からイスラエルという名を給わる。
家族 妻 アダ、アホリバマ、バスマテ 妻 レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
子供 エリバス、リウレル、エウシ、子供 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、
ヤラム、コラ ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、
ナ二タリ、ガド、アセル
居住地 セイル山地 カナン
家族の営み 良好な生活 良好な生活
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
◇ 小説ではエサウとヤコブは不仲である。二人が55歳になり、25年の歳月を経て再開した後、エサウが好きなセイルの山岳人の笛の響きがヤコブは大嫌い。Das erste, was Jaakob von Esau vernahm, war dessen Flötenspiel, das ihm von früh her bekannte,… (S. 147) エサウのセイルで共に暮らそうという誘いも乗らず、穏やかに断り、別々の路を進んでいく。Das war eine Absage in geschmeidiger Form, und Esau, etwas glotzend, verstand sie auch gleich so ziemlich als solche. (S. 151)(第二章ヤコブとエサウ エサウ)
表1 聖書による双子の比較
特徴 兄エサウ 弟ヤコブ
出生 母リベカから先に生まれる 兄の踵を掴んで生まれる
肌 赤くて全身毛だらけ 肌は滑らか
性格 狩猟者、野人 穏やかな人
間柄 弟を憎み殺意を抱く 長子の特権と祝福の特権を奪う
勝利 カナンで財産を獲得 神と人との力比べに勝つ。神からイスラエルという名を給わる。
家族 妻 アダ、アホリバマ、バスマテ 妻 レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
子供 エリバス、リウレル、エウシ、子供 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、
ヤラム、コラ ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、
ナ二タリ、ガド、アセル
居住地 セイル山地 カナン
家族の営み 良好な生活 良好な生活
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について8
◆ 年老えたイサクは、武器や弓矢を持って野に出かけ鹿狩りに行き、好物を作ってくれとエサウに頼む。それを聞いていたリベカがヤコブと企み、エサウの祝福を奪う。そのためエサウはヤコブを殺そうとする。リベカがそれを察知しヤコブをエサウから引き離す。(旧約聖書 創世記二十七章)
◇ 小説では、この場面の下りが異なる。確かにイサクの妻リベカが悪巧みをする。“Jekew, mein Kind”, sagte sie (Rebekka) leise und tief und zog seine erhobenen Hände an ihre Brust. “Es ist an dem. Derr Herr will dich segnen.” … “Dich in ihm (Esau)”, sagte sie ungeduldig. (S.205) 目の見えないイサクを欺いてエサウの祝福を奪うために、赤毛の皮膚を模したいで立ちでエサウよりも先にイサクに好物の肉料理とワインを届ける。“Ich bin Esau, der Rauhe, dein größerer Sohn, und habe getan, wie du geheißen. Sitz auf, mein Vater, und stärke deine Seele; hier ist das Essen.” (S. 208) 聴覚や触覚頼りの人物評価のため、まんまとごまかされたイサクは、偽エサウのヤコブを祝福してしまう。Ihr Fett gab er ihm (Jaakob) und ihre Weibesüppigkeit und dazu den Tau und das Manneswasser des Himmels, gab ihm die Fülle von Acker, Baum und Rebe und wuchernde Fruchtbarkeit der Herden und doppelte Schur jedes Jahr. (S. 211) 狩りから戻ったエサウが食事を供しても人々は嘲り笑う始末。全くおなかが痛くなるほどの茶番劇となる。 Und dann er sich hin zu Boden und heulte mit lang heraushängendernZunge und ließ tränen rollen, so dick wie Haselnüsse, während die Leute im Kreis um ihn standen und sich die Nieren hielten, so schmerzte sie der große Jokus, wie Esau, der Rote, geprellt ward um seines Vaters Segen. (S.214) (第四章 大いなる茶番劇)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
◇ 小説では、この場面の下りが異なる。確かにイサクの妻リベカが悪巧みをする。“Jekew, mein Kind”, sagte sie (Rebekka) leise und tief und zog seine erhobenen Hände an ihre Brust. “Es ist an dem. Derr Herr will dich segnen.” … “Dich in ihm (Esau)”, sagte sie ungeduldig. (S.205) 目の見えないイサクを欺いてエサウの祝福を奪うために、赤毛の皮膚を模したいで立ちでエサウよりも先にイサクに好物の肉料理とワインを届ける。“Ich bin Esau, der Rauhe, dein größerer Sohn, und habe getan, wie du geheißen. Sitz auf, mein Vater, und stärke deine Seele; hier ist das Essen.” (S. 208) 聴覚や触覚頼りの人物評価のため、まんまとごまかされたイサクは、偽エサウのヤコブを祝福してしまう。Ihr Fett gab er ihm (Jaakob) und ihre Weibesüppigkeit und dazu den Tau und das Manneswasser des Himmels, gab ihm die Fülle von Acker, Baum und Rebe und wuchernde Fruchtbarkeit der Herden und doppelte Schur jedes Jahr. (S. 211) 狩りから戻ったエサウが食事を供しても人々は嘲り笑う始末。全くおなかが痛くなるほどの茶番劇となる。 Und dann er sich hin zu Boden und heulte mit lang heraushängendernZunge und ließ tränen rollen, so dick wie Haselnüsse, während die Leute im Kreis um ihn standen und sich die Nieren hielten, so schmerzte sie der große Jokus, wie Esau, der Rote, geprellt ward um seines Vaters Segen. (S.214) (第四章 大いなる茶番劇)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について7
◆ アブラハムの子イサクは、40歳でリベカを娶る。その子は、エサウとヤコブという双子である。先に出てきた兄エサウは赤くて全身毛だらけ、後から出てきた弟ヤコブは手でエサウの踵を掴んでいた。イサクが60歳のとき。主は母リベカに兄が弟に仕えるという。(旧約聖書 創世記二十五章)
◇ Durch des Vaters Segen war Jaakob endgültig zum Mann des vollen und schönen Mondesgeworden, Esau aber zum Dunkelmond, also zum Mann der Unterwelt – und in der Unterwelt weinte man, obgleich man dort möglicherweise sehr reich an Schätzen wurde. (S. 134) トーマス・マンは、上記の記事に少し書き加え、ヤコブを満月の美しい月の男とし、兄エサウは、陰月の男、冥府の男とした。(第二章ヤコブとエサウ エリバス)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
◇ Durch des Vaters Segen war Jaakob endgültig zum Mann des vollen und schönen Mondesgeworden, Esau aber zum Dunkelmond, also zum Mann der Unterwelt – und in der Unterwelt weinte man, obgleich man dort möglicherweise sehr reich an Schätzen wurde. (S. 134) トーマス・マンは、上記の記事に少し書き加え、ヤコブを満月の美しい月の男とし、兄エサウは、陰月の男、冥府の男とした。(第二章ヤコブとエサウ エリバス)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について6
3 「ヨセフとその兄弟」に見る旧約聖書との違い
この小論では、「ヤコブ物語」と旧約聖書の創世記の記事を照合しながら、外枠は旧約聖書の創世記であって、その中の要素が異なるケースをいくつか拾ってみる。それがファジィ測度でいう作業効率の考え方に適応するためである。
◆ ヨセフの父ヤコブは、神からイスラエルという名をつけられる。ヤコブが兄エサウのもとへ行く際、妻と子供を連れてヤボクの渡しを渡る。そこである人と組打ちして、祝福を求める。その人が名前を尋ねるとヤコブと答えた。その人は神と戦い給うイスラエルと名乗るようにいう。もものつがいが外れ、神と人との力の争いに勝ったからである。(旧約聖書 創世記三十二章)
◇ 小説は少し違う。ヤコブが戦い取ったこの名は、その男が生み出したものではなく、好戦的な砂漠の一種族ベドワン人のものであった。“Der Name aber, den Jahu’s beduinische Krieger sich zugelegt, sollte, zum unterscheidenden Merkmal reineren und höheren Ebräertums, zur Kennzeichnung von Abrahams geistigem Samen werden, ebendadurch, daß Jaakob in schwerer Nacht am Jabbok ihn sich hatte zugestehen lassen…” (S. 132) イスラエルという称号は、ヤコブがヤボクの戦いで自分の方へ奪い取ったことにより、高級なヘブライ精神を表す標識、アブラハムの精神的な末裔の印を帯びることになった。(第二章ヤコブとエサウ ヤコブの素性)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
この小論では、「ヤコブ物語」と旧約聖書の創世記の記事を照合しながら、外枠は旧約聖書の創世記であって、その中の要素が異なるケースをいくつか拾ってみる。それがファジィ測度でいう作業効率の考え方に適応するためである。
◆ ヨセフの父ヤコブは、神からイスラエルという名をつけられる。ヤコブが兄エサウのもとへ行く際、妻と子供を連れてヤボクの渡しを渡る。そこである人と組打ちして、祝福を求める。その人が名前を尋ねるとヤコブと答えた。その人は神と戦い給うイスラエルと名乗るようにいう。もものつがいが外れ、神と人との力の争いに勝ったからである。(旧約聖書 創世記三十二章)
◇ 小説は少し違う。ヤコブが戦い取ったこの名は、その男が生み出したものではなく、好戦的な砂漠の一種族ベドワン人のものであった。“Der Name aber, den Jahu’s beduinische Krieger sich zugelegt, sollte, zum unterscheidenden Merkmal reineren und höheren Ebräertums, zur Kennzeichnung von Abrahams geistigem Samen werden, ebendadurch, daß Jaakob in schwerer Nacht am Jabbok ihn sich hatte zugestehen lassen…” (S. 132) イスラエルという称号は、ヤコブがヤボクの戦いで自分の方へ奪い取ったことにより、高級なヘブライ精神を表す標識、アブラハムの精神的な末裔の印を帯びることになった。(第二章ヤコブとエサウ ヤコブの素性)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について5
また、μは加法性を持つとは限らない。AとBをXの互いに素な任意の部分集合とし、グループAとグループBが一緒に働く場合を考えてみよう。もしAとBが互いに何の影響も及ぼさず、全く独立して作業するなら、等式μ(A∪B)=μ(A)+μ(B)が成り立つ。しかし、一般にはAとBは互いに干渉し合うため、この等式は成立しない。両グループのメンバーが効果的に協力しあえば、
(7)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)
となるだろうし、逆に人数が多くなりすぎて、作業がかち合い、効率が悪くなれば、
(8)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)
となるであろう。
作業のかち合いは、例えば、設備や作業スペースが十分でないときに起こる。これらが十分であれば、AとBは別々にかち合わないで作業ができる。実際には、効果的な協力と作業のかち合いの両方が起こることが考えられる。そのため、協力の度合いがかち合いの度合いより大きければ、不等式(7)となり、その逆になれば、反対向きの不等式(8)になる。この例は、作業員間の作業効率に関する相互作用があるため、ファジィ測度が部分集合間の相互作用を表しているといえる。(菅野 1993)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
(7)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)
となるだろうし、逆に人数が多くなりすぎて、作業がかち合い、効率が悪くなれば、
(8)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)
となるであろう。
作業のかち合いは、例えば、設備や作業スペースが十分でないときに起こる。これらが十分であれば、AとBは別々にかち合わないで作業ができる。実際には、効果的な協力と作業のかち合いの両方が起こることが考えられる。そのため、協力の度合いがかち合いの度合いより大きければ、不等式(7)となり、その逆になれば、反対向きの不等式(8)になる。この例は、作業員間の作業効率に関する相互作用があるため、ファジィ測度が部分集合間の相互作用を表しているといえる。(菅野 1993)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について4
2.2 ファジィ測度の具体例
1種類の製品のみを作っている工場がある。 そこで働く従業員全員からなる集合をXとする。作業員の任意のグループA(⊂ X)をとり、Aのメンバーだけで作業するような状況を考える。Aのメンバーは、色々なやり方で作業ができる。例えば、分業や共同作業等。ここでは、最も効率のよいやり方で働くものと仮定する。その最も効率のよい方法でグループAが単時間(1時間)に作る製品の個数をμ(A)で表す。このμは、2x上の集合になる。
μはファジィ測度である。作業員がいないと製品ができないため、μ(∅)=0。そして、最も効率のよい方法で働くと仮定すれば、人数が増えると生産性が上がる(少なくとも下がらない)。即ち、A⊂B ⇒μ(A)≦ μ(B)である。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
1種類の製品のみを作っている工場がある。 そこで働く従業員全員からなる集合をXとする。作業員の任意のグループA(⊂ X)をとり、Aのメンバーだけで作業するような状況を考える。Aのメンバーは、色々なやり方で作業ができる。例えば、分業や共同作業等。ここでは、最も効率のよいやり方で働くものと仮定する。その最も効率のよい方法でグループAが単時間(1時間)に作る製品の個数をμ(A)で表す。このμは、2x上の集合になる。
μはファジィ測度である。作業員がいないと製品ができないため、μ(∅)=0。そして、最も効率のよい方法で働くと仮定すれば、人数が増えると生産性が上がる(少なくとも下がらない)。即ち、A⊂B ⇒μ(A)≦ μ(B)である。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について3
しかし、ファジィ測度は加法性が仮定されていないため、A∩B = ∅ のときのμ(A∪B)とμ(A)+μ(B)の間の大小関係については、一意に定まらず、以下のような場合が想定される。
(3) μ(A∪B)⋛ (A∪B)
(3)については、3通リの解釈(4) 、(5) 、(6)が可能である。
(4) μ(A∪B)>(A∪B)
解釈AとBの間に相互(相乗)作用がある。
(5) μ(A∪B)<(A∪B)
解釈AとBは、μで測っている属性において重複を持つ(同じ特徴を持つ)。または、AとBの間に相殺作用がある。
(6) μ(A∪B)=μ(A)+μ(B)
解釈AとBは側率で相互作用はない。相乗作用と相殺作用が互いに打ち消し合っている。
一般的に測度は、加法性が重要な特徴である。菅野(1993)によると、ファジィ測度は、非加法性による部分集合間の相互作用(要素の組み合わせによる効果)を表している。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
(3) μ(A∪B)⋛ (A∪B)
(3)については、3通リの解釈(4) 、(5) 、(6)が可能である。
(4) μ(A∪B)>(A∪B)
解釈AとBの間に相互(相乗)作用がある。
(5) μ(A∪B)<(A∪B)
解釈AとBは、μで測っている属性において重複を持つ(同じ特徴を持つ)。または、AとBの間に相殺作用がある。
(6) μ(A∪B)=μ(A)+μ(B)
解釈AとBは側率で相互作用はない。相乗作用と相殺作用が互いに打ち消し合っている。
一般的に測度は、加法性が重要な特徴である。菅野(1993)によると、ファジィ測度は、非加法性による部分集合間の相互作用(要素の組み合わせによる効果)を表している。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について2
2 ファジィ測度
2.1 一般の測度とファジィ測度の違い
一般的にファジィ集合は、境界がぼやけた概念の曖昧さのことであり、ファジィ測度は、鮮明な境界内にある要素についてその可能性が特定できない曖昧さのことをいう。前者はベイグネス、後者はアンビグイティと呼ばれている。
例えば、聖書の枠組みは変わらずとも、「ヤコブ物語」に登場するエサウやヤコブが聖書に登場するエサウやヤコブとどの程度近いのか、なかなか特定できない。こうしたファジィ測度を平易な論理計算を用いて説明していく。
あるいは、聖書の中のエサウやヤコブと異なる記事もあるであろう。しかし、ファジィ測度を用いれば、そういう内容もやさしい論理計算に基づいて説明することできる。
一般的に測度とは、長さ、面積、体積、質量などの外延量(広がりに規定される量)の数学的な表現である。一方、速度、濃度、密度などの量は、内包量と呼ばれる。例えば、AとBがそれぞれ1の仕事しかできないとしても、一緒に働くと2.5の仕事ができるような相乗効果がでる場合、
(1) μ({a})= μ({b})= 1,
(2) μ({a,b})= 2.5
とファジィ測度で表現される。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
2.1 一般の測度とファジィ測度の違い
一般的にファジィ集合は、境界がぼやけた概念の曖昧さのことであり、ファジィ測度は、鮮明な境界内にある要素についてその可能性が特定できない曖昧さのことをいう。前者はベイグネス、後者はアンビグイティと呼ばれている。
例えば、聖書の枠組みは変わらずとも、「ヤコブ物語」に登場するエサウやヤコブが聖書に登場するエサウやヤコブとどの程度近いのか、なかなか特定できない。こうしたファジィ測度を平易な論理計算を用いて説明していく。
あるいは、聖書の中のエサウやヤコブと異なる記事もあるであろう。しかし、ファジィ測度を用いれば、そういう内容もやさしい論理計算に基づいて説明することできる。
一般的に測度とは、長さ、面積、体積、質量などの外延量(広がりに規定される量)の数学的な表現である。一方、速度、濃度、密度などの量は、内包量と呼ばれる。例えば、AとBがそれぞれ1の仕事しかできないとしても、一緒に働くと2.5の仕事ができるような相乗効果がでる場合、
(1) μ({a})= μ({b})= 1,
(2) μ({a,b})= 2.5
とファジィ測度で表現される。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について1
1 背景
1924年に「魔の山」を出版し、1929年にノーベル賞を受賞したトーマス・マンは、1933年、ナチスドイツから亡命し、最初にフランス、スイス、1938年からはアメリカに移住した。戦時中は、祖国ドイツと対峙しつつ、15年余りの歳月をかけて、旧約聖書の創世記を題材にした物語「ヨセフとその兄弟」を執筆した。亡命作家としてドイツを外から見ていた時期で、その間トーマス・マンなりに幾度もドイツ国民に向けて警告を発している。勿論、当局から言動を追跡されていたため、ファジズムに対する警告の仕方として旧約聖書に基づいた創作という手法を取った。小説を読めばヨセフのような人物とその兄弟たちで新生ドイツを作っていこうというメッセージに取れる。
この小論では、「ヤコブ物語」(1933)を題材にして、トーマス・マンとファジィ測度との整合性を考える。集合の枠組みが決まっていて、その中の要素が曖昧というファジィ測度の考え方は、枠組みが旧約聖書で、登場人物が聖書と些か異なる特徴を持つ「ヨセフとその兄弟」の登場人物についても、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーで説明することができる。
この小論は、ファジィ集合の観点から考察した「計算文学入門−トーマス・マンのイロニーはファジィ集合といえるのか」(2005)および「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(2022)の中の「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーの組み合わせを展開させ、かつ論理計算と統計からなる計算文学の手法を安定させる役割を担っている。シナジーのメタファーは、あくまで「トーマス・マンとファジィ」である。しかし、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」執筆時の脳の活動としてファジィを使う場合、「魔の山」のファジィ集合とは異なり、ファジィ測度が考察の対象になる。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
1924年に「魔の山」を出版し、1929年にノーベル賞を受賞したトーマス・マンは、1933年、ナチスドイツから亡命し、最初にフランス、スイス、1938年からはアメリカに移住した。戦時中は、祖国ドイツと対峙しつつ、15年余りの歳月をかけて、旧約聖書の創世記を題材にした物語「ヨセフとその兄弟」を執筆した。亡命作家としてドイツを外から見ていた時期で、その間トーマス・マンなりに幾度もドイツ国民に向けて警告を発している。勿論、当局から言動を追跡されていたため、ファジズムに対する警告の仕方として旧約聖書に基づいた創作という手法を取った。小説を読めばヨセフのような人物とその兄弟たちで新生ドイツを作っていこうというメッセージに取れる。
この小論では、「ヤコブ物語」(1933)を題材にして、トーマス・マンとファジィ測度との整合性を考える。集合の枠組みが決まっていて、その中の要素が曖昧というファジィ測度の考え方は、枠組みが旧約聖書で、登場人物が聖書と些か異なる特徴を持つ「ヨセフとその兄弟」の登場人物についても、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーで説明することができる。
この小論は、ファジィ集合の観点から考察した「計算文学入門−トーマス・マンのイロニーはファジィ集合といえるのか」(2005)および「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(2022)の中の「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーの組み合わせを展開させ、かつ論理計算と統計からなる計算文学の手法を安定させる役割を担っている。シナジーのメタファーは、あくまで「トーマス・マンとファジィ」である。しかし、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」執筆時の脳の活動としてファジィを使う場合、「魔の山」のファジィ集合とは異なり、ファジィ測度が考察の対象になる。
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」9
4 相関係数を言葉で表す
数字の意味を言葉で確認しておく。
0≦r≦0.2 : ほとんど相関がない
0.2≦r≦0.4 : やや相関がある
0.4≦r≦0.7 : かなり相関がある
0.7≦r≦1 : 強い相関がある
参考文献
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会論文集 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用
日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで
南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲
華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは-「無と創造」から
「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2019
前野昌弘 回帰分析超入門 技術評論社 2012
Thomas Mann Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
数字の意味を言葉で確認しておく。
0≦r≦0.2 : ほとんど相関がない
0.2≦r≦0.4 : やや相関がある
0.4≦r≦0.7 : かなり相関がある
0.7≦r≦1 : 強い相関がある
参考文献
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会論文集 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用
日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで
南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲
華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは-「無と創造」から
「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2019
前野昌弘 回帰分析超入門 技術評論社 2012
Thomas Mann Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」8
計算表
A 4 1 合計5
偏差 1.5 -1.5 合計0
偏差2 2.25 2.25 合計4.5
B 2 3 合計5
偏差 0.5 -0.5 合計0
偏差2 1 1 合計2
AB偏差の積 -0.75 -0.75 合計-1.5
◆相関係数は、次の公式で求めることができる。
相関係数=[(A-Aの平均値)x(B-Bの平均値)]の和/
√(A-Aの平均値)2の和x(B-Bの平均値)2の和
上記計算表を代入すると、
相関係数 = -1.5/√4.5 x 2 = -1.5/√9 = -1.5/3 = -0.5
従って、かなり負の相関があるといえる。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
A 4 1 合計5
偏差 1.5 -1.5 合計0
偏差2 2.25 2.25 合計4.5
B 2 3 合計5
偏差 0.5 -0.5 合計0
偏差2 1 1 合計2
AB偏差の積 -0.75 -0.75 合計-1.5
◆相関係数は、次の公式で求めることができる。
相関係数=[(A-Aの平均値)x(B-Bの平均値)]の和/
√(A-Aの平均値)2の和x(B-Bの平均値)2の和
上記計算表を代入すると、
相関係数 = -1.5/√4.5 x 2 = -1.5/√9 = -1.5/3 = -0.5
従って、かなり負の相関があるといえる。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」7
A言語の認知(距離):1近い、2それ以外→3、2
B情報の認知:1問題解決、2未解決→⒈、4
◆A、Bそれぞれの平均値を出す。
Aの平均:(3 + 2)÷ 2 = 2.5
Bの平均:(1+4)÷ 2 = 2.5
◆A、Bそれぞれの偏差を計算する。偏差=各データ−平均値
Aの偏差:(3 – 2.5)、(2 – 2.5)= 0.5、-0.5
Bの偏差:(1 – 2.5)、(4 – 2.5)= -⒈.5、⒈.5
◆A、Bの偏差をそれぞれ2乗する。
Aの偏差2乗 = 2.25、2.25
Bの偏差2乗 = 0.25、0.25
◆AとBの偏差同士の積を計算する
(Aの偏差)x(Bの偏差)= -0.75、-0.75
◆AとBを2乗したものを合計する。
Aの偏差2乗したものの合計 = 2.25 + 2.25 = 4.5
Bの偏差2乗したものの合計 = 0.25 + 0.25 = 0.5
◆AとBの偏差の合計を合計する。-0.75 -0.75 = -1.5
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
B情報の認知:1問題解決、2未解決→⒈、4
◆A、Bそれぞれの平均値を出す。
Aの平均:(3 + 2)÷ 2 = 2.5
Bの平均:(1+4)÷ 2 = 2.5
◆A、Bそれぞれの偏差を計算する。偏差=各データ−平均値
Aの偏差:(3 – 2.5)、(2 – 2.5)= 0.5、-0.5
Bの偏差:(1 – 2.5)、(4 – 2.5)= -⒈.5、⒈.5
◆A、Bの偏差をそれぞれ2乗する。
Aの偏差2乗 = 2.25、2.25
Bの偏差2乗 = 0.25、0.25
◆AとBの偏差同士の積を計算する
(Aの偏差)x(Bの偏差)= -0.75、-0.75
◆AとBを2乗したものを合計する。
Aの偏差2乗したものの合計 = 2.25 + 2.25 = 4.5
Bの偏差2乗したものの合計 = 0.25 + 0.25 = 0.5
◆AとBの偏差の合計を合計する。-0.75 -0.75 = -1.5
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」6
イロニー的な距離が近づく場面
"Sie scheinen überrascht, mich zu sehen, Herr Castorp", hatte er mit baritonaler Milde, schleppend, unbedingt etwa geziert und mit einem exotischen Gaumen-r gesprochen, das er jedoch nicht rollte, sondern durch ein nur einmaliges Anschlagen der Zunge gleich hinter den oberen Vorderzähnen erzeugte.意味2 2、情報の認知3 2
"ich erfülle aber lediglich eine angenehme Pflicht, wenn ich bei Ihnen nun auch nach dem Rechten sehe. Ihr verhältnis zu uns ist in eine neue Phase getreten, über Nacht ist aus dem Gaste ein Kamerad geworden..." (Das Wort "Kamerad" hatte Hans Castorp etwas geängstigt.) 意味2 1、情報の認知3 2
"Wer hätte es gedacht!" hatte Dr. Krokowski kameradschaftlich gescherzt... "Wer häte es gedacht an dem Abend, als ich Sie zuerst begrüßen durft und Sie meiner irrigen Auffassung - damals war sie irrig - mit der Erklärung begegneten, Sie seien vollkommen gesund."… 意味2 1、情報の認知3 2
Und auch heute noch, auch nach dem Verlauf Ihrer Untersuchung, kann ich, wie ich nun einmal bin, und im Unterschied von meinem verstehten Chef, diese feuchte Stelle da"- und er hatte mit der Fingerspitze leicht Hans Castorps Schulter berührt - " nicht als im Vordergrunde des Interesses stehend erachten. Sie ist für mich eine sekundäre Erscheinung...Das Organische ist immer sekundär..."…意味2 1、情報の認知3 2
"Und also ist Ihr Katarrh in meine Augen eine Erscheinung dritter Ordnung", hatte Dr. Krokowski sehr leicht hinzugefügt. "Wie steht es damit? Die Bettruhe wird in dieser Hinsicht gewiß rasch das Ihre tun. Was haben Sie heute gemessen?" Und von da an hatte der Besuch des Assistenten den Charakter einer harmlosen Kontrollvisite getragen, wie er ihn denn auch in den folgenden Tagen und Wochen beständigt trug.
意味2 2、情報の認知3 1
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
"Sie scheinen überrascht, mich zu sehen, Herr Castorp", hatte er mit baritonaler Milde, schleppend, unbedingt etwa geziert und mit einem exotischen Gaumen-r gesprochen, das er jedoch nicht rollte, sondern durch ein nur einmaliges Anschlagen der Zunge gleich hinter den oberen Vorderzähnen erzeugte.意味2 2、情報の認知3 2
"ich erfülle aber lediglich eine angenehme Pflicht, wenn ich bei Ihnen nun auch nach dem Rechten sehe. Ihr verhältnis zu uns ist in eine neue Phase getreten, über Nacht ist aus dem Gaste ein Kamerad geworden..." (Das Wort "Kamerad" hatte Hans Castorp etwas geängstigt.) 意味2 1、情報の認知3 2
"Wer hätte es gedacht!" hatte Dr. Krokowski kameradschaftlich gescherzt... "Wer häte es gedacht an dem Abend, als ich Sie zuerst begrüßen durft und Sie meiner irrigen Auffassung - damals war sie irrig - mit der Erklärung begegneten, Sie seien vollkommen gesund."… 意味2 1、情報の認知3 2
Und auch heute noch, auch nach dem Verlauf Ihrer Untersuchung, kann ich, wie ich nun einmal bin, und im Unterschied von meinem verstehten Chef, diese feuchte Stelle da"- und er hatte mit der Fingerspitze leicht Hans Castorps Schulter berührt - " nicht als im Vordergrunde des Interesses stehend erachten. Sie ist für mich eine sekundäre Erscheinung...Das Organische ist immer sekundär..."…意味2 1、情報の認知3 2
"Und also ist Ihr Katarrh in meine Augen eine Erscheinung dritter Ordnung", hatte Dr. Krokowski sehr leicht hinzugefügt. "Wie steht es damit? Die Bettruhe wird in dieser Hinsicht gewiß rasch das Ihre tun. Was haben Sie heute gemessen?" Und von da an hatte der Besuch des Assistenten den Charakter einer harmlosen Kontrollvisite getragen, wie er ihn denn auch in den folgenden Tagen und Wochen beständigt trug.
意味2 2、情報の認知3 1
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」5
3.2 小説の場面に適用する
サナトリウムは、午後安静療養の時間になる。バリトンで柔らかい引きずるような異国風の口蓋音rに翌朝があるDr.Krokowskiの話しぶりは、Hans CastorpとJoachim Ziemßenのイロニー的な距離に影響を与える。
「我々の関係は新しい段階に入ったのです。つまり、あなたは、客人から同胞(Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見えます」とDr.Krokowskiは説明する。Hans CastorpとJoachim Ziemßenの距離が同胞になったことにより、二人は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になる。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいていく。(花村 2005)
ここでは、データベースから抽出したカラムは、意味2 距離が1近いと2 それ以外、情報の認知3 1問題解決と2未解決である。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
サナトリウムは、午後安静療養の時間になる。バリトンで柔らかい引きずるような異国風の口蓋音rに翌朝があるDr.Krokowskiの話しぶりは、Hans CastorpとJoachim Ziemßenのイロニー的な距離に影響を与える。
「我々の関係は新しい段階に入ったのです。つまり、あなたは、客人から同胞(Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見えます」とDr.Krokowskiは説明する。Hans CastorpとJoachim Ziemßenの距離が同胞になったことにより、二人は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になる。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいていく。(花村 2005)
ここでは、データベースから抽出したカラムは、意味2 距離が1近いと2 それ以外、情報の認知3 1問題解決と2未解決である。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」4
3 統計処理−相関
3.1 相関の作り方
シナジーのメタファーのために作成しているデータベースは、データの種類で見ると、俗に言う測れないカテゴリーデータからなる。数量データといわれる身長、体重、気温、湿度などとは異なり、値が連続ではなく飛び飛びで離散的となる。カテゴリーデータは、対象の性質を表したり、現象や、区別を表したりする。性別、好き、嫌い、うまい、まずい、おもしろいなどあるものの性質や現象が示される。(前野2012)
相関とは原因から結果が生じ、互いに関係しあっていることをいう。また、相関関係があるとは、ある測定値の変化に対して他の測定値も変化する場合に使われる。相関の強さは、ピアソンの相関係数で表す。合わせて共分散という統計用語が重要となる。
(1) 共分散の公式
共分散=[(xの各データ−xの平均値)x(yの各データ−yの平均値)]の和/データ数
=[(xの偏差)x(yの偏差)]の和/データ数
= xとyの偏差積の和/データ数
正の相関があると0より大きく、負の相関があると0より小さくなる。
(2) 相関係数(ピアソン)
相関係数=XYの偏差平方和/√(Xの偏差平方和)x(Yの偏差平方和)
「魔の山」の問題解決の場面を使用して、簡単な例を見てみよう。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
3.1 相関の作り方
シナジーのメタファーのために作成しているデータベースは、データの種類で見ると、俗に言う測れないカテゴリーデータからなる。数量データといわれる身長、体重、気温、湿度などとは異なり、値が連続ではなく飛び飛びで離散的となる。カテゴリーデータは、対象の性質を表したり、現象や、区別を表したりする。性別、好き、嫌い、うまい、まずい、おもしろいなどあるものの性質や現象が示される。(前野2012)
相関とは原因から結果が生じ、互いに関係しあっていることをいう。また、相関関係があるとは、ある測定値の変化に対して他の測定値も変化する場合に使われる。相関の強さは、ピアソンの相関係数で表す。合わせて共分散という統計用語が重要となる。
(1) 共分散の公式
共分散=[(xの各データ−xの平均値)x(yの各データ−yの平均値)]の和/データ数
=[(xの偏差)x(yの偏差)]の和/データ数
= xとyの偏差積の和/データ数
正の相関があると0より大きく、負の相関があると0より小さくなる。
(2) 相関係数(ピアソン)
相関係数=XYの偏差平方和/√(Xの偏差平方和)x(Yの偏差平方和)
「魔の山」の問題解決の場面を使用して、簡単な例を見てみよう。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」3
2.2 標準偏差による分析
グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。
◆グループA 五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報に偏りがあるため、「魔の山」は、五感の情報にバラツキがある作品といえる。
◆グループB ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、比喩が多い作品といえる。
◆グループC 情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、新情報の2が多いため、講演の場面は、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。
◆グループD 情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
「魔の山」は、場面1、場面2、場面3を通して問題未解決が多いため、時間をかけて調節する時間の小説であることがわかる。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。
◆グループA 五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報に偏りがあるため、「魔の山」は、五感の情報にバラツキがある作品といえる。
◆グループB ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、比喩が多い作品といえる。
◆グループC 情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、新情報の2が多いため、講演の場面は、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。
◆グループD 情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
「魔の山」は、場面1、場面2、場面3を通して問題未解決が多いため、時間をかけて調節する時間の小説であることがわかる。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」2
2 統計処理−バラツキ
2.1 データの抽出
作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。
◆場面1
Hans Castorps Gedanken verwirrten sich, während er auf Frau Chauchats schlaffen Rücken blickte, sie hörten aud, Gedanken zu sein, und wurden zur Träumerei, in welche Dr. Krokowski's schleppender Bariton, sein weich anschlagendes r wie aus weiter Ferne hereintönte. A1B1C2D2
Aber die Stille im Saal, die tiefe Aufmerksamkeit, die ringsumher alle im Bann hielt, wirkte auf ihn, sie weckte ihn förmlich aus seinem Dämmern. Er blickte um sich... Neben ihm saß der dünnhaarige Pianist, den Kopf im Nacken, und lauschte mit offenem Munde und gekreuzten Armen. A1B1C2D2
Die Lehrerin, Fräulein Engelhart, weiter drübern, hatte gierige Augen und rotflaumige Flecke auf beiden Wangen, - eine Hitze, die sich auf den Gesichtern anderer Damen wieder fand, die Hans Castorp ins Auge faßte, auch auf dem der Frau Salomon dort, neben Herrn Albin, und der Bierbrauersgattin Frau Magnus, derselben, die Eiweiß verlor. A1B1C2D1
Auf Frau Stöhrs Gesicht, etwas weiter zurück, malte sich eine so ungebildete Schwärmerei, daß es ein Jammer war, während die elfenbeinfarbene Levi mit halbgeschlossenen Augen und die flachen Hände im Schoß an der Stuhllene ruhend, vollständig einer Toten geglichen hätte, wenn nicht ihre Brust sich so stark und taktmäßig gehoben und gesenkt hätte, wodurch sie Hans Castorp vielmehr an eine weiblich Wachsfigur erinnerte, die er einst im Panoptikum gesehen und die ein mechanisches Triebwerk im Busen gehabt hatte. A1B1C1D1
Mehrer Gäste hielten die hohle Hand an die Ohrmuschel oder deuteten dies wenigsten an, indem sie die Hand bis halbwegs zum Ohre erhoben hielten, als seien sie mitten in der Bewegung vor Aufmerksamkeit erstrrt.
A1B1C2D2
◆場面2
Dieser Widerstreit zwischen den Mädchen der Keuschheit und der Liebe - denn um einen solchen handle es sich -, wie gehe er aus? Er endige scheinbar mit dem Siege der Keuschheit. A2B2C2D1
Furcht, Wohlanstand, züchtiger Abscheu, zitterndes Reinheitsbedürfnis, sie unterdrückten die Liebe, hielten sie in Dunkelheiten gefesselt, ließen ihre wirren Forderungen höchstens teilweise, aber bei weitem nicht nach ihrer ganzen Vielfalt und Kraft ins Bewußtsein und zur Betätigung zu. A2B2C2D1
Allein dieser Sieg der Keuschheit sei nur ein Schein- und Pyrrhussieg, denn der Liebesbefehl lasse sich nicht knebeln, nicht vergewaltigen, die unterdrückte Lieben sei nicht tot, sie lebte, sie trachte im Dunklen und Tiefgeheimen auch ferner sich zu erfüllen, sie durchbreche den Keuschheitsbann und erscheine wieder, wenn auch in verwandelter, unbekenntlicher Gestalt... A2B2C2D2
Und welches sei denn nun die Gestalt und Maske, worin die nicht zugelassene und unterdrückte Liebe wiedererscheine? So fragte Dr. Krokowski und blickte die Reihen entlang, als erwarte er die Antwort ernstlich von seinem Zuhörern. A2B1C2D2
Ja, das mußte er nun auch noch selber sagen, nachdem er schon so manches gesagt hatte. Niemand außer ihm wußte es, aber er würde bestimmt auch dies noch wissen, das sah man ihm an. A2B1C2D2
◆場面3
"Sie scheinen überrascht, mich zu sehen, Herr Castorp", hatte er mit baritonaler Milde, schleppend, unbedingt etwa geziert und mit einem exotischen Gaumen-r gesprochen, das er jedoch nicht rollte, sondern durch ein nur einmaliges Anschlagen der Zunge gleich hinter den oberen Vorderzähnen erzeugte. A2B1C2D1
"ich erfülle aber lediglich eine angenehme Pflicht, wenn ich bei Ihnen nun auch nach dem Rechten sehe. Ihr Verhältnis zu uns ist in eine neue Phase getreten, über Nacht ist aus dem Gaste ein Kamerad geworden..." (Das Wort "Kamerad" hatte Hans Castorp etwas geängstigt.) A2B2C2D1
"Wer hätte es gedacht!" hatte Dr. Krokowski kameradschaftlich gescherzt... "Wer häte es gedacht an dem Abend, als ich Sie zuerst begrüßen durft und Sie meiner irrigen Auffassung - damals war sie irrig - mit der Erklärung begegneten, Sie seien vollkommen gesund." A2B1C1D2
Ich glaube, ich drückte damals etwas wie einen Zweifel aus, aber, ich versichere Sie, ich meinte es nicht so! Ich will mich nicht scharfsichtiger hinstellen, als ich bin, ich dachte damals an keine feuchte Stelle, ich meinte es anders, allgemeiner, philosophischer, ich verlautbarte meinen Zweifel daran, daß 'Mensch' und 'vollkommene Gesundheit' überhaupt Reimworte seien. A1B2C2D2
Und auch heute noch, auch nach dem Verlauf Ihrer Untersuchung, kann ich, wie ich nun einmal bin, und im Unterschied von meinem verstehten Chef, diese feuchte Stelle da"- und er hatte mit der Fingerspitze leicht Hans Castorps Schulter berührt - " nicht als im Vordergrunde des Interesses stehend erachten. Sie ist für mich eine sekundäre Erscheinung...Das Organische ist immer sekundär..." A2B1C2D1
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
2.1 データの抽出
作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。
◆場面1
Hans Castorps Gedanken verwirrten sich, während er auf Frau Chauchats schlaffen Rücken blickte, sie hörten aud, Gedanken zu sein, und wurden zur Träumerei, in welche Dr. Krokowski's schleppender Bariton, sein weich anschlagendes r wie aus weiter Ferne hereintönte. A1B1C2D2
Aber die Stille im Saal, die tiefe Aufmerksamkeit, die ringsumher alle im Bann hielt, wirkte auf ihn, sie weckte ihn förmlich aus seinem Dämmern. Er blickte um sich... Neben ihm saß der dünnhaarige Pianist, den Kopf im Nacken, und lauschte mit offenem Munde und gekreuzten Armen. A1B1C2D2
Die Lehrerin, Fräulein Engelhart, weiter drübern, hatte gierige Augen und rotflaumige Flecke auf beiden Wangen, - eine Hitze, die sich auf den Gesichtern anderer Damen wieder fand, die Hans Castorp ins Auge faßte, auch auf dem der Frau Salomon dort, neben Herrn Albin, und der Bierbrauersgattin Frau Magnus, derselben, die Eiweiß verlor. A1B1C2D1
Auf Frau Stöhrs Gesicht, etwas weiter zurück, malte sich eine so ungebildete Schwärmerei, daß es ein Jammer war, während die elfenbeinfarbene Levi mit halbgeschlossenen Augen und die flachen Hände im Schoß an der Stuhllene ruhend, vollständig einer Toten geglichen hätte, wenn nicht ihre Brust sich so stark und taktmäßig gehoben und gesenkt hätte, wodurch sie Hans Castorp vielmehr an eine weiblich Wachsfigur erinnerte, die er einst im Panoptikum gesehen und die ein mechanisches Triebwerk im Busen gehabt hatte. A1B1C1D1
Mehrer Gäste hielten die hohle Hand an die Ohrmuschel oder deuteten dies wenigsten an, indem sie die Hand bis halbwegs zum Ohre erhoben hielten, als seien sie mitten in der Bewegung vor Aufmerksamkeit erstrrt.
A1B1C2D2
◆場面2
Dieser Widerstreit zwischen den Mädchen der Keuschheit und der Liebe - denn um einen solchen handle es sich -, wie gehe er aus? Er endige scheinbar mit dem Siege der Keuschheit. A2B2C2D1
Furcht, Wohlanstand, züchtiger Abscheu, zitterndes Reinheitsbedürfnis, sie unterdrückten die Liebe, hielten sie in Dunkelheiten gefesselt, ließen ihre wirren Forderungen höchstens teilweise, aber bei weitem nicht nach ihrer ganzen Vielfalt und Kraft ins Bewußtsein und zur Betätigung zu. A2B2C2D1
Allein dieser Sieg der Keuschheit sei nur ein Schein- und Pyrrhussieg, denn der Liebesbefehl lasse sich nicht knebeln, nicht vergewaltigen, die unterdrückte Lieben sei nicht tot, sie lebte, sie trachte im Dunklen und Tiefgeheimen auch ferner sich zu erfüllen, sie durchbreche den Keuschheitsbann und erscheine wieder, wenn auch in verwandelter, unbekenntlicher Gestalt... A2B2C2D2
Und welches sei denn nun die Gestalt und Maske, worin die nicht zugelassene und unterdrückte Liebe wiedererscheine? So fragte Dr. Krokowski und blickte die Reihen entlang, als erwarte er die Antwort ernstlich von seinem Zuhörern. A2B1C2D2
Ja, das mußte er nun auch noch selber sagen, nachdem er schon so manches gesagt hatte. Niemand außer ihm wußte es, aber er würde bestimmt auch dies noch wissen, das sah man ihm an. A2B1C2D2
◆場面3
"Sie scheinen überrascht, mich zu sehen, Herr Castorp", hatte er mit baritonaler Milde, schleppend, unbedingt etwa geziert und mit einem exotischen Gaumen-r gesprochen, das er jedoch nicht rollte, sondern durch ein nur einmaliges Anschlagen der Zunge gleich hinter den oberen Vorderzähnen erzeugte. A2B1C2D1
"ich erfülle aber lediglich eine angenehme Pflicht, wenn ich bei Ihnen nun auch nach dem Rechten sehe. Ihr Verhältnis zu uns ist in eine neue Phase getreten, über Nacht ist aus dem Gaste ein Kamerad geworden..." (Das Wort "Kamerad" hatte Hans Castorp etwas geängstigt.) A2B2C2D1
"Wer hätte es gedacht!" hatte Dr. Krokowski kameradschaftlich gescherzt... "Wer häte es gedacht an dem Abend, als ich Sie zuerst begrüßen durft und Sie meiner irrigen Auffassung - damals war sie irrig - mit der Erklärung begegneten, Sie seien vollkommen gesund." A2B1C1D2
Ich glaube, ich drückte damals etwas wie einen Zweifel aus, aber, ich versichere Sie, ich meinte es nicht so! Ich will mich nicht scharfsichtiger hinstellen, als ich bin, ich dachte damals an keine feuchte Stelle, ich meinte es anders, allgemeiner, philosophischer, ich verlautbarte meinen Zweifel daran, daß 'Mensch' und 'vollkommene Gesundheit' überhaupt Reimworte seien. A1B2C2D2
Und auch heute noch, auch nach dem Verlauf Ihrer Untersuchung, kann ich, wie ich nun einmal bin, und im Unterschied von meinem verstehten Chef, diese feuchte Stelle da"- und er hatte mit der Fingerspitze leicht Hans Castorps Schulter berührt - " nicht als im Vordergrunde des Interesses stehend erachten. Sie ist für mich eine sekundäre Erscheinung...Das Organische ist immer sekundär..." A2B1C2D1
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン「魔の山」1
1 論文の方向性−Lのストーリー
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできることを現状のレベルでまとめている。今後、統計処理など研究の技葉がさらに増えていくように日々精進していきたい。この小論ではトーマス・マン(1875−1955)の「魔の山」が題材になる。
私のテキストの分析は、シナジーのメタファーを考察することである。最初に受容と共生からなるLのストーリーを作成し、次にそれが反映されているリレーショナルなデータベースについて分析していく。基本的に、「阿Q正伝」(1922)と同じ方法で、「魔の山」(1924)について見ていくことにする。すでにトーマス・マンの執筆脳はファジィとして、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーを作成している。
花村(2005)の中で、トーマス・マンの イロニーとザデーのファジィ理論を次のように定義した。
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、 また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。 …この批判的な距離は、イロニー的な距離になりうるであろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。そして、ザデーはいう。正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き詰めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより良い結果をもたらすことができると主張している。この小論では、これまでの研究から筆者がたどり着いたファジイ理論とトーマス・マンのイロニーをさらに掘り下げて、両者の整合性を見ていくことにする。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできることを現状のレベルでまとめている。今後、統計処理など研究の技葉がさらに増えていくように日々精進していきたい。この小論ではトーマス・マン(1875−1955)の「魔の山」が題材になる。
私のテキストの分析は、シナジーのメタファーを考察することである。最初に受容と共生からなるLのストーリーを作成し、次にそれが反映されているリレーショナルなデータベースについて分析していく。基本的に、「阿Q正伝」(1922)と同じ方法で、「魔の山」(1924)について見ていくことにする。すでにトーマス・マンの執筆脳はファジィとして、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーを作成している。
花村(2005)の中で、トーマス・マンの イロニーとザデーのファジィ理論を次のように定義した。
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、 また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。 …この批判的な距離は、イロニー的な距離になりうるであろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。そして、ザデーはいう。正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き詰めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより良い結果をもたらすことができると主張している。この小論では、これまでの研究から筆者がたどり着いたファジイ理論とトーマス・マンのイロニーをさらに掘り下げて、両者の整合性を見ていくことにする。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること−トーマス・マン『魔の山』」より
論理文法に見るファジィらしさ9
Zuerst handelt es sich um das CONTEX Attribut. Der 'Wert des Attributes nimmt zwei Attribute C-INDICES und BACKGROUND. Die C-INDICES Werte werden für viele Attribute spezinziert, die die linguistische wichtige Information über die Zustände einer Äußerung wie z.B. SPEAKER, ADDRESSEE und UTTERANCE-LOCATION (U-LOC) geben. Das BACKGROUND Attribut nimmt eine Menge von psoas für die angemessenen Bedingungen, die mit einer Äußerung eines gegebenen Types einer Phrase verbunden werden. Die Objekte eines Kontextes werden illustriert. (Hanamura (2005))
Zum Beispiel weiß man, daß ein gegebener Satz alle Hintergrundbedingungen der Bestandteile erwirbt. Die einfachste Weise für die Analyse würde das folgende Prinzip begründen.
a. Kontextuelles Konsequenzprinzip
Der CONTEXT/BACKGROUND Wert einer gegebenen Phrase ist die Vereinigung der CONTEXT/BACKGROUND Werte der Töchter.
Das Prinzip in a verlangt, daß alle kontextuellen Annahmen als ein Teil der Menge von Hintergrundbedingungen übernommen werden.
Das Prinzip ist doch eine ganz starke Theorie über die Präsuppositionsübernahme. Das heißt, es erscheint inkorrekt zu sein, weil es keine Ausdrücke erlauben kann, die die Übernahme der Präsuppositionen systematisch versperren, die mit einer partiellen Äußerung verbunden werden. Der Unterschied zwischen b und c besteht darin, daß nur jener als eine Präsupposition die Proposition hat, die durch d ausgedrückt wird.
b. Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.
c. Wenn Joachim Ziemßen krank ist, dann Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.
d. Joachim Ziemßen ist krank.
Um das Problem zu lösen, handelt es sich hier um das allgemeine System für kontextuelle Information. Die Streichung der Präsuppositionen trägt eine Ähnlichkeit mit der Entlassung der Quantoren aus QSTORE Werten. In der Tat ist es ähnlich der Entlassung von NONLOCAL Werten, die in der Analyse der Bedingung von SLASH und REL Dependenzen betrachtet werden, wenn das Prinzip für kontextuelle Konsequenz geschieht, die die spezifischen Elemente wie z.B. “plugs in Hanamura (2005) erlaubt, um einen Mitglieder aus der übernommenen Menge angemessener Bedingungen zu entlassen. Das ist doch keine absolute Sache.
Ferner beschreibt Pollard and Sag (1994) deiktische Spracherscheinungen. Jedes Wort einer Äußerung führt die kontextuellen Parameter ein, die wichtig für die Interpretation der deiktischen Ausdrücke sind. In der traditionellen Denkweise wird kontextuelle Information in die modelltheoretische Semantik der natürlichen Sprache gebracht. Allerdings ist sie der feinen Natur der deiktischen Kontextdependenz nicht gerecht. HPSG identifiziert den C-INDECES Wert aller Töchter in einer gegebenen Phrase mit dem Wert der Mutter.
Pollard and Sag (1994) nimmt an, daß jeder Teil einer Äußerung den eigenen C- INDECES Wert hat and daß das gemeinsame Charakter zwischen solchen Werten auf die Natur von Äußerungen zurückgeführt wird. Das heißt, alle wichtigen Informationen über C-INDECES Werte werden innerhalb einer Äußerung identifiziert. Die ganzen Werte von C-INDECES werden zwar identifiziert, aber es ist unabhängig von der Bedingungen im linguistischen System. Solche Bedingungen werden aufgrund typischer Eigenschaften von “discourse situation" - Tendenzen außerhalb Sprachen - unterstützt.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
Zum Beispiel weiß man, daß ein gegebener Satz alle Hintergrundbedingungen der Bestandteile erwirbt. Die einfachste Weise für die Analyse würde das folgende Prinzip begründen.
a. Kontextuelles Konsequenzprinzip
Der CONTEXT/BACKGROUND Wert einer gegebenen Phrase ist die Vereinigung der CONTEXT/BACKGROUND Werte der Töchter.
Das Prinzip in a verlangt, daß alle kontextuellen Annahmen als ein Teil der Menge von Hintergrundbedingungen übernommen werden.
Das Prinzip ist doch eine ganz starke Theorie über die Präsuppositionsübernahme. Das heißt, es erscheint inkorrekt zu sein, weil es keine Ausdrücke erlauben kann, die die Übernahme der Präsuppositionen systematisch versperren, die mit einer partiellen Äußerung verbunden werden. Der Unterschied zwischen b und c besteht darin, daß nur jener als eine Präsupposition die Proposition hat, die durch d ausgedrückt wird.
b. Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.
c. Wenn Joachim Ziemßen krank ist, dann Hans Castorp bedauert, daß Joachim Ziemßen krank ist.
d. Joachim Ziemßen ist krank.
Um das Problem zu lösen, handelt es sich hier um das allgemeine System für kontextuelle Information. Die Streichung der Präsuppositionen trägt eine Ähnlichkeit mit der Entlassung der Quantoren aus QSTORE Werten. In der Tat ist es ähnlich der Entlassung von NONLOCAL Werten, die in der Analyse der Bedingung von SLASH und REL Dependenzen betrachtet werden, wenn das Prinzip für kontextuelle Konsequenz geschieht, die die spezifischen Elemente wie z.B. “plugs in Hanamura (2005) erlaubt, um einen Mitglieder aus der übernommenen Menge angemessener Bedingungen zu entlassen. Das ist doch keine absolute Sache.
Ferner beschreibt Pollard and Sag (1994) deiktische Spracherscheinungen. Jedes Wort einer Äußerung führt die kontextuellen Parameter ein, die wichtig für die Interpretation der deiktischen Ausdrücke sind. In der traditionellen Denkweise wird kontextuelle Information in die modelltheoretische Semantik der natürlichen Sprache gebracht. Allerdings ist sie der feinen Natur der deiktischen Kontextdependenz nicht gerecht. HPSG identifiziert den C-INDECES Wert aller Töchter in einer gegebenen Phrase mit dem Wert der Mutter.
Pollard and Sag (1994) nimmt an, daß jeder Teil einer Äußerung den eigenen C- INDECES Wert hat and daß das gemeinsame Charakter zwischen solchen Werten auf die Natur von Äußerungen zurückgeführt wird. Das heißt, alle wichtigen Informationen über C-INDECES Werte werden innerhalb einer Äußerung identifiziert. Die ganzen Werte von C-INDECES werden zwar identifiziert, aber es ist unabhängig von der Bedingungen im linguistischen System. Solche Bedingungen werden aufgrund typischer Eigenschaften von “discourse situation" - Tendenzen außerhalb Sprachen - unterstützt.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ8
Hier handelt es sich um den lokalisierten Wert des lexikalischen Eintrags für ein attributives Adjektiv (z.B. blau), um die neue OUANTS/NUCLEUS Kodierung von psoas zu reflektieren.
Die Interpretation des Adjektivs wie "blau" wird gezeigt.
a. x1|{Auge (x1), blau (x1)}
Es erlegt dem Anker eines Parameters mehrere Beschränkungen auf. Wie es manchmal gesagt wird, zeigen die farbigen Beziehungen einen verdeckten Parameter, dessen Wert eine Skale der Farbe fixiert, sowie die Extensionen von “measure adjectives” abhängig von der Bestimmungen eines Maßstabs, eines Vergleichs und einer Norm für die Klasse der gemessenen Eigenschaft sind.
Um die mehrere Beschränkungen auf andere Adjektive wie "schön" zu erweitern, muß eine Funktion angenommen werden, die als Argument die Eigenschaft nimmt, die das Adjektiv modifiziert. Im Augenblick erscheint der Inhalt von “schön X”,abhängig von der Bedeutung “X” zu sein.
b. Das ist ein schönes Fenster,
c. Ein schöner Anzug ist teuer.
Der Inhalt von "schön X" ist doch nicht immer abhängig von der Bedeutung “X”. Der Anker des Parameters, der als der Wert des STANDART Attributes fungiert, muß manchmal durch kein modifiziertes Substantiv, sondern den vorzeitigen Kontext bestimmt werden.
d. Hans Castorp wurde im Berghof hier oben geröntgt. Dadurch sah er zuerst eine schöne Rippe.
Der STANDART Wert der Schönheit wird durch kein modifiziertes Substantiv (Rippe), sondern die wichtige Eigenschaft (Röntgenaufnahme) bestimmt.
Das Adjektiv wie angeblich ist unvereinbar mit den mehreren Beschränkungsanalysen, da "angeblich X" braucht, nicht zu sein. Der lexikalische Eintrag für ein Adjektiv wie "angeblich" mag die substantivische Beschränkungsmenge als ein Argument der angeblichen Beziehung einbetten.
Darum wird der Inhalt von N' wie angeblicher Täter als nom-obj gezeigt.
e. x1|angeblich ({Täter (x1)})
Die Bestimmung dieses Types ist abhängig davon, daß ein bestimmtes Individuum in einem Kontext behauptet, ein Täter zu sein, trotzdem er tatsächlich kein Täter ist.
Um die Modifizierung noch ausführlicher zu betrachten, handelt es sich hier um ein modifiziertes Idiom. Wie Gazdar et al .(1985) erklärte, betrachtete auch Hanamura (2005), ob ein Teil eines Idioms durch ein Adjektiv modifiziert werden könnte, um die Kompositionalität zu stützen. Die semantische Theorie von GPSG nahm die Semantik fiir natürliche Sprachen an, die von Montague (1973) beschrieben wurde. Nach seinem Prinzip wird jeder Baum der Phrasenstrukturen durch die Interpretation in der Form einer Transformation in die intensionale Logik begleitet.
Eine wichtige Eigenschaft der Montague Grammatik besteht in der Begriff der Kompositionalität oder des sogenannten Fregeschen Prinzips.
f. Fregesches Prinzip
Wenn die Bedeutungen der Bestandteile B und C erhalten werden, wird die Bedeutung von A als eine Funktion dieser Bedeutungen gehalten (SEM (α)= F (SEM (β),SEM (Y))).
Das Prinzip ist gut vereinbar mit einer Syntax, die auf einer kontextfreien Grammatik angenommen wird. In einer hierarchischen Struktur besteht ein Subbaum eines Baumes einer Phrasenstruktur aus einer Mutter und vielen Töchtern.
B und C mögen selbst die Wurzeln anderer Subbäume in einem komplizierten Baum einer Phrasenstruktur sein. Wenn die Grammatik kontextfrei ist, entspricht der lokale Baum der folgenden Regelung.
g. A B C
Das führt zum sogenannten "rule to rule" Prinzip.
Im Gegensatz zur obengenannten Verwendungsweise der Adjektive in a, b, c und e modifiziert das attributive Adjektiv in h und i zwar morphosyntaktisch das Substantiv "Hund", aber semantisch nicht so. (Hanamura (2005))
h. auf den Hund kommen.
i. auf den leibhaftigen Hund kommen.
In i wird die Bedeutung des Idioms teilweise modifiziert. i bedeutet ungefähr, wirlclich und wahrhaftig wirtschaftlich zugrundezugehen. Hier wird ein AVM (attribute-value matrix) Diagram illustriert, weil "leibhaftig" eine Rolle einer Hecke in der Fuzzy Logik spielt. (Lakoff (1973))
Schließlich handelt es sich weiter darum, ob ein Idiom selbst als eine Art von linguistischen Hecken angesehen werden könnte, weil Fleischer (1982) beschreibt, daß die Phraseologismen in besonderer Weise den Modalitätsparameter eines Textes wie seine Isotopie bestimmen können.
j. Idiomatisches Prinzip
Wenn ein Idiom in einem Text verwendet wird, soll es als eine linguistische Hecke angesehen werden.
In Hanamura (2005) wird eine Idiomatizität als eine irreguläres Verhältnis zwischen der Bedeutung der Wortkomponenten und der Bedeutung des ganzen Satzes angesehen.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
Die Interpretation des Adjektivs wie "blau" wird gezeigt.
a. x1|{Auge (x1), blau (x1)}
Es erlegt dem Anker eines Parameters mehrere Beschränkungen auf. Wie es manchmal gesagt wird, zeigen die farbigen Beziehungen einen verdeckten Parameter, dessen Wert eine Skale der Farbe fixiert, sowie die Extensionen von “measure adjectives” abhängig von der Bestimmungen eines Maßstabs, eines Vergleichs und einer Norm für die Klasse der gemessenen Eigenschaft sind.
Um die mehrere Beschränkungen auf andere Adjektive wie "schön" zu erweitern, muß eine Funktion angenommen werden, die als Argument die Eigenschaft nimmt, die das Adjektiv modifiziert. Im Augenblick erscheint der Inhalt von “schön X”,abhängig von der Bedeutung “X” zu sein.
b. Das ist ein schönes Fenster,
c. Ein schöner Anzug ist teuer.
Der Inhalt von "schön X" ist doch nicht immer abhängig von der Bedeutung “X”. Der Anker des Parameters, der als der Wert des STANDART Attributes fungiert, muß manchmal durch kein modifiziertes Substantiv, sondern den vorzeitigen Kontext bestimmt werden.
d. Hans Castorp wurde im Berghof hier oben geröntgt. Dadurch sah er zuerst eine schöne Rippe.
Der STANDART Wert der Schönheit wird durch kein modifiziertes Substantiv (Rippe), sondern die wichtige Eigenschaft (Röntgenaufnahme) bestimmt.
Das Adjektiv wie angeblich ist unvereinbar mit den mehreren Beschränkungsanalysen, da "angeblich X" braucht, nicht zu sein. Der lexikalische Eintrag für ein Adjektiv wie "angeblich" mag die substantivische Beschränkungsmenge als ein Argument der angeblichen Beziehung einbetten.
Darum wird der Inhalt von N' wie angeblicher Täter als nom-obj gezeigt.
e. x1|angeblich ({Täter (x1)})
Die Bestimmung dieses Types ist abhängig davon, daß ein bestimmtes Individuum in einem Kontext behauptet, ein Täter zu sein, trotzdem er tatsächlich kein Täter ist.
Um die Modifizierung noch ausführlicher zu betrachten, handelt es sich hier um ein modifiziertes Idiom. Wie Gazdar et al .(1985) erklärte, betrachtete auch Hanamura (2005), ob ein Teil eines Idioms durch ein Adjektiv modifiziert werden könnte, um die Kompositionalität zu stützen. Die semantische Theorie von GPSG nahm die Semantik fiir natürliche Sprachen an, die von Montague (1973) beschrieben wurde. Nach seinem Prinzip wird jeder Baum der Phrasenstrukturen durch die Interpretation in der Form einer Transformation in die intensionale Logik begleitet.
Eine wichtige Eigenschaft der Montague Grammatik besteht in der Begriff der Kompositionalität oder des sogenannten Fregeschen Prinzips.
f. Fregesches Prinzip
Wenn die Bedeutungen der Bestandteile B und C erhalten werden, wird die Bedeutung von A als eine Funktion dieser Bedeutungen gehalten (SEM (α)= F (SEM (β),SEM (Y))).
Das Prinzip ist gut vereinbar mit einer Syntax, die auf einer kontextfreien Grammatik angenommen wird. In einer hierarchischen Struktur besteht ein Subbaum eines Baumes einer Phrasenstruktur aus einer Mutter und vielen Töchtern.
B und C mögen selbst die Wurzeln anderer Subbäume in einem komplizierten Baum einer Phrasenstruktur sein. Wenn die Grammatik kontextfrei ist, entspricht der lokale Baum der folgenden Regelung.
g. A B C
Das führt zum sogenannten "rule to rule" Prinzip.
Im Gegensatz zur obengenannten Verwendungsweise der Adjektive in a, b, c und e modifiziert das attributive Adjektiv in h und i zwar morphosyntaktisch das Substantiv "Hund", aber semantisch nicht so. (Hanamura (2005))
h. auf den Hund kommen.
i. auf den leibhaftigen Hund kommen.
In i wird die Bedeutung des Idioms teilweise modifiziert. i bedeutet ungefähr, wirlclich und wahrhaftig wirtschaftlich zugrundezugehen. Hier wird ein AVM (attribute-value matrix) Diagram illustriert, weil "leibhaftig" eine Rolle einer Hecke in der Fuzzy Logik spielt. (Lakoff (1973))
Schließlich handelt es sich weiter darum, ob ein Idiom selbst als eine Art von linguistischen Hecken angesehen werden könnte, weil Fleischer (1982) beschreibt, daß die Phraseologismen in besonderer Weise den Modalitätsparameter eines Textes wie seine Isotopie bestimmen können.
j. Idiomatisches Prinzip
Wenn ein Idiom in einem Text verwendet wird, soll es als eine linguistische Hecke angesehen werden.
In Hanamura (2005) wird eine Idiomatizität als eine irreguläres Verhältnis zwischen der Bedeutung der Wortkomponenten und der Bedeutung des ganzen Satzes angesehen.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ7
Wie Montague in seinem Aufsatz (Tne Proper Treatment of Quantincation in Ordinary English) bstimmte, waren die Quantoren ein wichtiges Thema in der Logico-Linguistik. HPSG behandelt sie durcn das folgende semantische Prinzip.
Semantiscnes Prinzip
In einer köpfigen Phrase ist der CONTENT Wert merkmalidentisch mit dem Wert der Adjunkttmochter, wenn der DTRS (DAUGHTERS) Wert "head-adj-struc" (head-adjuct-structure) ist, und sonst mit dem Wert der köpfigen Tochter.
Das Prinzip kann den CONTENT Wert für eine große Klasse von Strukturen bestimmen. Allerdings mag der Inhalt der Quantifikation durch das folgende Quantorenübernahmenprinzip ergänzend bestimmt werden.
Quantorenübernahmenprinzip
Der QUANTIFIER-STORE (QSTORE) Wert eines Phrasenknotens ist die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter ausschließlich jeder Quantoren, die auf jenem Knoten nachgeschlagen werden.
Die Prinzipien werden beschrieben, um die Beziehungen miteinander zu verstehen.
Alle Quantoren werden durch große Phrasen übernommen und sie werden auf einer angemessenen höheren Ebene der Struktur nachgeschlagen, deren CONTENT Wert ein quantifiziertes psoa sein wird. Wenn quantifizierte psoas zuerst analysiert werden, wird der CONTENT Wert des Satzes "Ich erkläre einen
Roman” illustriert.
Aber diese Annahme widerspricht der Formulierung des semantischen Prinzips, weil der CONTENT Wert von S nicht mehr identisch mit dem Wert seiner kopfigen Tochter ist. Deutlich muß eine Revision hier für die Prinzipien gemacht werden, die den QSTORE und den CONTENT Wert miteinander verbinden.
Zuerst wird die Merkmalstruktur von (quantifizierten) psoas wieder strukturiert. Besonders wird es vorgeschlagen, psoa (parametrized state of affairs) und qpsoa durch ein quantifiziertes psoa zu ersetzen.
Das Hauptunterschied besteht darin, daß quantifizierte Information (QUANTIFIERS (QUANTS)) sich von keinem quantifizierten Kern (NUCLEUS) trennt. Der NUCLEUS Wert hat eine neue Sorte (quantifier-free-psoa (qfpsoa)) und der CONTENT (Ich erkläre einen Roman) wird analysiert, wenn das Etikett den Quantor bezeichnet.
Es ist zu bemerken, daß der RESTRICTION Wert eines Quantorenindexes eine Menge von quantifizierten psoas ist, deren beide sich quantifiziert werden mögen. Der Einfachheit halber wird es abgekürzt wie folgt.
ヨx3|{Roman (x3)}
Grundsätzlich zwingen die HPSGsche Prinzipien die Beziehung zwischen QSTORE und QUANTS, indem man so garantiert, daß die Quantoren einen Skopus zugewiesen werden, wenn sie vom Speicher abgenommen werden.
Wenn die Quantoren sich von anderen Aspekten des Inhalts trennen, wird der NUCLEUS Wert der köpfigen Phrasen mit den NUCLEUS Werten ihrer zugehörigen Töchter identifiziert. Nur die unköpfigen Töchter sind die Komplemente. In einer Struktur eines köpfigen Adjunkten ist es die Adjunkt-Tochter. Deshalb sieht das allgemeine Prinzip, das den CONTENT Wert der köpfigen Strukturen regiert, den Begriff des semantischen Kopfes nach. Der Kopf wird definiert wie folgt.
a. Der semantische Kopf einer köpfigen Phrase
a' die Adjunkt-Tochter in einer köpfigen Adjunkt-Struktur,
a'' sonst die köpfige Tochter.
b. Inhaltsprinzip
In einer köpfigen Struktur,
(Beispiel 1) wenn der CONTENT Wert des semantischen Kopfes "psoa" hat, ist der NUCLEUS Wert merkmalidentisch mit dem NUCLEUS Wert der Mutter;
(Beispiel 2) sonst, der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ist merkmalidentisch mit dem CONTENT Wert der Mutter.
Es ist zu bemerken, daß Inhaltsprinzip in zwei Fällen getrennt wird, je nachdem der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ein psoa ist (eine Konstituente wird durch ein Verb oder durch ein prädikatives Adjektiv, Präposition oder Substantiv mit einem Kopf versehen) oder nicht (eine Konstituente wird durch ein unprädikatives Substantiv oder Präposition mit einem Kopf versehen). Der Standpunkt besteht darin, daß der NUCLEUS Wert nur in jenem Fall zwischen der Mutter und dem semantischen Kopf identifiziert wird. Das berücksichtigt das Nachschlagen des Quantors .
Dann wird ein neues Attribut von Zeichen vorgestellt, die RETRIEVED- QUANTIFIERS (RETRIEVED) genannt werden. Der Wert wird eine Liste der Quantoren sein. Hier gibt es zwei universale Beschränkungen, deren Effekt verlangt, daß alle Quantoren im Bereich richtig liegen wie folgt.
b'. Quantorenübernahmenprinzip
In einer köpfigen Phrase ist der RETRIEVED Wert eine Liste, deren Menge der Elemente eine Untermenge für die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter bildet und der Wert ist nicht leer, nur wenn der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ein psoa hat und der QSTORE Wert das relative Komplement des RETRIEVED Wertes ist.
Das andere Prinzip wird erklärt wie folgt.
b''. Skopusprinzip
In einer köpfigen Phrase, deren semantische Kopf ein psoa hat, ist der QUANTS Wert das Zusammenhang des RETRIEVED Wertes mit dem QUANTS Wert des semantischen Kopfes.
Das verbundene Effekt der drei Prinzipien b-b'' kann dargestellt werden wie folgt.
c. Semantisches Prinzip
In einer köpfigen Phrase:
1. der RETRIEVED Wert ist eine Liste, deren Menge der Elemente eine Untermenge für die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter bildet und der QSTORE Wert ist das relative Komplement jener Menge, und
2. (Beispiel 1) wenn der semantische Kopf ein psoa hat, dann ist der NUCLEUS Wert identisch mit dem Wert des semantischen Kopfes, und der QUANTS Wert ist das Zusammenhang des RETRIEVED Wertes mit dem Wert des semantischen Kopfes;
(Beispiel 2) sonst ist der RETRIEVED Wert leer und der CONTENT Wert ist merkmalidentisch mit dem Wert des semantischen Kopfes.
Das reformierte semantische Prinzip bereitet eine richtige Erklärung der Beziehung vor, die es zwischen QSTORE und CONTENT gibt. Zusätzlich erlaubt es einem Satz wie d, verschiedene CONTENT Werte in e und f zu haben.
d. Jeder Forscher erklärt einen Roman.
e. (∀x1|{Forscher (x1}) (∃x2|{Roman (x2)}) erklären (x1, x2)
f. (ヨx2|{Roman (x2)}) (∀x1|Forscher (x1}) erklären (x1, x2)
Das Eflfekt des semantischen Prinzips wird illustriert, wo die Etiketten die Quantoren erwähnen. Der Einfachheit halber werden die leeren Werte für QSTORE und RETRIEVED nicht gezeigt.
Alle Quantoren brauchen auf dem gleichen Knoten nicht nachgeschlagen zu werden oder sich auf allen Knoten einer Kategorie nicht zu leeren. Die Quantoren können im Speicher bleioen, um auf einer höheren Ebene der Struktur nachgeschlagen zu werden. Eine Möglichkeit, die durch die Analyse erlaubt wird, wird es illustriert, wenn der CONTENT Wert in g gezeigt wird.
g. (∃x2|{Roman (x2)}) denken (x8, (∀x1|{Forscher (x1}) erldären (x1, x2))
Die Analyse des obengenannten Quantors erlaubt einem Quantor in einem VP-Komplement, einen engen Skopus in h zu nehmen, wenn das Etikett den Quantor (∀x2|{Patient (x2)}) erwähnt.
h. Behrens versucht, jeden Patienten zu befriedigen.
Es ist zu bemerken, daß das Element des Hilfsverbs ”zu” keine leere QUANTS und NUCLEUS Werte hat, weil der lexikalische Eintrag bleibt.
Wenn der CONTENT Wert von "zu" mit dem Wert des VP Komplementes identifiziert wird, werden der QUANTS und der NUCLEUS Wert jeweils identifiziert. Deshalb garantiert das semantische Prinzip, daß der QUANTS Wert der Phrase “jeden Patienten zu befriedigen” daraus resultiert,keinem leeren QUANTS des semantischen Kopfes "zu" die leere Liste (des nachgeschlagenen Quantors) beizufügen.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
Semantiscnes Prinzip
In einer köpfigen Phrase ist der CONTENT Wert merkmalidentisch mit dem Wert der Adjunkttmochter, wenn der DTRS (DAUGHTERS) Wert "head-adj-struc" (head-adjuct-structure) ist, und sonst mit dem Wert der köpfigen Tochter.
Das Prinzip kann den CONTENT Wert für eine große Klasse von Strukturen bestimmen. Allerdings mag der Inhalt der Quantifikation durch das folgende Quantorenübernahmenprinzip ergänzend bestimmt werden.
Quantorenübernahmenprinzip
Der QUANTIFIER-STORE (QSTORE) Wert eines Phrasenknotens ist die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter ausschließlich jeder Quantoren, die auf jenem Knoten nachgeschlagen werden.
Die Prinzipien werden beschrieben, um die Beziehungen miteinander zu verstehen.
Alle Quantoren werden durch große Phrasen übernommen und sie werden auf einer angemessenen höheren Ebene der Struktur nachgeschlagen, deren CONTENT Wert ein quantifiziertes psoa sein wird. Wenn quantifizierte psoas zuerst analysiert werden, wird der CONTENT Wert des Satzes "Ich erkläre einen
Roman” illustriert.
Aber diese Annahme widerspricht der Formulierung des semantischen Prinzips, weil der CONTENT Wert von S nicht mehr identisch mit dem Wert seiner kopfigen Tochter ist. Deutlich muß eine Revision hier für die Prinzipien gemacht werden, die den QSTORE und den CONTENT Wert miteinander verbinden.
Zuerst wird die Merkmalstruktur von (quantifizierten) psoas wieder strukturiert. Besonders wird es vorgeschlagen, psoa (parametrized state of affairs) und qpsoa durch ein quantifiziertes psoa zu ersetzen.
Das Hauptunterschied besteht darin, daß quantifizierte Information (QUANTIFIERS (QUANTS)) sich von keinem quantifizierten Kern (NUCLEUS) trennt. Der NUCLEUS Wert hat eine neue Sorte (quantifier-free-psoa (qfpsoa)) und der CONTENT (Ich erkläre einen Roman) wird analysiert, wenn das Etikett den Quantor bezeichnet.
Es ist zu bemerken, daß der RESTRICTION Wert eines Quantorenindexes eine Menge von quantifizierten psoas ist, deren beide sich quantifiziert werden mögen. Der Einfachheit halber wird es abgekürzt wie folgt.
ヨx3|{Roman (x3)}
Grundsätzlich zwingen die HPSGsche Prinzipien die Beziehung zwischen QSTORE und QUANTS, indem man so garantiert, daß die Quantoren einen Skopus zugewiesen werden, wenn sie vom Speicher abgenommen werden.
Wenn die Quantoren sich von anderen Aspekten des Inhalts trennen, wird der NUCLEUS Wert der köpfigen Phrasen mit den NUCLEUS Werten ihrer zugehörigen Töchter identifiziert. Nur die unköpfigen Töchter sind die Komplemente. In einer Struktur eines köpfigen Adjunkten ist es die Adjunkt-Tochter. Deshalb sieht das allgemeine Prinzip, das den CONTENT Wert der köpfigen Strukturen regiert, den Begriff des semantischen Kopfes nach. Der Kopf wird definiert wie folgt.
a. Der semantische Kopf einer köpfigen Phrase
a' die Adjunkt-Tochter in einer köpfigen Adjunkt-Struktur,
a'' sonst die köpfige Tochter.
b. Inhaltsprinzip
In einer köpfigen Struktur,
(Beispiel 1) wenn der CONTENT Wert des semantischen Kopfes "psoa" hat, ist der NUCLEUS Wert merkmalidentisch mit dem NUCLEUS Wert der Mutter;
(Beispiel 2) sonst, der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ist merkmalidentisch mit dem CONTENT Wert der Mutter.
Es ist zu bemerken, daß Inhaltsprinzip in zwei Fällen getrennt wird, je nachdem der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ein psoa ist (eine Konstituente wird durch ein Verb oder durch ein prädikatives Adjektiv, Präposition oder Substantiv mit einem Kopf versehen) oder nicht (eine Konstituente wird durch ein unprädikatives Substantiv oder Präposition mit einem Kopf versehen). Der Standpunkt besteht darin, daß der NUCLEUS Wert nur in jenem Fall zwischen der Mutter und dem semantischen Kopf identifiziert wird. Das berücksichtigt das Nachschlagen des Quantors .
Dann wird ein neues Attribut von Zeichen vorgestellt, die RETRIEVED- QUANTIFIERS (RETRIEVED) genannt werden. Der Wert wird eine Liste der Quantoren sein. Hier gibt es zwei universale Beschränkungen, deren Effekt verlangt, daß alle Quantoren im Bereich richtig liegen wie folgt.
b'. Quantorenübernahmenprinzip
In einer köpfigen Phrase ist der RETRIEVED Wert eine Liste, deren Menge der Elemente eine Untermenge für die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter bildet und der Wert ist nicht leer, nur wenn der CONTENT Wert des semantischen Kopfes ein psoa hat und der QSTORE Wert das relative Komplement des RETRIEVED Wertes ist.
Das andere Prinzip wird erklärt wie folgt.
b''. Skopusprinzip
In einer köpfigen Phrase, deren semantische Kopf ein psoa hat, ist der QUANTS Wert das Zusammenhang des RETRIEVED Wertes mit dem QUANTS Wert des semantischen Kopfes.
Das verbundene Effekt der drei Prinzipien b-b'' kann dargestellt werden wie folgt.
c. Semantisches Prinzip
In einer köpfigen Phrase:
1. der RETRIEVED Wert ist eine Liste, deren Menge der Elemente eine Untermenge für die Vereinigung der QSTORE Werte der Töchter bildet und der QSTORE Wert ist das relative Komplement jener Menge, und
2. (Beispiel 1) wenn der semantische Kopf ein psoa hat, dann ist der NUCLEUS Wert identisch mit dem Wert des semantischen Kopfes, und der QUANTS Wert ist das Zusammenhang des RETRIEVED Wertes mit dem Wert des semantischen Kopfes;
(Beispiel 2) sonst ist der RETRIEVED Wert leer und der CONTENT Wert ist merkmalidentisch mit dem Wert des semantischen Kopfes.
Das reformierte semantische Prinzip bereitet eine richtige Erklärung der Beziehung vor, die es zwischen QSTORE und CONTENT gibt. Zusätzlich erlaubt es einem Satz wie d, verschiedene CONTENT Werte in e und f zu haben.
d. Jeder Forscher erklärt einen Roman.
e. (∀x1|{Forscher (x1}) (∃x2|{Roman (x2)}) erklären (x1, x2)
f. (ヨx2|{Roman (x2)}) (∀x1|Forscher (x1}) erklären (x1, x2)
Das Eflfekt des semantischen Prinzips wird illustriert, wo die Etiketten die Quantoren erwähnen. Der Einfachheit halber werden die leeren Werte für QSTORE und RETRIEVED nicht gezeigt.
Alle Quantoren brauchen auf dem gleichen Knoten nicht nachgeschlagen zu werden oder sich auf allen Knoten einer Kategorie nicht zu leeren. Die Quantoren können im Speicher bleioen, um auf einer höheren Ebene der Struktur nachgeschlagen zu werden. Eine Möglichkeit, die durch die Analyse erlaubt wird, wird es illustriert, wenn der CONTENT Wert in g gezeigt wird.
g. (∃x2|{Roman (x2)}) denken (x8, (∀x1|{Forscher (x1}) erldären (x1, x2))
Die Analyse des obengenannten Quantors erlaubt einem Quantor in einem VP-Komplement, einen engen Skopus in h zu nehmen, wenn das Etikett den Quantor (∀x2|{Patient (x2)}) erwähnt.
h. Behrens versucht, jeden Patienten zu befriedigen.
Es ist zu bemerken, daß das Element des Hilfsverbs ”zu” keine leere QUANTS und NUCLEUS Werte hat, weil der lexikalische Eintrag bleibt.
Wenn der CONTENT Wert von "zu" mit dem Wert des VP Komplementes identifiziert wird, werden der QUANTS und der NUCLEUS Wert jeweils identifiziert. Deshalb garantiert das semantische Prinzip, daß der QUANTS Wert der Phrase “jeden Patienten zu befriedigen” daraus resultiert,keinem leeren QUANTS des semantischen Kopfes "zu" die leere Liste (des nachgeschlagenen Quantors) beizufügen.
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ6
テキストの情報を処理する場合、当然のことながら文脈を意識することが重要になる。テキストの情報 は、話し手、聞き手、発話の状況および背景といった要素が一つになって動いていく。そこにはもちろん、言葉以外の様々な要素が関連してくる。従って、ここではあくまで試案として、言語外の要素のうち作者の推論を取り上げ、Thomas Mann のイロニーを考察していく。どのような作品にも作者の推論が残っており、また、 ここまで見てきた HPSG も論理学の推論と整合性が良い理論といえるからである。
HPSG による文脈の処理について説明する。HPSG は、文脈を処理するためにCONTEXTという属性を使用し、 この属性値は、C-INDICESとBACKGROUNDという2つの属性を取る。 C-INDICESの値は、発話状況に関し言語上重要な情報を与える属性のた めに指定される。
例えば、話し手、聞き手、発話の場所などである。BACKGROUND属性は、発話に関する適性条件と見なされる psoa の集合を値として取る。この分析により、文章は、構成要素の背景にあるすベての条件を獲得でき、それを保証するために文脈一貫性の原理(句の CONTEXT h BACKGROUND 値は、娘の CONTEXT h BACKGROUND 値の結合である)が立てられている。この原理は、発話のあらゆる部分と関連する文脈上の仮定が、発話と関連する背景の条件の一部として 継承されることを要求する。しかし、この理論は、強すぎるという欠点がある。なぜなら、発話の特定部分と関連する前提の継承を体系的に阻止する表現には適応できないからである。
HPSGは、この問題を文脈情報に対する一般的な枠組みで処理している。前提の削除は、前節で議論したQSTOREの値から数量詞を解除す ることに似ていると述べている。実際に、NONLOCALの素性値の解除もこれに該当する例といえる。HPSGによる分析では、SLASHの束縛やRELの依存関係などもこれに相応する。
無限の依存関係(Unbounded Dependency Construction (UDC)) は、言語表現の痕跡を扱っており、強いものと弱いものに分類されている。例え ば、Filler-Gap 構造として有名な主題化は、痕跡を埋める構成要素が以下のようにはっきりとした強い UDC である。痕跡とは、特殊な語彙項目のことであり、各接点に空の値を持った特殊な記号として現れる。この特殊な記号が痕跡である。
a. Clawdia1, we know Engelhart dislikes_1.
この例文の痕跡については、3つのポイントがある。底部、中間部、上部。この例文の場合、最下位のVP が底部になる。しかし、底部における問題は、依存関係がどこにあるのかということである。中間部は、娘から親へと継続関係が上昇していき、最上位の Sでは、依存関係が解除される。ここで注意しなければならないことは、 文法によって束縛が要求される場合と単に束縛が継続される場合(表層の痕跡は残るから)があることである。これは、SLASH 値の集合の中でそこからさらに上昇しない要素が存在するためである。そのため、 HPSGは、次のような原理を採用している。
Nonlocal 素性原理
それぞれの Nonlocal 素性について、親の INHERITED 値は、主要部の娘 のTO-BIND 値を除いた娘のINHERITED 値の集合になる。
一方、弱い UDS の場合、痕跡を埋めるための構成要素 filler がはっき りとは現れない。また、痕跡とそれを埋めるための構成要素 filler が、同じ格にならないこともある。
b. Hans1 (nom) is easy to please_1(acc).
痕跡に対応する SLASH 値は、不定詞句 VP を越えて継承されることはない。これは、この VP の親となる AP 主要部の娘 easy が、VP 不定詞句における SLASH 値の束縛を指定するためである。また、HPSGは、格の違いを統語特性ではなく、指示指標を特定する問題として処理している。
無限の依存関係を含む言語表現として、関係詞句も議論されている。
c. to whom Hans gave a book _.
関係詞句には、2つの依存関係が同時に存在する。一つは、REL属性によりコード化される依存関係であり、また一つは、SLASH属性により コード化される filler-gap の依存関係である。しかし、wh 関係詞句の説明として、これだけでは不十分である。無限の依存関係(UDC) の上部には、さらに前章で議論したような属性 MOD に対する空でない値が存在する。つまり、c については、もう一回り大きな構造として見る必要がある。
一般的に、関係詞句の構造は、親のN’のINHER/REL値が閉じているために空となるので、ダッシュの数は増えない。また、属性 MOD のために空でない値を記す最も簡単な方法は、関係詞句の主要部として役割を果たす音声的に空の補文化子 (complimentizer(comp)) を設定することである。HPSGは、compと区別するためにそうした要素を関係文化子 (relativizer (rltvzr)) と読んでいる。
このような主要部一付加語の構造で、関係詞句の MOD 値は、主要部の娘の SYNSEM 値と構造を共有していなければならない。N’主要部の指標は、関係文化子 rltvzr の TO-BIND/REL 値と関係文化子 rltvzr の S 補文の INHER/REL 値と同一になる。こうした現象は、Nonlocal 素性原理を十分に反映している。
HPSGは、前提の問題に関連して文脈変換という概念を扱っている。 これは、Groenendijk and Stokhof (1979) と Ballmer (1979) によって定義された。Groenendijk and Stokhof (1979) は、文脈を個人間の主張と見なし、 ある表現が文脈中のパラメータにより実現する概念を指して「文脈変換」と呼んでいる。一方、Ballmer (1979) は、Ranta同様、「文脈変換」の論理を直感主義論理へと拡張している。
論理文法は、モデル理論的意味論の枠組みで指示語を扱ってきた (Montague Dexis) 。しかし、HPSGは、指示語がもつ微妙な文脈依存の関係をモデル理論で議論すること自体に無理があるとして、上述した句の中のすべての娘の C-INDICES 値が親と同一視できるという立場を主張する。しかし、これもまだ指示的な発話が持つ複雑な特徴を処理する上で十分適しているとはいえないとし、発話の各部分(語彙素) がそれ自体の C-INDICES 値を持ち、こうした値間に存在する共通性が単に発話の性質によるものだと説明している。簡単にいえば、C- INDICES 値に含まれる重要な情報は、発話内で特定されると考えられている。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
HPSG による文脈の処理について説明する。HPSG は、文脈を処理するためにCONTEXTという属性を使用し、 この属性値は、C-INDICESとBACKGROUNDという2つの属性を取る。 C-INDICESの値は、発話状況に関し言語上重要な情報を与える属性のた めに指定される。
例えば、話し手、聞き手、発話の場所などである。BACKGROUND属性は、発話に関する適性条件と見なされる psoa の集合を値として取る。この分析により、文章は、構成要素の背景にあるすベての条件を獲得でき、それを保証するために文脈一貫性の原理(句の CONTEXT h BACKGROUND 値は、娘の CONTEXT h BACKGROUND 値の結合である)が立てられている。この原理は、発話のあらゆる部分と関連する文脈上の仮定が、発話と関連する背景の条件の一部として 継承されることを要求する。しかし、この理論は、強すぎるという欠点がある。なぜなら、発話の特定部分と関連する前提の継承を体系的に阻止する表現には適応できないからである。
HPSGは、この問題を文脈情報に対する一般的な枠組みで処理している。前提の削除は、前節で議論したQSTOREの値から数量詞を解除す ることに似ていると述べている。実際に、NONLOCALの素性値の解除もこれに該当する例といえる。HPSGによる分析では、SLASHの束縛やRELの依存関係などもこれに相応する。
無限の依存関係(Unbounded Dependency Construction (UDC)) は、言語表現の痕跡を扱っており、強いものと弱いものに分類されている。例え ば、Filler-Gap 構造として有名な主題化は、痕跡を埋める構成要素が以下のようにはっきりとした強い UDC である。痕跡とは、特殊な語彙項目のことであり、各接点に空の値を持った特殊な記号として現れる。この特殊な記号が痕跡である。
a. Clawdia1, we know Engelhart dislikes_1.
この例文の痕跡については、3つのポイントがある。底部、中間部、上部。この例文の場合、最下位のVP が底部になる。しかし、底部における問題は、依存関係がどこにあるのかということである。中間部は、娘から親へと継続関係が上昇していき、最上位の Sでは、依存関係が解除される。ここで注意しなければならないことは、 文法によって束縛が要求される場合と単に束縛が継続される場合(表層の痕跡は残るから)があることである。これは、SLASH 値の集合の中でそこからさらに上昇しない要素が存在するためである。そのため、 HPSGは、次のような原理を採用している。
Nonlocal 素性原理
それぞれの Nonlocal 素性について、親の INHERITED 値は、主要部の娘 のTO-BIND 値を除いた娘のINHERITED 値の集合になる。
一方、弱い UDS の場合、痕跡を埋めるための構成要素 filler がはっき りとは現れない。また、痕跡とそれを埋めるための構成要素 filler が、同じ格にならないこともある。
b. Hans1 (nom) is easy to please_1(acc).
痕跡に対応する SLASH 値は、不定詞句 VP を越えて継承されることはない。これは、この VP の親となる AP 主要部の娘 easy が、VP 不定詞句における SLASH 値の束縛を指定するためである。また、HPSGは、格の違いを統語特性ではなく、指示指標を特定する問題として処理している。
無限の依存関係を含む言語表現として、関係詞句も議論されている。
c. to whom Hans gave a book _.
関係詞句には、2つの依存関係が同時に存在する。一つは、REL属性によりコード化される依存関係であり、また一つは、SLASH属性により コード化される filler-gap の依存関係である。しかし、wh 関係詞句の説明として、これだけでは不十分である。無限の依存関係(UDC) の上部には、さらに前章で議論したような属性 MOD に対する空でない値が存在する。つまり、c については、もう一回り大きな構造として見る必要がある。
一般的に、関係詞句の構造は、親のN’のINHER/REL値が閉じているために空となるので、ダッシュの数は増えない。また、属性 MOD のために空でない値を記す最も簡単な方法は、関係詞句の主要部として役割を果たす音声的に空の補文化子 (complimentizer(comp)) を設定することである。HPSGは、compと区別するためにそうした要素を関係文化子 (relativizer (rltvzr)) と読んでいる。
このような主要部一付加語の構造で、関係詞句の MOD 値は、主要部の娘の SYNSEM 値と構造を共有していなければならない。N’主要部の指標は、関係文化子 rltvzr の TO-BIND/REL 値と関係文化子 rltvzr の S 補文の INHER/REL 値と同一になる。こうした現象は、Nonlocal 素性原理を十分に反映している。
HPSGは、前提の問題に関連して文脈変換という概念を扱っている。 これは、Groenendijk and Stokhof (1979) と Ballmer (1979) によって定義された。Groenendijk and Stokhof (1979) は、文脈を個人間の主張と見なし、 ある表現が文脈中のパラメータにより実現する概念を指して「文脈変換」と呼んでいる。一方、Ballmer (1979) は、Ranta同様、「文脈変換」の論理を直感主義論理へと拡張している。
論理文法は、モデル理論的意味論の枠組みで指示語を扱ってきた (Montague Dexis) 。しかし、HPSGは、指示語がもつ微妙な文脈依存の関係をモデル理論で議論すること自体に無理があるとして、上述した句の中のすべての娘の C-INDICES 値が親と同一視できるという立場を主張する。しかし、これもまだ指示的な発話が持つ複雑な特徴を処理する上で十分適しているとはいえないとし、発話の各部分(語彙素) がそれ自体の C-INDICES 値を持ち、こうした値間に存在する共通性が単に発話の性質によるものだと説明している。簡単にいえば、C- INDICES 値に含まれる重要な情報は、発話内で特定されると考えられている。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ5
修飾語の分析例として、GPSGの枠組みで構成性(フレーゲ原理)を維持するために、イディオムの一部に修飾語を付加することができるかどうか自身で試みたことがある。但し、本書では、論理文法の歴史に従って、構成性を強く意識することはない。条件文やテキストを扱うために、中間処理を意識する方向で理論が展開していくためである。GPSGは、統語論に文脈自由の句構造文法を、そして意味論にMontague 文法を採用した世界的に有名な言語理論である。ここでの問題点は、例文にあるように、形容詞 leibhaftig の形態統語的な修飾は、確かに 名詞 Hund に掛かっているが、意味的な修飾は、この名詞ではなく動詞となるというものである。
a. auf den Hund kommen.
b. auf den leibhaftigen Hunf kommen.
それ故、本書では、leibhaftig をファジィ論理でいう一種のヘッジとして扱い、さらに、イディオム自体もヘッジと見なすことができるという立場でこの問題を処理している(イディオムの原理)。その理由は、慣用句がイゾト ピー(同位元素性)のようなテキスト内の様相パラメータを特別な方法で識別することができると考えているためである。
HPSG をツールとした他のイディオム分析に Erbach and Krenn (1993) がある。コロケーシヨンを前提にイディオムが議論されているが、特に、量化の内容の中で記述した数量詞継承原理(Quantifier Inheritance Principle (QIP)) がイディオム分析の鍵となっている。
まず、全体の表現の特性と見なされるイディオムは、分析不能として分類され、一方、部分的な修飾や指示的な使用が可能なためイディオムの一部に意味が割り当てられるべきものは、隠喩的として分類されています。
c. auf den Löffel abgeben.(さじを投ける、つまり、あきらめる)(分析不能)
d. in den sauce Apfel beißen. (嫌な仕事をする)(隠喩的)
c は、直接意味が割り当てられている。d は、「嫌な仕事」とden sauce Apfel (アップルソース)間および「行う」と beißen (嚙む)の間に一種の連結を作ることで理解される。
次に、受動化や修飾といったイディオムの統語特性が取り上げられている。通常、VPを形成するイディオムは、受動化が可能だが、それによってイディオムの意味合いが薄れることがある。
e. Hans gibt den Löffel ab.
f. Der Löffel wurde von Hans abgegeben. (イデイオム性は薄れる)
修飾が可能な場合(例えば、sprichwörterlich (諺の))も、イディオム性 が薄れるようである。
g. Er gab den sprichwörterliclien Löffel ab. (イディオム性は薄れる)
逆に、隠喩的なイディオムの構成要素が修飾されても、イディオムの意味合いは薄れない。
h. Hans macht große Augen. (じろじろ見る)
i. Hans macht ganz große Augen.
つまり、Erbach and Krenn (1993) は、統語特性の計算はできても、構成要素の意味を結合する通常の関数では、意味特性の計算はできないと述べ ている。
そこで、QIP を修正していく。分析不能なイディオム(例えば、die Leviten lesen (きつく叱る))に含まれている固定要素の die Leviten は、ユダヤ教の聖典(旧約聖書レビ記)と一種の意味関係を持っていると連想するであろう。しかし、これは、イディオムを理解する上で言語外的なことである。QIP は、意味の役割を担っていない場合でも、量化表現がリストに記述されなければならないことを義務づけている。それ故、 こうしたイディオムを語彙登録する場合、固定要素 die Leviten の意味を無視できるように、意味の役割は担っていないということを数量詞のリ ストに追記していく。
QIP
句の接点の QUANTIFIER-STORE (QSTORE) 値は、その接点で検索される数量詞以外で意味の役割を担う娘の QSOTRE 値を結合したものになる。
隠喩的なイディオム(ins Fettnäpfchen treten (うっかりしたことを言っ て嫌われる))についても、修正が必要である。但し、この場合は、主要部の語彙素が Fettnäpfchen であるということを指定すればよい。つま り、数、限定、量化に関して制限がないため、量化や修飾が掛かる固定要素に対して独立した意味を割り当てることになる。例えば、 Fettnäpfchen の場合は、treten 以外の動詞とも結びつくためである。 (Erbach and Krenn (1993))。そのため、固定要素に量化とか修飾が可能なイディオムは、個々の構成要素(Fettnäpfchenとtreten)に転用される意味を割り当てて、それらの意味を構成的に結びつけるように処理していく。
j. Sie muß in jeaes diplomatische rettnapfcnen treten.
(彼女は、外交面でくだらないことを言って嫌われるに違いない。)
k. In welcnes Fettnäpfchen wird sie diesmal treten?
(今回、彼女はどんなくだらないことを言うのだろう。)
l. Sie läßt kein Fettnäpfchen aus.
(彼女は、油の入った鉢を取り除かない。)
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
a. auf den Hund kommen.
b. auf den leibhaftigen Hunf kommen.
それ故、本書では、leibhaftig をファジィ論理でいう一種のヘッジとして扱い、さらに、イディオム自体もヘッジと見なすことができるという立場でこの問題を処理している(イディオムの原理)。その理由は、慣用句がイゾト ピー(同位元素性)のようなテキスト内の様相パラメータを特別な方法で識別することができると考えているためである。
HPSG をツールとした他のイディオム分析に Erbach and Krenn (1993) がある。コロケーシヨンを前提にイディオムが議論されているが、特に、量化の内容の中で記述した数量詞継承原理(Quantifier Inheritance Principle (QIP)) がイディオム分析の鍵となっている。
まず、全体の表現の特性と見なされるイディオムは、分析不能として分類され、一方、部分的な修飾や指示的な使用が可能なためイディオムの一部に意味が割り当てられるべきものは、隠喩的として分類されています。
c. auf den Löffel abgeben.(さじを投ける、つまり、あきらめる)(分析不能)
d. in den sauce Apfel beißen. (嫌な仕事をする)(隠喩的)
c は、直接意味が割り当てられている。d は、「嫌な仕事」とden sauce Apfel (アップルソース)間および「行う」と beißen (嚙む)の間に一種の連結を作ることで理解される。
次に、受動化や修飾といったイディオムの統語特性が取り上げられている。通常、VPを形成するイディオムは、受動化が可能だが、それによってイディオムの意味合いが薄れることがある。
e. Hans gibt den Löffel ab.
f. Der Löffel wurde von Hans abgegeben. (イデイオム性は薄れる)
修飾が可能な場合(例えば、sprichwörterlich (諺の))も、イディオム性 が薄れるようである。
g. Er gab den sprichwörterliclien Löffel ab. (イディオム性は薄れる)
逆に、隠喩的なイディオムの構成要素が修飾されても、イディオムの意味合いは薄れない。
h. Hans macht große Augen. (じろじろ見る)
i. Hans macht ganz große Augen.
つまり、Erbach and Krenn (1993) は、統語特性の計算はできても、構成要素の意味を結合する通常の関数では、意味特性の計算はできないと述べ ている。
そこで、QIP を修正していく。分析不能なイディオム(例えば、die Leviten lesen (きつく叱る))に含まれている固定要素の die Leviten は、ユダヤ教の聖典(旧約聖書レビ記)と一種の意味関係を持っていると連想するであろう。しかし、これは、イディオムを理解する上で言語外的なことである。QIP は、意味の役割を担っていない場合でも、量化表現がリストに記述されなければならないことを義務づけている。それ故、 こうしたイディオムを語彙登録する場合、固定要素 die Leviten の意味を無視できるように、意味の役割は担っていないということを数量詞のリ ストに追記していく。
QIP
句の接点の QUANTIFIER-STORE (QSTORE) 値は、その接点で検索される数量詞以外で意味の役割を担う娘の QSOTRE 値を結合したものになる。
隠喩的なイディオム(ins Fettnäpfchen treten (うっかりしたことを言っ て嫌われる))についても、修正が必要である。但し、この場合は、主要部の語彙素が Fettnäpfchen であるということを指定すればよい。つま り、数、限定、量化に関して制限がないため、量化や修飾が掛かる固定要素に対して独立した意味を割り当てることになる。例えば、 Fettnäpfchen の場合は、treten 以外の動詞とも結びつくためである。 (Erbach and Krenn (1993))。そのため、固定要素に量化とか修飾が可能なイディオムは、個々の構成要素(Fettnäpfchenとtreten)に転用される意味を割り当てて、それらの意味を構成的に結びつけるように処理していく。
j. Sie muß in jeaes diplomatische rettnapfcnen treten.
(彼女は、外交面でくだらないことを言って嫌われるに違いない。)
k. In welcnes Fettnäpfchen wird sie diesmal treten?
(今回、彼女はどんなくだらないことを言うのだろう。)
l. Sie läßt kein Fettnäpfchen aus.
(彼女は、油の入った鉢を取り除かない。)
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ4
量化と同様に、修飾の問題も論理文法においてしばしば取り上げられる。ここでは、名詞を修飾す
る形容詞がテーマになる。また、それと関連してイディオムの内部を修飾する形容詞、例えば、“auf den leibhaftigen Hund kommen” の “leibhaftig” についても検討しますが、これは、フレー ゲの構成性原理がポイントになる。
ここでは、修飾語のうち、特に名詞を修飾するまたはイディオムの一部を修飾する形容詞が議論の対象になる。まず、付加的な形容詞 「青い」の語彙登録に関するローカルな値の処理を見てみよう。指標の制限が形容詞からなる psoa と N ’主要部の名詞からなる psoa を含んだ N' を形成するために、名詞の構成要素N' と結合することになる。しばしば議論になるが、色彩用語は、その値自体が目盛りを固定する隠れたパラメータになることがある。ここでは、「青さ」を決定する尺度がそれに当たる。つまり、「青い」という関係が、付加的な役割 (STANDARD) を持っていて、その値は、文脈上で決まる特徴であり、「青さ」を決定するための標準を提供してくれる。これにより次のような形容詞に対して制約を設けることが可能になる。
a. Das ist ein schönes Fenster.
b. Ein schöner Anzug ist teuer.
これらは、修飾する名詞と関連した特徴を変数とする関数として処理されるべきである。この立場に立つと、例えば、 “schön X”の内容は、Xの意味にかなり依存することになる。
しかし、次のように、「美しい」の標準が、修飾される名詞(肋骨) によって決まらないことがある。
Hans Castorp wurde im Berghof hier oben geröntigt. Dadurch sah er zuerst eine schöne Rippe.
重要な特徴(レントゲン写真)は、むしろ前述の文脈によって提供されると考えた方が自然である。標準 (STANDARD な属性値としての役割を果たすパラメータのアンカー)は、 修飾される名詞の特徴(関係)によって決まる一方、文脈に依存する場合もあるということになる。
“angeblich” のような形容詞は、“angeblich X” が、“X” である必要がないという理由から制約と一致しないように見える。この場合、名詞の制約は、“angeblich” な関係の変数として挿入される。 そして、
“angeblicher Täter” のような N’ の内容は、nom-obj になる。この種の名詞により言及される個人は、文脈上決まるある個人が、実際に犯罪者でなくても、犯罪者であると主張したという 条件によってのみ成立するからである。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
る形容詞がテーマになる。また、それと関連してイディオムの内部を修飾する形容詞、例えば、“auf den leibhaftigen Hund kommen” の “leibhaftig” についても検討しますが、これは、フレー ゲの構成性原理がポイントになる。
ここでは、修飾語のうち、特に名詞を修飾するまたはイディオムの一部を修飾する形容詞が議論の対象になる。まず、付加的な形容詞 「青い」の語彙登録に関するローカルな値の処理を見てみよう。指標の制限が形容詞からなる psoa と N ’主要部の名詞からなる psoa を含んだ N' を形成するために、名詞の構成要素N' と結合することになる。しばしば議論になるが、色彩用語は、その値自体が目盛りを固定する隠れたパラメータになることがある。ここでは、「青さ」を決定する尺度がそれに当たる。つまり、「青い」という関係が、付加的な役割 (STANDARD) を持っていて、その値は、文脈上で決まる特徴であり、「青さ」を決定するための標準を提供してくれる。これにより次のような形容詞に対して制約を設けることが可能になる。
a. Das ist ein schönes Fenster.
b. Ein schöner Anzug ist teuer.
これらは、修飾する名詞と関連した特徴を変数とする関数として処理されるべきである。この立場に立つと、例えば、 “schön X”の内容は、Xの意味にかなり依存することになる。
しかし、次のように、「美しい」の標準が、修飾される名詞(肋骨) によって決まらないことがある。
Hans Castorp wurde im Berghof hier oben geröntigt. Dadurch sah er zuerst eine schöne Rippe.
重要な特徴(レントゲン写真)は、むしろ前述の文脈によって提供されると考えた方が自然である。標準 (STANDARD な属性値としての役割を果たすパラメータのアンカー)は、 修飾される名詞の特徴(関係)によって決まる一方、文脈に依存する場合もあるということになる。
“angeblich” のような形容詞は、“angeblich X” が、“X” である必要がないという理由から制約と一致しないように見える。この場合、名詞の制約は、“angeblich” な関係の変数として挿入される。 そして、
“angeblicher Täter” のような N’ の内容は、nom-obj になる。この種の名詞により言及される個人は、文脈上決まるある個人が、実際に犯罪者でなくても、犯罪者であると主張したという 条件によってのみ成立するからである。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ3
Montague の PTQ に代表されるように、量化の問題 は、論理文法においてこれまで頻繁に扱われてきた。 例えば、パージングとシュガーリング、断片的なドイツ語の文法および直感主義論理によるドイツ語の文法などである。ここでは、HPSG が採用する状況意味論に基づいた量化に関する平易な意味分析を紹介する。
HPSG が採用しているAVM (attribute-value matrix) を使用して、量化の意味分析の例を紹介する。例文 “Ich erkläre einen Roman”(長編小説を説明する)には、素性構造と同様に統語情報として範疇や数または人称の一致などが存在し、そこに意味情報として文脈に依存する要素が重なっていく。
まず注目したいことは、意味の原理とAVM が矛盾している点である。SのCONTENT値が、主要部の娘(VP)の値と一 致しないためである。そこで、QSTORE値とCONTENT値を関連づける原理を改訂しなければならない。BACKGROUND の素性値である psoa (parametrized state of affairs) の素性構造の表記を再度検討してみよう。内部構造を持つ psoa と古い psoa および qpsoa を交換する。 違いは、量化の情報が非量化のNUCLEUS から分離している点である。 QUANTS の値は、数量詞のリストであり、NUCLEUSの値は、量化自由 の psoa (qfpsoa) と呼ばれるものである。“Ich erkläre einen Roman” の CONTENTは、次のように分析され、タグ [4] は、数量詞となる。
QUANT[4]
NUCLEUS RELATION erkläre / ERKLAERER [2] [1st, sing] / ERKLAERT [3]
qfpsoa
psoa
QSTOREとQUANTS 間の関係に制約を加える原理は、数量詞に対してスコープの割り当てを保証してくれる。タグ[4] は数量詞で、数量詞を他のアスペクトから切り離すと、残りの情報は、主要部の娘の NUCLEUS値と一致する。
主要部一付加語構造では、付加語の娘が親の CONTENT 値を決定し、それ以外の場合は、主要部の娘が決定することになる。例えば、意味の主要部の CONTENT が psoa かどうかによって二分されると、親と意味の主要部間で NUCLEUS だけが特定される点が鍵になる。RETRIEVED-QUANTIFIERS と呼ばれる新しい属性が導入されると、検索された数量詞が正確に調べられるといった効果が出る。これらは、数量詞継承の原理、解釈範囲の原理と呼ばれている。こうして、矛盾があった意味の原理は、修復される。
Pollard and Sag (1994) は、次のような例文を引いて、数量詞に関する制約をさらに課していく(数量詞束縛条件)。 これは、CONTENT値に関する広範な適格条件であり、次のように定義される。
a. One or her i students approached [each teacher] i.
b. The picture of himself i in his office delighted [each director] i.
c. [Each man] i talks to a friend of his i.
定義:CONTENT値内に含まれた数量詞を前提として、数量詞の指標の CONTENT 値における都度の出現が、その数量詞によって捉えられなければならない。
ここで注意すべきことは、数量詞が CONTENT 値内で出現する場所だけを、QUANTSリスト上に示していることである。但し、QUANTS リスト上にある数量詞は、指標の出現が、1) 数量詞の制限内にある、2) 同じQUANTSリスト上にある問題の数量詞の右側に現れる他の数量詞内にある、3) 問題となっている psoa のNUCLEUS 内にあるという条件付きとなる。つまり、論理形式の統語論によって意味の一般化を捉えようとする。それは、モデル理論の CONTENT 値の解釈が、制約の必要性を削減してくれるからである。条件を満たさない数量詞を含む CONTENTは、HPSG において単に解釈の対象外となっている。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
HPSG が採用しているAVM (attribute-value matrix) を使用して、量化の意味分析の例を紹介する。例文 “Ich erkläre einen Roman”(長編小説を説明する)には、素性構造と同様に統語情報として範疇や数または人称の一致などが存在し、そこに意味情報として文脈に依存する要素が重なっていく。
まず注目したいことは、意味の原理とAVM が矛盾している点である。SのCONTENT値が、主要部の娘(VP)の値と一 致しないためである。そこで、QSTORE値とCONTENT値を関連づける原理を改訂しなければならない。BACKGROUND の素性値である psoa (parametrized state of affairs) の素性構造の表記を再度検討してみよう。内部構造を持つ psoa と古い psoa および qpsoa を交換する。 違いは、量化の情報が非量化のNUCLEUS から分離している点である。 QUANTS の値は、数量詞のリストであり、NUCLEUSの値は、量化自由 の psoa (qfpsoa) と呼ばれるものである。“Ich erkläre einen Roman” の CONTENTは、次のように分析され、タグ [4] は、数量詞となる。
QUANT[4]
NUCLEUS RELATION erkläre / ERKLAERER [2] [1st, sing] / ERKLAERT [3]
qfpsoa
psoa
QSTOREとQUANTS 間の関係に制約を加える原理は、数量詞に対してスコープの割り当てを保証してくれる。タグ[4] は数量詞で、数量詞を他のアスペクトから切り離すと、残りの情報は、主要部の娘の NUCLEUS値と一致する。
主要部一付加語構造では、付加語の娘が親の CONTENT 値を決定し、それ以外の場合は、主要部の娘が決定することになる。例えば、意味の主要部の CONTENT が psoa かどうかによって二分されると、親と意味の主要部間で NUCLEUS だけが特定される点が鍵になる。RETRIEVED-QUANTIFIERS と呼ばれる新しい属性が導入されると、検索された数量詞が正確に調べられるといった効果が出る。これらは、数量詞継承の原理、解釈範囲の原理と呼ばれている。こうして、矛盾があった意味の原理は、修復される。
Pollard and Sag (1994) は、次のような例文を引いて、数量詞に関する制約をさらに課していく(数量詞束縛条件)。 これは、CONTENT値に関する広範な適格条件であり、次のように定義される。
a. One or her i students approached [each teacher] i.
b. The picture of himself i in his office delighted [each director] i.
c. [Each man] i talks to a friend of his i.
定義:CONTENT値内に含まれた数量詞を前提として、数量詞の指標の CONTENT 値における都度の出現が、その数量詞によって捉えられなければならない。
ここで注意すべきことは、数量詞が CONTENT 値内で出現する場所だけを、QUANTSリスト上に示していることである。但し、QUANTS リスト上にある数量詞は、指標の出現が、1) 数量詞の制限内にある、2) 同じQUANTSリスト上にある問題の数量詞の右側に現れる他の数量詞内にある、3) 問題となっている psoa のNUCLEUS 内にあるという条件付きとなる。つまり、論理形式の統語論によって意味の一般化を捉えようとする。それは、モデル理論の CONTENT 値の解釈が、制約の必要性を削減してくれるからである。条件を満たさない数量詞を含む CONTENTは、HPSG において単に解釈の対象外となっている。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ2
HPSG の音韻論について簡単に説明する。HPSG の PHON の値は、音素の連鎖と見なされている。一般的に HPSG のような記号ベースの理論は、制限の強い音韻論を採用する。例えば、記号には音韻論と意味属性が内在しており、それらを分散するために統語属性が制限を課していくと考えている。
各接点の属性値は、娘の属性値にとって関数となっている。これは、 範疇文法に基づいた音韻論と同様に、一 種の構成性原理を採用している。
記号は、音韻の内容、分散するための統語的な特徴そして意味への貢献といった少なくとも3つの次元で変化している。そして、より大きな記号を形成するために別の記号と結合していく。 また、文法組織は、形態素の貯蔵庫といえるレキシコンのために存在し、 形態素の構造に対する制限は、レキシコンに関する一般化と見なすことができる。つまり、レキシコンに関する一般化が、形態素として生じる記号に応用される。
論理文法には、自然言語と論理言語をつなぐための役割がある。また、 小説には必ず、様相、時間、存在といった推論と共有可能な情報が存在する。本書の目的は、とある作家(ここではThomas Mann) の文体がどのような推論なのかを考えていくことである。こうした言語の裏側に存在する推論を捉えるこができれば、緩衝材(ここでは PTQ など)を介して、人間とコンピュータの間に立てるロジックの方向性を決めることができる(ここではFuzzy Logic)。
まずポイントになるのが、Richard Montague の PTQ (The Proper Treatment of Quantification in Ordinaiy English)。夕イトルにもあるように、 PTQ は、量化の問題を取り上げ、自然言語と論理言語の翻訳技法について扱っ ている。PTQは、生成文法との整合性も良く(詳細にっいては、GPSG を参照すること)、この手法を概ね理解することができれば、英語の基本表現を基にした分析樹から内包論理への変換方法と、分析樹から簡単な英語の文へのシュガーリングという二重構造も理解できる。なお、シュガーリングは、パージングと逆のプロセスになる。
次に、直感主義論理を取り上げる。直感主義論理は、PTQ のような二重構造ではなく、シュガーリング と意味解釈に対する表現の形式化が存在するだけである。直感主義もやはり量化の問題について古典的な二値論理では対応できないという立場を取る。確かにタイプ理論が重要な役割を果たす。しかし、PTQ が考察した量化と照応だけではなく、条件文から文脈に依存するテキストのダイナミズムも視野に入れるため、本論では、PTQと類似した構造を持っMartin-Löf のタイプ理論を採用する。
直感主義論理と同様に、ファジィ論理は多値論理の系列に属している。 1960年代前半、Zadehは、厳密な数学と曖昧な現実との矛盾に橋渡しをすべく、真理値だけではなく概念に対しても曖昧な値を導入することに成功した。こうして産声を上げたファジィ理論は、システム系の理論として成長しつつ、言語系の研究者にも注目されるようになっていく。本書では、テキストの情報を処理するために最低限必要と思われる概念、 例えば、ファジイ集合、ファジイ論理、曖昧な数字そしてファジイコン トロールなどを「魔の山」に重ねて説明していく。そして、推論の土台となる記憶や知識の問題と話を照合しつつ、「魔の山」におけるイロニ 一的な距離の問題を音の情報も含めて考察する。つまり、本書における結論は、Thomas Mannのイロニーを形式論で記述する場合、ファジ イ推論を選択することが現状ではベストであるということになる。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
各接点の属性値は、娘の属性値にとって関数となっている。これは、 範疇文法に基づいた音韻論と同様に、一 種の構成性原理を採用している。
記号は、音韻の内容、分散するための統語的な特徴そして意味への貢献といった少なくとも3つの次元で変化している。そして、より大きな記号を形成するために別の記号と結合していく。 また、文法組織は、形態素の貯蔵庫といえるレキシコンのために存在し、 形態素の構造に対する制限は、レキシコンに関する一般化と見なすことができる。つまり、レキシコンに関する一般化が、形態素として生じる記号に応用される。
論理文法には、自然言語と論理言語をつなぐための役割がある。また、 小説には必ず、様相、時間、存在といった推論と共有可能な情報が存在する。本書の目的は、とある作家(ここではThomas Mann) の文体がどのような推論なのかを考えていくことである。こうした言語の裏側に存在する推論を捉えるこができれば、緩衝材(ここでは PTQ など)を介して、人間とコンピュータの間に立てるロジックの方向性を決めることができる(ここではFuzzy Logic)。
まずポイントになるのが、Richard Montague の PTQ (The Proper Treatment of Quantification in Ordinaiy English)。夕イトルにもあるように、 PTQ は、量化の問題を取り上げ、自然言語と論理言語の翻訳技法について扱っ ている。PTQは、生成文法との整合性も良く(詳細にっいては、GPSG を参照すること)、この手法を概ね理解することができれば、英語の基本表現を基にした分析樹から内包論理への変換方法と、分析樹から簡単な英語の文へのシュガーリングという二重構造も理解できる。なお、シュガーリングは、パージングと逆のプロセスになる。
次に、直感主義論理を取り上げる。直感主義論理は、PTQ のような二重構造ではなく、シュガーリング と意味解釈に対する表現の形式化が存在するだけである。直感主義もやはり量化の問題について古典的な二値論理では対応できないという立場を取る。確かにタイプ理論が重要な役割を果たす。しかし、PTQ が考察した量化と照応だけではなく、条件文から文脈に依存するテキストのダイナミズムも視野に入れるため、本論では、PTQと類似した構造を持っMartin-Löf のタイプ理論を採用する。
直感主義論理と同様に、ファジィ論理は多値論理の系列に属している。 1960年代前半、Zadehは、厳密な数学と曖昧な現実との矛盾に橋渡しをすべく、真理値だけではなく概念に対しても曖昧な値を導入することに成功した。こうして産声を上げたファジィ理論は、システム系の理論として成長しつつ、言語系の研究者にも注目されるようになっていく。本書では、テキストの情報を処理するために最低限必要と思われる概念、 例えば、ファジイ集合、ファジイ論理、曖昧な数字そしてファジイコン トロールなどを「魔の山」に重ねて説明していく。そして、推論の土台となる記憶や知識の問題と話を照合しつつ、「魔の山」におけるイロニ 一的な距離の問題を音の情報も含めて考察する。つまり、本書における結論は、Thomas Mannのイロニーを形式論で記述する場合、ファジ イ推論を選択することが現状ではベストであるということになる。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
論理文法に見るファジィらしさ1
ここでは、HPSGが採用する記号のシステムと Montague文法を中心とした論理文法の小史が議論の対象となる。特に、テキストのダイナミズムの扱い方を問題にする際、状況意味論、パージング・シュガーリングそして直感主義論理などをベースにして、単語や句または文章を扱いながら、論理文法を実際のテキストとマージしていく。まず、Pollard and Sag (1994) の第1章よりHPSGの記号シス テムを説明する。統語論、意味論および音韻論のマージを目指したCarl PollardとIvan A. Sagの心意気が読み取れることであろう。
HPSGの記号のシステムについて説明する。例えば、ドイツ語の人称代名詞 er を HPSG の素性構造によって表記してみよう。
HPSGが採用する素性構造は、分類型である。各接点は、分類記号(synsemやlocalなど)によるラベルを持っており、枝分かれの方向を示す属性ラベル(PHONやSYNSEM)も存在する。さらに、 AVM (attribute-value matrix) が採用されているため、全体的にも部分的にも分類が把握しやすくなっている。例えば、LOCALだけを抽出して言語表現を考察することもできる。
SYNSEMは、SYNTAXとSEMANTICSとういう2つの属性からなる複合情報である。SYNSEMは、例えば、補文の主語やto不定詞句の支配語が共有する情報を含むることから、特定の複合表現を単一表現に局所化する必要ができる。それが、LOCAL(LOC)である。この情報には、 CATEGORY (CAT)、CONTENT (CONT)、CONTEXT (CONX)という 3つ の属性が存在する。CATは、HEADとSUBCATという属性を含んでいる。
HEADの値には、substantive (subst)と functional (fimct)が存在する。前者 には、名詞(noun)、動詞(verb)、形容詞(adjective)、前置詞(preposition)が、 後者には、限定子(determiner) やマーカー(complimentizer) が含まれる。名詞は、格(CASE)の素性を、前置詞は、前置詞の書式 (PFORM) を、動詞は、ブール素性(AUXILIARY (AUX)、PREDICATIVE (PRD))、置換 (INVERTED (INV)) といった属性 VFORM を持つ。SUBCATの値は、記号のバランスを示唆するもので、問題の記号が飽和状態を作る上で他にどのような記号と結合すればよいのかという指定になる。例えば、格の割り当てである。
CONTは、INDEXと呼ばれる属性を担う nominal object (nom-obj) とい う素性構造である。“er rasiert sich”「彼は髭を剃る」という文の場合、er と sich は構造上のインデックスを共有する。“er” の CONTENT 値は personal pronoun (ppro)、“sich” の CONTENT 値は reflexive (refl) になる。この属性は、特に呼応(agreement) の問題で重要になる。さらに、意味上の制約を表すために、RESTICTION 属性を設けている。これは、バラメ 一夕寒象(parametrized state of affairs (psoa)) を考慮するためのものである。
CONXは、BACKGROUND (BACKR)と呼ばれる context 属性を持っている。これも psoa に対応する。しかし、CONTENT値が文字通りの意味と関連するのに対して、BACKGROUND 値の方は、前提条件に対応するア ンカー条件を表している。例えば、上図の “er” は、男性を受けることが前提となっている。
nelist (nonempty list) と elist (empty list) は、一種の素性構造である。前者には、FIRSTとRESTという二つの属性が指定される一方、後者にはいかなる属性ラベルも適応されない。また、e は、モデル化するための接点を導くものであり、便宜上、ε が存在する場合、neset ラベルを、存在しない場合、eset ラベルを担うことになる。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
HPSGの記号のシステムについて説明する。例えば、ドイツ語の人称代名詞 er を HPSG の素性構造によって表記してみよう。
HPSGが採用する素性構造は、分類型である。各接点は、分類記号(synsemやlocalなど)によるラベルを持っており、枝分かれの方向を示す属性ラベル(PHONやSYNSEM)も存在する。さらに、 AVM (attribute-value matrix) が採用されているため、全体的にも部分的にも分類が把握しやすくなっている。例えば、LOCALだけを抽出して言語表現を考察することもできる。
SYNSEMは、SYNTAXとSEMANTICSとういう2つの属性からなる複合情報である。SYNSEMは、例えば、補文の主語やto不定詞句の支配語が共有する情報を含むることから、特定の複合表現を単一表現に局所化する必要ができる。それが、LOCAL(LOC)である。この情報には、 CATEGORY (CAT)、CONTENT (CONT)、CONTEXT (CONX)という 3つ の属性が存在する。CATは、HEADとSUBCATという属性を含んでいる。
HEADの値には、substantive (subst)と functional (fimct)が存在する。前者 には、名詞(noun)、動詞(verb)、形容詞(adjective)、前置詞(preposition)が、 後者には、限定子(determiner) やマーカー(complimentizer) が含まれる。名詞は、格(CASE)の素性を、前置詞は、前置詞の書式 (PFORM) を、動詞は、ブール素性(AUXILIARY (AUX)、PREDICATIVE (PRD))、置換 (INVERTED (INV)) といった属性 VFORM を持つ。SUBCATの値は、記号のバランスを示唆するもので、問題の記号が飽和状態を作る上で他にどのような記号と結合すればよいのかという指定になる。例えば、格の割り当てである。
CONTは、INDEXと呼ばれる属性を担う nominal object (nom-obj) とい う素性構造である。“er rasiert sich”「彼は髭を剃る」という文の場合、er と sich は構造上のインデックスを共有する。“er” の CONTENT 値は personal pronoun (ppro)、“sich” の CONTENT 値は reflexive (refl) になる。この属性は、特に呼応(agreement) の問題で重要になる。さらに、意味上の制約を表すために、RESTICTION 属性を設けている。これは、バラメ 一夕寒象(parametrized state of affairs (psoa)) を考慮するためのものである。
CONXは、BACKGROUND (BACKR)と呼ばれる context 属性を持っている。これも psoa に対応する。しかし、CONTENT値が文字通りの意味と関連するのに対して、BACKGROUND 値の方は、前提条件に対応するア ンカー条件を表している。例えば、上図の “er” は、男性を受けることが前提となっている。
nelist (nonempty list) と elist (empty list) は、一種の素性構造である。前者には、FIRSTとRESTという二つの属性が指定される一方、後者にはいかなる属性ラベルも適応されない。また、e は、モデル化するための接点を導くものであり、便宜上、ε が存在する場合、neset ラベルを、存在しない場合、eset ラベルを担うことになる。
花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析7
7 まとめ
「魔の山」のデータベースの作り方と統計処理の推定による分析例を説明した。論理計算によるトーマス・マンとファジィというシナジーのメタファーを支えるために、データベースを作成し、実験を重ねてさらに客観性を上げていくつもりである。
問題解決の場面には、作家の執筆脳に関する情報が見え隠れしているため、さらに他のカラムと調節しながら、考察を続けていきたい。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?
新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む
華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 森鴎外の「佐橋甚五郎」のデータベースとバラツキによる分析
中国日语教学研究会江苏分会 2016
花村嘉英 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外の
データベースまで 南京東南大学出版社 2017
Mann, Thomas: Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
日本成人病予防協会監修:健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
佐々木隆宏 流れるようにわかる統計学 東京:KADOKAWA 2017
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
「魔の山」のデータベースの作り方と統計処理の推定による分析例を説明した。論理計算によるトーマス・マンとファジィというシナジーのメタファーを支えるために、データベースを作成し、実験を重ねてさらに客観性を上げていくつもりである。
問題解決の場面には、作家の執筆脳に関する情報が見え隠れしているため、さらに他のカラムと調節しながら、考察を続けていきたい。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?
新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む
華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 森鴎外の「佐橋甚五郎」のデータベースとバラツキによる分析
中国日语教学研究会江苏分会 2016
花村嘉英 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外の
データベースまで 南京東南大学出版社 2017
Mann, Thomas: Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
日本成人病予防協会監修:健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
佐々木隆宏 流れるようにわかる統計学 東京:KADOKAWA 2017
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析6
6 推定によるデータベースの分析
「魔の山」のデータベースの中で、特に問題解決の場面が考察の対象となる。その中で問題解決の場面の比率は0.2とする。母集団から標本を抽出するとき、ファジィという論理計算の結果を基にして、信頼度を95%とするには、誤差を0.09以下にするのに標本はおよそいくつ必要になるのであろうか。
標本の大きさをnとすると、標本平均と母平均との差の絶対値は95%の確立で、
1.96√0.2(1-0.2)/n 以下であるから、1.96√0.2(1-0.2)/n≦0.09 であればよい。それゆえに、
n≧76.1・・・。よって、n≧77とすればよい。
但し、小説の構成を単純に起承転結とした場合、起承の部分には問題解決の場面が比較的少ないため、分析の対象を増やすことにより数字の調節ができると考えている。例えば、「魔の山」のデータベースから無作為に1000ラインの幅でデータを選んだ場合、比率が0.2前後になることを説明できれば、上記仮定が正しいことになる。サンプル的に100ライン単位で小さな問題解決の場面も含めて数字にしてみる。
表2 問題解決の場面数
ライン 1から100, 100から200, 200から300, 300から400, 400から500, 500から600, 600から700, 700から800, 800から900, 900から1000, 1100から1200, 1100から1200, 1200から1300, 1300から1400, 1400から1500, 1500から1600, 1600から1700, 1700から1800, 1800から1900, 1900から2000
問題解決 3, 2, 10, 29, 21, 18, 22, 9, 11, 19, 40, 18, 18, 28, 25, 32, 28, 25, 47, 13
の場面
理論的には、n≧77であるから、1600越えぐらいで400となればよい。現状のデータベースでは1800越えであるため多少の修正が必要である。そこで、比率を0.25にすると、n≧89.2となり、表2の数字に近くなるため、問題解決の場面の比率は、0.25ぐらいで良いであろう。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
「魔の山」のデータベースの中で、特に問題解決の場面が考察の対象となる。その中で問題解決の場面の比率は0.2とする。母集団から標本を抽出するとき、ファジィという論理計算の結果を基にして、信頼度を95%とするには、誤差を0.09以下にするのに標本はおよそいくつ必要になるのであろうか。
標本の大きさをnとすると、標本平均と母平均との差の絶対値は95%の確立で、
1.96√0.2(1-0.2)/n 以下であるから、1.96√0.2(1-0.2)/n≦0.09 であればよい。それゆえに、
n≧76.1・・・。よって、n≧77とすればよい。
但し、小説の構成を単純に起承転結とした場合、起承の部分には問題解決の場面が比較的少ないため、分析の対象を増やすことにより数字の調節ができると考えている。例えば、「魔の山」のデータベースから無作為に1000ラインの幅でデータを選んだ場合、比率が0.2前後になることを説明できれば、上記仮定が正しいことになる。サンプル的に100ライン単位で小さな問題解決の場面も含めて数字にしてみる。
表2 問題解決の場面数
ライン 1から100, 100から200, 200から300, 300から400, 400から500, 500から600, 600から700, 700から800, 800から900, 900から1000, 1100から1200, 1100から1200, 1200から1300, 1300から1400, 1400から1500, 1500から1600, 1600から1700, 1700から1800, 1800から1900, 1900から2000
問題解決 3, 2, 10, 29, 21, 18, 22, 9, 11, 19, 40, 18, 18, 28, 25, 32, 28, 25, 47, 13
の場面
理論的には、n≧77であるから、1600越えぐらいで400となればよい。現状のデータベースでは1800越えであるため多少の修正が必要である。そこで、比率を0.25にすると、n≧89.2となり、表2の数字に近くなるため、問題解決の場面の比率は、0.25ぐらいで良いであろう。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析5
5 DBの作成法と分析
DBの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。DBの数字は、登場人物を動かしながら考えている。こうしたDBを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基く脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。執筆脳は、問題解決の場面で強くなる。(花村2015、花村2017)作成したDBの大きさは、およそ5000ラインである。
表1 魔の山のDBのカラム
項目名 内容 説明
文法1 量化 不定代名詞、相互代名詞。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 可能、推量、必然、義務など。
文法5 イディオム 様相の拡大。
意味1 個性 若い、背が高い、我慢強いなど。
意味2 距離 現実的または心理的に近い、中位、遠い
意味3 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚
意味4 振舞い 振舞い
意味5 数字 いろいろな数字。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組 「イロニーとファジィ」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
認知プロセス1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
認知プロセス2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。
認知プロセス3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
人工知能1 ファジィ、ニューラル 「イロニーとファジィ」が入力で、「ファジィとニューラル」が出力となる。
人工知能2 エキスパート リスク回避を目的とした行動に注目する。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
DBの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。DBの数字は、登場人物を動かしながら考えている。こうしたDBを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基く脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。執筆脳は、問題解決の場面で強くなる。(花村2015、花村2017)作成したDBの大きさは、およそ5000ラインである。
表1 魔の山のDBのカラム
項目名 内容 説明
文法1 量化 不定代名詞、相互代名詞。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 可能、推量、必然、義務など。
文法5 イディオム 様相の拡大。
意味1 個性 若い、背が高い、我慢強いなど。
意味2 距離 現実的または心理的に近い、中位、遠い
意味3 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚
意味4 振舞い 振舞い
意味5 数字 いろいろな数字。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組 「イロニーとファジィ」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
認知プロセス1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
認知プロセス2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。
認知プロセス3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
人工知能1 ファジィ、ニューラル 「イロニーとファジィ」が入力で、「ファジィとニューラル」が出力となる。
人工知能2 エキスパート リスク回避を目的とした行動に注目する。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析4
4 トーマス・マンの脳の活動はファジィ
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。この批判的な距離は、イロニー的な距離となりうるだろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。
ザデーはファジィを次のように定義する。正確さと複雑さは両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて性格ではっきりとした主張は出来なくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き止めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより、より良い結果をもたらすことができると主張している。トーマス・マンのイロニーとファジィ理論の整合性については、著作の中ですでに実証済みである。(花村2015、花村2017)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。この批判的な距離は、イロニー的な距離となりうるだろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。
ザデーはファジィを次のように定義する。正確さと複雑さは両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて性格ではっきりとした主張は出来なくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き止めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより、より良い結果をもたらすことができると主張している。トーマス・マンのイロニーとファジィ理論の整合性については、著作の中ですでに実証済みである。(花村2015、花村2017)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析3
3 データベースを作成するフローチャート
@ 知的財産が自分と近い作家を選択する。
A 場面のイメージのDBを作成する。場面が浮かぶように話をまとめる。
B 解析イメージから何かの組を作る。言語解析は構文と意味が対象になる。
C 認知科学のモデルは、Lのプロセス全体に適用される。例、前半は言語の分析、後半は情報の分析。
D 場面ごとに問題の解決と未解決を確認する。
E 問題解決の場面では、Lに縦横滑ってCに到達後、解析イメージに戻る。問題未解決の場面では、すぐに解析イメージに戻る。
F 各分野の専門家が思い描くリスク回避を参考にしながら、作家の執筆時の脳の活動を想定する。
G 問題解決の場面を中心にして、テキストの共生について考察する。
@、A、Bは受容の読みのプロセス、Cは認知科学の前半と後半、D、Eは異質のCとのイメージ合わせになり、Fで作家の脳の活動を探り、Gでシナジーのメタファーに到達する。DBの作成については、これらが全て収まるようにカラムを工夫すること。
@ 一文一文解析しながら、選択した作家の知的財産を追っていく。例えば、受容の段階で文体などの平易な読みを想定し、共生の段階で知的財産に纏わる異質のCを探る。この作業はAとBでも行われる。
A 場面のイメージが浮かぶような対照表を作る。
B テキストの解析を何れかの組にする。例えば、トーマス・マンは「イロニーとファジィ」、魯迅は「馬虎と記憶」という組にする。組が見つからなければ、@からBのプロセスを繰り返す。
C 認知プロセスの前半と後半を確認する。
D 場面の情報の流れを考える。問題解決と問題未解決で場面を分ける。
E 問題解決の場面は、異質のCに到達後、解析イメージにリターンする。問題未解決の場面は、すぐに解析イメージにリターンする。こう考えると、システムがスムーズになる。
F 各分野のエキスパートが思い描くリスク回避と意志決定がテーマである。緊急着陸、救急医療、株式市場、環境問題などから生成イメージにつながるようにリスク回避のポイントを作る。そこから、作家の意思決定を考える。
G これにより作家の脳の活動の一例といえるシナジーのメタファーが作られる。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、テキスト共生に基づいた組のアンサンブルであり、文学をマクロに考えるための方法である。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
@ 知的財産が自分と近い作家を選択する。
A 場面のイメージのDBを作成する。場面が浮かぶように話をまとめる。
B 解析イメージから何かの組を作る。言語解析は構文と意味が対象になる。
C 認知科学のモデルは、Lのプロセス全体に適用される。例、前半は言語の分析、後半は情報の分析。
D 場面ごとに問題の解決と未解決を確認する。
E 問題解決の場面では、Lに縦横滑ってCに到達後、解析イメージに戻る。問題未解決の場面では、すぐに解析イメージに戻る。
F 各分野の専門家が思い描くリスク回避を参考にしながら、作家の執筆時の脳の活動を想定する。
G 問題解決の場面を中心にして、テキストの共生について考察する。
@、A、Bは受容の読みのプロセス、Cは認知科学の前半と後半、D、Eは異質のCとのイメージ合わせになり、Fで作家の脳の活動を探り、Gでシナジーのメタファーに到達する。DBの作成については、これらが全て収まるようにカラムを工夫すること。
@ 一文一文解析しながら、選択した作家の知的財産を追っていく。例えば、受容の段階で文体などの平易な読みを想定し、共生の段階で知的財産に纏わる異質のCを探る。この作業はAとBでも行われる。
A 場面のイメージが浮かぶような対照表を作る。
B テキストの解析を何れかの組にする。例えば、トーマス・マンは「イロニーとファジィ」、魯迅は「馬虎と記憶」という組にする。組が見つからなければ、@からBのプロセスを繰り返す。
C 認知プロセスの前半と後半を確認する。
D 場面の情報の流れを考える。問題解決と問題未解決で場面を分ける。
E 問題解決の場面は、異質のCに到達後、解析イメージにリターンする。問題未解決の場面は、すぐに解析イメージにリターンする。こう考えると、システムがスムーズになる。
F 各分野のエキスパートが思い描くリスク回避と意志決定がテーマである。緊急着陸、救急医療、株式市場、環境問題などから生成イメージにつながるようにリスク回避のポイントを作る。そこから、作家の意思決定を考える。
G これにより作家の脳の活動の一例といえるシナジーのメタファーが作られる。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、テキスト共生に基づいた組のアンサンブルであり、文学をマクロに考えるための方法である。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析2
2 フォーマットL
上記の「計算文学入門」を書きながら、小説を読んで思うという分析は、縦に言語、文学の流れとなり、続けて横にイロニーに関する情報の分析があることに気がついた。つまり、文型と理系の間にTの逆さで認知科学を想定して、人文科学と縦に二本の柱を作るファーマットを崩して、縦に言語、文学を分析する認知と横に情報を分析する認知と区別することにより、研究のフォーマットをLにシフトした。
研究のフォーマットのシフトは、また、文学をマクロに考察する場合に役に立つ。一般的に地球規模の研究、文学では、東西南北の国地域の比較を言葉を変えながら作品を分析することがマクロの評価項目の一つである。そこに、伝統的な人文、文化、社会の比較とかシステムとメディカルの比較のみならず、フォーマットLも考慮に入れる。
フォーマットLを評価項目に加えることにより、通常、ボトムアップだけで実績を作るところに、トップダウンで主の専門以外の系列が零点にならないような調整が必要になってくる。また、技術文の翻訳作業による理系のアイデアの調節も生きてくる。小説に関するLのストーリーを使用してDBを作成する場合、エクセルデータの横のラインがリレーショナルになるように、文系と理系のカラムを設けるためである。理系のカラムを設定するには、何れかの理系の実績が必要になるためである。(花村2015、花村2017、花村2018、花村2022)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
上記の「計算文学入門」を書きながら、小説を読んで思うという分析は、縦に言語、文学の流れとなり、続けて横にイロニーに関する情報の分析があることに気がついた。つまり、文型と理系の間にTの逆さで認知科学を想定して、人文科学と縦に二本の柱を作るファーマットを崩して、縦に言語、文学を分析する認知と横に情報を分析する認知と区別することにより、研究のフォーマットをLにシフトした。
研究のフォーマットのシフトは、また、文学をマクロに考察する場合に役に立つ。一般的に地球規模の研究、文学では、東西南北の国地域の比較を言葉を変えながら作品を分析することがマクロの評価項目の一つである。そこに、伝統的な人文、文化、社会の比較とかシステムとメディカルの比較のみならず、フォーマットLも考慮に入れる。
フォーマットLを評価項目に加えることにより、通常、ボトムアップだけで実績を作るところに、トップダウンで主の専門以外の系列が零点にならないような調整が必要になってくる。また、技術文の翻訳作業による理系のアイデアの調節も生きてくる。小説に関するLのストーリーを使用してDBを作成する場合、エクセルデータの横のラインがリレーショナルになるように、文系と理系のカラムを設けるためである。理系のカラムを設定するには、何れかの理系の実績が必要になるためである。(花村2015、花村2017、花村2018、花村2022)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析1
1 自作の入門について
1989年から1990年代前半にかけて、ドイツのチュービンゲン大学に留学し、意味論を研究した。当時の私の研究テーマは、論理文法で有名なモンターギュ文法を使用したテキスト分析であった。モンターギュ文法は、認知科学の枠組みで言語理論の研究者が、生成文法と組み合わせて構文と意味を解析するために取り組んでいた。
研究の題材は、トーマス・マンの「魔の山」であり、作品を読みながらドイツ語の構文と意味の解析について分析し、トーマス・マンのイロニーを説明した。しかし、ここで思うことがあった。トーマス・マンのイロニーが理解できるのは、ドイツ語の習得が進んだからであろうか。
作家が作品を執筆しているときには、当然、何れかの脳の活動がある。トーマス・マンの場合もそれが何かであり、読んで思うイロニーもそこに近づいていくため、内容が理解できると思うようになった。読んで思うトーマス・マンのイロニーは、人工知能でいうファジィ推論に近いことを「魔の山」のいくつかの場面を例にして説明することができた。
ドイツから帰国後、英日、独日の技術文の翻訳作業に10年余り従事した。文系から寄せて理系のアイデアを調節する機会を得るためである。こうして、2005年、「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」という研究本を出版することができた。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
1989年から1990年代前半にかけて、ドイツのチュービンゲン大学に留学し、意味論を研究した。当時の私の研究テーマは、論理文法で有名なモンターギュ文法を使用したテキスト分析であった。モンターギュ文法は、認知科学の枠組みで言語理論の研究者が、生成文法と組み合わせて構文と意味を解析するために取り組んでいた。
研究の題材は、トーマス・マンの「魔の山」であり、作品を読みながらドイツ語の構文と意味の解析について分析し、トーマス・マンのイロニーを説明した。しかし、ここで思うことがあった。トーマス・マンのイロニーが理解できるのは、ドイツ語の習得が進んだからであろうか。
作家が作品を執筆しているときには、当然、何れかの脳の活動がある。トーマス・マンの場合もそれが何かであり、読んで思うイロニーもそこに近づいていくため、内容が理解できると思うようになった。読んで思うトーマス・マンのイロニーは、人工知能でいうファジィ推論に近いことを「魔の山」のいくつかの場面を例にして説明することができた。
ドイツから帰国後、英日、独日の技術文の翻訳作業に10年余り従事した。文系から寄せて理系のアイデアを調節する機会を得るためである。こうして、2005年、「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」という研究本を出版することができた。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える7
3 まとめ
トーマス・マンの「魔の山」に登場する男と女についてデータベースから心理学統計による人物評価をしてみると、満足度に関して差があることが分かった。
参考文献
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁/戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019
花村嘉英 トーマス・マンの「魔の山」のデータベース 2015
Thomas Mann Der Zauberberg Fischer 1986
トーマス・マンの「魔の山」に登場する男と女についてデータベースから心理学統計による人物評価をしてみると、満足度に関して差があることが分かった。
参考文献
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁/戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019
花村嘉英 トーマス・マンの「魔の山」のデータベース 2015
Thomas Mann Der Zauberberg Fischer 1986
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える6
1 最初は不満度に差がないと予測する。男性と女性の平均値を取ると、男性0.9、女性1.0になる。この差は誤差の可能性がある。
2 満足度の1、2、3は独立変数であり、それにともなう不満度は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2、3が要因で、独立変数の実際の値、不満度が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。
[満足度のt検定]
男0.9、女1.0、よってt値=0.1。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は、0.02にする。ここでは5%以下のため、対立仮説の差があるを採択する。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
2 満足度の1、2、3は独立変数であり、それにともなう不満度は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2、3が要因で、独立変数の実際の値、不満度が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。
[満足度のt検定]
男0.9、女1.0、よってt値=0.1。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は、0.02にする。ここでは5%以下のため、対立仮説の差があるを採択する。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える5
解答 性別による不満度の違い
具体度2
Frau Salomon aus Amsterdam zum Beispiel, trotz dem Vergnügen, das die Untersuchungen und das damit verbundene Zurschaustellen feinster Spitzenwäsche ihr bereiteten, reiste vollständig wilder- und falscherweise ab, ohne jede Erlaubnis und nicht, weil es ihr besser, sondern weil es ihr immer schlechter ging.
男0 女1
Ihr Aufenthalt hier oben verlor sich weit zurück hinter Hans Castorps Ankunft; länger als ein Jahr war es her, daß sie eingetroffen war, - mit einer ganz leichten Affektion, für die ihr drei Monate zudiktiert worden waren. Nach vier Monaten hatte sie "in vier Wochen sicher gesund " sein sollen, aber sechs Wochen später hatte von Heilung überhaupt nicht die Rede sein können: sie müsse, hatte es geheißen, mindestens noch vier Monate bleiben.
男1 女1
So war es fortgegangen, und es war ja kein Bagno und kein sibirisches Bergwerk hier, - Frau Salomon war geblieben und hatte feinstes Unterzeug an den Tag gelegt. 男0 女1
Da sie nun aber nach der letzten Untersuchung, im Angesicht der Schneeschmelze, eine neue Zulage von fünf Monaten erhalten hatte, wegen Pfeifens links oben und unverkennbarer Mißtöne unter der linken Achsel, war ihr die Geduld gerissen, und mit Protest, unter Schmähungen auf 'Dorf' und 'Platz', auf die berühmte Luft, das Internationale Haus 'Berghof' und die Ärzte reiste sie ab, nach Hause, nach Amsterdam, einer zugigen Wasserstadt. 男0 女2
War das klug gehandelt? Hofrat Behrens hob Schultern und Arme auf und ließ die letzteren geräuschvoll gegen die Schenkel zurückfallen. Spätestens im Herbst, sagte er, werde Frau Salomon wieder da sein, - dann aber auf immer. Würde er recht behalten? Wir werden sehen, wir sind noch auf längere Erdenzeit an diesen Lustort gebunden. Aber der Fall Salomon war also durchaus nicht der einige seiner Art. 男2 女2
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
具体度2
Frau Salomon aus Amsterdam zum Beispiel, trotz dem Vergnügen, das die Untersuchungen und das damit verbundene Zurschaustellen feinster Spitzenwäsche ihr bereiteten, reiste vollständig wilder- und falscherweise ab, ohne jede Erlaubnis und nicht, weil es ihr besser, sondern weil es ihr immer schlechter ging.
男0 女1
Ihr Aufenthalt hier oben verlor sich weit zurück hinter Hans Castorps Ankunft; länger als ein Jahr war es her, daß sie eingetroffen war, - mit einer ganz leichten Affektion, für die ihr drei Monate zudiktiert worden waren. Nach vier Monaten hatte sie "in vier Wochen sicher gesund " sein sollen, aber sechs Wochen später hatte von Heilung überhaupt nicht die Rede sein können: sie müsse, hatte es geheißen, mindestens noch vier Monate bleiben.
男1 女1
So war es fortgegangen, und es war ja kein Bagno und kein sibirisches Bergwerk hier, - Frau Salomon war geblieben und hatte feinstes Unterzeug an den Tag gelegt. 男0 女1
Da sie nun aber nach der letzten Untersuchung, im Angesicht der Schneeschmelze, eine neue Zulage von fünf Monaten erhalten hatte, wegen Pfeifens links oben und unverkennbarer Mißtöne unter der linken Achsel, war ihr die Geduld gerissen, und mit Protest, unter Schmähungen auf 'Dorf' und 'Platz', auf die berühmte Luft, das Internationale Haus 'Berghof' und die Ärzte reiste sie ab, nach Hause, nach Amsterdam, einer zugigen Wasserstadt. 男0 女2
War das klug gehandelt? Hofrat Behrens hob Schultern und Arme auf und ließ die letzteren geräuschvoll gegen die Schenkel zurückfallen. Spätestens im Herbst, sagte er, werde Frau Salomon wieder da sein, - dann aber auf immer. Würde er recht behalten? Wir werden sehen, wir sind noch auf längere Erdenzeit an diesen Lustort gebunden. Aber der Fall Salomon war also durchaus nicht der einige seiner Art. 男2 女2
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える4
2.3 「魔の山」の不満度
「魔の山」は、ハンス・カストルプがスイスのダボスにある療養所に従兄弟のヨアヒム・ツィームセンを訪問し、ベーレンス院長の肺の治療や多国籍で特徴のある登場人物が織りなす人間模様を通して人間的に成長していく内容である。ここでは、この小論の研究テーマ、性別による満足度の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。
解答 性別による不満度の違い
具体度1
Karoline Stöhr war entsetzlich. Wenn irgend etwas den jungen Hans Castorp in seinen redlich gemeinten geistigen Bemühungen störte, so war es das Sein und Wesen dieser Frau.
男2 女0
Ihre beständigen Bildungsschnitzer hätten genügt. Sie sagte "Agonje" statt "Todeskampf"; "insolvent", wenn sie jemandem Frecheit zum Vorwurf machte, und gab über die astronomischen Vorgänge, die eine Sonnenfinsternis zeitigen, den greulichsten Unsinn zum besten. 男1 女0
Mit den liegenden Schneemassen, sagte sie, sei es "eine wahre Kapazität"; und eines Tages setzte sie Herrn Sttembrini in lang andauerndes Erstaunen durch die Mitteilung, sie lese zur Zeit ein der Anstaltsbibliothek entnommenes Buch, das ihn angehe, nämlich "Benedetto Cenilli in der Übersetzung von Schiller!"
男0 女0
Sie liebte Redensarten, die dem jungen Hans Castorp, ihrer Abgeschmacktheit und modisch ordinären Verbrauchheit wegen, auf die Nerven gingen, wie zum Beispiel: "Das ist die Höhe!" oder "Du ahnst es nicht!"
男2 女2
Und da die Bezeichnung "blendend", die das Modemaul lange Zeit für "glänzend" oder "vorzüglich" gebraucht hatte, sich als gänzlich ausgelaugt, entkräftet, prostituiert und sohin veraltet erwies, so warf sie sich auf das Neueste, nämlich das Wort "verheerend", und fand nun, im Ernst oder höhnischerweise, alles "verheerend", die Schlittenbahn, die Mehlspeise und ihre eigenen Leibeswärme, was ebenfalls ekelhaft anmutete.
男1 女1
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
「魔の山」は、ハンス・カストルプがスイスのダボスにある療養所に従兄弟のヨアヒム・ツィームセンを訪問し、ベーレンス院長の肺の治療や多国籍で特徴のある登場人物が織りなす人間模様を通して人間的に成長していく内容である。ここでは、この小論の研究テーマ、性別による満足度の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。
解答 性別による不満度の違い
具体度1
Karoline Stöhr war entsetzlich. Wenn irgend etwas den jungen Hans Castorp in seinen redlich gemeinten geistigen Bemühungen störte, so war es das Sein und Wesen dieser Frau.
男2 女0
Ihre beständigen Bildungsschnitzer hätten genügt. Sie sagte "Agonje" statt "Todeskampf"; "insolvent", wenn sie jemandem Frecheit zum Vorwurf machte, und gab über die astronomischen Vorgänge, die eine Sonnenfinsternis zeitigen, den greulichsten Unsinn zum besten. 男1 女0
Mit den liegenden Schneemassen, sagte sie, sei es "eine wahre Kapazität"; und eines Tages setzte sie Herrn Sttembrini in lang andauerndes Erstaunen durch die Mitteilung, sie lese zur Zeit ein der Anstaltsbibliothek entnommenes Buch, das ihn angehe, nämlich "Benedetto Cenilli in der Übersetzung von Schiller!"
男0 女0
Sie liebte Redensarten, die dem jungen Hans Castorp, ihrer Abgeschmacktheit und modisch ordinären Verbrauchheit wegen, auf die Nerven gingen, wie zum Beispiel: "Das ist die Höhe!" oder "Du ahnst es nicht!"
男2 女2
Und da die Bezeichnung "blendend", die das Modemaul lange Zeit für "glänzend" oder "vorzüglich" gebraucht hatte, sich als gänzlich ausgelaugt, entkräftet, prostituiert und sohin veraltet erwies, so warf sie sich auf das Neueste, nämlich das Wort "verheerend", und fand nun, im Ernst oder höhnischerweise, alles "verheerend", die Schlittenbahn, die Mehlspeise und ihre eigenen Leibeswärme, was ebenfalls ekelhaft anmutete.
男1 女1
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える3
2.2 実験計画
【研究テーマ】
質問 登場人物の不満度の違い。
帰無仮説 登場人物の不満度に差がない。(5%以上)
対立仮説 登場人物の不満度に差がある。(5%以下)
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でというと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
【研究テーマ】
質問 登場人物の不満度の違い。
帰無仮説 登場人物の不満度に差がない。(5%以上)
対立仮説 登場人物の不満度に差がある。(5%以下)
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でというと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える2
2 心理学統計
心理学統計では、心の働きを数値化しながら客観性を計り、集計や分析を試みる。心を測定する時は、様々な要因がデータに含まれるため、データには誤差が付き物である。そのため、統計学により誤差を取り除き真の値を求めていく必要がある。そうすると、限られた人数のデータから人間一般に共通する心の働きも推測可能になる。
2.1 有意性検定
科学では全般的に仮説を立てて検証する方法が使われる。実吉(2013)によると、検定の際に仮説が成り立つかどうかは、作成したデータから決めていく。検定の対象は、そこに有意性の差があるかどうかである。例えば、男女で不安度に差があるのかどうか、または満足度に差があるのかどうか。こうした問題に対してデータを集めながら検定すると、解答が見えてくる。
【検定の流れ】
帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する
ここで、帰無仮説とは、比較する数値間に差がないという仮説である。対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり背理法による命題の証明である。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計では、心の働きを数値化しながら客観性を計り、集計や分析を試みる。心を測定する時は、様々な要因がデータに含まれるため、データには誤差が付き物である。そのため、統計学により誤差を取り除き真の値を求めていく必要がある。そうすると、限られた人数のデータから人間一般に共通する心の働きも推測可能になる。
2.1 有意性検定
科学では全般的に仮説を立てて検証する方法が使われる。実吉(2013)によると、検定の際に仮説が成り立つかどうかは、作成したデータから決めていく。検定の対象は、そこに有意性の差があるかどうかである。例えば、男女で不安度に差があるのかどうか、または満足度に差があるのかどうか。こうした問題に対してデータを集めながら検定すると、解答が見えてくる。
【検定の流れ】
帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する
ここで、帰無仮説とは、比較する数値間に差がないという仮説である。対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり背理法による命題の証明である。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える1
1 先行研究との関係
データベースを作成ながら購読脳と執筆脳を分析するシナジーのメタファーの研究も次第に安定してきている。これまでバランスを意識して二個二個のルールに基づき多くの組み合わせを作ってきた。統計についても、バラツキ、相関関係、多変量分析と進み、今回の心理学統計を含めれば、バラツキと相関、多変量と心理という組み合わせができる。この小論では、実吉(2013)の心理学統計の検定の手法に従い、トーマス・マンの「魔の山」を題材にして男女の満足度について考えていく。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
データベースを作成ながら購読脳と執筆脳を分析するシナジーのメタファーの研究も次第に安定してきている。これまでバランスを意識して二個二個のルールに基づき多くの組み合わせを作ってきた。統計についても、バラツキ、相関関係、多変量分析と進み、今回の心理学統計を含めれば、バラツキと相関、多変量と心理という組み合わせができる。この小論では、実吉(2013)の心理学統計の検定の手法に従い、トーマス・マンの「魔の山」を題材にして男女の満足度について考えていく。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える5
4 まとめ
周知のように、ラフ集合は、表形式のデータからどのような知識を抽出できるのかを問題にする。例えば、近似の観点から見ると、対象となる概念の肯定的な側面と否定的な側面を持つ知識を抽出することに特徴がある。一方、縮約の立場から見ると、概念の肯定的な側面を表現する最小限の属性集合を求めることに特徴がある。
現在作成しているThomas Mannのイロニーに関するDBは、1 「計算文学入門の概要」中でも示した通り、彼のイロニー自体が物事を肯定的にも否定的にも考察することから、ラフ集合によるアプローチは面白いと考えられる。また、ラフ集合の考え方を基とするテキストマイニングについては、Thomas Mannのイロニーが読み取れるような文章を抽出しながら話を進めれば、計算文学において価値のある基礎研究となるであろう。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
周知のように、ラフ集合は、表形式のデータからどのような知識を抽出できるのかを問題にする。例えば、近似の観点から見ると、対象となる概念の肯定的な側面と否定的な側面を持つ知識を抽出することに特徴がある。一方、縮約の立場から見ると、概念の肯定的な側面を表現する最小限の属性集合を求めることに特徴がある。
現在作成しているThomas Mannのイロニーに関するDBは、1 「計算文学入門の概要」中でも示した通り、彼のイロニー自体が物事を肯定的にも否定的にも考察することから、ラフ集合によるアプローチは面白いと考えられる。また、ラフ集合の考え方を基とするテキストマイニングについては、Thomas Mannのイロニーが読み取れるような文章を抽出しながら話を進めれば、計算文学において価値のある基礎研究となるであろう。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える4
3.2 縮約
データからパターンを抽出する際、最も簡単なルールを求めたい。ラフ集合の場合は、下近似の部分集合がルールを与えることから、属性の集合を満たす集合により下近似の部分集合を与え、属性数が最小のものを求めることによりルールが生成される。
前節は、属性が一つの場合を扱ったが、実際に下近似を生成するには、複数の[属性=値]の連言による分割を考える必要がある。例えば、症状と喫煙の連言を考えてみよう。{{1},{2},{3,4},{5,6}}という分割が生成され、クラスの分割に一致した下近似と上近似が求められる。
必要最小限の属性のみを抽出することは、簡略化と呼ばれる。また、ラベルの下近似を与える最小限の属性集合は、縮約と呼ばれる。{症状と喫煙}は、縮約の一例となる。最小限の[属性=値]の対を持つ規則は、必要最小限の属性数を持つ縮約から求めることができる。例えば、表1の場合、{症状と喫煙}という縮約から、以下のルールを求めることができる。
(3)[症状=重い(慢性)]⇒[クラス=長い]、[症状=重い(急性)]⇒[クラス=短い]、[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]、[症状=軽い]∧[喫煙=する]⇒[クラス=長い]
次に、[クラス=中位]を満たす集合{1}について考えてみよう。この{1}が、他のクラスを満たす集合{2},{3,4},{5,6}から特定できるような属性の集合を求める。レコード1と属性年代により特定できないレコードの集合を[1]年代と表記すると、属性年代、性別、病名、症状、喫煙に対して、以下のことが定義できる。
(4)
[1]年代=[1,2,3]
[1]性別=[1,5] [1]病名=[1,2,5] [1]症状=[1,2]
[1]喫煙=[1,3,4,5,6]
{1}の部分集合となるものは存在しないので、一つの属性だけで[クラス=中位]を分類することができる情報はない。そこで、これらの属性間の連言を考えてみる。[年代=20-29]∧[性別=女]を満たす集合は、[1]年代∩[1]性別として表記される。この場合、縮約の候補は、以下のようになる。
(5)
[1]性別∩[1]症状=[1]
[1]症状∩[1]喫煙=[1]
{性別,症状}、{症状,喫煙}あたりが候補となりそうだ。{2},{3,4},{5,6}についてもこの方法を適用すると、{症状,喫煙}が縮約となることがわかる。ここまでが、属性数2の縮約である。
次に、属性が3つある縮約を求めてみよう。これまでの議論からわかるように、この縮約は、属性数3となる候補のうち{性別,症状}を包含する属性の集合から生成される。この場合は、{1}ではなく{2},{3,4},{5,6}に関して計算しなければならない。例えば、
(6)
[2]性別∩[2]症状=[2]
[3]性別∩[3]症状=[3,4]
[4]性別∩[4]症状=[3,4]
[5]性別∩[5]症状=[5]
[6]性別∩[6]症状=[6]
となるので、3番目のレコードに着目すれば、
(7)
[3]性別∩[3]症状∩[3]年代=[3]
[3]性別∩[3]症状∩[3]病名=[3,4]
[3]性別∩[3]症状∩[3]喫煙=[3,4]
が得られる。{性別,症状、喫煙}は、{症状,喫煙}を部分集合として含むので、{性別,症状、年代}、{性別,症状、病名}が縮約となる。同様にして、4番目のレコードに着目すれば、
(8)
[4]性別∩[4]症状∩[4]
年代=[4] [4]性別∩[4]症状∩[4]病名=[3,4]
[4]性別∩[4]症状∩[4]喫煙=[3,4]
が得られ、3番目のレコードと同じ結果となる。以上のことから 表1のクラスに関する縮約は、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}となる。 ここまで述べてきた計算方法は、一つずつ属性を追加していくことにより縮約にたどりつくボトムアップ型であるが、ラフ集合にはこれとは別に、決定ルールから出発するトップダウン型の計算方法がある。例えば、1番目のレコードは、次のような形式によって記述される。
(8)[年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]∧[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]
これらの属性のうち何が削除されると矛盾が生じるだろうか。例えば、症状と喫煙を削除すると、次のような二つの決定ルールが生成される。
(9)a [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=中位]
(9)b [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、このことを矛盾が発生したと言う。つまり、{症状,喫煙}は、ルールの記述になくてはならない属性の集合を与えている。この手続きを残りの{2,3,4,5,6}に関しても適用すると、最終的に、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}が表1の分類に不可欠な属性の集合となり、これらが縮約となる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
データからパターンを抽出する際、最も簡単なルールを求めたい。ラフ集合の場合は、下近似の部分集合がルールを与えることから、属性の集合を満たす集合により下近似の部分集合を与え、属性数が最小のものを求めることによりルールが生成される。
前節は、属性が一つの場合を扱ったが、実際に下近似を生成するには、複数の[属性=値]の連言による分割を考える必要がある。例えば、症状と喫煙の連言を考えてみよう。{{1},{2},{3,4},{5,6}}という分割が生成され、クラスの分割に一致した下近似と上近似が求められる。
必要最小限の属性のみを抽出することは、簡略化と呼ばれる。また、ラベルの下近似を与える最小限の属性集合は、縮約と呼ばれる。{症状と喫煙}は、縮約の一例となる。最小限の[属性=値]の対を持つ規則は、必要最小限の属性数を持つ縮約から求めることができる。例えば、表1の場合、{症状と喫煙}という縮約から、以下のルールを求めることができる。
(3)[症状=重い(慢性)]⇒[クラス=長い]、[症状=重い(急性)]⇒[クラス=短い]、[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]、[症状=軽い]∧[喫煙=する]⇒[クラス=長い]
次に、[クラス=中位]を満たす集合{1}について考えてみよう。この{1}が、他のクラスを満たす集合{2},{3,4},{5,6}から特定できるような属性の集合を求める。レコード1と属性年代により特定できないレコードの集合を[1]年代と表記すると、属性年代、性別、病名、症状、喫煙に対して、以下のことが定義できる。
(4)
[1]年代=[1,2,3]
[1]性別=[1,5] [1]病名=[1,2,5] [1]症状=[1,2]
[1]喫煙=[1,3,4,5,6]
{1}の部分集合となるものは存在しないので、一つの属性だけで[クラス=中位]を分類することができる情報はない。そこで、これらの属性間の連言を考えてみる。[年代=20-29]∧[性別=女]を満たす集合は、[1]年代∩[1]性別として表記される。この場合、縮約の候補は、以下のようになる。
(5)
[1]性別∩[1]症状=[1]
[1]症状∩[1]喫煙=[1]
{性別,症状}、{症状,喫煙}あたりが候補となりそうだ。{2},{3,4},{5,6}についてもこの方法を適用すると、{症状,喫煙}が縮約となることがわかる。ここまでが、属性数2の縮約である。
次に、属性が3つある縮約を求めてみよう。これまでの議論からわかるように、この縮約は、属性数3となる候補のうち{性別,症状}を包含する属性の集合から生成される。この場合は、{1}ではなく{2},{3,4},{5,6}に関して計算しなければならない。例えば、
(6)
[2]性別∩[2]症状=[2]
[3]性別∩[3]症状=[3,4]
[4]性別∩[4]症状=[3,4]
[5]性別∩[5]症状=[5]
[6]性別∩[6]症状=[6]
となるので、3番目のレコードに着目すれば、
(7)
[3]性別∩[3]症状∩[3]年代=[3]
[3]性別∩[3]症状∩[3]病名=[3,4]
[3]性別∩[3]症状∩[3]喫煙=[3,4]
が得られる。{性別,症状、喫煙}は、{症状,喫煙}を部分集合として含むので、{性別,症状、年代}、{性別,症状、病名}が縮約となる。同様にして、4番目のレコードに着目すれば、
(8)
[4]性別∩[4]症状∩[4]
年代=[4] [4]性別∩[4]症状∩[4]病名=[3,4]
[4]性別∩[4]症状∩[4]喫煙=[3,4]
が得られ、3番目のレコードと同じ結果となる。以上のことから 表1のクラスに関する縮約は、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}となる。 ここまで述べてきた計算方法は、一つずつ属性を追加していくことにより縮約にたどりつくボトムアップ型であるが、ラフ集合にはこれとは別に、決定ルールから出発するトップダウン型の計算方法がある。例えば、1番目のレコードは、次のような形式によって記述される。
(8)[年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]∧[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]
これらの属性のうち何が削除されると矛盾が生じるだろうか。例えば、症状と喫煙を削除すると、次のような二つの決定ルールが生成される。
(9)a [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=中位]
(9)b [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、このことを矛盾が発生したと言う。つまり、{症状,喫煙}は、ルールの記述になくてはならない属性の集合を与えている。この手続きを残りの{2,3,4,5,6}に関しても適用すると、最終的に、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}が表1の分類に不可欠な属性の集合となり、これらが縮約となる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える3
3 ラフ集合
津本(2001)に基づき平易なラフ集合の考え方を紹介する。津本論文は、データベース(DB)の中にある集合体の近似的な表現とそれに必要な最小限の属性集合(縮約と呼ばれる)の求め方を説明している。
3.1 近似
「魔の山」の登場人物が患っている病気の症状(表1)について考えてみる。
表1 登場人物の病気の症状
No. (名前または
ニックネーム) 年代 性別 病名 症状 喫煙 クラス(療養所の滞在期間)
1.
Claudia Chauchat 20-29 女 持病 軽い(慢性) なし 中位
2.
Hans Castorp 20-29 男 持病(カタル) 軽い(慢性) あり 長い
3.
Joachim Ziemßen 20-29 男 発熱(肺痛) 重い(慢性) なし 長い
4.
爪を噛む青年 10-19 男 発熱 重い(慢性) なし 長い
5.
Barbara Hujus 20-29 女 持病 重い(急性) なし 短い
6.
Tou-les-deuxの長男 10-19 男 チフス 重い(急性) なし 短い
この表は、1から6までのレコードを持っている。そして、内容は、属性の集合{年代、性別、病名、症状、喫煙}と所属クラス(サナトリウムの滞在期間)である。それぞれ属性には、値の集合がある。例えば、病名に関して大きく分類すると、{持病、発熱、チフス}がそれに当たる。
周知のように、ラフ集合は、各属性がデータの集合{1,2,3,4,5,6}の分割を与えるところに原点がある。[病名=持病]、[病名=発熱]、[病名=チフス]を満たすデータの部分集合は、{1,2,5}、{3,4}、{6}である。表1は、他の属性についても同様の分割を与えている。次に、レコードのラベル付けを考える。ここでは、クラスをそのラベルと仮定する。[クラス=中位]に注目すると、これを満たすデータは、{1}である。これらをまとめると、表2となる。
表2 分割の例
病名による分割 クラスによる分割
持病 {1,2,5} 短い {5,6}
発熱 {3,4} 中位 {1}
チフス{6} 長い {2,3,4,}
病名による分割とクラスによる分割から何が言えるであろうか。一番簡単なことは、[病名=チフス]を満たす分割が、[クラス=短い]を満たす分割の部分集合となっていることである。古典論理によれば、こうした関係は、次のように表記される。
(1)[病名=チフス]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、[病名=チフス]を満たす分割を[クラス=短い]の下近似と呼ぶ。[病名=チフス]を満たせば、クラスは短いが確定するためである。 次に、[クラス=短い]のすべてをカバーする分割について考えてみよう。上述の例では、[病名=持病]を満たす集合と[病名=チフス]を満たす集合の和集合が{1,2,5,6}となり、[クラス=短い]を部分集合とすることができる。これらの集合間の関係は、古典論理を用いると、次のように表すことができる。ラフ集合では、これらの病名に関するデータの分割をそれぞれのクラスの上近似と呼ぶ。
(2)[クラス=短い]⇒[病名=持病]∨[病名=チフス]
この結果、[クラス=短い]の下近似は、[病名=チフス]を満たす集合、上近似は、[病名=持病]または[病名=チフス]を満たす集合で与えられる。これらの関係は、表3にまとめられる。
表3 病名よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
ラフ集合は、近似の質をcard(下近似)/card(上近似)により定義する。例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、1/4 =0.25である。一方、症状であれば、表4のような近似が得られる。
表4 症状よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
この表から分かるように、例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、2/2 =1.0である。
ラフ集合では、各属性がデータ集合の分割を構成し、その分割によってクラスや決定属性といったデータのラベルと属性との関係について、近似とその質が測定されていく。その際、ラベルを上近似と下近似で押さえるということが、ラフ集合の特徴として上げられる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
津本(2001)に基づき平易なラフ集合の考え方を紹介する。津本論文は、データベース(DB)の中にある集合体の近似的な表現とそれに必要な最小限の属性集合(縮約と呼ばれる)の求め方を説明している。
3.1 近似
「魔の山」の登場人物が患っている病気の症状(表1)について考えてみる。
表1 登場人物の病気の症状
No. (名前または
ニックネーム) 年代 性別 病名 症状 喫煙 クラス(療養所の滞在期間)
1.
Claudia Chauchat 20-29 女 持病 軽い(慢性) なし 中位
2.
Hans Castorp 20-29 男 持病(カタル) 軽い(慢性) あり 長い
3.
Joachim Ziemßen 20-29 男 発熱(肺痛) 重い(慢性) なし 長い
4.
爪を噛む青年 10-19 男 発熱 重い(慢性) なし 長い
5.
Barbara Hujus 20-29 女 持病 重い(急性) なし 短い
6.
Tou-les-deuxの長男 10-19 男 チフス 重い(急性) なし 短い
この表は、1から6までのレコードを持っている。そして、内容は、属性の集合{年代、性別、病名、症状、喫煙}と所属クラス(サナトリウムの滞在期間)である。それぞれ属性には、値の集合がある。例えば、病名に関して大きく分類すると、{持病、発熱、チフス}がそれに当たる。
周知のように、ラフ集合は、各属性がデータの集合{1,2,3,4,5,6}の分割を与えるところに原点がある。[病名=持病]、[病名=発熱]、[病名=チフス]を満たすデータの部分集合は、{1,2,5}、{3,4}、{6}である。表1は、他の属性についても同様の分割を与えている。次に、レコードのラベル付けを考える。ここでは、クラスをそのラベルと仮定する。[クラス=中位]に注目すると、これを満たすデータは、{1}である。これらをまとめると、表2となる。
表2 分割の例
病名による分割 クラスによる分割
持病 {1,2,5} 短い {5,6}
発熱 {3,4} 中位 {1}
チフス{6} 長い {2,3,4,}
病名による分割とクラスによる分割から何が言えるであろうか。一番簡単なことは、[病名=チフス]を満たす分割が、[クラス=短い]を満たす分割の部分集合となっていることである。古典論理によれば、こうした関係は、次のように表記される。
(1)[病名=チフス]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、[病名=チフス]を満たす分割を[クラス=短い]の下近似と呼ぶ。[病名=チフス]を満たせば、クラスは短いが確定するためである。 次に、[クラス=短い]のすべてをカバーする分割について考えてみよう。上述の例では、[病名=持病]を満たす集合と[病名=チフス]を満たす集合の和集合が{1,2,5,6}となり、[クラス=短い]を部分集合とすることができる。これらの集合間の関係は、古典論理を用いると、次のように表すことができる。ラフ集合では、これらの病名に関するデータの分割をそれぞれのクラスの上近似と呼ぶ。
(2)[クラス=短い]⇒[病名=持病]∨[病名=チフス]
この結果、[クラス=短い]の下近似は、[病名=チフス]を満たす集合、上近似は、[病名=持病]または[病名=チフス]を満たす集合で与えられる。これらの関係は、表3にまとめられる。
表3 病名よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
ラフ集合は、近似の質をcard(下近似)/card(上近似)により定義する。例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、1/4 =0.25である。一方、症状であれば、表4のような近似が得られる。
表4 症状よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
この表から分かるように、例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、2/2 =1.0である。
ラフ集合では、各属性がデータ集合の分割を構成し、その分割によってクラスや決定属性といったデータのラベルと属性との関係について、近似とその質が測定されていく。その際、ラベルを上近似と下近似で押さえるということが、ラフ集合の特徴として上げられる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える2
2 「計算文学入門」の概要
本書は、タイトルにもあるように計算文学の入門編という位置づけである。計算文学は、人文科学と情報科学によるシナジー効果を探るための研究分野の一つと言える。しかし、闇雲に勉強したところで、マージなどできるはずがない。まず、スタートラインに立つために、ポイントとなる組み合わせを探る必要がある。周知のように、人間とコンピュータの間にロジックを立てることは標準となっており、「Thomas Mannはファジーネス」といった組み合わせを見つけることができれば、仮に既に亡くなってしまった作家の分析をコンピュータ上で行う場合でも、結合や比較といった単体的な処理ではなく、マージのための方向性を規定することができる。無論、言語系のロジックは、システム系と仕組みが異なるため緩衝材が必要となる。
Thomas MannのイロニーとZadehのファジー理論は、それぞれ次のように定義されている。
Baumgart(1964:22)によるThomas Mannの「イロニー」の定義。
”Als die Bedingung seines Prosas hält Thomas Mann immer die Distanz zur Wirklichkeit, einmal um sie so genau wie möglich zu betrachten, einmal sie zu kritisieren, das heißt ironisch. …Die kritische Distanz könnte zu einer ironischen Distanz werden. Tatsächlich ist der kritischen Prägnanz eine Art Grenze gesetzt, die aus der Beschaffenheit des sprachlichen Medium selbst dem Bedürfnis nach einer restlos präzisierten Begriffssprache entgegenwirkt.”
「Thomas Mannは、散文の条件として常に現実から距離をとる。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。・・・この批判的な距離は、イロニー的な距離となるであろう。実際、批判的な表現上の簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。」
Yager et al(1987: 23)によるZadehの「ファジー理論」の定義。
”There is an incompatibility between precision and complexity. As the complexity of a system increases, our ability to make precise and yet non-trivial assertions about its behavior diminishes. For example, it is very difficult to prove a theorem about the behavior of an economic system that is of relevance to real-world economics.”
「正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。」
双方の定義間にあるギャップを埋めるために、言語系とシステム系の論理をつなぐ緩衝材として論理文法を使用する。(詳細については、「計算文学入門」の第2章「論理文法の基礎」を参照すること。) 論理文法は、小史を兼ねてHPSG(Head Driven Phrase Structure Grammar)、Montague Grammar、DRT(Discourse Representation Theory)、直感主義の論理などを経てファジー理論へと進んで行く。その際、Richard Montague による言語分析(PTQ)とThomas Mannの「魔の山」をマージすることにより、何か異質のもの(ここではファジー推論)を引き出せるかどうかがポイントとなる。つまり、Thomas Mannのイロニーを形式論によって記述する場合、ファジー推論を選択することが現状ではベストであるという結論を探っていく。
「魔の山」からの分析は、上述したイロニー的な距離が問題となる。特に、主人公のHans CastorpとChaucha夫人との距離、さらに、ダボスの療養所に勤務する医者のDr. Krokowski(Behrens院長の助手)を仲介としたHans Castorpと甥のJoachim Ziemßen との距離が問題となっている。距離を測定するために、ファジー化、ファジー推論および脱ファジー化という技法が使われる。また、推論の基礎をなす記憶についても言及がある。(詳細については、「計算文学入門」の第3章「やさしい曖昧な数学」を参照すること。)
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
本書は、タイトルにもあるように計算文学の入門編という位置づけである。計算文学は、人文科学と情報科学によるシナジー効果を探るための研究分野の一つと言える。しかし、闇雲に勉強したところで、マージなどできるはずがない。まず、スタートラインに立つために、ポイントとなる組み合わせを探る必要がある。周知のように、人間とコンピュータの間にロジックを立てることは標準となっており、「Thomas Mannはファジーネス」といった組み合わせを見つけることができれば、仮に既に亡くなってしまった作家の分析をコンピュータ上で行う場合でも、結合や比較といった単体的な処理ではなく、マージのための方向性を規定することができる。無論、言語系のロジックは、システム系と仕組みが異なるため緩衝材が必要となる。
Thomas MannのイロニーとZadehのファジー理論は、それぞれ次のように定義されている。
Baumgart(1964:22)によるThomas Mannの「イロニー」の定義。
”Als die Bedingung seines Prosas hält Thomas Mann immer die Distanz zur Wirklichkeit, einmal um sie so genau wie möglich zu betrachten, einmal sie zu kritisieren, das heißt ironisch. …Die kritische Distanz könnte zu einer ironischen Distanz werden. Tatsächlich ist der kritischen Prägnanz eine Art Grenze gesetzt, die aus der Beschaffenheit des sprachlichen Medium selbst dem Bedürfnis nach einer restlos präzisierten Begriffssprache entgegenwirkt.”
「Thomas Mannは、散文の条件として常に現実から距離をとる。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。・・・この批判的な距離は、イロニー的な距離となるであろう。実際、批判的な表現上の簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。」
Yager et al(1987: 23)によるZadehの「ファジー理論」の定義。
”There is an incompatibility between precision and complexity. As the complexity of a system increases, our ability to make precise and yet non-trivial assertions about its behavior diminishes. For example, it is very difficult to prove a theorem about the behavior of an economic system that is of relevance to real-world economics.”
「正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。」
双方の定義間にあるギャップを埋めるために、言語系とシステム系の論理をつなぐ緩衝材として論理文法を使用する。(詳細については、「計算文学入門」の第2章「論理文法の基礎」を参照すること。) 論理文法は、小史を兼ねてHPSG(Head Driven Phrase Structure Grammar)、Montague Grammar、DRT(Discourse Representation Theory)、直感主義の論理などを経てファジー理論へと進んで行く。その際、Richard Montague による言語分析(PTQ)とThomas Mannの「魔の山」をマージすることにより、何か異質のもの(ここではファジー推論)を引き出せるかどうかがポイントとなる。つまり、Thomas Mannのイロニーを形式論によって記述する場合、ファジー推論を選択することが現状ではベストであるという結論を探っていく。
「魔の山」からの分析は、上述したイロニー的な距離が問題となる。特に、主人公のHans CastorpとChaucha夫人との距離、さらに、ダボスの療養所に勤務する医者のDr. Krokowski(Behrens院長の助手)を仲介としたHans Castorpと甥のJoachim Ziemßen との距離が問題となっている。距離を測定するために、ファジー化、ファジー推論および脱ファジー化という技法が使われる。また、推論の基礎をなす記憶についても言及がある。(詳細については、「計算文学入門」の第3章「やさしい曖昧な数学」を参照すること。)
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える1
1 はじめに
Thomas Mann(1875−1955)の「魔の山」(Der Zauberberg)は、1924年、Fischer Verlagから出版され、評論、翻訳、テキスト言語学、映画といった主に文系の分野で研究がなされてきた。しかし、ここでは、この作品を計算文学というシナジーの領域で考察していく。出発点は、「計算文学入門」の中で説明したThomas Mannのイロニーとファジー推論の整合性の良さである。それをベースにスイスのダボスにあるサナトリウムの患者について表形式のデータを作成し、その一部を平易なラフ集合の概念に基づいて分析していく。「計算文学入門」は、記号論理を用いてThomas Mann のイロニーを分析しているが、 Zadeh自身がシステム系のファジー理論を言語系にアレンジしたように、本稿では、ラフ集合を言語系にアレンジしながらデータを処理していくため、テキストマイニングのトレーニングとしての位置づけもある。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
Thomas Mann(1875−1955)の「魔の山」(Der Zauberberg)は、1924年、Fischer Verlagから出版され、評論、翻訳、テキスト言語学、映画といった主に文系の分野で研究がなされてきた。しかし、ここでは、この作品を計算文学というシナジーの領域で考察していく。出発点は、「計算文学入門」の中で説明したThomas Mannのイロニーとファジー推論の整合性の良さである。それをベースにスイスのダボスにあるサナトリウムの患者について表形式のデータを作成し、その一部を平易なラフ集合の概念に基づいて分析していく。「計算文学入門」は、記号論理を用いてThomas Mann のイロニーを分析しているが、 Zadeh自身がシステム系のファジー理論を言語系にアレンジしたように、本稿では、ラフ集合を言語系にアレンジしながらデータを処理していくため、テキストマイニングのトレーニングとしての位置づけもある。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析7
7 まとめ
「魔の山」のデータベースの作り方と統計処理の推定による分析例を説明した。論理計算によるトーマス・マンとファジィというシナジーのメタファーを支えるために、データベースを作成し、実験を重ねてさらに客観性を上げていくつもりである。
問題解決の場面には、作家の執筆脳に関する情報が見え隠れしているため、さらに他のカラムと調節しながら、考察を続けていきたい。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?
新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む
華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 森鴎外の「佐橋甚五郎」のデータベースとバラツキによる分析
中国日语教学研究会江苏分会 2016
花村嘉英 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外の
データベースまで 南京東南大学出版社 2017
Mann, Thomas: Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
日本成人病予防協会監修:健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
佐々木隆宏 流れるようにわかる統計学 東京:KADOKAWA 2017
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
「魔の山」のデータベースの作り方と統計処理の推定による分析例を説明した。論理計算によるトーマス・マンとファジィというシナジーのメタファーを支えるために、データベースを作成し、実験を重ねてさらに客観性を上げていくつもりである。
問題解決の場面には、作家の執筆脳に関する情報が見え隠れしているため、さらに他のカラムと調節しながら、考察を続けていきたい。
【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?
新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む
華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 森鴎外の「佐橋甚五郎」のデータベースとバラツキによる分析
中国日语教学研究会江苏分会 2016
花村嘉英 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外の
データベースまで 南京東南大学出版社 2017
Mann, Thomas: Der Zauberberg, Frankfurt a. M., Fischer 1986
日本成人病予防協会監修:健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
佐々木隆宏 流れるようにわかる統計学 東京:KADOKAWA 2017
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析6
6 推定によるデータベースの分析
「魔の山」のデータベースの中で、特に問題解決の場面が考察の対象となる。その中で問題解決の場面の比率は0.2とする。母集団から標本を抽出するとき、ファジィという論理計算の結果を基にして、信頼度を95%とするには、誤差を0.09以下にするのに標本はおよそいくつ必要になるのであろうか。
標本の大きさをnとすると、標本平均と母平均との差の絶対値は95%の確立で、
1.96√0.2(1-0.2)/n 以下であるから、1.96√0.2(1-0.2)/n≦0.09 であればよい。それゆえに、
n≧76.1・・・。よって、n≧77とすればよい。
但し、小説の構成を単純に起承転結とした場合、起承の部分には問題解決の場面が比較的少ないため、分析の対象を増やすことにより数字の調節ができると考えている。例えば、「魔の山」のデータベースから無作為に1000ラインの幅でデータを選んだ場合、比率が0.2前後になることを説明できれば、上記仮定が正しいことになる。サンプル的に100ライン単位で小さな問題解決の場面も含めて数字にしてみる。
表2 問題解決の場面数
ライン 1から100, 100から200, 200から300, 300から400, 400から500, 500から600, 600から700, 700から800, 800から900, 900から1000, 1100から1200, 1100から1200, 1200から1300, 1300から1400, 1400から1500, 1500から1600, 1600から1700, 1700から1800, 1800から1900, 1900から2000
問題解決 3, 2, 10, 29, 21, 18, 22, 9, 11, 19, 40, 18, 18, 28, 25, 32, 28, 25, 47, 13
の場面
理論的には、n≧77であるから、1600越えぐらいで400となればよい。現状のデータベースでは1800越えであるため多少の修正が必要である。そこで、比率を0.25にすると、n≧89.2となり、表2の数字に近くなるため、問題解決の場面の比率は、0.25ぐらいで良いであろう。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
「魔の山」のデータベースの中で、特に問題解決の場面が考察の対象となる。その中で問題解決の場面の比率は0.2とする。母集団から標本を抽出するとき、ファジィという論理計算の結果を基にして、信頼度を95%とするには、誤差を0.09以下にするのに標本はおよそいくつ必要になるのであろうか。
標本の大きさをnとすると、標本平均と母平均との差の絶対値は95%の確立で、
1.96√0.2(1-0.2)/n 以下であるから、1.96√0.2(1-0.2)/n≦0.09 であればよい。それゆえに、
n≧76.1・・・。よって、n≧77とすればよい。
但し、小説の構成を単純に起承転結とした場合、起承の部分には問題解決の場面が比較的少ないため、分析の対象を増やすことにより数字の調節ができると考えている。例えば、「魔の山」のデータベースから無作為に1000ラインの幅でデータを選んだ場合、比率が0.2前後になることを説明できれば、上記仮定が正しいことになる。サンプル的に100ライン単位で小さな問題解決の場面も含めて数字にしてみる。
表2 問題解決の場面数
ライン 1から100, 100から200, 200から300, 300から400, 400から500, 500から600, 600から700, 700から800, 800から900, 900から1000, 1100から1200, 1100から1200, 1200から1300, 1300から1400, 1400から1500, 1500から1600, 1600から1700, 1700から1800, 1800から1900, 1900から2000
問題解決 3, 2, 10, 29, 21, 18, 22, 9, 11, 19, 40, 18, 18, 28, 25, 32, 28, 25, 47, 13
の場面
理論的には、n≧77であるから、1600越えぐらいで400となればよい。現状のデータベースでは1800越えであるため多少の修正が必要である。そこで、比率を0.25にすると、n≧89.2となり、表2の数字に近くなるため、問題解決の場面の比率は、0.25ぐらいで良いであろう。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析5
5 DBの作成法と分析
DBの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。DBの数字は、登場人物を動かしながら考えている。こうしたDBを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基く脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。執筆脳は、問題解決の場面で強くなる。(花村2015、花村2017)作成したDBの大きさは、およそ5000ラインである。
表1 魔の山のDBのカラム
項目名 内容 説明
文法1 量化 不定代名詞、相互代名詞。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 可能、推量、必然、義務など。
文法5 イディオム 様相の拡大。
意味1 個性 若い、背が高い、我慢強いなど。
意味2 距離 現実的または心理的に近い、中位、遠い
意味3 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚
意味4 振舞い 振舞い
意味5 数字 いろいろな数字。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組 「イロニーとファジィ」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
認知プロセス1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
認知プロセス2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。
認知プロセス3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
人工知能1 ファジィ、ニューラル 「イロニーとファジィ」が入力で、「ファジィとニューラル」が出力となる。
人工知能2 エキスパート リスク回避を目的とした行動に注目する。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
DBの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。DBの数字は、登場人物を動かしながら考えている。こうしたDBを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基く脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。執筆脳は、問題解決の場面で強くなる。(花村2015、花村2017)作成したDBの大きさは、およそ5000ラインである。
表1 魔の山のDBのカラム
項目名 内容 説明
文法1 量化 不定代名詞、相互代名詞。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 可能、推量、必然、義務など。
文法5 イディオム 様相の拡大。
意味1 個性 若い、背が高い、我慢強いなど。
意味2 距離 現実的または心理的に近い、中位、遠い
意味3 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚
意味4 振舞い 振舞い
意味5 数字 いろいろな数字。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組 「イロニーとファジィ」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
認知プロセス1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
認知プロセス2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。
認知プロセス3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
人工知能1 ファジィ、ニューラル 「イロニーとファジィ」が入力で、「ファジィとニューラル」が出力となる。
人工知能2 エキスパート リスク回避を目的とした行動に注目する。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析4
4 トーマス・マンの脳の活動はファジィ
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。この批判的な距離は、イロニー的な距離となりうるだろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。
ザデーはファジィを次のように定義する。正確さと複雑さは両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて性格ではっきりとした主張は出来なくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き止めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより、より良い結果をもたらすことができると主張している。トーマス・マンのイロニーとファジィ理論の整合性については、著作の中ですでに実証済みである。(花村2015、花村2017)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。この批判的な距離は、イロニー的な距離となりうるだろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。
ザデーはファジィを次のように定義する。正確さと複雑さは両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて性格ではっきりとした主張は出来なくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き止めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより、より良い結果をもたらすことができると主張している。トーマス・マンのイロニーとファジィ理論の整合性については、著作の中ですでに実証済みである。(花村2015、花村2017)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析3
3 データベースを作成するフローチャート
@ 知的財産が自分と近い作家を選択する。
A 場面のイメージのDBを作成する。場面が浮かぶように話をまとめる。
B 解析イメージから何かの組を作る。言語解析は構文と意味が対象になる。
C 認知科学のモデルは、Lのプロセス全体に適用される。例、前半は言語の分析、後半は情報の分析。
D 場面ごとに問題の解決と未解決を確認する。
E 問題解決の場面では、Lに縦横滑ってCに到達後、解析イメージに戻る。問題未解決の場面では、すぐに解析イメージに戻る。
F 各分野の専門家が思い描くリスク回避を参考にしながら、作家の執筆時の脳の活動を想定する。
G 問題解決の場面を中心にして、テキストの共生について考察する。
@、A、Bは受容の読みのプロセス、Cは認知科学の前半と後半、D、Eは異質のCとのイメージ合わせになり、Fで作家の脳の活動を探り、Gでシナジーのメタファーに到達する。DBの作成については、これらが全て収まるようにカラムを工夫すること。
@ 一文一文解析しながら、選択した作家の知的財産を追っていく。例えば、受容の段階で文体などの平易な読みを想定し、共生の段階で知的財産に纏わる異質のCを探る。この作業はAとBでも行われる。
A 場面のイメージが浮かぶような対照表を作る。
B テキストの解析を何れかの組にする。例えば、トーマス・マンは「イロニーとファジィ」、魯迅は「馬虎と記憶」という組にする。組が見つからなければ、@からBのプロセスを繰り返す。
C 認知プロセスの前半と後半を確認する。
D 場面の情報の流れを考える。問題解決と問題未解決で場面を分ける。
E 問題解決の場面は、異質のCに到達後、解析イメージにリターンする。問題未解決の場面は、すぐに解析イメージにリターンする。こう考えると、システムがスムーズになる。
F 各分野のエキスパートが思い描くリスク回避と意志決定がテーマである。緊急着陸、救急医療、株式市場、環境問題などから生成イメージにつながるようにリスク回避のポイントを作る。そこから、作家の意思決定を考える。
G これにより作家の脳の活動の一例といえるシナジーのメタファーが作られる。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、テキスト共生に基づいた組のアンサンブルであり、文学をマクロに考えるための方法である。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
@ 知的財産が自分と近い作家を選択する。
A 場面のイメージのDBを作成する。場面が浮かぶように話をまとめる。
B 解析イメージから何かの組を作る。言語解析は構文と意味が対象になる。
C 認知科学のモデルは、Lのプロセス全体に適用される。例、前半は言語の分析、後半は情報の分析。
D 場面ごとに問題の解決と未解決を確認する。
E 問題解決の場面では、Lに縦横滑ってCに到達後、解析イメージに戻る。問題未解決の場面では、すぐに解析イメージに戻る。
F 各分野の専門家が思い描くリスク回避を参考にしながら、作家の執筆時の脳の活動を想定する。
G 問題解決の場面を中心にして、テキストの共生について考察する。
@、A、Bは受容の読みのプロセス、Cは認知科学の前半と後半、D、Eは異質のCとのイメージ合わせになり、Fで作家の脳の活動を探り、Gでシナジーのメタファーに到達する。DBの作成については、これらが全て収まるようにカラムを工夫すること。
@ 一文一文解析しながら、選択した作家の知的財産を追っていく。例えば、受容の段階で文体などの平易な読みを想定し、共生の段階で知的財産に纏わる異質のCを探る。この作業はAとBでも行われる。
A 場面のイメージが浮かぶような対照表を作る。
B テキストの解析を何れかの組にする。例えば、トーマス・マンは「イロニーとファジィ」、魯迅は「馬虎と記憶」という組にする。組が見つからなければ、@からBのプロセスを繰り返す。
C 認知プロセスの前半と後半を確認する。
D 場面の情報の流れを考える。問題解決と問題未解決で場面を分ける。
E 問題解決の場面は、異質のCに到達後、解析イメージにリターンする。問題未解決の場面は、すぐに解析イメージにリターンする。こう考えると、システムがスムーズになる。
F 各分野のエキスパートが思い描くリスク回避と意志決定がテーマである。緊急着陸、救急医療、株式市場、環境問題などから生成イメージにつながるようにリスク回避のポイントを作る。そこから、作家の意思決定を考える。
G これにより作家の脳の活動の一例といえるシナジーのメタファーが作られる。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、テキスト共生に基づいた組のアンサンブルであり、文学をマクロに考えるための方法である。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析2
2 フォーマットL
上記の「計算文学入門」を書きながら、小説を読んで思うという分析は、縦に言語、文学の流れとなり、続けて横にイロニーに関する情報の分析があることに気がついた。つまり、文型と理系の間にTの逆さで認知科学を想定して、人文科学と縦に二本の柱を作るファーマットを崩して、縦に言語、文学を分析する認知と横に情報を分析する認知と区別することにより、研究のフォーマットをLにシフトした。
研究のフォーマットのシフトは、また、文学をマクロに考察する場合に役に立つ。一般的に地球規模の研究、文学では、東西南北の国地域の比較を言葉を変えながら作品を分析することがマクロの評価項目の一つである。そこに、伝統的な人文、文化、社会の比較とかシステムとメディカルの比較のみならず、フォーマットLも考慮に入れる。
フォーマットLを評価項目に加えることにより、通常、ボトムアップだけで実績を作るところに、トップダウンで主の専門以外の系列が零点にならないような調整が必要になってくる。また、技術文の翻訳作業による理系のアイデアの調節も生きてくる。小説に関するLのストーリーを使用してDBを作成する場合、エクセルデータの横のラインがリレーショナルになるように、文系と理系のカラムを設けるためである。理系のカラムを設定するには、何れかの理系の実績が必要になるためである。(花村2015、花村2017、花村2018、花村2022)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
上記の「計算文学入門」を書きながら、小説を読んで思うという分析は、縦に言語、文学の流れとなり、続けて横にイロニーに関する情報の分析があることに気がついた。つまり、文型と理系の間にTの逆さで認知科学を想定して、人文科学と縦に二本の柱を作るファーマットを崩して、縦に言語、文学を分析する認知と横に情報を分析する認知と区別することにより、研究のフォーマットをLにシフトした。
研究のフォーマットのシフトは、また、文学をマクロに考察する場合に役に立つ。一般的に地球規模の研究、文学では、東西南北の国地域の比較を言葉を変えながら作品を分析することがマクロの評価項目の一つである。そこに、伝統的な人文、文化、社会の比較とかシステムとメディカルの比較のみならず、フォーマットLも考慮に入れる。
フォーマットLを評価項目に加えることにより、通常、ボトムアップだけで実績を作るところに、トップダウンで主の専門以外の系列が零点にならないような調整が必要になってくる。また、技術文の翻訳作業による理系のアイデアの調節も生きてくる。小説に関するLのストーリーを使用してDBを作成する場合、エクセルデータの横のラインがリレーショナルになるように、文系と理系のカラムを設けるためである。理系のカラムを設定するには、何れかの理系の実績が必要になるためである。(花村2015、花村2017、花村2018、花村2022)
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定からの分析1
1 自作の入門について
1989年から1990年代前半にかけて、ドイツのチュービンゲン大学に留学し、意味論を研究した。当時の私の研究テーマは、論理文法で有名なモンターギュ文法を使用したテキスト分析であった。モンターギュ文法は、認知科学の枠組みで言語理論の研究者が、生成文法と組み合わせて構文と意味を解析するために取り組んでいた。
研究の題材は、トーマス・マンの「魔の山」であり、作品を読みながらドイツ語の構文と意味の解析について分析し、トーマス・マンのイロニーを説明した。しかし、ここで思うことがあった。トーマス・マンのイロニーが理解できるのは、ドイツ語の習得が進んだからであろうか。
作家が作品を執筆しているときには、当然、何れかの脳の活動がある。トーマス・マンの場合もそれが何かであり、読んで思うイロニーもそこに近づいていくため、内容が理解できると思うようになった。読んで思うトーマス・マンのイロニーは、人工知能でいうファジィ推論に近いことを「魔の山」のいくつかの場面を例にして説明することができた。
ドイツから帰国後、英日、独日の技術文の翻訳作業に10年余り従事した。文系から寄せて理系のアイデアを調節する機会を得るためである。こうして、2005年、「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」という研究本を出版することができた。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
1989年から1990年代前半にかけて、ドイツのチュービンゲン大学に留学し、意味論を研究した。当時の私の研究テーマは、論理文法で有名なモンターギュ文法を使用したテキスト分析であった。モンターギュ文法は、認知科学の枠組みで言語理論の研究者が、生成文法と組み合わせて構文と意味を解析するために取り組んでいた。
研究の題材は、トーマス・マンの「魔の山」であり、作品を読みながらドイツ語の構文と意味の解析について分析し、トーマス・マンのイロニーを説明した。しかし、ここで思うことがあった。トーマス・マンのイロニーが理解できるのは、ドイツ語の習得が進んだからであろうか。
作家が作品を執筆しているときには、当然、何れかの脳の活動がある。トーマス・マンの場合もそれが何かであり、読んで思うイロニーもそこに近づいていくため、内容が理解できると思うようになった。読んで思うトーマス・マンのイロニーは、人工知能でいうファジィ推論に近いことを「魔の山」のいくつかの場面を例にして説明することができた。
ドイツから帰国後、英日、独日の技術文の翻訳作業に10年余り従事した。文系から寄せて理系のアイデアを調節する機会を得るためである。こうして、2005年、「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」という研究本を出版することができた。
花村嘉英(2017)「Thomas Mannの「魔の山」のデータベース化と推定による分析」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える7
3 まとめ
トーマス・マンの「魔の山」に登場する男と女についてデータベースから心理学統計による人物評価をしてみると、満足度に関して差があることが分かった。
参考文献
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁/戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019
花村嘉英 トーマス・マンの「魔の山」のデータベース 2015
Thomas Mann Der Zauberberg Fischer 1986
トーマス・マンの「魔の山」に登場する男と女についてデータベースから心理学統計による人物評価をしてみると、満足度に関して差があることが分かった。
参考文献
実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁/戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019
花村嘉英 トーマス・マンの「魔の山」のデータベース 2015
Thomas Mann Der Zauberberg Fischer 1986
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える6
1 最初は不満度に差がないと予測する。男性と女性の平均値を取ると、男性0.9、女性1.0になる。この差は誤差の可能性がある。
2 満足度の1、2、3は独立変数であり、それにともなう不満度は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2、3が要因で、独立変数の実際の値、不満度が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。
[満足度のt検定]
男0.9、女1.0、よってt値=0.1。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は、0.02にする。ここでは5%以下のため、対立仮説の差があるを採択する。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
2 満足度の1、2、3は独立変数であり、それにともなう不満度は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2、3が要因で、独立変数の実際の値、不満度が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。
[満足度のt検定]
男0.9、女1.0、よってt値=0.1。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は、0.02にする。ここでは5%以下のため、対立仮説の差があるを採択する。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える5
解答 性別による不満度の違い
具体度2
Frau Salomon aus Amsterdam zum Beispiel, trotz dem Vergnügen, das die Untersuchungen und das damit verbundene Zurschaustellen feinster Spitzenwäsche ihr bereiteten, reiste vollständig wilder- und falscherweise ab, ohne jede Erlaubnis und nicht, weil es ihr besser, sondern weil es ihr immer schlechter ging.
男0 女1
Ihr Aufenthalt hier oben verlor sich weit zurück hinter Hans Castorps Ankunft; länger als ein Jahr war es her, daß sie eingetroffen war, - mit einer ganz leichten Affektion, für die ihr drei Monate zudiktiert worden waren. Nach vier Monaten hatte sie "in vier Wochen sicher gesund " sein sollen, aber sechs Wochen später hatte von Heilung überhaupt nicht die Rede sein können: sie müsse, hatte es geheißen, mindestens noch vier Monate bleiben.
男1 女1
So war es fortgegangen, und es war ja kein Bagno und kein sibirisches Bergwerk hier, - Frau Salomon war geblieben und hatte feinstes Unterzeug an den Tag gelegt. 男0 女1
Da sie nun aber nach der letzten Untersuchung, im Angesicht der Schneeschmelze, eine neue Zulage von fünf Monaten erhalten hatte, wegen Pfeifens links oben und unverkennbarer Mißtöne unter der linken Achsel, war ihr die Geduld gerissen, und mit Protest, unter Schmähungen auf 'Dorf' und 'Platz', auf die berühmte Luft, das Internationale Haus 'Berghof' und die Ärzte reiste sie ab, nach Hause, nach Amsterdam, einer zugigen Wasserstadt. 男0 女2
War das klug gehandelt? Hofrat Behrens hob Schultern und Arme auf und ließ die letzteren geräuschvoll gegen die Schenkel zurückfallen. Spätestens im Herbst, sagte er, werde Frau Salomon wieder da sein, - dann aber auf immer. Würde er recht behalten? Wir werden sehen, wir sind noch auf längere Erdenzeit an diesen Lustort gebunden. Aber der Fall Salomon war also durchaus nicht der einige seiner Art. 男2 女2
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
具体度2
Frau Salomon aus Amsterdam zum Beispiel, trotz dem Vergnügen, das die Untersuchungen und das damit verbundene Zurschaustellen feinster Spitzenwäsche ihr bereiteten, reiste vollständig wilder- und falscherweise ab, ohne jede Erlaubnis und nicht, weil es ihr besser, sondern weil es ihr immer schlechter ging.
男0 女1
Ihr Aufenthalt hier oben verlor sich weit zurück hinter Hans Castorps Ankunft; länger als ein Jahr war es her, daß sie eingetroffen war, - mit einer ganz leichten Affektion, für die ihr drei Monate zudiktiert worden waren. Nach vier Monaten hatte sie "in vier Wochen sicher gesund " sein sollen, aber sechs Wochen später hatte von Heilung überhaupt nicht die Rede sein können: sie müsse, hatte es geheißen, mindestens noch vier Monate bleiben.
男1 女1
So war es fortgegangen, und es war ja kein Bagno und kein sibirisches Bergwerk hier, - Frau Salomon war geblieben und hatte feinstes Unterzeug an den Tag gelegt. 男0 女1
Da sie nun aber nach der letzten Untersuchung, im Angesicht der Schneeschmelze, eine neue Zulage von fünf Monaten erhalten hatte, wegen Pfeifens links oben und unverkennbarer Mißtöne unter der linken Achsel, war ihr die Geduld gerissen, und mit Protest, unter Schmähungen auf 'Dorf' und 'Platz', auf die berühmte Luft, das Internationale Haus 'Berghof' und die Ärzte reiste sie ab, nach Hause, nach Amsterdam, einer zugigen Wasserstadt. 男0 女2
War das klug gehandelt? Hofrat Behrens hob Schultern und Arme auf und ließ die letzteren geräuschvoll gegen die Schenkel zurückfallen. Spätestens im Herbst, sagte er, werde Frau Salomon wieder da sein, - dann aber auf immer. Würde er recht behalten? Wir werden sehen, wir sind noch auf längere Erdenzeit an diesen Lustort gebunden. Aber der Fall Salomon war also durchaus nicht der einige seiner Art. 男2 女2
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える4
2.3 「魔の山」の不満度
「魔の山」は、ハンス・カストルプがスイスのダボスにある療養所に従兄弟のヨアヒム・ツィームセンを訪問し、ベーレンス院長の肺の治療や多国籍で特徴のある登場人物が織りなす人間模様を通して人間的に成長していく内容である。ここでは、この小論の研究テーマ、性別による満足度の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。
解答 性別による不満度の違い
具体度1
Karoline Stöhr war entsetzlich. Wenn irgend etwas den jungen Hans Castorp in seinen redlich gemeinten geistigen Bemühungen störte, so war es das Sein und Wesen dieser Frau.
男2 女0
Ihre beständigen Bildungsschnitzer hätten genügt. Sie sagte "Agonje" statt "Todeskampf"; "insolvent", wenn sie jemandem Frecheit zum Vorwurf machte, und gab über die astronomischen Vorgänge, die eine Sonnenfinsternis zeitigen, den greulichsten Unsinn zum besten. 男1 女0
Mit den liegenden Schneemassen, sagte sie, sei es "eine wahre Kapazität"; und eines Tages setzte sie Herrn Sttembrini in lang andauerndes Erstaunen durch die Mitteilung, sie lese zur Zeit ein der Anstaltsbibliothek entnommenes Buch, das ihn angehe, nämlich "Benedetto Cenilli in der Übersetzung von Schiller!"
男0 女0
Sie liebte Redensarten, die dem jungen Hans Castorp, ihrer Abgeschmacktheit und modisch ordinären Verbrauchheit wegen, auf die Nerven gingen, wie zum Beispiel: "Das ist die Höhe!" oder "Du ahnst es nicht!"
男2 女2
Und da die Bezeichnung "blendend", die das Modemaul lange Zeit für "glänzend" oder "vorzüglich" gebraucht hatte, sich als gänzlich ausgelaugt, entkräftet, prostituiert und sohin veraltet erwies, so warf sie sich auf das Neueste, nämlich das Wort "verheerend", und fand nun, im Ernst oder höhnischerweise, alles "verheerend", die Schlittenbahn, die Mehlspeise und ihre eigenen Leibeswärme, was ebenfalls ekelhaft anmutete.
男1 女1
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
「魔の山」は、ハンス・カストルプがスイスのダボスにある療養所に従兄弟のヨアヒム・ツィームセンを訪問し、ベーレンス院長の肺の治療や多国籍で特徴のある登場人物が織りなす人間模様を通して人間的に成長していく内容である。ここでは、この小論の研究テーマ、性別による満足度の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。
解答 性別による不満度の違い
具体度1
Karoline Stöhr war entsetzlich. Wenn irgend etwas den jungen Hans Castorp in seinen redlich gemeinten geistigen Bemühungen störte, so war es das Sein und Wesen dieser Frau.
男2 女0
Ihre beständigen Bildungsschnitzer hätten genügt. Sie sagte "Agonje" statt "Todeskampf"; "insolvent", wenn sie jemandem Frecheit zum Vorwurf machte, und gab über die astronomischen Vorgänge, die eine Sonnenfinsternis zeitigen, den greulichsten Unsinn zum besten. 男1 女0
Mit den liegenden Schneemassen, sagte sie, sei es "eine wahre Kapazität"; und eines Tages setzte sie Herrn Sttembrini in lang andauerndes Erstaunen durch die Mitteilung, sie lese zur Zeit ein der Anstaltsbibliothek entnommenes Buch, das ihn angehe, nämlich "Benedetto Cenilli in der Übersetzung von Schiller!"
男0 女0
Sie liebte Redensarten, die dem jungen Hans Castorp, ihrer Abgeschmacktheit und modisch ordinären Verbrauchheit wegen, auf die Nerven gingen, wie zum Beispiel: "Das ist die Höhe!" oder "Du ahnst es nicht!"
男2 女2
Und da die Bezeichnung "blendend", die das Modemaul lange Zeit für "glänzend" oder "vorzüglich" gebraucht hatte, sich als gänzlich ausgelaugt, entkräftet, prostituiert und sohin veraltet erwies, so warf sie sich auf das Neueste, nämlich das Wort "verheerend", und fand nun, im Ernst oder höhnischerweise, alles "verheerend", die Schlittenbahn, die Mehlspeise und ihre eigenen Leibeswärme, was ebenfalls ekelhaft anmutete.
男1 女1
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える3
2.2 実験計画
【研究テーマ】
質問 登場人物の不満度の違い。
帰無仮説 登場人物の不満度に差がない。(5%以上)
対立仮説 登場人物の不満度に差がある。(5%以下)
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でというと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
【研究テーマ】
質問 登場人物の不満度の違い。
帰無仮説 登場人物の不満度に差がない。(5%以上)
対立仮説 登場人物の不満度に差がある。(5%以下)
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でというと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える2
2 心理学統計
心理学統計では、心の働きを数値化しながら客観性を計り、集計や分析を試みる。心を測定する時は、様々な要因がデータに含まれるため、データには誤差が付き物である。そのため、統計学により誤差を取り除き真の値を求めていく必要がある。そうすると、限られた人数のデータから人間一般に共通する心の働きも推測可能になる。
2.1 有意性検定
科学では全般的に仮説を立てて検証する方法が使われる。実吉(2013)によると、検定の際に仮説が成り立つかどうかは、作成したデータから決めていく。検定の対象は、そこに有意性の差があるかどうかである。例えば、男女で不安度に差があるのかどうか、または満足度に差があるのかどうか。こうした問題に対してデータを集めながら検定すると、解答が見えてくる。
【検定の流れ】
帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する
ここで、帰無仮説とは、比較する数値間に差がないという仮説である。対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり背理法による命題の証明である。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計では、心の働きを数値化しながら客観性を計り、集計や分析を試みる。心を測定する時は、様々な要因がデータに含まれるため、データには誤差が付き物である。そのため、統計学により誤差を取り除き真の値を求めていく必要がある。そうすると、限られた人数のデータから人間一般に共通する心の働きも推測可能になる。
2.1 有意性検定
科学では全般的に仮説を立てて検証する方法が使われる。実吉(2013)によると、検定の際に仮説が成り立つかどうかは、作成したデータから決めていく。検定の対象は、そこに有意性の差があるかどうかである。例えば、男女で不安度に差があるのかどうか、または満足度に差があるのかどうか。こうした問題に対してデータを集めながら検定すると、解答が見えてくる。
【検定の流れ】
帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する
ここで、帰無仮説とは、比較する数値間に差がないという仮説である。対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり背理法による命題の証明である。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える1
1 先行研究との関係
データベースを作成ながら購読脳と執筆脳を分析するシナジーのメタファーの研究も次第に安定してきている。これまでバランスを意識して二個二個のルールに基づき多くの組み合わせを作ってきた。統計についても、バラツキ、相関関係、多変量分析と進み、今回の心理学統計を含めれば、バラツキと相関、多変量と心理という組み合わせができる。この小論では、実吉(2013)の心理学統計の検定の手法に従い、トーマス・マンの「魔の山」を題材にして男女の満足度について考えていく。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
データベースを作成ながら購読脳と執筆脳を分析するシナジーのメタファーの研究も次第に安定してきている。これまでバランスを意識して二個二個のルールに基づき多くの組み合わせを作ってきた。統計についても、バラツキ、相関関係、多変量分析と進み、今回の心理学統計を含めれば、バラツキと相関、多変量と心理という組み合わせができる。この小論では、実吉(2013)の心理学統計の検定の手法に従い、トーマス・マンの「魔の山」を題材にして男女の満足度について考えていく。
花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いてトーマス・マンの「魔の山」を考える」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える5
4 まとめ
周知のように、ラフ集合は、表形式のデータからどのような知識を抽出できるのかを問題にする。例えば、近似の観点から見ると、対象となる概念の肯定的な側面と否定的な側面を持つ知識を抽出することに特徴がある。一方、縮約の立場から見ると、概念の肯定的な側面を表現する最小限の属性集合を求めることに特徴がある。
現在作成しているThomas Mannのイロニーに関するDBは、1 「計算文学入門の概要」中でも示した通り、彼のイロニー自体が物事を肯定的にも否定的にも考察することから、ラフ集合によるアプローチは面白いと考えられる。また、ラフ集合の考え方を基とするテキストマイニングについては、Thomas Mannのイロニーが読み取れるような文章を抽出しながら話を進めれば、計算文学において価値のある基礎研究となるであろう。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
周知のように、ラフ集合は、表形式のデータからどのような知識を抽出できるのかを問題にする。例えば、近似の観点から見ると、対象となる概念の肯定的な側面と否定的な側面を持つ知識を抽出することに特徴がある。一方、縮約の立場から見ると、概念の肯定的な側面を表現する最小限の属性集合を求めることに特徴がある。
現在作成しているThomas Mannのイロニーに関するDBは、1 「計算文学入門の概要」中でも示した通り、彼のイロニー自体が物事を肯定的にも否定的にも考察することから、ラフ集合によるアプローチは面白いと考えられる。また、ラフ集合の考え方を基とするテキストマイニングについては、Thomas Mannのイロニーが読み取れるような文章を抽出しながら話を進めれば、計算文学において価値のある基礎研究となるであろう。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える4
3.2 縮約
データからパターンを抽出する際、最も簡単なルールを求めたい。ラフ集合の場合は、下近似の部分集合がルールを与えることから、属性の集合を満たす集合により下近似の部分集合を与え、属性数が最小のものを求めることによりルールが生成される。
前節は、属性が一つの場合を扱ったが、実際に下近似を生成するには、複数の[属性=値]の連言による分割を考える必要がある。例えば、症状と喫煙の連言を考えてみよう。{{1},{2},{3,4},{5,6}}という分割が生成され、クラスの分割に一致した下近似と上近似が求められる。
必要最小限の属性のみを抽出することは、簡略化と呼ばれる。また、ラベルの下近似を与える最小限の属性集合は、縮約と呼ばれる。{症状と喫煙}は、縮約の一例となる。最小限の[属性=値]の対を持つ規則は、必要最小限の属性数を持つ縮約から求めることができる。例えば、表1の場合、{症状と喫煙}という縮約から、以下のルールを求めることができる。
(3)[症状=重い(慢性)]⇒[クラス=長い]、[症状=重い(急性)]⇒[クラス=短い]、[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]、[症状=軽い]∧[喫煙=する]⇒[クラス=長い]
次に、[クラス=中位]を満たす集合{1}について考えてみよう。この{1}が、他のクラスを満たす集合{2},{3,4},{5,6}から特定できるような属性の集合を求める。レコード1と属性年代により特定できないレコードの集合を[1]年代と表記すると、属性年代、性別、病名、症状、喫煙に対して、以下のことが定義できる。
(4)
[1]年代=[1,2,3]
[1]性別=[1,5] [1]病名=[1,2,5] [1]症状=[1,2]
[1]喫煙=[1,3,4,5,6]
{1}の部分集合となるものは存在しないので、一つの属性だけで[クラス=中位]を分類することができる情報はない。そこで、これらの属性間の連言を考えてみる。[年代=20-29]∧[性別=女]を満たす集合は、[1]年代∩[1]性別として表記される。この場合、縮約の候補は、以下のようになる。
(5)
[1]性別∩[1]症状=[1]
[1]症状∩[1]喫煙=[1]
{性別,症状}、{症状,喫煙}あたりが候補となりそうだ。{2},{3,4},{5,6}についてもこの方法を適用すると、{症状,喫煙}が縮約となることがわかる。ここまでが、属性数2の縮約である。
次に、属性が3つある縮約を求めてみよう。これまでの議論からわかるように、この縮約は、属性数3となる候補のうち{性別,症状}を包含する属性の集合から生成される。この場合は、{1}ではなく{2},{3,4},{5,6}に関して計算しなければならない。例えば、
(6)
[2]性別∩[2]症状=[2]
[3]性別∩[3]症状=[3,4]
[4]性別∩[4]症状=[3,4]
[5]性別∩[5]症状=[5]
[6]性別∩[6]症状=[6]
となるので、3番目のレコードに着目すれば、
(7)
[3]性別∩[3]症状∩[3]年代=[3]
[3]性別∩[3]症状∩[3]病名=[3,4]
[3]性別∩[3]症状∩[3]喫煙=[3,4]
が得られる。{性別,症状、喫煙}は、{症状,喫煙}を部分集合として含むので、{性別,症状、年代}、{性別,症状、病名}が縮約となる。同様にして、4番目のレコードに着目すれば、
(8)
[4]性別∩[4]症状∩[4]
年代=[4] [4]性別∩[4]症状∩[4]病名=[3,4]
[4]性別∩[4]症状∩[4]喫煙=[3,4]
が得られ、3番目のレコードと同じ結果となる。以上のことから 表1のクラスに関する縮約は、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}となる。 ここまで述べてきた計算方法は、一つずつ属性を追加していくことにより縮約にたどりつくボトムアップ型であるが、ラフ集合にはこれとは別に、決定ルールから出発するトップダウン型の計算方法がある。例えば、1番目のレコードは、次のような形式によって記述される。
(8)[年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]∧[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]
これらの属性のうち何が削除されると矛盾が生じるだろうか。例えば、症状と喫煙を削除すると、次のような二つの決定ルールが生成される。
(9)a [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=中位]
(9)b [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、このことを矛盾が発生したと言う。つまり、{症状,喫煙}は、ルールの記述になくてはならない属性の集合を与えている。この手続きを残りの{2,3,4,5,6}に関しても適用すると、最終的に、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}が表1の分類に不可欠な属性の集合となり、これらが縮約となる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
データからパターンを抽出する際、最も簡単なルールを求めたい。ラフ集合の場合は、下近似の部分集合がルールを与えることから、属性の集合を満たす集合により下近似の部分集合を与え、属性数が最小のものを求めることによりルールが生成される。
前節は、属性が一つの場合を扱ったが、実際に下近似を生成するには、複数の[属性=値]の連言による分割を考える必要がある。例えば、症状と喫煙の連言を考えてみよう。{{1},{2},{3,4},{5,6}}という分割が生成され、クラスの分割に一致した下近似と上近似が求められる。
必要最小限の属性のみを抽出することは、簡略化と呼ばれる。また、ラベルの下近似を与える最小限の属性集合は、縮約と呼ばれる。{症状と喫煙}は、縮約の一例となる。最小限の[属性=値]の対を持つ規則は、必要最小限の属性数を持つ縮約から求めることができる。例えば、表1の場合、{症状と喫煙}という縮約から、以下のルールを求めることができる。
(3)[症状=重い(慢性)]⇒[クラス=長い]、[症状=重い(急性)]⇒[クラス=短い]、[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]、[症状=軽い]∧[喫煙=する]⇒[クラス=長い]
次に、[クラス=中位]を満たす集合{1}について考えてみよう。この{1}が、他のクラスを満たす集合{2},{3,4},{5,6}から特定できるような属性の集合を求める。レコード1と属性年代により特定できないレコードの集合を[1]年代と表記すると、属性年代、性別、病名、症状、喫煙に対して、以下のことが定義できる。
(4)
[1]年代=[1,2,3]
[1]性別=[1,5] [1]病名=[1,2,5] [1]症状=[1,2]
[1]喫煙=[1,3,4,5,6]
{1}の部分集合となるものは存在しないので、一つの属性だけで[クラス=中位]を分類することができる情報はない。そこで、これらの属性間の連言を考えてみる。[年代=20-29]∧[性別=女]を満たす集合は、[1]年代∩[1]性別として表記される。この場合、縮約の候補は、以下のようになる。
(5)
[1]性別∩[1]症状=[1]
[1]症状∩[1]喫煙=[1]
{性別,症状}、{症状,喫煙}あたりが候補となりそうだ。{2},{3,4},{5,6}についてもこの方法を適用すると、{症状,喫煙}が縮約となることがわかる。ここまでが、属性数2の縮約である。
次に、属性が3つある縮約を求めてみよう。これまでの議論からわかるように、この縮約は、属性数3となる候補のうち{性別,症状}を包含する属性の集合から生成される。この場合は、{1}ではなく{2},{3,4},{5,6}に関して計算しなければならない。例えば、
(6)
[2]性別∩[2]症状=[2]
[3]性別∩[3]症状=[3,4]
[4]性別∩[4]症状=[3,4]
[5]性別∩[5]症状=[5]
[6]性別∩[6]症状=[6]
となるので、3番目のレコードに着目すれば、
(7)
[3]性別∩[3]症状∩[3]年代=[3]
[3]性別∩[3]症状∩[3]病名=[3,4]
[3]性別∩[3]症状∩[3]喫煙=[3,4]
が得られる。{性別,症状、喫煙}は、{症状,喫煙}を部分集合として含むので、{性別,症状、年代}、{性別,症状、病名}が縮約となる。同様にして、4番目のレコードに着目すれば、
(8)
[4]性別∩[4]症状∩[4]
年代=[4] [4]性別∩[4]症状∩[4]病名=[3,4]
[4]性別∩[4]症状∩[4]喫煙=[3,4]
が得られ、3番目のレコードと同じ結果となる。以上のことから 表1のクラスに関する縮約は、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}となる。 ここまで述べてきた計算方法は、一つずつ属性を追加していくことにより縮約にたどりつくボトムアップ型であるが、ラフ集合にはこれとは別に、決定ルールから出発するトップダウン型の計算方法がある。例えば、1番目のレコードは、次のような形式によって記述される。
(8)[年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]∧[症状=軽い]∧[喫煙=しない]⇒[クラス=中位]
これらの属性のうち何が削除されると矛盾が生じるだろうか。例えば、症状と喫煙を削除すると、次のような二つの決定ルールが生成される。
(9)a [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=中位]
(9)b [年代=20-29]∧[性別=女]∧[病名=持病]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、このことを矛盾が発生したと言う。つまり、{症状,喫煙}は、ルールの記述になくてはならない属性の集合を与えている。この手続きを残りの{2,3,4,5,6}に関しても適用すると、最終的に、{症状,喫煙}、{性別,症状,年代}、{性別,症状、病名}が表1の分類に不可欠な属性の集合となり、これらが縮約となる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える3
3 ラフ集合
津本(2001)に基づき平易なラフ集合の考え方を紹介する。津本論文は、データベース(DB)の中にある集合体の近似的な表現とそれに必要な最小限の属性集合(縮約と呼ばれる)の求め方を説明している。
3.1 近似
「魔の山」の登場人物が患っている病気の症状(表1)について考えてみる。
表1 登場人物の病気の症状
No. (名前または
ニックネーム) 年代 性別 病名 症状 喫煙 クラス(療養所の滞在期間)
1.
Claudia Chauchat 20-29 女 持病 軽い(慢性) なし 中位
2.
Hans Castorp 20-29 男 持病(カタル) 軽い(慢性) あり 長い
3.
Joachim Ziemßen 20-29 男 発熱(肺痛) 重い(慢性) なし 長い
4.
爪を噛む青年 10-19 男 発熱 重い(慢性) なし 長い
5.
Barbara Hujus 20-29 女 持病 重い(急性) なし 短い
6.
Tou-les-deuxの長男 10-19 男 チフス 重い(急性) なし 短い
この表は、1から6までのレコードを持っている。そして、内容は、属性の集合{年代、性別、病名、症状、喫煙}と所属クラス(サナトリウムの滞在期間)である。それぞれ属性には、値の集合がある。例えば、病名に関して大きく分類すると、{持病、発熱、チフス}がそれに当たる。
周知のように、ラフ集合は、各属性がデータの集合{1,2,3,4,5,6}の分割を与えるところに原点がある。[病名=持病]、[病名=発熱]、[病名=チフス]を満たすデータの部分集合は、{1,2,5}、{3,4}、{6}である。表1は、他の属性についても同様の分割を与えている。次に、レコードのラベル付けを考える。ここでは、クラスをそのラベルと仮定する。[クラス=中位]に注目すると、これを満たすデータは、{1}である。これらをまとめると、表2となる。
表2 分割の例
病名による分割 クラスによる分割
持病 {1,2,5} 短い {5,6}
発熱 {3,4} 中位 {1}
チフス{6} 長い {2,3,4,}
病名による分割とクラスによる分割から何が言えるであろうか。一番簡単なことは、[病名=チフス]を満たす分割が、[クラス=短い]を満たす分割の部分集合となっていることである。古典論理によれば、こうした関係は、次のように表記される。
(1)[病名=チフス]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、[病名=チフス]を満たす分割を[クラス=短い]の下近似と呼ぶ。[病名=チフス]を満たせば、クラスは短いが確定するためである。 次に、[クラス=短い]のすべてをカバーする分割について考えてみよう。上述の例では、[病名=持病]を満たす集合と[病名=チフス]を満たす集合の和集合が{1,2,5,6}となり、[クラス=短い]を部分集合とすることができる。これらの集合間の関係は、古典論理を用いると、次のように表すことができる。ラフ集合では、これらの病名に関するデータの分割をそれぞれのクラスの上近似と呼ぶ。
(2)[クラス=短い]⇒[病名=持病]∨[病名=チフス]
この結果、[クラス=短い]の下近似は、[病名=チフス]を満たす集合、上近似は、[病名=持病]または[病名=チフス]を満たす集合で与えられる。これらの関係は、表3にまとめられる。
表3 病名よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
ラフ集合は、近似の質をcard(下近似)/card(上近似)により定義する。例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、1/4 =0.25である。一方、症状であれば、表4のような近似が得られる。
表4 症状よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
この表から分かるように、例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、2/2 =1.0である。
ラフ集合では、各属性がデータ集合の分割を構成し、その分割によってクラスや決定属性といったデータのラベルと属性との関係について、近似とその質が測定されていく。その際、ラベルを上近似と下近似で押さえるということが、ラフ集合の特徴として上げられる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
津本(2001)に基づき平易なラフ集合の考え方を紹介する。津本論文は、データベース(DB)の中にある集合体の近似的な表現とそれに必要な最小限の属性集合(縮約と呼ばれる)の求め方を説明している。
3.1 近似
「魔の山」の登場人物が患っている病気の症状(表1)について考えてみる。
表1 登場人物の病気の症状
No. (名前または
ニックネーム) 年代 性別 病名 症状 喫煙 クラス(療養所の滞在期間)
1.
Claudia Chauchat 20-29 女 持病 軽い(慢性) なし 中位
2.
Hans Castorp 20-29 男 持病(カタル) 軽い(慢性) あり 長い
3.
Joachim Ziemßen 20-29 男 発熱(肺痛) 重い(慢性) なし 長い
4.
爪を噛む青年 10-19 男 発熱 重い(慢性) なし 長い
5.
Barbara Hujus 20-29 女 持病 重い(急性) なし 短い
6.
Tou-les-deuxの長男 10-19 男 チフス 重い(急性) なし 短い
この表は、1から6までのレコードを持っている。そして、内容は、属性の集合{年代、性別、病名、症状、喫煙}と所属クラス(サナトリウムの滞在期間)である。それぞれ属性には、値の集合がある。例えば、病名に関して大きく分類すると、{持病、発熱、チフス}がそれに当たる。
周知のように、ラフ集合は、各属性がデータの集合{1,2,3,4,5,6}の分割を与えるところに原点がある。[病名=持病]、[病名=発熱]、[病名=チフス]を満たすデータの部分集合は、{1,2,5}、{3,4}、{6}である。表1は、他の属性についても同様の分割を与えている。次に、レコードのラベル付けを考える。ここでは、クラスをそのラベルと仮定する。[クラス=中位]に注目すると、これを満たすデータは、{1}である。これらをまとめると、表2となる。
表2 分割の例
病名による分割 クラスによる分割
持病 {1,2,5} 短い {5,6}
発熱 {3,4} 中位 {1}
チフス{6} 長い {2,3,4,}
病名による分割とクラスによる分割から何が言えるであろうか。一番簡単なことは、[病名=チフス]を満たす分割が、[クラス=短い]を満たす分割の部分集合となっていることである。古典論理によれば、こうした関係は、次のように表記される。
(1)[病名=チフス]⇒[クラス=短い]
ラフ集合では、[病名=チフス]を満たす分割を[クラス=短い]の下近似と呼ぶ。[病名=チフス]を満たせば、クラスは短いが確定するためである。 次に、[クラス=短い]のすべてをカバーする分割について考えてみよう。上述の例では、[病名=持病]を満たす集合と[病名=チフス]を満たす集合の和集合が{1,2,5,6}となり、[クラス=短い]を部分集合とすることができる。これらの集合間の関係は、古典論理を用いると、次のように表すことができる。ラフ集合では、これらの病名に関するデータの分割をそれぞれのクラスの上近似と呼ぶ。
(2)[クラス=短い]⇒[病名=持病]∨[病名=チフス]
この結果、[クラス=短い]の下近似は、[病名=チフス]を満たす集合、上近似は、[病名=持病]または[病名=チフス]を満たす集合で与えられる。これらの関係は、表3にまとめられる。
表3 病名よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
ラフ集合は、近似の質をcard(下近似)/card(上近似)により定義する。例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、1/4 =0.25である。一方、症状であれば、表4のような近似が得られる。
表4 症状よる上近似と下近似
クラス 分割 上近似 下近似
短い {5,6} {6} {1,2,5,6}
中位 {1} { } {1,2,5}
長い {2,3,4} { } {1,2,3,4,5}
この表から分かるように、例えば、[クラス=短い]の場合、近似の質は、2/2 =1.0である。
ラフ集合では、各属性がデータ集合の分割を構成し、その分割によってクラスや決定属性といったデータのラベルと属性との関係について、近似とその質が測定されていく。その際、ラベルを上近似と下近似で押さえるということが、ラフ集合の特徴として上げられる。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える2
2 「計算文学入門」の概要
本書は、タイトルにもあるように計算文学の入門編という位置づけである。計算文学は、人文科学と情報科学によるシナジー効果を探るための研究分野の一つと言える。しかし、闇雲に勉強したところで、マージなどできるはずがない。まず、スタートラインに立つために、ポイントとなる組み合わせを探る必要がある。周知のように、人間とコンピュータの間にロジックを立てることは標準となっており、「Thomas Mannはファジーネス」といった組み合わせを見つけることができれば、仮に既に亡くなってしまった作家の分析をコンピュータ上で行う場合でも、結合や比較といった単体的な処理ではなく、マージのための方向性を規定することができる。無論、言語系のロジックは、システム系と仕組みが異なるため緩衝材が必要となる。
Thomas MannのイロニーとZadehのファジー理論は、それぞれ次のように定義されている。
Baumgart(1964:22)によるThomas Mannの「イロニー」の定義。
”Als die Bedingung seines Prosas hält Thomas Mann immer die Distanz zur Wirklichkeit, einmal um sie so genau wie möglich zu betrachten, einmal sie zu kritisieren, das heißt ironisch. …Die kritische Distanz könnte zu einer ironischen Distanz werden. Tatsächlich ist der kritischen Prägnanz eine Art Grenze gesetzt, die aus der Beschaffenheit des sprachlichen Medium selbst dem Bedürfnis nach einer restlos präzisierten Begriffssprache entgegenwirkt.”
「Thomas Mannは、散文の条件として常に現実から距離をとる。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。・・・この批判的な距離は、イロニー的な距離となるであろう。実際、批判的な表現上の簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。」
Yager et al(1987: 23)によるZadehの「ファジー理論」の定義。
”There is an incompatibility between precision and complexity. As the complexity of a system increases, our ability to make precise and yet non-trivial assertions about its behavior diminishes. For example, it is very difficult to prove a theorem about the behavior of an economic system that is of relevance to real-world economics.”
「正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。」
双方の定義間にあるギャップを埋めるために、言語系とシステム系の論理をつなぐ緩衝材として論理文法を使用する。(詳細については、「計算文学入門」の第2章「論理文法の基礎」を参照すること。) 論理文法は、小史を兼ねてHPSG(Head Driven Phrase Structure Grammar)、Montague Grammar、DRT(Discourse Representation Theory)、直感主義の論理などを経てファジー理論へと進んで行く。その際、Richard Montague による言語分析(PTQ)とThomas Mannの「魔の山」をマージすることにより、何か異質のもの(ここではファジー推論)を引き出せるかどうかがポイントとなる。つまり、Thomas Mannのイロニーを形式論によって記述する場合、ファジー推論を選択することが現状ではベストであるという結論を探っていく。
「魔の山」からの分析は、上述したイロニー的な距離が問題となる。特に、主人公のHans CastorpとChaucha夫人との距離、さらに、ダボスの療養所に勤務する医者のDr. Krokowski(Behrens院長の助手)を仲介としたHans Castorpと甥のJoachim Ziemßen との距離が問題となっている。距離を測定するために、ファジー化、ファジー推論および脱ファジー化という技法が使われる。また、推論の基礎をなす記憶についても言及がある。(詳細については、「計算文学入門」の第3章「やさしい曖昧な数学」を参照すること。)
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
本書は、タイトルにもあるように計算文学の入門編という位置づけである。計算文学は、人文科学と情報科学によるシナジー効果を探るための研究分野の一つと言える。しかし、闇雲に勉強したところで、マージなどできるはずがない。まず、スタートラインに立つために、ポイントとなる組み合わせを探る必要がある。周知のように、人間とコンピュータの間にロジックを立てることは標準となっており、「Thomas Mannはファジーネス」といった組み合わせを見つけることができれば、仮に既に亡くなってしまった作家の分析をコンピュータ上で行う場合でも、結合や比較といった単体的な処理ではなく、マージのための方向性を規定することができる。無論、言語系のロジックは、システム系と仕組みが異なるため緩衝材が必要となる。
Thomas MannのイロニーとZadehのファジー理論は、それぞれ次のように定義されている。
Baumgart(1964:22)によるThomas Mannの「イロニー」の定義。
”Als die Bedingung seines Prosas hält Thomas Mann immer die Distanz zur Wirklichkeit, einmal um sie so genau wie möglich zu betrachten, einmal sie zu kritisieren, das heißt ironisch. …Die kritische Distanz könnte zu einer ironischen Distanz werden. Tatsächlich ist der kritischen Prägnanz eine Art Grenze gesetzt, die aus der Beschaffenheit des sprachlichen Medium selbst dem Bedürfnis nach einer restlos präzisierten Begriffssprache entgegenwirkt.”
「Thomas Mannは、散文の条件として常に現実から距離をとる。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。・・・この批判的な距離は、イロニー的な距離となるであろう。実際、批判的な表現上の簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。」
Yager et al(1987: 23)によるZadehの「ファジー理論」の定義。
”There is an incompatibility between precision and complexity. As the complexity of a system increases, our ability to make precise and yet non-trivial assertions about its behavior diminishes. For example, it is very difficult to prove a theorem about the behavior of an economic system that is of relevance to real-world economics.”
「正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。」
双方の定義間にあるギャップを埋めるために、言語系とシステム系の論理をつなぐ緩衝材として論理文法を使用する。(詳細については、「計算文学入門」の第2章「論理文法の基礎」を参照すること。) 論理文法は、小史を兼ねてHPSG(Head Driven Phrase Structure Grammar)、Montague Grammar、DRT(Discourse Representation Theory)、直感主義の論理などを経てファジー理論へと進んで行く。その際、Richard Montague による言語分析(PTQ)とThomas Mannの「魔の山」をマージすることにより、何か異質のもの(ここではファジー推論)を引き出せるかどうかがポイントとなる。つまり、Thomas Mannのイロニーを形式論によって記述する場合、ファジー推論を選択することが現状ではベストであるという結論を探っていく。
「魔の山」からの分析は、上述したイロニー的な距離が問題となる。特に、主人公のHans CastorpとChaucha夫人との距離、さらに、ダボスの療養所に勤務する医者のDr. Krokowski(Behrens院長の助手)を仲介としたHans Castorpと甥のJoachim Ziemßen との距離が問題となっている。距離を測定するために、ファジー化、ファジー推論および脱ファジー化という技法が使われる。また、推論の基礎をなす記憶についても言及がある。(詳細については、「計算文学入門」の第3章「やさしい曖昧な数学」を参照すること。)
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える1
1 はじめに
Thomas Mann(1875−1955)の「魔の山」(Der Zauberberg)は、1924年、Fischer Verlagから出版され、評論、翻訳、テキスト言語学、映画といった主に文系の分野で研究がなされてきた。しかし、ここでは、この作品を計算文学というシナジーの領域で考察していく。出発点は、「計算文学入門」の中で説明したThomas Mannのイロニーとファジー推論の整合性の良さである。それをベースにスイスのダボスにあるサナトリウムの患者について表形式のデータを作成し、その一部を平易なラフ集合の概念に基づいて分析していく。「計算文学入門」は、記号論理を用いてThomas Mann のイロニーを分析しているが、 Zadeh自身がシステム系のファジー理論を言語系にアレンジしたように、本稿では、ラフ集合を言語系にアレンジしながらデータを処理していくため、テキストマイニングのトレーニングとしての位置づけもある。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より
Thomas Mann(1875−1955)の「魔の山」(Der Zauberberg)は、1924年、Fischer Verlagから出版され、評論、翻訳、テキスト言語学、映画といった主に文系の分野で研究がなされてきた。しかし、ここでは、この作品を計算文学というシナジーの領域で考察していく。出発点は、「計算文学入門」の中で説明したThomas Mannのイロニーとファジー推論の整合性の良さである。それをベースにスイスのダボスにあるサナトリウムの患者について表形式のデータを作成し、その一部を平易なラフ集合の概念に基づいて分析していく。「計算文学入門」は、記号論理を用いてThomas Mann のイロニーを分析しているが、 Zadeh自身がシステム系のファジー理論を言語系にアレンジしたように、本稿では、ラフ集合を言語系にアレンジしながらデータを処理していくため、テキストマイニングのトレーニングとしての位置づけもある。
花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える−テキストマイニングのトレーニング」より