2022年04月02日
産後鬱・・・
産後鬱って聞いたことありますよね。。。
まさか自分がこんな経験するとは思っていもいませんでした。
特に初産だと全てにおいて初めてだらけで、わからないことばかり。地元で出産だったので、母親が近くにいたことで色々助けてはもらいましたが、本当に自分でもどうしてかわからないけど、娘と母親以外の人間をとにかく受け付けませんでした。父親、自分の旦那に対してまで拒絶反応が起き、とにかく気分が憂鬱でした。
自分が鬱っぽいということがわかるだけでもマシだったかもしれません。自覚症状がなく、自分の殻に閉じこもり、しんどい想いをしている人がたくさんいるかもしれないからです。
私が自分でもなんか変だなと思い始めたのは、産後まだ間もない時でした。産後1週間は病院で生活するので、何かあればすぐ誰かが助けてくれるという安心感はあったからかもしれませんが、娘に会いたいとたくさんの人が病院にお見舞いに来てくれたのも実はすごく苦痛でした。これは案外あるあるかもしれませんが、産後とにかくゆっくりしたいのに、家族だけならまだしも、親戚や職場の人達などたくさんの人が訪ねてきては、
「今のうちにゆっくりしなね〜」
と言いながら結構長居していくっていうパターンが多かった気がします。仕事関係の人達はお祝いだけしてすぐ帰って行ったのですが、親戚関係がかなり厄介でした。自分の昔話が始まったり、母乳で育てるのが一番いいとかなんとか、知っていることを色々と良かれと思って教えてくれているのでしょうが、邪険に扱うことも出来ず、ただただ話し終わるのを待つ状態でした。
もしかしたらこの時から情緒不安定はもう始まっていたのかもしれません。
家に帰ってからも親戚がたまに会いに来ていたのですが、おしめの替え方だったり、粉ミルクの作り方だったり、いちいちコメントしてきました。そろそろ昼寝の時間だからと娘を2階に連れていこうとすると、
「昼寝の時間なんか決めなくても寝たいときに勝手に寝るんだから大丈夫よー」
「おしめやミルクだってそんなにきちんと綺麗にやるのなんて最初だけなんだから〜そのうちもっとテキトーになるわよー」
母親に言われるならまだしも、父親、おじさん、おばちゃん達はもうほっといてくれ!!毎回そう思っていました。
旦那はまだ自信がないからと、おしめ交換はしませんでした。自信がないってなんだ!?母親にはおしめ交換をする、しないを選ぶ権利はないぞ?父親にはあるのか!?
娘が産まれてから、朝までゆっくり寝れることはありません。妊娠中も、中期から後期にかけてはお腹が大きくなって寝心地が悪いせいもあり、ぐっずり眠れることは少なくなっていました。やっと出産が終わりゆっくり寝れるかと思いきや、産後はますます寝れない日々が続きました。寝不足は人の性格までをも変えるのではないかと本当に思います。日中なるべく休める時に休んでいましたが、娘が夜泣きしたり、小さな音を出すだけで私はすぐに目が覚めてすぐに娘を確認していましたが、旦那は一切目が覚めることすらありません。旦那にミルクをあげて欲しいと起こすと、寝ぼけているせいできちんと行動出来ないでいました。その姿を見ると信用出来ず、ミルクすら頼めませんでした。誰が教えることもなく、女性は子供のためとなると勝手に体が動きます。母親と父親の違いですね。”母は強し”と言われる分けがわかりました笑
一番私を追い込んだことは、母乳が出なかったことです。産後1週間、病院にいる間は助産婦さんに母乳が出るようにマッサージをしてもらっていました。あれは経験した人しかわからないと思いますが、ものすごい激痛です!!!ほんっっっとに痛い!!!!大袈裟ではなく涙が出ました。そんなマッサージを受けても、出てくる母乳はちょろちょろ〜。胸には張りがあるのですが、娘が満足するほどの量とはかけ離れていました。娘は飲んでいるように見えるのですが、30分ほど飲み続けて吸い疲れをして眠ってしまうのですが、1時間もしないでギャン泣きで起き、また母乳の繰り返し。助産婦さんに、母乳が足りないかもしれないから粉ミルクも飲ませてみましょうと言われ、粉ミルクを与えると、2時間〜3時間は余裕で持つようになりました。母乳が出ていないことが明らかでした。
母乳が足りてないからと、完全粉ミルクにしてしまうと、まだ出る可能性がある母乳が止まってしまうから、出来る限りは頑張って自分でもマッサージしながら母乳で育ててみてね!と助産婦さんに言われ、言われた通り真面目に頑張っていました。母乳を始めて1か月が過ぎても、母乳の出は良くなりませんでした。子供を産めば当たり前に母乳が出るもんだと思っていた私は、まさか自分が母乳で子育て出来ないなんて、、という絶望感があり、また粉ミルクを飲ませているときに言われる親戚達の言葉にもいちいち落ち込んでいました。
旦那にも、どうしてそんなに母乳にこだわるの?粉ミルクにしたらいいんじゃない?と言われ、今となれば、うん、そうだねと言えるのに、当時はどうにか母乳で育てたいと必死でした。そのため、母乳が出ないのは自分の努力不足、全て自分が悪いんだとどんどん自分を追い込んでいました。
2か月ほど経った頃、ついに母乳の出なさにウンザリして完全粉ミルクに変えました。気持ちを切り替えたことで、今まで溜まっていたストレスが一気に消えて気分が楽になったのを感じました。そして母乳を諦めて数週間で生理が始まり、あぁ、やはり母乳が出る出ないでホルモンバランスにも影響するんだなと思いました。
産後2か月半頃には、自分の中で気持ちが落ち着いてきているのがわかりました。その頃から、オーストラリアへ戻るための準備が始まり、バタバタしていたので気持ちが落ち込む時間さえありませんでした。
あの気分の落ち込み方、自分に対しての周りの意見や行動が普段は全く気にならないタイプなのに、当時はすごく小さなことでも気にして落ち込んでいました。ちょっとしたことですぐ泣いていたので、本当に情緒不安定だったなと思います。その時、自分の母親がただそこにいてくれるだけで気持ちが落ち着いているのを覚えています。母親がいてくれて本当に良かったと思います。近くに母親がいなくて一人で頑張っている新米ママはたくさんいることでしょう。本当によく頑張っているな〜と思います。私は本当にラッキーでした。今思うと、親戚の言葉など大したことないのに、当時は本当に嫌でした笑
まさか自分がこんな経験するとは思っていもいませんでした。
特に初産だと全てにおいて初めてだらけで、わからないことばかり。地元で出産だったので、母親が近くにいたことで色々助けてはもらいましたが、本当に自分でもどうしてかわからないけど、娘と母親以外の人間をとにかく受け付けませんでした。父親、自分の旦那に対してまで拒絶反応が起き、とにかく気分が憂鬱でした。
自分が鬱っぽいということがわかるだけでもマシだったかもしれません。自覚症状がなく、自分の殻に閉じこもり、しんどい想いをしている人がたくさんいるかもしれないからです。
私が自分でもなんか変だなと思い始めたのは、産後まだ間もない時でした。産後1週間は病院で生活するので、何かあればすぐ誰かが助けてくれるという安心感はあったからかもしれませんが、娘に会いたいとたくさんの人が病院にお見舞いに来てくれたのも実はすごく苦痛でした。これは案外あるあるかもしれませんが、産後とにかくゆっくりしたいのに、家族だけならまだしも、親戚や職場の人達などたくさんの人が訪ねてきては、
「今のうちにゆっくりしなね〜」
と言いながら結構長居していくっていうパターンが多かった気がします。仕事関係の人達はお祝いだけしてすぐ帰って行ったのですが、親戚関係がかなり厄介でした。自分の昔話が始まったり、母乳で育てるのが一番いいとかなんとか、知っていることを色々と良かれと思って教えてくれているのでしょうが、邪険に扱うことも出来ず、ただただ話し終わるのを待つ状態でした。
もしかしたらこの時から情緒不安定はもう始まっていたのかもしれません。
家に帰ってからも親戚がたまに会いに来ていたのですが、おしめの替え方だったり、粉ミルクの作り方だったり、いちいちコメントしてきました。そろそろ昼寝の時間だからと娘を2階に連れていこうとすると、
「昼寝の時間なんか決めなくても寝たいときに勝手に寝るんだから大丈夫よー」
「おしめやミルクだってそんなにきちんと綺麗にやるのなんて最初だけなんだから〜そのうちもっとテキトーになるわよー」
母親に言われるならまだしも、父親、おじさん、おばちゃん達はもうほっといてくれ!!毎回そう思っていました。
旦那はまだ自信がないからと、おしめ交換はしませんでした。自信がないってなんだ!?母親にはおしめ交換をする、しないを選ぶ権利はないぞ?父親にはあるのか!?
娘が産まれてから、朝までゆっくり寝れることはありません。妊娠中も、中期から後期にかけてはお腹が大きくなって寝心地が悪いせいもあり、ぐっずり眠れることは少なくなっていました。やっと出産が終わりゆっくり寝れるかと思いきや、産後はますます寝れない日々が続きました。寝不足は人の性格までをも変えるのではないかと本当に思います。日中なるべく休める時に休んでいましたが、娘が夜泣きしたり、小さな音を出すだけで私はすぐに目が覚めてすぐに娘を確認していましたが、旦那は一切目が覚めることすらありません。旦那にミルクをあげて欲しいと起こすと、寝ぼけているせいできちんと行動出来ないでいました。その姿を見ると信用出来ず、ミルクすら頼めませんでした。誰が教えることもなく、女性は子供のためとなると勝手に体が動きます。母親と父親の違いですね。”母は強し”と言われる分けがわかりました笑
一番私を追い込んだことは、母乳が出なかったことです。産後1週間、病院にいる間は助産婦さんに母乳が出るようにマッサージをしてもらっていました。あれは経験した人しかわからないと思いますが、ものすごい激痛です!!!ほんっっっとに痛い!!!!大袈裟ではなく涙が出ました。そんなマッサージを受けても、出てくる母乳はちょろちょろ〜。胸には張りがあるのですが、娘が満足するほどの量とはかけ離れていました。娘は飲んでいるように見えるのですが、30分ほど飲み続けて吸い疲れをして眠ってしまうのですが、1時間もしないでギャン泣きで起き、また母乳の繰り返し。助産婦さんに、母乳が足りないかもしれないから粉ミルクも飲ませてみましょうと言われ、粉ミルクを与えると、2時間〜3時間は余裕で持つようになりました。母乳が出ていないことが明らかでした。
母乳が足りてないからと、完全粉ミルクにしてしまうと、まだ出る可能性がある母乳が止まってしまうから、出来る限りは頑張って自分でもマッサージしながら母乳で育ててみてね!と助産婦さんに言われ、言われた通り真面目に頑張っていました。母乳を始めて1か月が過ぎても、母乳の出は良くなりませんでした。子供を産めば当たり前に母乳が出るもんだと思っていた私は、まさか自分が母乳で子育て出来ないなんて、、という絶望感があり、また粉ミルクを飲ませているときに言われる親戚達の言葉にもいちいち落ち込んでいました。
旦那にも、どうしてそんなに母乳にこだわるの?粉ミルクにしたらいいんじゃない?と言われ、今となれば、うん、そうだねと言えるのに、当時はどうにか母乳で育てたいと必死でした。そのため、母乳が出ないのは自分の努力不足、全て自分が悪いんだとどんどん自分を追い込んでいました。
2か月ほど経った頃、ついに母乳の出なさにウンザリして完全粉ミルクに変えました。気持ちを切り替えたことで、今まで溜まっていたストレスが一気に消えて気分が楽になったのを感じました。そして母乳を諦めて数週間で生理が始まり、あぁ、やはり母乳が出る出ないでホルモンバランスにも影響するんだなと思いました。
産後2か月半頃には、自分の中で気持ちが落ち着いてきているのがわかりました。その頃から、オーストラリアへ戻るための準備が始まり、バタバタしていたので気持ちが落ち込む時間さえありませんでした。
あの気分の落ち込み方、自分に対しての周りの意見や行動が普段は全く気にならないタイプなのに、当時はすごく小さなことでも気にして落ち込んでいました。ちょっとしたことですぐ泣いていたので、本当に情緒不安定だったなと思います。その時、自分の母親がただそこにいてくれるだけで気持ちが落ち着いているのを覚えています。母親がいてくれて本当に良かったと思います。近くに母親がいなくて一人で頑張っている新米ママはたくさんいることでしょう。本当によく頑張っているな〜と思います。私は本当にラッキーでした。今思うと、親戚の言葉など大したことないのに、当時は本当に嫌でした笑
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