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2022年03月30日

1人目の妊娠赤ちゃん

1人目の妊娠がわかったのは、オーストラリアに戻るために配偶者ビザの申請準備をしている時でした。旦那が8か月ぶりに日本に来て、私の両親に結婚の挨拶をし終わってわずか数週間で妊娠が発覚しました。


ビザを無事申請し終わり、ビザが下りたらすぐに行動出来るように準備万端でした。そんな時に妊娠がわかり、数週間後にはつわりも始まりました。


私のつわりは、周りに比べて酷い方ではなかったと思います。ただ1日中船酔いのように気持ち悪いというだけで実際に嘔吐はしませんでした。吐くことはないにしろ、何か匂うと嗚咽してしまうので人前でしないように気をつけていました。匂いに敏感なだけで体がしんどいということは特になかったので、普段通りの生活をしていました。


異変が起きたのは、妊娠11週目でした。夜中に下着が全て濡れるほどの出血があり目が覚めました。次の日すぐに病院に行くと、”切迫流産”と診断されました。子宮内に出血があるので絶対安静と言われました。数日以内に出血が止まらなければ入院だそうです。


検査の結果、入院になってしまいました。赤ちゃんが入っている袋の3分の1が血で埋め尽くされているらしい。その出血による感染症を起こす恐れがあるらしく、もしそうなればその時点で流産だそうです。それから袋の周りにも血の塊があり、袋全てをその血の塊で覆われたときには、母体から赤ちゃんに血が送られなくなり流産になる恐れも出てくるらしい。切迫流産、こんなにも恐ろしいことだとは知りませんでした。入院してからも、出血が止まるまで結構な時間がかかり、丸2か月間点滴24時間、腕はあざだらけで個室に移されトイレもポータブル生活。シャワーも許されない生活が長いこと続きました。


2か月で点滴が取れて、錠剤の薬に変更されてから外泊許可が出て久しぶりに家に帰宅。帰宅と言っても外出許可が出たわけではないので、1泊したらまた病院に戻ります。経過を見て2か月半の入院生活にピリオドを打ち、やっと退院しました。退院後も外出許可は簡単に出してもらえず、結局家と食料品の買い物のみの生活が数ヶ月続きました。


妊娠28週目。やっと性別が判明。女の子でした黄ハートエコーをするたびに後ろを向いていたり、あぐらをかいていてきちんと見えなかったりで、性別がはっきりするまで数週間かかりました。1週間に1度内診検査のために病院に行っていたので、毎週チェックはしてもらっていた割にはだいぶ時間がかかったなと思います。


妊娠34週目。あと2週間で赤ちゃんがいつ生まれてきてもおかしくない時期に入ります!!安心感からかなのか、この時期の内診検査のために病院に行ったとき、また信じられないことが起きました。


”切迫早産”です。


もう声になりませんでした。「すぐ入院してください」と言われ、親に連絡。その日からまたしても入院生活になりました。また点滴、また個室。信じられませんでした。出血したわけでもなかったのですが、赤ちゃんの頭が一気に下がってしまったとのこと。普通の生活をしているだけで、病院の先生からは


「あなた一体何をしたんですか!?」


と怒り気味に言われました。何をしたって・・普通に生活してただけですけど、、、


「普通に生活していたらこんなに赤ちゃんの頭は下がりません。あと体重増えすぎです。」


妊娠8ヶ月の時点で増えた体重は5キロでした。私自身、痩せ体系ではなかったため、

「あなたの体系からいうと、妊娠中5キロ以上増やさないでください」

と最初に時点で言われていました。妊娠後期になればなるほど、ずっと便秘に悩まされていて、便秘薬なしではトイレに行けないほどでした。妊娠8ヶ月で5キロ増えてたら、残りの2か月あなたはどうするつもりですか!??と怒られ、その日から毎日夜ご飯は豆腐と納豆のみの生活でした。


産婦人科ってこんなもんなんでしょうか?この病院の先生、厳しすぎません?怒りすぎじゃありません?
私が当時ホルモンのバランスが崩れていたからこそ、この先生の対応が気にくわなかっただけでしょうか?友人が出産した別の病院では、こんな対応はされなかったと聞き、私だけが悪かったのだろうかとすごく不安になりました。私にとっての普段の生活は、みんなの普通の生活とは違かったのだろうか。。。色々考えました。妊娠後期、すごく情緒不安定な生活を送っていました。



妊娠34週〜38週まで入院生活をさらに送り、もう赤ちゃんのサイズ的にも大きくなり、いつ生まれてきても心配いらないということで退院が許されました。しかし、絶対安静生活を1か月間もしていたせいで、体の筋肉が衰え、5分以上歩くのでさえしんどい始末。こんなんで出産は無事にこなせるのだろうかと不安でした。



出産予定日の1週間前に、旦那がオーストラリアから来ることになっていました。どうにか39週まで持ちますように。旦那は立ち合い出産を希望していましたが、立ち合い出産を希望する旦那さんは、父親クラスを前もって受講する決まりがあり、そのクラスがあった日に日本にいなかったのと、そもそも日本語が話せないので受講しても勉強にならなかったこともあり、立ち合い出産を諦めました。代わりに、出産ギリギリまで一緒に過ごしたいと言っていました。


☆出産☆

妊娠38週6日目、夜11時頃に破水しました。家のベッドがびしょ濡れになりました。母親を急いで呼んで病院へ直行しました。病院に着いて病室に入ると、子宮口は3cmほど開いているとのこと。とりあえず様子を見ましょう。とう言われ、すぐに旦那に電話して破水したことを報告すると、

「今から日本に行くために家を出たばかりなのにー!!あと1日だけ待ってくれ〜あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)


そんなの無理です。陣痛がどのくらい続くかはわかりませんが、普通であれば、破水後数時間ほどで陣痛は来ると言われました。言われたとおり、朝2時頃には陣痛が始まり、5時頃にはかなりの痛みになっていました。こんなの次の日まで待てるわけねーだろと思いながらも痛みに耐えました。


朝7時頃、病室に朝食が運ばれてきました。食べれるどころではありません。水分だけ取るのが精いっぱいでした。助産師さんが、「おにぎりくらい食べなさい、じゃないと出産に耐えられないわよ」と言います。いやいや、食べたくても食べれないんだってば。と思いながらもどうにか無理やり一口食べましたが、何の味も感じません。


朝8時半頃に、分娩室に移動するのでその前にトイレに行ってくださいと言われました。陣痛の合間に急いでトイレに行って座った途端、すぐに陣痛が来てしまい、自分の出血も見て大混乱。力んではダメと言われるも、どうにもなりません。「トイレなんか言ってる場合じゃない!出ない!」と看護師さんに叫び、すぐに分娩室に連れて行ってもらいました。分娩台に横になって色んな器具を体に着けられ、点滴も始まり、わけもわからないまま、2回踏ん張ったらもう産まれました。


元気な女の子です黄ハートすぐに産声を上げ、もう終わりましたからねーと看護師さんに言われ、ほっとしたのを覚えています。初産にしては時間がかからなかった方だと思います。破水をしたのが夜11時頃で、産まれたのは朝の10時でした。


部屋に戻ってからすぐに旦那に電話すると、機内にいるのか電話に出ませんでした。昼過ぎに電話がかかってきて、

「今日本に着いたよー!まさかもう生まれた!?」

もう生まれたよーと報告すると、まじかー数時間間に合わなかったー!!!と後悔しているようでした。こればかりは予想できるものではないので仕方ありません。夕方に私の地元に無事到着し、娘を抱くことが出来ました。



私の家族、親戚、従妹など、次々と病院に訪れてきました。それから退院するまでの1週間は、訪問客の相手で忙しかったです。ゆっくり休めと言うわりに、ゆっくり休んだ感覚があまりありませんでした笑 こんなもんですよねあせあせ(飛び散る汗)



入院生活や、病院の先生の対応など、嫌だなと思ったことは多々ありましたが、これも良い経験になりました。他の病院だったらどういう対応だったのかは今だになぞですが。。。



何はともあれ、無事に出産し終わりました。ここから、娘の出生届、戸籍謄本の翻訳、オーストラリアの国籍取得などなど、オーストラリアに戻るまでの作業が続きます。












posted by Mookie at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て
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