2018年12月14日
十把一絡げズ 第27回 「白村江の戦い」
こんにちは、酒保です。
今回は白村江の戦いについてです。
白村江の戦いは、中学校の歴史教科書で初めて出てくる外国との戦いです。また、日本が敗北した3回の戦いのうちの1つです。
古墳時代にも朝鮮で戦っていたようですが、細かい戦いの様子や教科書の本文で名前が出てくる戦い、という点での初めてですね。
白村江の戦いが起こった背景はどのようなものだったのでしょうか。
朝鮮半島の端にある百済という国が滅ぼされたところから話は始まります。
百済という国は、日本(当時は倭国)と親交のある国でした。その国が唐(中国)と新羅(こちらも朝鮮の端にある国)に滅ぼされたため、日本はその救援と復興のために兵を送ります。
その結果、白村江(今の錦江下流との説が有力。まだ確定していない)にて、戦いとなりました。
この時の日本・百済軍の戦いは、兵の数が敵より少ないにもかかわらず、攻め方がずさんだったようです。
そういった理由もあり、この戦いは唐・新羅連合軍の勝利に終わります。
そして、日本・百済軍は崩壊し、百済の復興はかなわず、日本も朝鮮の権益すべてを失うこととなりました。
この戦いの後の日本は、大陸からの攻撃に備えて、九州にある大宰府の守りを固めます。
土塁と水堀でできた水城をつくり、さらに山野峰には大野城などの山城をつくります。
結局、大陸から唐や新羅が攻めてくることはありませんでしたが、日本側の危機感も大きなものでした。
実際、攻めてきた場合にどうなるかはわかりませんが、危険な状態であったことは確かでしょう。
結局、この白村江の戦いは日本本土には影響を与えませんでした。
しかし、朝鮮での権益や日本人の精神には大きな衝撃をあたえました。
この危機感が、日本を統一した国家へと導いていったのかもしれません。
敗北した国は悲惨な目に合うことが世の常ですが、この戦いの結果はまだよかった方なのかもしれませんね。
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