くり子です。
父が腹痛を起こしたとき、兄嫁が「発症から6時間たってもまだ痛いのだったら食中毒じゃないんじゃない?温めて(ホッカイロを渡した)しっかり食事をしなさい。」と言ったそうです。
で、兄嫁がくり子に電話してきて、「6時間以上経っているから食中毒じゃないと思う。」と言った時、くり子は思い出しました。
それは・・・
くり子が正社員で働いていたころのこと、会社の忘年会が正社員全員参加で行われました。
コースに生牡蠣が出て、苦手な人たちは残したり、好きな人にあげたり・・・
そしてくり子も席が隣だった後輩に「僕、牡蠣、苦手なんです。」と言われ、その牡蠣をもらいました。
ただ、くり子も生牡蠣を食べるのは怖くて、ぐつぐつに煮えた紙鍋の中に投入してから頂きました。
そして翌日。
若い社員が二人、「体調が悪いので休みます」と。
そして、10時頃、近くの銀行(200m程離れたところにある銀行で、歩いて行った。)に出かけていた女性社員が、体調が悪くなり帰れなくなって、銀行さんの黒塗りのクラウンに乗せてもらって帰って来ました。(その後自宅へ帰る)
しばらくのち、女性課長が、「ちょっと体調悪いから病院行ってくる(会社の近所に病院がある)」と抜け、点滴を受けた後、自宅へ。
ドンドン女性社員が減って大変だったので、隣の課の新入社員を借りて、お使いに出てもらいました。
市役所まで(300m程離れたところにあり、自転車で行った。)行ったのは良いが、そこから帰れなくなり、車で迎えに行き、その子も帰宅。
くり子たちの課の正社員は3人(男性課長1人含む・・・実務はほとんど出来ない)だけになってしまいました。
なんとか仕事をこなせたのは、忘年会に参加していなかったパートさん4人が頑張ったおかげもあります。
そして14時過ぎ、くり子にも異変が。39度近い熱が出てきました。
が、「これ以上正社員が減ったら、今日の業務が閉められない。」と言われ、そのまま18時近くまで頑張りました。
当時の仕事は、時間との闘いで、15時半までに○○を、16時までに**を、16時半までには##を、と時間制限のある仕事でしたので、確かに人が減っては成り立ちません。
そうして翌日(土曜日で休日)、たった一人元気だった女性正社員は誰にも知られることなく、自宅で苦しんでいたそうです。
後日、ナンバー2から、「インフルエンザが流行っているようなので、気をつけるように!」とのお達しがありました。
そうです、忘年会で使用したお店が、主要な取引先だったため、緘口令が敷かれたのです。
〜〜〜高いコース料金支払って、病院代まで払って、損した感じ・・・。
・・・食中毒発症までの時間は個人差があって、あまり参考にならないよ〜というお話でした。
タグ:思い出
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image