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2024年08月12日

何気ない言葉に@短編小説


「大丈夫かな?」と、あの日のことをふと思い出す。誰もがその一言を口にしたか、心の中で呟いたことがあるだろう。だけど、僕にとって「気を付けて」は単なる挨拶じゃない。あの日、彼女がその言葉を最後に僕に残してくれたからだ。

僕の彼女、由美はいつも優しくて、そしてちょっと変わっていた。彼女はどんなときも、僕が家を出るときや電話を切る前に必ず「気を付けて」と言ってくれた。僕はその度に「ありがとう」と返していたけど、正直なところ、その言葉の重みを深く考えたことはなかった。

ある冬の日、仕事で少し遅くなり、彼女と電話をしていた。「今日は寒いから、早く帰るんだよ」と彼女が言う。僕はその時、彼女の優しさに少しだけ苛立ちを感じていた。長い一日を過ごして疲れていた僕は、彼女の心配を無視してただ「分かったよ」と素っ気なく答えた。彼女は少し間を置いてから、いつものように「気を付けて」と言った。

その言葉を最後に、彼女とはもう会えなかった。翌朝、彼女が交通事故で亡くなったと連絡が入った。彼女はその晩、僕に会いに来る途中で事故に遭ったんだ。彼女が僕に「気を付けて」と言ったその数時間後、彼女自身が気を付けるべきだったのだと思うと、胸が締め付けられるようだった。

今でもその電話の内容が頭の中でリフレインする。「今日は寒いから、早く帰るんだよ」「分かったよ」「気を付けて」。それらの言葉が頭の中でぐるぐると回り続ける。彼女が最後に僕に残したその言葉の重みを、僕は今になってやっと理解したんだ。

その後、僕は彼女の「気を付けて」という言葉が、単なる挨拶や別れの言葉以上の意味を持っていたことに気付いた。それは、彼女の愛情や心配が詰まった一言だったんだ。彼女が僕を大切に思い、僕が無事に過ごせるようにと願ってくれていた、その気持ちがその言葉に込められていた。

彼女がいなくなってからの生活は、彼女の言葉が心に重くのしかかる毎日だった。何か大事なことをしようとするとき、彼女の「気を付けて」という言葉が頭に浮かぶ。そして、それを胸に抱きながら、彼女が伝えたかったことを理解しようとしている。

時間が経つにつれて、僕は少しずつ前を向くことができるようになった。彼女の言葉を思い出すたびに、その言葉をただの挨拶ではなく、僕の人生の指針として受け止めるようになったんだ。どんな小さなことでも、どんなに当たり前に思えることでも、気を付けることの大切さを、彼女は教えてくれたんだと思う。

そして、僕はいつも「気を付けて」と言う彼女の声を心の中で聞く。何か大切な決断をする時、何か新しいことに挑戦する時、彼女の言葉が僕を支えてくれる。彼女がいなくなった今でも、その言葉は僕の中で生き続けている。

ある日、彼女の家族に呼ばれて彼女の遺品を整理することになった。彼女の部屋に入ると、そこには彼女の好きだった本や写真が並んでいた。その中に、一冊の小さなノートがあった。それは、彼女が日常の出来事や感じたことを書き留めていた日記だった。

その日記を開くと、そこには僕への愛情がたくさん詰まっていた。彼女がどれだけ僕のことを思ってくれていたか、そして、彼女自身がどれだけ僕を気遣ってくれていたか、その日記を通じて初めて知った。

その中でも、特に印象に残った一文があった。「彼が無事でいること、それが私の一番の願い。だからいつも『気を付けて』って言ってるんだ」。その一言を読んだ瞬間、僕は涙が止まらなかった。彼女の言葉がどれだけ深い意味を持っていたか、それを改めて感じた瞬間だった。

彼女が残してくれた「気を付けて」という言葉。それは、僕にとって彼女との繋がりを保ち続けるための大切な言葉になった。彼女の思いを胸に、僕はこれからも彼女が願ったように気を付けて生きていく。
posted by こーら at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編小説
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