宗教で良く「人間は生まれながらに罪深い」とか言い、その理由として「他の命を頂かなければ、生きることができないから」とか言われてるけど、ホントにそうなのかなあ?と思う。大昔からそんな事で人は気にしてきただろうか?
これも、自分の私見だが、人間って「他の人よりも自分が得したい。」と思ったり、「他の人は奴隷でも自分は特権階級になりたい。」って思いますよね。それが、「人間は生まれながらに罪深い」の意味ではないかと思う。「人は相手を見るとその相手が自分よりも上か下のかを判断する。自らを分ける(=反作用で相手を分ける)から自分と言う。」と言いうが、それの事だと思う。
宗教も最初は純粋な信仰で仲間を増やしたい。共感したいだけだったかもしれないけど、仲間が増えてくると組織となり、管理する人と管理される人が出てくる。管理する人は、管理される人から富から集めたり指図したりしてるうちに偉くなったと勘違いする。それが搾取する者とされる者となり、特権階級と奴隷となる。そして搾取される立場の人で「こんなのおかしい。」と思った人が次の教義を思いつき新たな宗派となる。これの繰返していく。仏教もこういった流れでいろんな宗派が誕生したのではないか 海外でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教とか同じ神様でも「神のお告げ」と称して新しい宗教が現れた。そして各々の宗派や宗教は争う。特に一神教の宗教組織は教義が相容れないので戦争を繰返したりする。また、近年は隣国の新興宗教団体が日本人から膨大な財産を搾取して大問題となっている。
宗教と称して戦争したり搾取したりって、「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また,神仏の教え。」という宗教からは程遠い。宗教と称しても結局これらの根源が人の欲であり「人間は生まれながらに罪深い」という意味に繋がっているのだと思う。