2015年07月26日
古代の核シェルター?「カッパドキア」
こんにちわ、もんじです。
久しぶりの古代核戦争ネタです。
本日は世界屈指の秘境 カッパドキア について語ってみようかと思います。
カッパドキアはトルコの首都アンカラの南東にある、アナトリア高原の中部にたたずんでいます。
無数の奇怪な岩がそびえ立つ、このカッパドキアがどうやって出来たかというと、先史時代にエルジェス山という山が噴火し、そのときに流れ出た溶岩や火山灰が降り積もった後に、雨や風による侵食で今のような奇妙な形になったとされています。
この形だけでも十分奇怪なカッパドキアですが、より奇妙とされているのが岩の中にある無数の洞窟の存在でしょう。
考古学者の調査で、カッパドキアの洞窟の中に大小の地下都市がたくさんあることが発見されました。
その中でも最も有名な カイマクル の地下都市は8層構造になっており、なんと 15,000人 もの人が生活できたと言われています。
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そこには、物資の出し入れと井戸を兼ねた、深さがなんと 1,500メートル の通気孔をはじめ、居住部屋、ホール、教会、墓場、炊事場、食物貯蔵庫など、人が生活するのに十分な施設が存在していました。
また、カッパドキアの地下都市周辺には修道院や教会が多数存在することから、ローマの迫害から逃げてきたキリスト教徒たちが、身を隠すために地下都市を築いたのではないか?と推察されています。
考古学者の見解としては上記の通りなのですが、それって本当なんでしょうか?
カッパドキアには現在確認されているだけで、10万人以上 の人が収容できる規模の地下都市が30箇所くらい発見されています。
カッパドキアの地層は柔らかい凝灰岩で構成されていますが、こんな10万人もの人を収容できる広さを掘るのには相当な年月が掛かったと思われます。
さて、カッパドキアがあるアナトリア高原は、古代ヒッタイト帝国が築かれた場所ですが、以前書いたようにヒッタイト帝国は 海の民 という謎の民族によって滅ぼされてしまったという説があります。
以前の記事はこちら。
古代核戦争の痕跡か?その2「ハットゥシャ遺跡」: BFuture
だとしたら、ヒッタイトの生き残りがカッパドキアの地に逃げ込んで、長い年月を掛けて地下都市を築いたのではないでしょうか?
そして、ローマから逃げてきたキリスト教徒たちは、この地下都市をそのまま使っただけ・・・という仮説もありだと思いませんか?
さらにさらに、先ほど過去記事で紹介した、ハットゥシャ遺跡 の惨状から、カッパドキアは核から身を守るための 核シェルター として作られたものだったのかもしれません。
そもそも、ヒッタイト人がハットゥシャに帝国を築く前の紀元前2,000年頃、モヘンジョ・ダロ や ハットゥシャ は謎の壊滅(核爆発の疑い)を起こしています。
モヘンジョ・ダロについてはこちら。
古代核戦争の痕跡か?「モヘンジョ・ダロ」: BFuture
このような壊滅状態を見たヒッタイト人が、身を守るために核シェルターを作ったとしても不思議ではありませんよね。
信じるか信じないかはあなた次第です。
久しぶりの古代核戦争ネタです。
本日は世界屈指の秘境 カッパドキア について語ってみようかと思います。
奇岩地形と無数の洞窟が広がるカッパドキア |
カッパドキアはトルコの首都アンカラの南東にある、アナトリア高原の中部にたたずんでいます。
無数の奇怪な岩がそびえ立つ、このカッパドキアがどうやって出来たかというと、先史時代にエルジェス山という山が噴火し、そのときに流れ出た溶岩や火山灰が降り積もった後に、雨や風による侵食で今のような奇妙な形になったとされています。
この形だけでも十分奇怪なカッパドキアですが、より奇妙とされているのが岩の中にある無数の洞窟の存在でしょう。
カッパドキア内の洞窟 |
考古学者の調査で、カッパドキアの洞窟の中に大小の地下都市がたくさんあることが発見されました。
その中でも最も有名な カイマクル の地下都市は8層構造になっており、なんと 15,000人 もの人が生活できたと言われています。
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そこには、物資の出し入れと井戸を兼ねた、深さがなんと 1,500メートル の通気孔をはじめ、居住部屋、ホール、教会、墓場、炊事場、食物貯蔵庫など、人が生活するのに十分な施設が存在していました。
また、カッパドキアの地下都市周辺には修道院や教会が多数存在することから、ローマの迫害から逃げてきたキリスト教徒たちが、身を隠すために地下都市を築いたのではないか?と推察されています。
考古学者の見解としては上記の通りなのですが、それって本当なんでしょうか?
カッパドキアには現在確認されているだけで、10万人以上 の人が収容できる規模の地下都市が30箇所くらい発見されています。
カッパドキアの地層は柔らかい凝灰岩で構成されていますが、こんな10万人もの人を収容できる広さを掘るのには相当な年月が掛かったと思われます。
さて、カッパドキアがあるアナトリア高原は、古代ヒッタイト帝国が築かれた場所ですが、以前書いたようにヒッタイト帝国は 海の民 という謎の民族によって滅ぼされてしまったという説があります。
以前の記事はこちら。
古代核戦争の痕跡か?その2「ハットゥシャ遺跡」: BFuture
だとしたら、ヒッタイトの生き残りがカッパドキアの地に逃げ込んで、長い年月を掛けて地下都市を築いたのではないでしょうか?
そして、ローマから逃げてきたキリスト教徒たちは、この地下都市をそのまま使っただけ・・・という仮説もありだと思いませんか?
さらにさらに、先ほど過去記事で紹介した、ハットゥシャ遺跡 の惨状から、カッパドキアは核から身を守るための 核シェルター として作られたものだったのかもしれません。
そもそも、ヒッタイト人がハットゥシャに帝国を築く前の紀元前2,000年頃、モヘンジョ・ダロ や ハットゥシャ は謎の壊滅(核爆発の疑い)を起こしています。
モヘンジョ・ダロについてはこちら。
古代核戦争の痕跡か?「モヘンジョ・ダロ」: BFuture
このような壊滅状態を見たヒッタイト人が、身を守るために核シェルターを作ったとしても不思議ではありませんよね。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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タグ:古代核戦争
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