歩いて、食べて、ふれあって、健康寿命延びたかな?
10月の中旬、長野県の「南アルプスと歌舞伎の里」へ行ってきました
「鹿もいた自然あるれる大鹿村、都会じゃ見れぬイノシシ親子」
そんなキャッチフレーズが迎えてくれました。
大鹿村は、「日本で最も美しい村」連合 に加盟し、
小さくても輝くオンリーワンを目指して、
美しい村づくりを進めているそうです。
♪中央道「松川インター」下車
R153を渡り、天竜川を渡り
R58号を子渋川ぞえの山道を40分
大鹿トンネルを抜けて大鹿村へ
右へ行けば「大河原」
左へ行けば「鹿塩」
♪ 伝承300年と言う「大鹿歌舞伎」で有名ですね
春の公演では「大河原」地区の大磧神社舞台
秋の公演では「鹿塩」 地区の市場神社舞台
文書上の記録として初めて登場するのは、明和4年(1767年)に
鹿塩村で上演された狂言とされている(前島家文書)。
幕府や政府の禁止にもかかわらず、
庶民の娯楽として300年にわたり上演されてきた。
上演外題は30演目以上にのぼる。その中で
『六千両後日之文章重忠館の段』は大鹿村にのみ伝わる外題である。
六千両は6人の千両役者の意であるとされ、
できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫されたものだという。
役者だけでなく、太夫(浄瑠璃弾き語り)、下座、黒衣、化粧、着付、床山などすべて
大鹿歌舞伎愛好会のメンバーが行うのが特徴である
大鹿歌舞伎は300余年前から、大鹿村の各集落の神社の前宮として舞台で演じられ、
今日まで伝承されてきました。歴史の変遷の中で、江戸時代から明治時代には、
歌舞伎上演の禁令は厳しく、その弾圧をかいくぐりながら、
村人の暮らしの大事な核として脈々と受け継がれてきた。
大鹿歌舞伎の上演が無かったのは、終戦の年などわずかであったことを考えると、
大鹿村の地芝居は隔絶された立地条件とめまぐるしい
社会変化の中で生きてきた村の人々の心の拠り所であり、
祈りに似たものであったといえます
♪外箱の中に小さなお弁当が重なって納まった 「ろくべん」は、 芝居見物には欠かせない村伝統のお弁当。 大鹿村観光協会では定期公演にあわせて 予約販売を行なっています。 塩いかやちくわなど素朴な「ご馳走」が楽しめます。 大鹿村観光協会 (ろくべん 2500円 50食限定) |
大鹿村は、平安時代から荘園として開発されており、
♪大河原鹿塩という所領の名で「吾妻鏡」にも登場しています。
重要文化財に指定されている長野県最古の木造建築である福徳寺薬師堂に
そのその歴史の古さが象徴されています。
隔絶されたかに見える山間地ですが、
古道を通じて都の文化がこの村にも入っていたことが伺われます。
また、伊那谷は、民俗芸能の宝庫と言われるほど、多くの祭りを伝え、
歌舞伎・人形芝居などが盛んな地域であり、各地に舞台も多く建てられ、
三味線を弾き、浄瑠璃を語る人々も多かったといわれています。
大鹿歌舞伎が受け継がれてきた背景には、
こうした村の人々の歌舞伎に対する愛着の土壌が豊かに育っていたことが挙げられ
♪耕地の少ない急峻な山々に囲まれたわずかな平地に生きる村人は、
かつて食を切り詰めてまで、「歌舞伎」の為の舞台を建立してきたとか
今も残るこの舞台には、大鹿村の人々の心意気と
底知れないエネルギーが受け継がれている。
♪大鹿村の人口(H27年9月現在で)
世帯数は506世帯
人口は1,063人 の小さな村です。
そんな、素朴な村へ
是非
私も、待っていますね!
私のお勧め、旅サイト
一度相談してみては
↓ ↓ ↓
世界最大の旅行口コミサイト【トリップアドバイザー】
<<<<< ■ 次回は>>>>>
南信州大鹿村を代表する物とは?
大鹿歌舞伎ともう一つの「山塩」
海のない信州の山奥、南アルプスの麓、
標高750Mの地から湧き出る塩泉をじっくりと薪で炊き上げた
まろやかな塩」をご紹介します。
乞うご期待。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image