2022年02月27日
訪れる別れ
私議と私的な考え
更新が出来ず久々の投稿となるのですが、実は19日に父親が他界し、喪主をつとめながら精神の安定がままならず、現在も気持ちの整理がつかず引きずったままです。
まだ四十九日も済んでませんが通常に戻らなければと焦る日々の中で寝れない夜と格闘しています。
昨年の事故からほぼ1年、苦しんで痛がって堪えて残される兄弟や妻、そして息子である俺の事を考えながら可能な限り身辺整理をしながら入退院を繰り返し、最後はコロナの影響で家族誰一人にもみとられる事なく悶え病院のベットに拘束された状態で一人寂しく息をひきとったようです。
深夜電話が鳴り、担当医から呼び出され着いた時には既に呼吸も脈もない状態で、体温が無くなり始めた頃でした。
暗い話ですみません
そう、何度も何度も父親に声をかけ戻ってくるのではないか?と受け入れられず、男ながらに信じられないくらい涙と鼻水垂らして、今でもふとしていると涙が出てしまい精神状態が不安定になっていることが自分でもわかるくらい脱力しています。
治療方針の事で決断を迫られた時にこうなる事は覚悟は出来ていたはずなんだけど割切れず。。。
自分が治療方針を決断したことで父親の寿命を短くしてしまったのでは?自宅に戻してお迎えが来るのを待った方が父も幸せだったのでは?数日でも長生きできたのではないか?等どうしても考えてしまいます。
一般病棟に移され携帯電話を入れられる状態になり、携帯を渡してもらい最後に話した内容も頭をよぎり自分が一番苦しいにも関わらず俺の事を心配し、お袋の事も心配し、一人寂しく息をひきとった。
コロナという疫病が普通の最後すら迎える事が出来ない状態で俺の家族に限った事ではないにしても人という寄り添う関係すら引き裂かれ当然の治療や当然の最後すら許されない物凄くやるせない気持ちでいっぱいです。
夕方頃から容体が悪くなり丁度その時間に衣類交換で母が病院に居たにも関わらず面会禁止なので中に入れず、日付変わった1時過ぎに病院より俺にお話があるのですぐ病院に来て欲しいと駆けつけた時には親父はこと切れてました。
その時点では死亡確認のために病室まで入れるのに容体が変になった時何故入れないのか?いまだに理解できないし世界中その様な状態で最後迎える方多いから恨めないのは分るんだけど、どうしても割り切れないという自分がいます。
親父はコロナでは無いし俺も母も測定して出入りしてるけど万が一のために会う事すら許されず、医療関係者が不足して例外なく同じ扱いされるのだろうが悔しくて悔しくて正直涙がとまりません。
今現在、親父名義の物や書類の手続きや四十九日の手配、お寺、あいさつ回り等ほんとゆっくりできず、自営業の自分はそろそろ請け負った仕事の再開をしないとならないなど忙しすぎて食事も喉が通らず。。。
この心境YOSHIKIさんは小学生の頃味わってドラムに没頭した意味が凄く今になって理解できます。
その悲しみがXの楽曲に多く書かれているのも親父をなくした今だからこそ何倍も自分の心に入って来て楽曲の素晴らしさや見方聞き方が変わったのも感じます。
無くなり方は違えど大切な笑顔が見れない心境は手に取るように心に入ってきます。
YOSHIKIさんだけでなくXのメンバーはHIDEさんTAIJIさんといったメンバーの死の悲しみを沈黙という形で乗り越えようとしてるのだと思います。
自分も今年は活発的に活動はじめようと思っていましたがもう少し気持ちが落ち着くまで沈黙させて頂きます。
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