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2015年10月30日

第一章第四節 川島芳子の遺品

段連祥は秘密を語り終わると、手で指示して身辺の物を詰めた箱を持ってこさせ、張玉に箱を開けるように言った。箱の中にあった品々はそれぞれ祖父段連祥と方おばあさんに関連する物品で、段連祥は一つ一つ品物の来歴を説明した。

日本女性が風呂場にいる絵の掛け軸で、牛皮紙で表装してあるもの。段連祥が言うには、これは張玉が生まれる前に方おばあさん(川島芳子)が新生児(張玉)のため記念に書いた絵である。
二冊の昭和十七年(西暦一九四二年)の日本語の雑誌『世界画報』。段連祥が言うには、この雑誌は彼が天津の東興楼の食堂に行った際に、小方八郎が彼に見るよう送ったもので、現在はこの二冊しか残っていない。
一冊の一九六九年版日本語字典。段連祥が言うには、字典は彼が満鉄で仕事をしていたときの日本人同僚が一九八四年に日本から彼に送ってよこしたもの。

二封の手紙で、段連祥が一九九九年に日本語で書いたもの。一封は張玉の母親が日本人残留孤児であると説明した手紙。もう一封は彼が張玉の母親段霊雲の日本人の兄にあたる三ツ矢敏夫に宛てた手紙。
一幅の掛け軸で満州国時代の親日派画家張紫楓が画いた絹画の「老虎」図。段連祥が言うには、この画は《七哥》秀竹が彼に送ったものである。

一本の指揮棒のような杖。上端は黄銅のギャップ、木製の柄で、根部は鉄で覆われ鉄の先端部により磨耗を防いでおり、これも《七哥》が残したものである。情報によればこの指揮棒は国民党の軍事指揮官用で、鑑定が望まれている。

七宝焼の獅子像。底の穴が開いた部分に封蝋がしてあるもの。段連祥が言うには、これは川島芳子から生前に託されたもので、可能であれば彼女の秘書であった日本人小方八郎に渡すようにと託された。

川島芳子が生前に用いていた銀製のかんざし一本、銅製の豚をかたどったような鋳物一組、民国時期に日本で生産された銀製の碗一つ、民国時期に香を焚く為に用いた磁器製炉一つ。

張玉がこれらの品物を一つ一つ手にして精査した後、段連祥は手でベッドの向かいの壁の棚を指差していたが、張玉はこの時すでに心の中で方おばあさんが川島芳子であるということを疑ったり回想したりしていたため、祖父の手が指すものを気に留める余裕がなかった。実は後から分かった事だが、この壁の棚にはさらに方おばあさんが川島芳子であることを証明する重要な物品が置かれていた。だが、この時は段連祥は既に話す力を失っていたので、張玉は急いで祖父を寝かしつけ、話し尽くせなかったことは、また後で機会があれば話すつもりだった。しかし、再びこうやって話す機会はもう後には残されていなかった。

段連祥がこうして秘密を張玉に告白しおわると、彼は何かいっぺんに気が抜けたようになって、そのまま昏睡状態に陥った。さらに時折「うわ言」のようにこう呟くのであった。
「張玉。方おばあさんが迎えに来た。また方おばあさんと一緒だ。」
張玉はこの祖父の「うわ言」のような内心の吐露を聞いて、まもなくこの世を去らんとしている祖父の方おばあさんに対する一途な思いに涙を流さずにはいられなかった。
ほどなくして、段連祥はこの世を去ったが、彼はこのか弱く年若い孫娘にとっては非常に負担の重い思想的課題を残して去っていったのである。

第一章第三節 川島芳子との接触

【川島芳子との接触】
一九三四年に段連祥は中学校を卒業すると、満州奉天(瀋陽)協和学院日本語学校に入学し日本語を学んだが、学校の場所は瀋陽北の虎石台鎮に位置していた。日本語学校では彼の視界は大いに開け、しばしば川島芳子すなわち「金司令」に関する伝奇的な物語を聞いた。そのころ、段連祥の心には川島芳子に対して一種の好奇心が芽生えたが、それは現在のスターを追っかける若者に通じるものであった。一九三五年に段連祥は日本語学校を卒業すると、満鉄での仕事に配属され、最初は奉天の皇姑屯検車場で検車員となり、後には西安(了源)の検車場に転属されて検車員となった。この期間に、彼は日本語が良くできたため、しばしば日本人のために翻訳をし、ある一時期は、四平鉄路局の日本警察局長の通訳を務めたこともあった。そして仕事の便のため、彼はしばしば日本警察局長の出張に伴われて出かけたが、あるとき天津にも行く機会があった。彼が警察局長と天津の東興楼で食事をしている時に、彼は学生時代にあこがれていた川島芳子の妖艶な姿を目撃したが、川島芳子の周囲にはたくさんのファンがいた為に、彼のような小人物のところには挨拶に来るようなことはなかった。

そこで、段連祥は日本語で川島芳子にファンレターを書き、手紙には綿々と自分の川島芳子への憧れの気持ちを書き、さらに次のように書いた。
「今後なにか芳子様のお手伝いをできる事が自分にございましたら、私はたとえ火の中でも水の中でも辞さず、きっと駆けつける覚悟でございます。」

彼はこの手紙を川島芳子の秘書である小方八郎に託した。再び天津の東興楼へ食事に行った際に、食堂の管理者を通じて川島芳子から彼に宛てた返事を手渡された。手紙には大体次のように書いてあった。
「キミの僕への好意に感謝する。キミの状況は大体調べさせてもらった。確かにキミの叔父さんは満族の正黄旗人で、僕の生父粛親王善耆、養父川島浪速、松岡洋右と関係があることが分かった。もし以後に何かキミを必要とすることがあれば、必ず手伝ってもらうよ・・・。」
その時には、川島芳子が本当に後日彼を探し出して手伝う事になるとは、全く思いにもよらなかった。

第一章第二節 瀋陽で引き受けた任務

【瀋陽で引き受けた任務】
あれは一九四八年末のある日の事だった。段連祥がちょうど瀋陽浦河の家で暇をかこっていた時、思いもかけず満州国時代に四平警察学校の同級生だった吉林人の于景泰が尋ねてきた。数年間会うことのなかった同級生の突然の訪問は、段連祥を異常なまでに興奮させたが、彼には于景泰はきっと何か頼みがあってきたのだろうという予感がした。二人は挨拶を交すとすぐに、于景泰が話を切り出して、「村の外の道路端にあと二人居るから、ちょっと会いに行ってくれないか。」と段連祥に言った。段連祥はとくに疑う事もなく、于景泰につれられるままに村を出て道路のほうに向かった。

村の外の道路端には、于景泰と段連祥が来るのを男一人と女一人の二人が待っていた。四人は顔をあわせると、于景泰が段連祥に向かって尋ねた。
「連祥、お前この二人がだれだか分かるか?」
于景泰にこう尋ねられて、段連祥はようやくまじまじと目の前の男女を見た。男の方は黒い綿の服を着て、青い帽子を被り、首には灰色のマフラーを巻きつけ、手にはカーキ色の軍用リュックを持っていた。背丈は普通で、少し太っており、学のあるような顔で、金縁眼鏡をかけており、以前にどこかで会ったことがあるようだった。

女の方は黒色の綿のチャイナ服で、頭にはきつく黒色の頭巾を巻きつけ、肩にかばんを引っ掛けていたが、ただ鋭く大きな二つの目が警戒するように段連祥の一挙手一投足を見ていた。
段連祥は振り返ると于景泰に向かって笑いながら言った。
「兄貴、勘弁してくれよ。俺は馬鹿だから、この二人見た事あるような気がするんだけど、ちょっと思い出せないんだ。兄貴から紹介してくれよ。」
于景泰は段連祥が困っているのを見て、その場の緊張を解くかのように、笑いながら言った。
「お前は本当に忘れっぽいやつだな。ほんの数年しか経ってないというのに、もうあの時の先生もみな忘れちまったのか!?」
于景泰からこうヒントを与えられて、段連祥はようやく思いだすことができた。この男は于景泰と警察学校にいたころの教官で、この教官の授業を受けたことはなかったが、やはり今でも印象は残っていた。ただ彼は男の名前は知らなかった。そこで于景泰はこの男のことを《秀竹》先生あるいは《七哥》と呼ぶようにと言った。

女の方はなんとあの「有名な川島芳子」で、嘗て一世を風靡した「満州国安国軍金璧輝司令」だった。
一九三〇年代に、段連祥が学生時代、彼は金璧輝(川島芳子)司令についてしばしば耳にした。後に彼が天津に行ったときに川島芳子と会った事もあり、さらに川島芳子に日本語でファンレターを書いた事もあった。彼がこの時に川島芳子を見分けられなかったのは、一つは彼女の服装が昔日の面影とは打って変わってすっかり異なっていた事と、もう一つは彼女の頭部にはきつく布が巻かれてただ二つの大きな目だけを出していたからであった。さらに言えば数年前から川島芳子は放縦な生活と麻薬にやられており、それに加えて牢獄での苦悩のせいで、以前の綺麗で妖艶な芳子嬢の容貌は今はすっかり見る影もなく衰えていたので、段連祥にはどうしても見分けがつくはずがなかった。
段連祥は心の中で考え始めた。
「日本が投降した後に、川島芳子は北平で捕まり、一九四八年三月二十五日にすでに国民党北平当局に死刑を執行されたはずだ。どうして今、たった半年ほど経った期間の後に、川島芳子が再び瀋陽に現れたのだろうか。まさか幽霊を見ているわけではあるまい?」
段連祥はこの時には川島芳子がどのように死刑をのがれたかを聞く余裕はとうていなかったし、またどうやって東北の瀋陽に来たのかを知るべくもなかった。彼はただ川島芳子および《七哥》と于景泰がこの後どこへ行き、いったい自分にどうしてほしいのかを知りたかった。
四人が一緒になったときに、すでに事情は言わずしても大体の察しがついた。次の段取りをどうするかについては、やはり于景泰が口火を切って段連祥に説明した。
「連祥、事情は察しのとおりだ。おまえもこの人を知ってることだし、それにおまえは以前にこの人の何か助けになりたいと言っていただろ。おまえに特に差し障りがなければ、芳子様を今後は《七哥》を含めて我々三人で世話をするのだ。彼女のことは今後は対外的には方おばあさんと呼べ。俺には長春(新京)郊外の新立城農村に住んでいる姉が一人いる。俺たちはそこに逃げようと思うが、おまえはちょうど易を学んで風水を見る事ができただろう。そこへ到着したらおまえに風水を占ってもらい、もし条件がよさそうなら、芳子様をそこへ長期お匿い申上げるのだ。」
こうして、段連祥はあれこれと考える暇もなく、家に戻ると妻の庄桂賢に声をかけ、ちょっと用事が出来たから遠出すると言い残すと、于景泰と《七哥》に従って、川島芳子を護送し、長春市郊外の新立城農村に来て、于景泰の姉の家にたどり着いた。
段連祥はここまで一気に張玉が聞いた事もなかった吃驚仰天の秘密を打ち明けると、疲れたかのように、水を一口飲みほし、張玉の反応を待った。
この時の張玉は、目を大きく見開いて、手で頬杖を突いて、集中して聞いているようであったが、実際にはすでにあまりにも突然の秘密に驚嘆して呆然となっていた。祖父を見つめたまましばらくは声もなかったが、ようやく正気を取り戻すと、自分が小さいころからひざの上で可愛がってくれたくれた親しいはずの祖父が、なぜか急に目の前で、疎遠で測りかねる不可思議な存在に変わったように感じた。祖父の経歴については、張玉は以前から少しは知っていた。彼が経歴上何か問題があり、解放後に処分を受けたことがあると。しかし今日祖父が告白した秘密は、すでに張玉が予想していた心の準備の範囲をはるかに超えてしまっていた。なぜなら以前に、川島芳子という歴史上の人物について、張玉はただラジオで単田芳先生の講談『少帥伝奇(張学良の伝記)』を聞いた時、川島芳子が男装の女スパイだと紹介されたのを聞いた事があるだけだったからである。こんな重要な歴史的人物が、なんと自分の祖父の段連祥という前科もちの小人物と連絡を取って一緒に住み、あろうことか祖父が川島芳子の逃亡を助けて、さらに対外的には夫婦のような形式を取ってずっと川島芳子の死まで付き添っていたとはにわかには信じられなかった。張玉はこの女性を方おばあさんと十年近く呼びなれてきたが、まさか彼女が中国近代史上有名なあの妖女―川島芳子だったなどとは夢にも思わなかったのである。思い返してみても、張玉にはまったく見当はずれのようにも感じられたが、しかし同時にとても恐ろしく感じるのであった。またさらに彼女は祖父の心の奥深くに人の伺い知る事のできない一面が隠されていたことに、驚きを倍にして感じていた。しかしすでに病の床に伏して久しい老人に向かって、張玉が一体何を言えただろうか?彼女はただ祖父をいたわりながらこう言うしかなかった。
「お祖父ちゃん、よく分かったわ。お祖父ちゃんの一生は方おばあさんのために捧げたものだったのね。方おばあさんが川島芳子だっていうこの秘密を、お祖父ちゃんはもう五十年も隠してきたんだもの、さぞや苦しかったでしょう。でももう歴史になってしまった事よ。お祖父ちゃんは心配しないで、安心して養生してちょうだいね。」
続けて、張玉は好奇心から、また段連祥に尋ねた。
「お祖父ちゃん。お祖父ちゃんはどうやって川島芳子と知り合ったの?」
段連祥は気ははやるようだが力がついていかないようで、ただ途切れ途切れに、彼のあのこれまで人に知られる事のなかった歴史を語り始めた。

第一章第一節 段連祥の遺言

二〇〇四年初頭、中国吉林省四平市鉄西区にある住宅棟の一室で、ほの暗い明かりの下に八六歳になる高齢の老人―段連祥がその生命の最後を迎えようとしていた。一昨年に階段を下りようとした際に不注意で転げて怪我をして以来、彼はすでに二年余り部屋を出ることができなくなっていた。ここ数日、彼は自分の体の反応がいくらか鈍くなったことに気づき、一種の不吉な予感に襲われていた。窓の外は降ったばかりの雪が積もり銀白色の世界となっていた。彼はそれを見ながら、映画のように何度も自分の一生が目の前に繰り返し浮かんでくるのを禁じ得なかった。ちょうどこの時、いまだ唯一彼の胸に引っかかって気がかりになっていたのは、半世紀にわたり秘密にしてきた「死んで復活した」ある女のことであった。彼は思った。おそらく今年の冬はとても越えることができないだろう。しかし、心中の秘密をこのまま墓まで持っていくことはできないと。そうだ、彼はこの秘密を守るために、ほとんど自分の後半生を捧げたにも等しかった。彼は自分の家庭までも犠牲にし、三十年の長きにわたり、ほとんど生きているのか死んでいるのかわからないような生活を送ってきた。彼が犠牲にしてきたものはあまりにも大きかった。だからあの神秘的な女もきっと許してくれるだろう。

段連祥

こう考えると段連祥にはようやく決心がついた。この世から去る前に心中の秘密を最も親しく、また最も信頼できる人間に、自分がこの一生をどのように過ごしてきたのかを知らせようと。彼は指を曲げて、自分の身近にいる親戚を数え始めた。妻の庄桂賢は、一生彼を恨んで人生を送った挙句に一九九七年すでにこの世を去っていた。長男の段続余は父親の経歴と父親が一九五八年に「労働教育」を施されたという政治的問題の影響で、仕事場では圧力を受け、恋愛も破談になり、一九六四年に服毒自殺を遂げていた。次男の段続平と三男の段続順は《文革》期間に彼と絶縁して以来、彼から昔のことを聞きたがらなかったし、彼と関わること自体を避けていた。唯一の娘である段霊雲(またの名を段臨雲)は、彼がかわいがっている孫娘張玉の母親であり、感情的にも深いものがあったが、彼女には自分の足りなかったところが多すぎて不憫に思うあまり気後れに感じるであった。段霊雲は彼が養子にした日本人残留孤児であった。さらに一九五八年に彼が「労働教育」を施されたときには、まだ十五歳にも満たなかった段霊雲が仕事に出てお金を稼ぎ家族を養う重責を背負うよう余儀なくされ、そのため彼女の日本の親類を探す大事もしてやれずじまいであった。彼女は《文革》中に父の政治的経歴の問題が影響して、政治的に長期にわたり差別を受け、そのために間欠性の精神病を患い、刺激を受けると病気が再発する状態であった。現在彼の身辺で世話をしてくれているのは段霊雲の長男で三十歳過ぎになる外孫の張継宏だが、彼は祖父に昔のことを尋ねたこともなく、やはり事を託すには適当な人選とは言えなかった。

「やはり、張玉しかいないか。」と彼はひとり呟いた。張玉は孫たちの中で最も年齢が上で、また彼の唯一の孫娘であった。彼女は小さいころから多才多芸で、彼が目の玉のように最も可愛がっていた孫といってよかった。彼女が小さい時には、祖父はどこへ行くにも、彼女を一緒に連れて行くのがお決まりであった。張玉は大学も卒業しており、一定の社会的交際能力も具えているはずだった。それに、彼女はあの秘密の女性に会ったことがあるだけでなく、その女性を親しく知っており方おばあさんと呼んでいた。こう考えると、やはり張玉が事を託すのに最もふさわしい選択だった。こうして、段連祥は決意を固めると、夜に仕事を終えて帰宅した孫の張継宏に言った。
「継宏、お姉さんに電話をして、会いたいからちょっと四平に来てくれないかと言っておくれ。」
張玉の父親である張連挙は軍人で、彼女が一九六七年に生まれたときには、この父親が部隊で任務についていたため、張玉は母親と共に祖父の家で暮らした。後に父親が転職して、吉林省蛟河県の軍事工場に配属されると、母親も夫と共に山沟里に住むようになった。ただし張玉と弟の継宏は四平の祖父の家に留まり、一九八七年に軍事工場が長春市区に移ってから、張玉はようやく父母と共に暮らすようになったが、弟の継宏は四平で祖父と祖母を世話するためそのまま残った。

張玉と祖父との間の関係は良く、段連祥が二年前に転んで怪我をして以来、しばしば四平に様子を見に訪れていた。この日も、弟から電話があり、祖父が自分に会いたがっているからすぐに四平に会いに来てほしいと聞くと、張玉はすぐに祖父が会いたがっていると理解しただけでなく、他にも思うところがあった。
「つい先日も四平に行って幾日も経っていないのに、また自分に会いたいと祖父が焦っているなんて、きっと何かあるに違いないわ。さもなければ、わざわざ電話を掛けて呼び出すようなことはしないはずだわ。」
張玉はとりあえずその場の用事を片付けると、その日の夜に急いで四平の祖父の家に赴いた。弟の継宏と嫁は幼い甥っ子を連れて外に出ており、家には祖父が一人残されていた。自分の孫娘を一目見ると、病床の段連祥は皺が深く刻まれた顔をあげ、何かたくさん話したいことがあるようであったが、話す言葉は途切れ気味で、ボツリボツリと、何かしら心に引っかかっているようであった。 張玉はそれを見て、祖父が何か言いたそうにしているのを感じ、思い切って自分から尋ねてみた。
「お祖父ちゃん。何か私に言いたいことがあるの?何かあるのなら早く言ってちょうだい。黙って悶々としていては病気に差し障るわ。重大なことでも小さなことでもいいのよ。孫の私がきっと何とかしてあげるから。」

すでに長いこと病床にある段連祥は、愛する孫娘の勧めをうけて、頭を縦に振ってうなずくと、その最後の力を振り絞るかのように気を奮い起こし、手招きをして、張玉に自分と差し向かいで座るように指示した。この時、段連祥はついに五十六年間心の奥深くに隠していたあっと驚くような秘密を打ち明け始めたのである。
「張玉、お前はまだ方おばあさんのことを覚えているか?」
段連祥は張玉の顔を覗き込んで、こう尋ねた。
「覚えているわよ、当たり前でしょ。私が三、四歳に物心がついたころから、お祖父ちゃんが夏になると私を連れてって、長春郊外の新立城の農村に会いに行っていたでしょ。それにお祖父ちゃんは私をいつもおばあさんのところに置いて、自分は四平へ仕事に戻って、私に方おばあさんと一緒に暮らさせてたわ。私が小学生の十歳になったころにおばあさんが病気で亡くなるまで、ずっとそうだったわね。もうかれこれ二十数年前になるわねえ。」
張玉はゆっくりこう言ったが、祖父が何を尋ねたいのか全く考えもつかなかった。
「じゃあ、お前はおばあさんが誰か知っていたか?」
段連祥がこう言った時、こころなしか祖父の顔がこわばっているように見えた。
「そんなの言わなくても、彼女も私のおばあさんでしょ。わたしの大おばあさん(張玉は段連祥の妻庄桂賢をこう呼ぶ習慣だった)がいつも言ってたわ。お祖父ちゃんには外に愛人がいるって。もちろんあの方おばあさんがお祖父ちゃんの愛人だったんでしょ!どうして今になってそんなことを言い出すの?」
張玉はしばしば祖父に昔から甘えてからかうように冗談を言うことがあったため、今日も祖父を目の前にして臆面もなく、方おばあさんと段連祥の関係について自分の思っている所をずばりと言った。
「張玉、本当のことを言うとな、お前はあの女の人がどこから来たのか、どういう人か全然知らないんだ!」
段連祥のいつもはトロンとした目がこのときだけは光を放って、張玉を釘付けるように見つめた。続けて彼は長く唸ってから搾り出すように言った。
「あの、お前を小さいときに面倒を見ていろいろ教えてくれた方おばあさんは、川島芳子だ。」
「ええ、何ですって?川島芳子?!もう一回言ってちょうだい!だって、彼女は死刑になってとっくの昔に死んだんじゃないの?」
張玉は驚きのあまり、戸惑いを隠せなかった。
「お祖父ちゃん年とって、ボケちゃったのかしら?それにしてもこんなとんでもない事を言い出すなんて、ましてやこんな全然関係ない事を自分の家の事だと言い張るなんて。」
「いや、彼女は本当は死んでなかったんだ。あの方おばあさんは川島芳子で、お祖父さんと、お前の母親と、それからお前と、一緒に三十年生活したんだ・・・・・・」
こうして、段連祥は彼が長年封じてきた心の中の秘密を告白し、張玉に方おばあさんの来歴を語り始めた。
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