2015年10月30日
第一章第二節 瀋陽で引き受けた任務
【瀋陽で引き受けた任務】
あれは一九四八年末のある日の事だった。段連祥がちょうど瀋陽浦河の家で暇をかこっていた時、思いもかけず満州国時代に四平警察学校の同級生だった吉林人の于景泰が尋ねてきた。数年間会うことのなかった同級生の突然の訪問は、段連祥を異常なまでに興奮させたが、彼には于景泰はきっと何か頼みがあってきたのだろうという予感がした。二人は挨拶を交すとすぐに、于景泰が話を切り出して、「村の外の道路端にあと二人居るから、ちょっと会いに行ってくれないか。」と段連祥に言った。段連祥はとくに疑う事もなく、于景泰につれられるままに村を出て道路のほうに向かった。
村の外の道路端には、于景泰と段連祥が来るのを男一人と女一人の二人が待っていた。四人は顔をあわせると、于景泰が段連祥に向かって尋ねた。
「連祥、お前この二人がだれだか分かるか?」
于景泰にこう尋ねられて、段連祥はようやくまじまじと目の前の男女を見た。男の方は黒い綿の服を着て、青い帽子を被り、首には灰色のマフラーを巻きつけ、手にはカーキ色の軍用リュックを持っていた。背丈は普通で、少し太っており、学のあるような顔で、金縁眼鏡をかけており、以前にどこかで会ったことがあるようだった。
女の方は黒色の綿のチャイナ服で、頭にはきつく黒色の頭巾を巻きつけ、肩にかばんを引っ掛けていたが、ただ鋭く大きな二つの目が警戒するように段連祥の一挙手一投足を見ていた。
段連祥は振り返ると于景泰に向かって笑いながら言った。
「兄貴、勘弁してくれよ。俺は馬鹿だから、この二人見た事あるような気がするんだけど、ちょっと思い出せないんだ。兄貴から紹介してくれよ。」
于景泰は段連祥が困っているのを見て、その場の緊張を解くかのように、笑いながら言った。
「お前は本当に忘れっぽいやつだな。ほんの数年しか経ってないというのに、もうあの時の先生もみな忘れちまったのか!?」
于景泰からこうヒントを与えられて、段連祥はようやく思いだすことができた。この男は于景泰と警察学校にいたころの教官で、この教官の授業を受けたことはなかったが、やはり今でも印象は残っていた。ただ彼は男の名前は知らなかった。そこで于景泰はこの男のことを《秀竹》先生あるいは《七哥》と呼ぶようにと言った。
女の方はなんとあの「有名な川島芳子」で、嘗て一世を風靡した「満州国安国軍金璧輝司令」だった。
一九三〇年代に、段連祥が学生時代、彼は金璧輝(川島芳子)司令についてしばしば耳にした。後に彼が天津に行ったときに川島芳子と会った事もあり、さらに川島芳子に日本語でファンレターを書いた事もあった。彼がこの時に川島芳子を見分けられなかったのは、一つは彼女の服装が昔日の面影とは打って変わってすっかり異なっていた事と、もう一つは彼女の頭部にはきつく布が巻かれてただ二つの大きな目だけを出していたからであった。さらに言えば数年前から川島芳子は放縦な生活と麻薬にやられており、それに加えて牢獄での苦悩のせいで、以前の綺麗で妖艶な芳子嬢の容貌は今はすっかり見る影もなく衰えていたので、段連祥にはどうしても見分けがつくはずがなかった。
段連祥は心の中で考え始めた。
「日本が投降した後に、川島芳子は北平で捕まり、一九四八年三月二十五日にすでに国民党北平当局に死刑を執行されたはずだ。どうして今、たった半年ほど経った期間の後に、川島芳子が再び瀋陽に現れたのだろうか。まさか幽霊を見ているわけではあるまい?」
段連祥はこの時には川島芳子がどのように死刑をのがれたかを聞く余裕はとうていなかったし、またどうやって東北の瀋陽に来たのかを知るべくもなかった。彼はただ川島芳子および《七哥》と于景泰がこの後どこへ行き、いったい自分にどうしてほしいのかを知りたかった。
四人が一緒になったときに、すでに事情は言わずしても大体の察しがついた。次の段取りをどうするかについては、やはり于景泰が口火を切って段連祥に説明した。
「連祥、事情は察しのとおりだ。おまえもこの人を知ってることだし、それにおまえは以前にこの人の何か助けになりたいと言っていただろ。おまえに特に差し障りがなければ、芳子様を今後は《七哥》を含めて我々三人で世話をするのだ。彼女のことは今後は対外的には方おばあさんと呼べ。俺には長春(新京)郊外の新立城農村に住んでいる姉が一人いる。俺たちはそこに逃げようと思うが、おまえはちょうど易を学んで風水を見る事ができただろう。そこへ到着したらおまえに風水を占ってもらい、もし条件がよさそうなら、芳子様をそこへ長期お匿い申上げるのだ。」
こうして、段連祥はあれこれと考える暇もなく、家に戻ると妻の庄桂賢に声をかけ、ちょっと用事が出来たから遠出すると言い残すと、于景泰と《七哥》に従って、川島芳子を護送し、長春市郊外の新立城農村に来て、于景泰の姉の家にたどり着いた。
段連祥はここまで一気に張玉が聞いた事もなかった吃驚仰天の秘密を打ち明けると、疲れたかのように、水を一口飲みほし、張玉の反応を待った。
この時の張玉は、目を大きく見開いて、手で頬杖を突いて、集中して聞いているようであったが、実際にはすでにあまりにも突然の秘密に驚嘆して呆然となっていた。祖父を見つめたまましばらくは声もなかったが、ようやく正気を取り戻すと、自分が小さいころからひざの上で可愛がってくれたくれた親しいはずの祖父が、なぜか急に目の前で、疎遠で測りかねる不可思議な存在に変わったように感じた。祖父の経歴については、張玉は以前から少しは知っていた。彼が経歴上何か問題があり、解放後に処分を受けたことがあると。しかし今日祖父が告白した秘密は、すでに張玉が予想していた心の準備の範囲をはるかに超えてしまっていた。なぜなら以前に、川島芳子という歴史上の人物について、張玉はただラジオで単田芳先生の講談『少帥伝奇(張学良の伝記)』を聞いた時、川島芳子が男装の女スパイだと紹介されたのを聞いた事があるだけだったからである。こんな重要な歴史的人物が、なんと自分の祖父の段連祥という前科もちの小人物と連絡を取って一緒に住み、あろうことか祖父が川島芳子の逃亡を助けて、さらに対外的には夫婦のような形式を取ってずっと川島芳子の死まで付き添っていたとはにわかには信じられなかった。張玉はこの女性を方おばあさんと十年近く呼びなれてきたが、まさか彼女が中国近代史上有名なあの妖女―川島芳子だったなどとは夢にも思わなかったのである。思い返してみても、張玉にはまったく見当はずれのようにも感じられたが、しかし同時にとても恐ろしく感じるのであった。またさらに彼女は祖父の心の奥深くに人の伺い知る事のできない一面が隠されていたことに、驚きを倍にして感じていた。しかしすでに病の床に伏して久しい老人に向かって、張玉が一体何を言えただろうか?彼女はただ祖父をいたわりながらこう言うしかなかった。
「お祖父ちゃん、よく分かったわ。お祖父ちゃんの一生は方おばあさんのために捧げたものだったのね。方おばあさんが川島芳子だっていうこの秘密を、お祖父ちゃんはもう五十年も隠してきたんだもの、さぞや苦しかったでしょう。でももう歴史になってしまった事よ。お祖父ちゃんは心配しないで、安心して養生してちょうだいね。」
続けて、張玉は好奇心から、また段連祥に尋ねた。
「お祖父ちゃん。お祖父ちゃんはどうやって川島芳子と知り合ったの?」
段連祥は気ははやるようだが力がついていかないようで、ただ途切れ途切れに、彼のあのこれまで人に知られる事のなかった歴史を語り始めた。
あれは一九四八年末のある日の事だった。段連祥がちょうど瀋陽浦河の家で暇をかこっていた時、思いもかけず満州国時代に四平警察学校の同級生だった吉林人の于景泰が尋ねてきた。数年間会うことのなかった同級生の突然の訪問は、段連祥を異常なまでに興奮させたが、彼には于景泰はきっと何か頼みがあってきたのだろうという予感がした。二人は挨拶を交すとすぐに、于景泰が話を切り出して、「村の外の道路端にあと二人居るから、ちょっと会いに行ってくれないか。」と段連祥に言った。段連祥はとくに疑う事もなく、于景泰につれられるままに村を出て道路のほうに向かった。
村の外の道路端には、于景泰と段連祥が来るのを男一人と女一人の二人が待っていた。四人は顔をあわせると、于景泰が段連祥に向かって尋ねた。
「連祥、お前この二人がだれだか分かるか?」
于景泰にこう尋ねられて、段連祥はようやくまじまじと目の前の男女を見た。男の方は黒い綿の服を着て、青い帽子を被り、首には灰色のマフラーを巻きつけ、手にはカーキ色の軍用リュックを持っていた。背丈は普通で、少し太っており、学のあるような顔で、金縁眼鏡をかけており、以前にどこかで会ったことがあるようだった。
女の方は黒色の綿のチャイナ服で、頭にはきつく黒色の頭巾を巻きつけ、肩にかばんを引っ掛けていたが、ただ鋭く大きな二つの目が警戒するように段連祥の一挙手一投足を見ていた。
段連祥は振り返ると于景泰に向かって笑いながら言った。
「兄貴、勘弁してくれよ。俺は馬鹿だから、この二人見た事あるような気がするんだけど、ちょっと思い出せないんだ。兄貴から紹介してくれよ。」
于景泰は段連祥が困っているのを見て、その場の緊張を解くかのように、笑いながら言った。
「お前は本当に忘れっぽいやつだな。ほんの数年しか経ってないというのに、もうあの時の先生もみな忘れちまったのか!?」
于景泰からこうヒントを与えられて、段連祥はようやく思いだすことができた。この男は于景泰と警察学校にいたころの教官で、この教官の授業を受けたことはなかったが、やはり今でも印象は残っていた。ただ彼は男の名前は知らなかった。そこで于景泰はこの男のことを《秀竹》先生あるいは《七哥》と呼ぶようにと言った。
女の方はなんとあの「有名な川島芳子」で、嘗て一世を風靡した「満州国安国軍金璧輝司令」だった。
一九三〇年代に、段連祥が学生時代、彼は金璧輝(川島芳子)司令についてしばしば耳にした。後に彼が天津に行ったときに川島芳子と会った事もあり、さらに川島芳子に日本語でファンレターを書いた事もあった。彼がこの時に川島芳子を見分けられなかったのは、一つは彼女の服装が昔日の面影とは打って変わってすっかり異なっていた事と、もう一つは彼女の頭部にはきつく布が巻かれてただ二つの大きな目だけを出していたからであった。さらに言えば数年前から川島芳子は放縦な生活と麻薬にやられており、それに加えて牢獄での苦悩のせいで、以前の綺麗で妖艶な芳子嬢の容貌は今はすっかり見る影もなく衰えていたので、段連祥にはどうしても見分けがつくはずがなかった。
段連祥は心の中で考え始めた。
「日本が投降した後に、川島芳子は北平で捕まり、一九四八年三月二十五日にすでに国民党北平当局に死刑を執行されたはずだ。どうして今、たった半年ほど経った期間の後に、川島芳子が再び瀋陽に現れたのだろうか。まさか幽霊を見ているわけではあるまい?」
段連祥はこの時には川島芳子がどのように死刑をのがれたかを聞く余裕はとうていなかったし、またどうやって東北の瀋陽に来たのかを知るべくもなかった。彼はただ川島芳子および《七哥》と于景泰がこの後どこへ行き、いったい自分にどうしてほしいのかを知りたかった。
四人が一緒になったときに、すでに事情は言わずしても大体の察しがついた。次の段取りをどうするかについては、やはり于景泰が口火を切って段連祥に説明した。
「連祥、事情は察しのとおりだ。おまえもこの人を知ってることだし、それにおまえは以前にこの人の何か助けになりたいと言っていただろ。おまえに特に差し障りがなければ、芳子様を今後は《七哥》を含めて我々三人で世話をするのだ。彼女のことは今後は対外的には方おばあさんと呼べ。俺には長春(新京)郊外の新立城農村に住んでいる姉が一人いる。俺たちはそこに逃げようと思うが、おまえはちょうど易を学んで風水を見る事ができただろう。そこへ到着したらおまえに風水を占ってもらい、もし条件がよさそうなら、芳子様をそこへ長期お匿い申上げるのだ。」
こうして、段連祥はあれこれと考える暇もなく、家に戻ると妻の庄桂賢に声をかけ、ちょっと用事が出来たから遠出すると言い残すと、于景泰と《七哥》に従って、川島芳子を護送し、長春市郊外の新立城農村に来て、于景泰の姉の家にたどり着いた。
段連祥はここまで一気に張玉が聞いた事もなかった吃驚仰天の秘密を打ち明けると、疲れたかのように、水を一口飲みほし、張玉の反応を待った。
この時の張玉は、目を大きく見開いて、手で頬杖を突いて、集中して聞いているようであったが、実際にはすでにあまりにも突然の秘密に驚嘆して呆然となっていた。祖父を見つめたまましばらくは声もなかったが、ようやく正気を取り戻すと、自分が小さいころからひざの上で可愛がってくれたくれた親しいはずの祖父が、なぜか急に目の前で、疎遠で測りかねる不可思議な存在に変わったように感じた。祖父の経歴については、張玉は以前から少しは知っていた。彼が経歴上何か問題があり、解放後に処分を受けたことがあると。しかし今日祖父が告白した秘密は、すでに張玉が予想していた心の準備の範囲をはるかに超えてしまっていた。なぜなら以前に、川島芳子という歴史上の人物について、張玉はただラジオで単田芳先生の講談『少帥伝奇(張学良の伝記)』を聞いた時、川島芳子が男装の女スパイだと紹介されたのを聞いた事があるだけだったからである。こんな重要な歴史的人物が、なんと自分の祖父の段連祥という前科もちの小人物と連絡を取って一緒に住み、あろうことか祖父が川島芳子の逃亡を助けて、さらに対外的には夫婦のような形式を取ってずっと川島芳子の死まで付き添っていたとはにわかには信じられなかった。張玉はこの女性を方おばあさんと十年近く呼びなれてきたが、まさか彼女が中国近代史上有名なあの妖女―川島芳子だったなどとは夢にも思わなかったのである。思い返してみても、張玉にはまったく見当はずれのようにも感じられたが、しかし同時にとても恐ろしく感じるのであった。またさらに彼女は祖父の心の奥深くに人の伺い知る事のできない一面が隠されていたことに、驚きを倍にして感じていた。しかしすでに病の床に伏して久しい老人に向かって、張玉が一体何を言えただろうか?彼女はただ祖父をいたわりながらこう言うしかなかった。
「お祖父ちゃん、よく分かったわ。お祖父ちゃんの一生は方おばあさんのために捧げたものだったのね。方おばあさんが川島芳子だっていうこの秘密を、お祖父ちゃんはもう五十年も隠してきたんだもの、さぞや苦しかったでしょう。でももう歴史になってしまった事よ。お祖父ちゃんは心配しないで、安心して養生してちょうだいね。」
続けて、張玉は好奇心から、また段連祥に尋ねた。
「お祖父ちゃん。お祖父ちゃんはどうやって川島芳子と知り合ったの?」
段連祥は気ははやるようだが力がついていかないようで、ただ途切れ途切れに、彼のあのこれまで人に知られる事のなかった歴史を語り始めた。
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