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2021年02月09日

【心身脱落】禅と食事をつくるという修行


 禅の教えの根本にあるのは不立文字(ふりゅうもんじ)という仏教の思想です。文字や言葉による教えとは別に、修行によって教えを伝えることが禅の神髄であるという意味です。





 不立文字の修行によって禅が目指すのは、悟りを開くことです。悟りとは、自分の内にある仏性に気づき、身も心も一切の執着から離れることです。禅僧道元は、その境地を心身脱落と表現しています。





 禅宗では、食事をつくること、食事を摂ることは座禅をすることと同じように大切な修行であると考えられています。禅僧道元は、中国の阿育王寺で、食事づくりをすることは禅の大切な修行であると諭され、帰国してからその教えが、赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)と典座教訓(てんぞきょうくん)にまとめられました。





 赴粥飯法は、僧堂における食事作法を細かく定めた規則です。赴粥飯法とは、粥飯に赴く法であり、禅僧道元は、食は是れ法なりとあるように、食はまさに仏法であり、仏法の実践であると述べています。現代でも、食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」と唱えて、食べ物となってくれた生き物の命と食事づくりをしてくれた人々に感謝するのは、禅僧道元が教えた食事作法なのです。





 典座教訓には、修行僧の食事を準備する典座という仕事の心得が教示されています。内容としては、食事をつくるときには必ず仏道を求める心を働かせて、季節に従って春夏秋冬の食材を用い、苦い、酸っぱい、甘い、辛い、塩からい、淡いの六味がほどよく調っていて、あっさりとして柔らかであること、清潔で穢れがないこと、順序正しく丁寧に調えられていることといった三徳が備わっていることなどです。食材に対しては、物を大切にして敬い重んじる心をもつことが肝要であり、粗末な食事も仏身であるこの肉体を養い、悟りを目指す心をよく育ててくれるということを、よくよく思いなさいと教えています。





 禅僧道元は、食事が単に体を養うためだけではないことを説き、食事を整え、食べるという行為を仏道の実践という宗教的次元に高めました。食事が体を養うだけではなく、心をも育てるという考えは、今日の食生活において最も欠如していることかもしれません。



禅の教え


 禅の教えの根本にあるのは不立文字(ふりゅうもんじ)という仏教の思想です。文字や言葉による教えとは別に、修行によって教えを伝えることが禅の神髄であるという意味です。



pexels-pixabay-236148.jpg



 不立文字は、達磨大師が説いた4聖句のひとつであり、これらは関わりあって悟りへ達すると説かれています。4聖句の不立文字は、釈迦の教えは修行により体得することが重要とする思想です。教外別伝(きょうげべつでん)は、釈迦の教えは心から心へと伝達されるとする考え方です。直指人心(じきしにんしん)は、人の心を指し示すという意味で、坐禅をして、自分の心を見つめる修行のことです。見性成仏(けんしょうじょうぶつ)は、己の心をしっかり見つめる修行のことです。





 不立文字の修行によって禅が目指すのは、悟りを開くことです。悟りとは、自分の内にある仏性に気づき、身も心も一切の執着から離れることです。禅僧道元は、その境地を心身脱落と表現しています。





 禅宗では、悟りに至る修行方法として、座禅に加え、生活する上での掃除や食事をつくることなどを指す作務(さむ)があります。



食事をつくるという修行


 禅宗では、食事をつくること、食事を摂ることは座禅をすることと同じように大切な修行であると考えられています。鎌倉時代に曹洞宗の開祖となった禅僧道元が、仏法に適うように食事をつくり、作法を守って食事を摂ることが、禅の修行になることを説いてまわりました。





 禅僧道元は、中国の阿育王寺で修行僧の食事を準備する典座の役職を務める老僧に出会い、食事づくりをすることは禅の大切な修行であると諭され、帰国してからその教えが、赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)と典座教訓(てんぞきょうくん)にまとめられました。





 赴粥飯法は、禅僧道元がェ元4年(1246年)頃に永平寺にて撰述したと考えられています。禅僧道元が僧堂を建設したときより、僧堂粥飯作法は衆僧達に口頭で指導されていたものと考えられていますが、赴粥飯法はこれを文書化したものとの説があります。赴粥飯法は、僧堂における食事作法を細かく定めた規則です。赴粥飯法とは、粥飯に赴く法であり、禅僧道元は、食は是れ法なりとあるように、食はまさに仏法であり、仏法の実践であると述べています。今でも永平寺僧堂では、この赴粥飯法通り厳粛に朝の粥、昼の飯の行法が、違うことなく執り行なわれています。





 修行に励む禅僧が、僧堂で食事を摂るとき用いられる応量器(禅宗の修行僧が使用する個人の食器)の作法、箸の作法、五観の偈(ごかんのげ)の作法、食事中の禁止事項、僧堂内での進退などが丁寧に赴粥飯法の中で記されています。五観の偈(ごかんのげ)とは、この食事がどのようにしてできたかを考え、自然の恵みと多くの人々の働きを思い感謝すること、自分の行いが尊い生命と労力で出来た食を頂くに価するものであるか反省し、供養を受けること、心を清浄に保ち誤まった行いを避けるために、三毒である貪(貪り)・瞋(いかり)・痴(おろか)の3つの過ちを持たないことを誓うこと、食は良き薬であり体を養い健康を得るために頂くこと、仏の道を実践するためにこの食事を有り難く頂戴することです。





 食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」と唱えて、食べ物となってくれた生き物の命と食事づくりをしてくれた人々に感謝するのは、禅僧道元が教えた食事作法なのです。禅僧道元は、食事をすることの意義を考えて禅の思想にまで高めた日本で最初の食の思想家と言えます。





 典座教訓には、修行僧の食事を準備する典座という仕事の心得が教示されています。その内容は、食事をつくるときには必ず仏道を求める心を働かせて、季節に従って春夏秋冬の食材を用い、食事に変化を与え、修行僧が気持ちよく食べることができ、身も心も安楽になるように心掛けなければならないこと、米を研いだり、おかずを整えたりすることは典座が自身で手を下し、細かな点まで気を配り、心を込めて行わなければならないこと、食事には苦い、酸っぱい、甘い、辛い、塩からい、淡いの六味がほどよく調っていて、あっさりとして柔らかであること、清潔で穢れがないこと、順序正しく丁寧に調えられていることといった三徳が備わっていることなどです。典座の仕事を通じて、大海のように広大で深い功徳を積み、山のように高い善根を積み重ねるためにも、些細なことを疎かにしてはならず、そうすれば、おのずと三徳は十分に行き届き、六味はすべて整います。





 また、いただいた食材は、量の多い少ない、質の良し悪しをあげつらってはならず、ただひたすら誠意を尽くして調理し、粗末な食材を扱うことがあろうとも決して怠けるような心を起すことなく、上等な食材を用いて料理をつくることがあったとしても、一層美味しい食事をつくるよう努めるのが修行に励むということです。食材が自分の心に入り込んで離れないようにする気持ちで、心と食べ物が一体になるよう精進修行すると説いています。





 さらに修行僧に提供するための食事を支度し、整える際の心構えは、食材が上等であるとか、粗末であるとかを問題にすることなく、仕事に対しては深い真心をもって当たり、食材に対しては、物を大切にして敬い重んじる心をもつことが肝要であり、粗末な食事も仏身であるこの肉体を養い、悟りを目指す心をよく育ててくれるということを、よくよく思いなさいと教えています。





 禅寺の精進料理を源流として発展した日本の伝統料理では、四季折々の食材を使い、その持ち味を生かして、味を柔らかく、清潔に調理することが基本となっています。道元が教えた禅寺の食事思想は、後世の日本の食事文化に大きな影響を与えていました。 禅僧道元は、食事が単に体を養うためだけではないことを説き、食事を整え、食べるという行為を仏道の実践という宗教的次元に高めました。食事が体を養うだけではなく、心をも育てるという考えは、今日の食生活において最も欠如していることかもしれません。



まとめ


 禅の教えの根本にあるのは不立文字(ふりゅうもんじ)という仏教の思想です。文字や言葉による教えとは別に、修行によって教えを伝えることが禅の神髄であるという意味です。





 不立文字の修行によって禅が目指すのは、悟りを開くことです。悟りとは、自分の内にある仏性に気づき、身も心も一切の執着から離れることです。禅僧道元は、その境地を心身脱落と表現しています。





 禅宗では、食事をつくること、食事を摂ることは座禅をすることと同じように大切な修行であると考えられています。禅僧道元は、中国の阿育王寺で、食事づくりをすることは禅の大切な修行であると諭され、帰国してからその教えが、赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)と典座教訓(てんぞきょうくん)にまとめられました。





 赴粥飯法は、僧堂における食事作法を細かく定めた規則です。赴粥飯法とは、粥飯に赴く法であり、禅僧道元は、食は是れ法なりとあるように、食はまさに仏法であり、仏法の実践であると述べています。現代でも、食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」と唱えて、食べ物となってくれた生き物の命と食事づくりをしてくれた人々に感謝するのは、禅僧道元が教えた食事作法なのです。





 典座教訓には、修行僧の食事を準備する典座という仕事の心得が教示されています。内容としては、食事をつくるときには必ず仏道を求める心を働かせて、季節に従って春夏秋冬の食材を用い、苦い、酸っぱい、甘い、辛い、塩からい、淡いの六味がほどよく調っていて、あっさりとして柔らかであること、清潔で穢れがないこと、順序正しく丁寧に調えられていることといった三徳が備わっていることなどです。食材に対しては、物を大切にして敬い重んじる心をもつことが肝要であり、粗末な食事も仏身であるこの肉体を養い、悟りを目指す心をよく育ててくれるということを、よくよく思いなさいと教えています。





 禅僧道元は、食事が単に体を養うためだけではないことを説き、食事を整え、食べるという行為を仏道の実践という宗教的次元に高めました。食事が体を養うだけではなく、心をも育てるという考えは、今日の食生活において最も欠如していることかもしれません。



posted by Kaoru at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | トピックス
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