2014年03月07日
映画『少女ヘジャル』
トルコ映画『少女ヘジャル』を観ました。
なんか観たことあるな〜と思っていたんですが、ラストシーンでようやく「やっぱり一回観てたわ!」と気付くくらい、クライマックスもオチもない、10年ほど前のトルコの日常のワンシーンを切り取っただけの映画です。
結局2回観て確信したのは、トルコ国内におけるクルド人の存在とそれに関する背景知識を持っていないことには、この映画を観ても何がなんやらわからんだろうということ。
賞が獲れたということは審査員はそういった歴史背景を理解していたと思われますが、日本ではまだまだトルコのこと、韓国やアメリカ、中国ほどに理解している人は少ないのではないかと思います。
この映画を観るにあたって、最低限知っておきたいのは、
なんか観たことあるな〜と思っていたんですが、ラストシーンでようやく「やっぱり一回観てたわ!」と気付くくらい、クライマックスもオチもない、10年ほど前のトルコの日常のワンシーンを切り取っただけの映画です。
結局2回観て確信したのは、トルコ国内におけるクルド人の存在とそれに関する背景知識を持っていないことには、この映画を観ても何がなんやらわからんだろうということ。
賞が獲れたということは審査員はそういった歴史背景を理解していたと思われますが、日本ではまだまだトルコのこと、韓国やアメリカ、中国ほどに理解している人は少ないのではないかと思います。
この映画を観るにあたって、最低限知っておきたいのは、
- ・トルコ国内にはクルド人という「国をもたない民族」がいるということ
- ・トルコは長年、クルド人の存在を「無視」し、「山岳トルコ人」と呼んでトルコ人と同化させてきた
- ・虐げられたクルド人の一部は独立を求めて度々ゲリラ行為、テロ行為を行ってきた
- ・トルコ政府やトルコ軍はクルドゲリラの掃討作戦を長年行ってきた
- ・政府のプロバガンダを受け、トルコ人のなかには「クルド人」を忌み嫌い、迫害する人もいる(ちょうど、日本におけるザイニチの存在のような?
- ・ゲリラやテロを良しとしない、むしろトルコ人として穏やかに暮らしていこうとするクルド人ももちろんいる
- ・当然、クルド人を隣人として認め、共生の道を歩んでいるトルコ人だっている
『少女ヘジャル』は、こうした前提のもとに、クルド人として生まれ両親を「掃討作戦」によって殺された少女ヘジャルが運よく生き延び、元判事のルファト老人と次第に心を通わせていく様子を描いた作品といえそう。
一昔前なら、こんな映画をトルコ国内で制作することすらできなかったはずです。政府が存在を認めていないはずの民族について描くなんて許可がおりませんからね^^;
(じゃあ、なぜ掃討作戦は大々的にできるのか、というのはちょっと難しい問題なのでカット)
そう考えると、元判事、つまりかつては政府側の人間だったルファト老人が、ヘジャルに、「民族は固有の言葉を話すべきだ」と語り、あまつさえ自身もクルド語を覚えようとする姿勢は、一考に値するかと。
そして、アッサリしているからこそ切ないラストシーン。
ヘジャルは、そうまでして自身の居場所をつくってくれたルファト老人のもとを離れ、“同胞“エブドゥおじさんについていくことを選びます。それはすなわち、電話も通じないバラックで夢も希望もない貧民生活を意味する。
しかし、幼いヘジャルがそんなこと理解しているはずはなく、ただ単純に言葉が通じないことによる不自由さが辛くてエブドゥを選んだんだと思います。
老い先短い身で幼児の養子縁組など・・・というもう一つの葛藤もあるのですが、それは万国共通の葛藤だからここでは割愛しますね。
そして、もう一人のキーパーソンはルファト老人が雇っている家政婦サキネ。
彼女は10年以上、トルコ人として生活してきました。クルド人にとって、自身さえそれを許すことができれば、トルコ人として暮らしていくことは困難なことではないようです。言葉も見た目も、自分からそうと言わなければ普通にトルコ人。
事実、ルファト夫妻は彼女がトルコ人であると信じて疑いませんでした。
ヘジャルの話すクルド語を聞いて、サキネはつい自分もクルド語でヘジャルに声をかけてしまいます。
ルファト老人がクルド民族に対する差別を持っていれば、家政婦業もお役御免になったはずですが、幸いそんなことはありませんでした。
むしろ、ルファト老人にクルド語を教えてほしいと言われたときの、彼女の表情が私にとっては最も印象的でした。
決して満面の笑み、とか、自信ではなく、認められたことに喜びを感じつつも戸惑いを隠せない表情とでもいうのでしょうか。
この10年で、トルコ国内に暮らすクルド人の多くが、その表情を見せる場面に出会ってきたはずです。
クルド人の存在が認められるとともに、テレビでのクルド語放送やクルド語による教育の開始など、トルコ国内でのクルド人の権利ははるかに向上しました。それでも、イスラエルのようにユダヤの「国」が成立するのは現時点では不可能に思えます。(話は変わるけど、ヘジャルの赤いコートは『シンドラーのリスト』を彷彿とさせますね。)
それに、独立を武力に訴えるゲリラの犠牲になったトルコ人兵士の家族は当然クルド人に怒りを覚えるでしょう。
まぁそんな根が深すぎる問題に日本人が口を出す余地はないのですが、この作品をきっかけに、世界の問題に眼を向けるきっかけとなればいいな、と月並みですが。
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タグ:トルコ映画
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