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2021年10月01日
高松空襲の関連遺産とは
高松空襲の関連遺産とは
1945年7月4日にアメリカ軍の無差別攻撃により高松の町は壊滅した。これが高松空襲である。地方都市の空襲としては被害が大きかった。現在でも高松市では高松空襲の足跡を見ることができる。
●現在でも戦争の傷跡を感じることが出来る貴重な場所
H六角堂
高松空襲の戦災犠牲者の慰霊碑。戦没者の名前が刻まれた石碑が設置されている。現在この付近にはJRの路線があり、住宅街となっている。
このあたりは最も空襲が激しかった地域で被害も多かった。そのために、慰霊碑が設置された。
G姥ヶ池墓地縁墓ピラミッド
戦後の都市計画によって、この付近には多くのお墓が集めらた。墓地と住宅街が広がるエリア。その中で親族から連絡のなかったお墓を積み上げた。
●宗教的資産
C中野天満宮
高松市の中心部に位置している。一階が駐車場となっている。戦前の敷地は現在よりも大きく、この付近は空襲が激しかった。空襲の中建物は全焼したが、鳥居が残った。当時大きな水槽があり多くに人が逃げ込んだ。
I稲荷神社
JR栗林公園北口の隣に位置している。この付近は空襲の被害が大きかった。焼夷弾で割れた石灯籠が現存している。現在針金で縛っている。
●有名な観光地も関連資産
@サンポート高松
高松市の玄関口。高層ビルが立ち並ぶ。空襲時に逃げ場を無くした人が海に逃げる。空襲を終えたB29が屋島の方角に飛ぶ。
A高松城跡
(玉藻公園)
高松所の跡地として、公園になっている。空襲中多くの人が逃げ込む。戦後は占領軍宿舎になった。
J栗林公園
高松藩の庭園として整備された。美しい松が有名で、人気の観光地になっている。
米軍は市内の周りから空襲。最初に空襲された付近(諸説あり)南方面に逃げる多くの人がこのあたりの猛火で断念した。
●学びの場所も
B香川大学
空襲によって校舎が破壊。移転を余儀なくされた。復興後もとの場所に戻る。空襲を生き抜いた桜が現在でも花を咲かす。現在も香川県の教育中枢機関として県を担う人材を育てている。
●日常のあの場所が
E八本松
高松市の中心地に八本松交差点がある。8本の松が植えられていたが空襲によって喪失。そのままでは不憫なので戦後8本松が植えられた。
●高松空襲のことを発信する場所
F中新町交差点
高松市の中心地に位置する。高松空襲に関する展示品が飾られる。
Dミライエ平和記念館
高松市中心部の東に位置している。このあたりまでが空襲の被害地域になる。高松空襲に関連した多くの資料を展示した博物館。高松空襲のことを伝える貴重な場所。無料で見学できる。