2015年04月04日
缶詰高騰でほぼ「かんづめ」状態・・・
食品の価格改定は落ち着きましたかな・・・。大手相手には未だに攻防しているところもありますが、ここまできたら上半期我慢しろ!って言いたいところですね。
フルーツ缶詰の高騰について、まったく言い値で買うもんだから高くて仕方ないです。遅れながら決まった価格を今から崩しにかかる毎日ですが、交渉のネタにならないかなぁと調べてみました。歴史を!
金属缶やガラスびんの中に、食物を入れて密封、加熱殺菌して保存する缶詰の原理は、今から約200年前の1804年にフランス人の「ニコラ・アペールさん」によって初めて考え出されたものだそうです。その発明は、時の皇帝ナポレオンによって12,000フランの賞金が与えられたとのことです。日本円でいくらかは調べて下さい。
そのとき丁度、ヨーロッパ各国へ戦線を広げていたフランス軍の食料として、アペールの作ったびん詰が活用されて、大いに士気を鼓舞したといわれています。
いま見られるようなブリキ缶は1810年イギリスでピーター・デュランによって発明され、間もなくして缶詰工場が誕生しました。さらに、1821年にはアメリカへ渡って缶詰の製造が本格化し、1861年南北戦争が始まってからは、軍用食料(レーションの走りになるのかな)としての缶詰の需要が急に増え、当時約4,000万缶の生産をみるようになりました。大きな産業の誕生ですね。
こうして、アメリカの缶詰産業は広い国土と豊かな果物や野菜の原料資源に恵まれて、近代的な食品工業として大きく発展してきたのです。
日本の缶詰は、今から約150年くらい前の1871(明治4)年に長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりです。アンチョビの始まりかどうかは知りません。
そして間もなく1877(明治10)年には、北海道で、日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生し、同年10月10日にさけ缶詰が製造されました。その後、缶詰が工業的に生産されるようになり、昭和の初期には、「さけ」、「かに」、「まぐろ」、「いわし」など主に水産品、さらに、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品として海外へ輸出されていました。
昭和30年以後は国内向けが多くなり、さまざまの缶詰が消費者に供給されています。
という事で10月10日は
【缶詰の日】
10月10日は「缶詰の日」です
石狩缶詰所(創立当時)明治政府は産業振興のため西洋文化を積極的に導入しました。この中に、缶詰の製造もあったんです。内務省は東京に勧業寮新宿試験場を設置し、1874(明治7)年から缶詰の研究を始めるわけです。
この頃、北海道開拓使は道内の産業として缶詰をとりあげ、事業化することにしました。このため、東京の新宿試験場に導入する予定だった、米国で新たに購入した缶詰製造設備一式は、北海道の缶詰工場で使用することに変更するなど、国をあげての取り組みとなりました。
北海道開拓使は、1877(明治10)年、札幌市の北、石狩市に、日本初の缶詰工場、石狩缶詰所を設置し、米国から招いたケプロンの推薦で、技術者U.S.トリートと助手のW.S.スウェットを指導者として、缶詰機械を組立てて、据え付け、容器の缶を作り、石狩川で獲れたサケを原料に、缶詰の製造を開始しました。
この日が同年の10月10日ということです。
最初の缶詰製造は経験のない人達で行われたこともあって決してうまくいったわけではなかったようです。しかし、すぐに缶詰生産は軌道に乗り、この年、15,970缶のサケ缶詰が製造されたそうです。そして、立派なレーベルが貼られて、国内博覧会への出品や、翌年には輸出も試みています。
この当時、缶詰のことを、「管詰」と記しています。
こうなると、缶詰製造法は全国に伝わり、缶詰工場が設けられ、さまざまな缶詰が製造されはじめられ、輸出も行われています。
「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、日本缶詰びん詰レトルト食品協会が1987(昭和62)年に制定したのでした。
だから・・・・・10月10日まで・・・価格元に戻してくださいって交渉しようかな(笑)
フルーツ缶詰の高騰について、まったく言い値で買うもんだから高くて仕方ないです。遅れながら決まった価格を今から崩しにかかる毎日ですが、交渉のネタにならないかなぁと調べてみました。歴史を!
缶詰がフランスで生まれてから約210年以上!
金属缶やガラスびんの中に、食物を入れて密封、加熱殺菌して保存する缶詰の原理は、今から約200年前の1804年にフランス人の「ニコラ・アペールさん」によって初めて考え出されたものだそうです。その発明は、時の皇帝ナポレオンによって12,000フランの賞金が与えられたとのことです。日本円でいくらかは調べて下さい。
そのとき丁度、ヨーロッパ各国へ戦線を広げていたフランス軍の食料として、アペールの作ったびん詰が活用されて、大いに士気を鼓舞したといわれています。
いま見られるようなブリキ缶は1810年イギリスでピーター・デュランによって発明され、間もなくして缶詰工場が誕生しました。さらに、1821年にはアメリカへ渡って缶詰の製造が本格化し、1861年南北戦争が始まってからは、軍用食料(レーションの走りになるのかな)としての缶詰の需要が急に増え、当時約4,000万缶の生産をみるようになりました。大きな産業の誕生ですね。
こうして、アメリカの缶詰産業は広い国土と豊かな果物や野菜の原料資源に恵まれて、近代的な食品工業として大きく発展してきたのです。
缶詰が日本で生まれてからは約150年
日本の缶詰は、今から約150年くらい前の1871(明治4)年に長崎で松田雅典という人がフランス人の指導で、いわしの油漬缶詰を作ったのが始まりです。アンチョビの始まりかどうかは知りません。
そして間もなく1877(明治10)年には、北海道で、日本初の缶詰工場、北海道開拓使石狩缶詰所が誕生し、同年10月10日にさけ缶詰が製造されました。その後、缶詰が工業的に生産されるようになり、昭和の初期には、「さけ」、「かに」、「まぐろ」、「いわし」など主に水産品、さらに、みかんなどが缶詰になって重要な輸出品として海外へ輸出されていました。
昭和30年以後は国内向けが多くなり、さまざまの缶詰が消費者に供給されています。
という事で10月10日は
【缶詰の日】
10月10日は「缶詰の日」です
石狩缶詰所(創立当時)明治政府は産業振興のため西洋文化を積極的に導入しました。この中に、缶詰の製造もあったんです。内務省は東京に勧業寮新宿試験場を設置し、1874(明治7)年から缶詰の研究を始めるわけです。
この頃、北海道開拓使は道内の産業として缶詰をとりあげ、事業化することにしました。このため、東京の新宿試験場に導入する予定だった、米国で新たに購入した缶詰製造設備一式は、北海道の缶詰工場で使用することに変更するなど、国をあげての取り組みとなりました。
北海道開拓使は、1877(明治10)年、札幌市の北、石狩市に、日本初の缶詰工場、石狩缶詰所を設置し、米国から招いたケプロンの推薦で、技術者U.S.トリートと助手のW.S.スウェットを指導者として、缶詰機械を組立てて、据え付け、容器の缶を作り、石狩川で獲れたサケを原料に、缶詰の製造を開始しました。
この日が同年の10月10日ということです。
最初の缶詰製造は経験のない人達で行われたこともあって決してうまくいったわけではなかったようです。しかし、すぐに缶詰生産は軌道に乗り、この年、15,970缶のサケ缶詰が製造されたそうです。そして、立派なレーベルが貼られて、国内博覧会への出品や、翌年には輸出も試みています。
この当時、缶詰のことを、「管詰」と記しています。
こうなると、缶詰製造法は全国に伝わり、缶詰工場が設けられ、さまざまな缶詰が製造されはじめられ、輸出も行われています。
「缶詰の日」10月10日は、このような歴史の記録をもとに、日本缶詰びん詰レトルト食品協会が1987(昭和62)年に制定したのでした。
だから・・・・・10月10日まで・・・価格元に戻してくださいって交渉しようかな(笑)
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