武道・武術の礼節が重んじられる理由。
旧来の武道・武術は一人稽古が一般的で、主に型や巻き藁、立木への打ち込みなどが主流だった様だ。
相対稽古では、常に相手を信頼し、また相手に信頼されることで稽古が続けられるのだ。
相対稽古などは基本的に殺し合いになる事が当たり前の事だった時代、武道・武術の礼節は、双方の信頼関係を示す儀式なのだ。
相対稽古の利点は一人稽古とは違い、変化する状況を経験できることだ。
しかし、何度も相対稽古をする事で、パターン化された技術は逆に弱点になる。
昭和に入り、あらゆる武道というモノが公開されているが、公開された武道・武術は実践では使い物にならない。
秘匿され、相対したとき、相手が死ぬときに観られるのが武術の奥義で在り、真髄なのだ。そうした武道・武術文化で培われた技術を継承する事は、基本的に無い。
一代限りの技術が本来の武術だ。
漫画などでの一子相伝とか、免許と称する巻物は、単に稽古をした人の名を連ねているだけだ。
巻物の中には哲学的な文言や医術的な工夫に考え方などを記したモノもある。
だが、今に伝わる型や技法は総て、口伝であり、最近になって体系化したように見せかけているが、どんな武術も継承したと思い込んでいる人間の思い込みにしか過ぎない。
宮本武蔵の五輪書は有名だが、書かれている事は、書いた武蔵にしか真髄は判らない。
柔道は嘉納治五郎という人が明治時代に創作した武道・武術だ。
元は柔術(起倒流・天神真楊流)だったが、相対稽古を工夫して逮捕術に応用して警察に取り入れられた。
そして警察が柔道の普及に協力する形で広まった。
10人倒せば黒帯という段位を得られるスポーツになっている。
現代の柔道は武道・武術では無く、ジャケットレスリングと言うべきモノだろう。
合気道は植芝盛平が剣術、槍術と柔術(起倒流・天神真楊流・大東流)を工夫して創作した武道・武術だ。
こちらも相対稽古を工夫して稽古をしているが、試合形式の大会などは無い。
しかし、会派に因っては試合形式の大会を開く愚かな行動に出る団体もあるようだ。
剣道は江戸時代の北辰一刀流の千葉秀作が竹刀という怪我の少ない仮装太刀と防具の開発で怪我をさせない叩き合いの剣術が起源である。
しかし、本当に実践で勝ち続けた剣豪は、こうした防具を着けた叩き合いの剣士では無く、一人稽古での鍛錬を積んだ剣士だったそうだ。
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