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2018年11月13日

恋愛小説「オレンジと青」(4)

   4






 冬。午前五時。明日香は一人で店のシャッターを開けた。朝はだいぶ寒くなってきた。いつものように準備体操をしてから、発酵した生地を成型していく。どんどん体が温まっていく。

パンを焼き始めると工房はさらに室温が高くなる。これだから冬でも暖房はいらない。可愛いこどもを育てるようにパンを成型しては焼いていく。明日香が一番輝いている時間だ。

 九時半。くるみが出勤してきた。

「おはよう」

「おはよう。体調大丈夫?」

「うん。ありがとう。ごめんね、一人でやらせちゃって」

「いいって。元気な赤ちゃん産んでよね」

「それはわからないな」

「え?」

「出産は毎回どうなるかわからないものなの。五人産んだ人も言ってたよ。五回ともぜんぜん違ったって。毎回違くて毎回大変だったって」

「ふーん」

 自分は妊娠、出産なんて経験するのかな?ぜんぜん想像つかない。

「ほら、焼けてるヤツから並べてって。時間ない」

「オッケー」

 くるみは制服に着替えるなりパンを一つずつ丁寧に並べていく。まるで宝石でも扱うかのように。くるみは明日香のパン焼きの才能を開花させてくれた恩人だ。パンを愛し、お客様を大切にしている。明日香とくるみは最高のコンビだ。

 村田が出勤してきた。最近では三人のチームになった。いつの間にか明日香がリーダーになっていた。

 今日も順調に売れて、もうそろそろ完売になりそうなころ、恋の女神が悪戯した。

 飛鳥がムソウの前に並んでいる姿が窓から見えたのだ。明日香はその長い体を不自然に折りたたんで隠れようとした。

「なにやってんの?」

 椅子に座って休んでいたくるみがへんな顔でつっこんだ。ふくらんできたお腹をさすりながら。

「い、いや、べ、べつに」

「怪しい」

 接客している村田の背中越しに客たちを見るくるみ。営業スマイルは忘れずに。

「だめ!みちゃダメ!」

「え?なに?なにをみちゃダメなの?」

 余計にジロジロ客たちを見る。

「やめて!」

「あんた、さては、好きなお客さんでもいるの?」

 顔を真っ赤にする明日香。

「図星?どれ?だれ?どこ?」

「む、むりむりむりむり」

 だんだん飛鳥の番が近づいて来る。

「あー、あー、だめ、むり」

 くるみは客の中に飛鳥を見つける。

「あ、アレだな!あの小さい男」

「失礼!」

「ごめんごめん。あんた自分でっかいくせに昔から小さい人好きだよね〜」

 明日香は驚いたのと恥ずかしさでほとんど泣いていた。

「ひどい」

「どうする?自分で接客する?」

「やだ!できない!」

「な〜んで、もったいない。ぜっかく仲良くなれるチャンスじゃん!ほら」

 くるみは明日香を無理やり立たせようとする。抵抗する明日香。もめる二人。

「うっ」

 くるみが妊娠六カ月のお腹を両手で押さえる。

「えっ!大丈夫?」

「ダメ…」

「き、救急車!救急車!」

 明日香は慌てて救急車を呼び、くるみを乗せ自分も乗り込んだ。店は村田にまかせて。




0513image1.jpeg




 夕方、店に戻ると村田が心配そうな顔で待っていた。

「くるみさん、大丈夫でした?」

「切迫早産で入院しちゃった。ごめんなさい心配させて。店番ありがとうございました。村田さんがいてくれて本当に助かりました」

「心配ですね。無事に生まれてくるって奇跡ですよね」

 村田は涙ぐんだ。

「私、流産したことあるから」

 明日香は返す言葉が見つからなかった。人には色んな傷みがあるんだ、と改めて思った。村田さんともっとお話ししたい。

「急に残業頼んで申し訳ないけど、一緒に明日の仕込みしてもらえませんか?」

「よろこんで。今夜は主人飲み会で遅いんです!」

「ありがとう!」

 村田は仕込みをするのは初めてだったが覚えが早く、楽しそうだった。明日香も久しぶりに楽しく仕事ができた。仕事帰りに一杯だけ飲んで帰ることにした。

 ヨムネルの中にあるバルまで来てしまった。

「可愛いホテルですね。よく来るんですか?」

「ときどき」

「ここって何かムソウと似てません?」

「やっぱり?村田さんもそう思う?」

「空気っていうか、匂いっていうか」

「不思議だよね」

「きっと素敵な人が作ったんでしょうね」

「今日来たお客さんの中に、フミヤみたいな中年の男性いなかった?ちょうど救急車が来たころ」

「覚えてません。夢中だったんで」

「そうですよねごめんなさい。今日は本当にありがとうございました。ここは私にごちそうさせてください」

村田さんは本当に一杯だけ飲んで帰った。真面目で誠実な人だ。村田さんに来てもらえて本当によかった。素敵なご縁だと思った。大事にしなきゃ。

 一人でロビーを歩いていると高橋さんに会った。

「こんばんは」

「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」

 家は近くだが、たまにはホテルに泊まるのも悪くないと思った。くるみに悪いことをしてしまった罪悪感と、幸せの絶頂にいる妹がいる家には帰りたくない気分だった。

「お部屋、空いてます?」

四○二号室。

「きっと気に入りますよ」

 高橋は優しい笑顔で案内してくれた。

薄いピンクとクリーム色で統一された女子受けしそうな部屋。今の私の気分とは真逆だわ。

「恋する乙女のお部屋です」

 高橋は微笑みながら礼をしてドアを閉めた。

 明日香はさっそく浴室に入る。ゆったりとした白いバスタブが目に飛び込んでくる。わわ、お姫様みたい。大きいバスローブやバスタオルもピンク色。お湯の出る蛇口や手すりは金色だ。恋する乙女か。

 下の売店で買ってきた薔薇の入浴剤を入れてゆっくりとお湯に浸かる。私ったら最近お風呂大好き人間。いい匂い。癒される。とてもいい気分転換になった。

今度こそちゃんと本を読もうと以前読まずに返してしまった本を再び借りた。お風呂で読んではいけない決まりだそうだから、あがってからじっくり読むことにした。

 ベッドに寝っころがって読み始めたがやはり眠たくなってしまった。ポカポカのお風呂とフカフカのお布団。まるで天国だわ。

 朝四時。ハッとして目を覚ます。体内時計が起こしてくれた。あぶないあぶない。

読めなかった本は買うことにした。ロビーをとぼとぼ歩いていると高橋が立っていた。目が合う。

「お早いんですね」

「はい、仕事がありますので」

「どんなお仕事ですか?」

「パン屋です」

「すごいですね!」

「高橋さんこそ、徹夜ですか?」

「いつものことです」

明日香がもじもじしていると、

「あ、飛鳥ですか?上の事務所におりますよ。呼んできましょうか?」

「いえいえ、だいじょぶです!いいんです、こんなに朝早くダメです!よろしくお伝えください」

 慌てて逃げる明日香であった。




0516sebunpan2.jpeg




 お昼過ぎ。明日香と村田が接客していると飛鳥が目の前にいた。

 明日香の心臓がエイトビートを打っている。うそ、むり、うそ、むり。飛鳥の方も驚いている。

「こ、こんにちは」

「あれ?以前うちのホテルにいらっしゃいましたよね?」

「へい」

 吹き出す村田。へいって。

「こちらのパンすんごい美味しいですよね。最近知ったんですけど、また来ちゃいました」

「ありゃがとうごじゃいましゅる」

 爆笑する村田。日本語がへん。

「あなたが焼いているんですか?」

「あ、はぁ」

「すごい!素晴らしい!そうだ、ぜひうちのホテルに置かせてもらえませんか?」

「へ?」

「ご相談させてください!お時間いただけます?」

「えーと、えーと、では、五時では?」

「ありがとうございます!では五時にまた!」

 飛鳥はパンを二十個も買ってくれた。明日香は赤いキリンになっていた。村田が横でいつもよりニコニコしながら接客していた。

 一時間後パンが全部売り切れた。

「村田さん、どうしよう!」

「よかったじゃないですか!すごいじゃないですか!業務提携ってことですよね?」

「ぎょうむていけい?」

「はい、うちのパンを毎日納品してくれってことですよね?」

 ガーンと頭をハンマーで殴られた気がした。南極なんて行ったことないけど体が南極にワープしたみたいに寒い。ビジネスか。ビジネス目的で会いにくるだけか。

 急に家に帰りたくなった。

五時までまだ時間がある。着替えてこよう。今日に限って適当な服で来てしまった。というかいつも適当だが。

『去年の服では恋もできない』という広告のキャッチフレーズが頭の中をぐるぐるしていた。しかし今年買った服がない。

今どんな服が流行っているのだろう。妹の部屋へ入る。昔は妹がよく自分の服を勝手に着ていたものだ。たまにはこちらが借りてもいいだろう。

 しまったサイズが小さい。残念ながら妹の服は借りられそうにない。とりあえず化粧だけ直してまた制服を着た。これが自分には一番似合っている。等身大のわたし。






つづく

※この物語はフィクションです。

コピーライトマーク齋藤なつ









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