正月休み最後の日の夕方
もう飲んでます(笑)
さて飲みながら
ファイターズのホーム開幕の4戦目
チケット当たるかな?
当たって欲しいですし、当たると信じてホテルを予約してます
もし外れても宿泊はしようなかなと思ってます
何せひとり旅が好きと言うか、ホテル宿泊は非日常を楽しみたい
それを楽しみながら、ひとり飲みに出かけてもいいし
お酒とつまみを部屋に持ち込んでゆっくりもまたいい
どちらも自由に気兼ねなく選べる(笑)
ひとり旅?ひとりで宿泊の良さです
仕事で出張も有りでしょうが、仕事だと時間の縛りがありますからね
プライベートだと縛りが有りませんから(笑)
なので
おそらく、2024年の初札幌はチケットが外れてもその日になるかなと
なんて思いながら4月を待ち望んでる私
ちょこちょこと楽しめるほどお金持ちではないからね(笑)
本当は誰かと旅したないと思う気持ちもあるんですけどね
温泉宿ならば特にね。。。
チケットの結果は12日にわかるはず
当たるといいな
おすすめ。。。
2024年01月07日
正月休み最終日
正月休み最後の日の朝
早いもので(笑)
長い正月休みだと思っても「あっという間」
今日で終わっちゃいます
さて
今回の正月休みの間は雪かきは無し
道路脇に雪はあれど道路に雪は無し
峠はありましたが(笑)
こんな正月は記憶にないかも?
ただ今朝は白くなってます
ですが、雪かきするまでもないかな
今のところ暖冬な道南の日本海側ですかね
あえて触れなかった北陸の地震災害
最初の地震速報の時にはこんなに酷いとは思いませんでした
続報で津波のニュースで「えっ」となって
私のすむ町でも60cmだったかな?観測
もしかしたら。。。と
元日に酷い地震による災害の大きさ
被害に遭われ亡くなった方、怪我をされた方、行方不明者?方々
私の住む町も南西沖地震の被害を受けましたが、当時は私自身は茨城県つくばに仕事で住んでいたので経験はない
ただ、実家に住んでいた母親の無事を祈るばかり
大きい津波でしたからね
海から国道を挟んで実家でしたから
ちょうど会社を辞めたばかりの時で車を走らせて戻ろうと思ったのですが、出稼ぎで羽田にいた父親が「俺が行くからお前は行くな」「どうなってるかわからないから」と
私は会社のアパートで長い1日を送った記憶があります
夕方に実家へ電話したら繋がり、電話の呼び出し音を聞いた時に「家はある」
父親が出た時に確信し、母親の無事と斜め前の本家の無事も確認
地形的になんでしょう、実家は津波の被害に遭わなかった
父親と一緒に出稼ぎに行っていた港のすぐそばの家は、胸元まで浸水してたそうです
それから一週間ほどしてから実家に帰りましたが、大きな余震で避難所で一夜を明かしたことも
少しですがで、災害に遭われた気持ちを理解しているつもり
何年か前ね日高の地震の時もですが
何か出来る訳ではありませんが、被災者の方々へ寄り添う気持ちを持ちながら普段の生活を送るだけ
それが今後に繋がって行きます
東北の時もそうでしたが、普段の生活を送ることが経済を回し
それが復興へ繋がって行きます
災害に対して、お手伝い出来る人はお手伝いして
出来ない人は普段の生活を送ること
それで良いと思います
ただ思うのは
災害を「アピールの場にしないこと」
古い考えの私からすれば「縁の下の力持ち」であって欲しい
それだけかなと
今年の正月も一人で過ごした私
災害が起きても家族は病院にいる寝たきりの私を誰かもわからない母親だけ
母親さえ無事であれば私はどうなってもと開き直れる
一人身で守るもののない寂しさはあれど、守るものがない分だけの気軽さもある
それが、良いのか?悪いのか?
歳を重ねるたびにドライな考えになっていくな~(苦笑)
正月休み最後の日
おとした珈琲を飲みながら書いてます
今日も引きこもります(笑)
休み最後も?最後は?
「寝正月」(笑)
おすすめ。。。
早いもので(笑)
長い正月休みだと思っても「あっという間」
今日で終わっちゃいます
さて
今回の正月休みの間は雪かきは無し
道路脇に雪はあれど道路に雪は無し
峠はありましたが(笑)
こんな正月は記憶にないかも?
ただ今朝は白くなってます
ですが、雪かきするまでもないかな
今のところ暖冬な道南の日本海側ですかね
あえて触れなかった北陸の地震災害
最初の地震速報の時にはこんなに酷いとは思いませんでした
続報で津波のニュースで「えっ」となって
私のすむ町でも60cmだったかな?観測
もしかしたら。。。と
元日に酷い地震による災害の大きさ
被害に遭われ亡くなった方、怪我をされた方、行方不明者?方々
私の住む町も南西沖地震の被害を受けましたが、当時は私自身は茨城県つくばに仕事で住んでいたので経験はない
ただ、実家に住んでいた母親の無事を祈るばかり
大きい津波でしたからね
海から国道を挟んで実家でしたから
ちょうど会社を辞めたばかりの時で車を走らせて戻ろうと思ったのですが、出稼ぎで羽田にいた父親が「俺が行くからお前は行くな」「どうなってるかわからないから」と
私は会社のアパートで長い1日を送った記憶があります
夕方に実家へ電話したら繋がり、電話の呼び出し音を聞いた時に「家はある」
父親が出た時に確信し、母親の無事と斜め前の本家の無事も確認
地形的になんでしょう、実家は津波の被害に遭わなかった
父親と一緒に出稼ぎに行っていた港のすぐそばの家は、胸元まで浸水してたそうです
それから一週間ほどしてから実家に帰りましたが、大きな余震で避難所で一夜を明かしたことも
少しですがで、災害に遭われた気持ちを理解しているつもり
何年か前ね日高の地震の時もですが
何か出来る訳ではありませんが、被災者の方々へ寄り添う気持ちを持ちながら普段の生活を送るだけ
それが今後に繋がって行きます
東北の時もそうでしたが、普段の生活を送ることが経済を回し
それが復興へ繋がって行きます
災害に対して、お手伝い出来る人はお手伝いして
出来ない人は普段の生活を送ること
それで良いと思います
ただ思うのは
災害を「アピールの場にしないこと」
古い考えの私からすれば「縁の下の力持ち」であって欲しい
それだけかなと
今年の正月も一人で過ごした私
災害が起きても家族は病院にいる寝たきりの私を誰かもわからない母親だけ
母親さえ無事であれば私はどうなってもと開き直れる
一人身で守るもののない寂しさはあれど、守るものがない分だけの気軽さもある
それが、良いのか?悪いのか?
歳を重ねるたびにドライな考えになっていくな~(苦笑)
正月休み最後の日
おとした珈琲を飲みながら書いてます
今日も引きこもります(笑)
休み最後も?最後は?
「寝正月」(笑)
おすすめ。。。