2019年05月08日
現代教育を「寺子屋」に戻せ 〜学校に求められる機能とは?〜
江戸時代の寺子屋が理想形…現代の学校が担うべき機能とは?
工藤 勇一2019.4.24 幻冬舎GOLD ONLINEより
今、学校に求められる機能とは?
前回(関連記事『中学校長が不登校の生徒に「学校に来なくていい」といった理由』)で、「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないとお伝えしました。では、「手段」の一つである学校は、子どもたちがよりよく生きていくために、どのような機能を担うべきなのでしょうか。
社会では、「コミュニケーション」と「経済活動」を行うための2つのスキルが必要です。学校はこうしたスキルをしっかりと身に付けさせていきたいものです。特にコミュニケーション能力は、障害や発達の特性の状況に応じて、自分なりの方法を身に付けていくことが求められます。
江戸時代の寺子屋のカリキュラムと学ぶ方法は、とても理にかなった教育であったと私は思います。「@カリキュラム」については、「読み」「書き」「そろばん」が中心で、まさに実社会においてコミュニケーションや経済活動に結び付いた知識・技能でした。武士の子はもちろん、商人や職人、農民の子に至るまで、多くの寺子(子どもたち)が「読み」「書き」「そろばん」を学び、今よりもはるかに若い年齢で社会に出て、家計を助けていました。
「A教え方・学び方」については「自学と学び合い」が中心です。教師が現在のように大勢の生徒に一斉授業で教えることはありません。
分からないことがあれば友だちに聞いたり、教えたり教えられたりしながら主体的に学んでいました。
実はこれは、世の中の営みそのものです。つまり、社会に出てからの大人の学び方と、子どもたちの学び方は同じだったのです。今のように一斉授業の中で一方的に情報を受け続け、ただ丸暗記するような勉強方法ではありません。
また、「これをやりなさい」「あれを勉強しなさい」と一方的に押し付けられることもありませんでした。学びは、人に頼るものではなく、自分で分からなければ調べたり考えたり、それでも分からなければ聞くなどしました。当時は、「対話」が当たり前だったのです。まさに「学びのスタイル」が「社会でのスタイル」なのです。
明治維新以降、「世界に追いつけ」で、とにかく、欧米の知識・技術などを
吸収することに重点を置いたからでしょか?
「詰め込み教育」になったのは、この時からではないでしょうか?
戦後も結局、「ゼロからの出発で、世界に追いつけ」ですから
「詰め込み」は仕方が無かったのかもしれませんね。
でもこれからは、「寺子屋教育」を見本に、実社会で役に立つ能力を
身に付けることを重点に置いた、教育方法が世界に通用する人材を
作るのではないでしょうか?
BY いいとこどり
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