2019年04月23日
子供に選挙権がない理由は?
何歳から「大人」として認めるのか?
時代によって変わって来てますが、今の子供たちは
何歳から「大人」と認めるのか?
そもそも「大人」って、どういう人を言うのか?
私的には「自分に責任を持てる人」ですかね?
何か行動を起こした時に、その行動の結果に責任を持ち
何があっても自分で完結できる人、を「大人」という。
そういう観点で見ると、大人になっていない「大人」の
何て多い事か。
答えが「真っすぐ」なんですね、子供時代は・・。
正論で物事を判断できる。
そこには「大人の事情」は、入っていないのです。
だから、極めて真っ当な答えが出てくるんです。
思春期になって、そういう「大人の世界」がわかってくると
反抗的な態度が出てくるんでしょうね。
これも極めて「真っ当」な反応なのでしょう。
こういう子供たちに「選挙権」を与えたら、面白いことになるかもしれません。
シガラミなんかありませんから、真正面から判断してくれるかもしれません。
耳の痛い話があります。
こういう問題提起は、絶対に必要だと思います。
結果を数値で求める風潮で、人文系のこういう議論は「役に立たない」とか言って
軽視されがちですが、そんなことは無いと思います。
物事を深く考えるには、こういう分野は必須ではないでしょうか?
「子供に選挙権がない理由」
あなたも考えてみませんか?
BY いいとこどり
時代によって変わって来てますが、今の子供たちは
何歳から「大人」と認めるのか?
そもそも「大人」って、どういう人を言うのか?
私的には「自分に責任を持てる人」ですかね?
何か行動を起こした時に、その行動の結果に責任を持ち
何があっても自分で完結できる人、を「大人」という。
そういう観点で見ると、大人になっていない「大人」の
何て多い事か。
小5の息子が考えた「子どもに選挙権がない理由」に考えさせられた話
4/17(水) 10:00配信 現代ビジネス
小5の息子が考えた「子どもに選挙権がない理由」に考えさせられた話
子どもは大人より「影響されやすい」のか
4月21日は統一地方選挙です。駅前や住宅街で演説を聞く機会が増え、自宅ポストには候補者のチラシが入っています。そこで、小学5年生の息子と選挙について話してみると「投票してみたい」と言っていました。
息子とは普段から社会問題などについて話をしています。例えば昨年春、財務省事務次官のセクハラ問題について話すと、第一声は「その人、牢屋に入った?」。日本にセクハラ罪はないから逮捕とかはされないんだよね…と話すと「じゃあ、会社をクビになった?」。昨年夏に起きた医大入試の女性差別については「信じられないよ。ひどい!」と一言。
ちなみにセクハラや入試差別については、小学2年生の娘も「そんなことがあったら、わたしが校長先生だったら、その人をクビにする」と言っています。
答えが「真っすぐ」なんですね、子供時代は・・。
正論で物事を判断できる。
そこには「大人の事情」は、入っていないのです。
だから、極めて真っ当な答えが出てくるんです。
思春期になって、そういう「大人の世界」がわかってくると
反抗的な態度が出てくるんでしょうね。
これも極めて「真っ当」な反応なのでしょう。
こういう子供たちに「選挙権」を与えたら、面白いことになるかもしれません。
シガラミなんかありませんから、真正面から判断してくれるかもしれません。
子どもも「法的責任」を問われている
例えば、法的責任能力の有無と選挙権を結び付けて子どもに選挙権がない理由を説明しようとする意見については、次のように反論します。
ドイツでは14歳以上であれば少年法の適用対象であるため、法的責任能力が問われる。自らの責任を問われる根拠となる法律の制定について、その年頃の少年少女が選挙を通じてその過程に参加できないことは、正当化されない、と。
私が特に興味深いと感じたのは、この部分です(論文のP74右段上の方に記載)。
「多くのおとなが十分な情報もないまま選挙に行ったり、政治的無関心から選挙にまったく関与しなかったりする。少なからぬ人が、政治的判断力とはまったく関係のない宣伝、空虚な公約、その他の要因に影響される」
「考えが揺れ動く人もいれば日和見する人もいる。多くの有権者が、議会制民主主義の複雑な事情を深く理解しておらず、自分の決定がどのような結果を生むかについてたいして考えていないのはないか、と懸念される」
この部分は読みながら笑ってしまいました。同じことが、日本でもよく起きているからです。
耳の痛い話があります。
どれだけの大人に「政治的判断能力」があるのか
実際、政治家個人の能力や資質より、私生活のスキャンダルの方に気を取られる有権者は少なくありません。選挙の時期になると耳に心地の良い公約に釣られたり、また、メディアが煽る対立構図を面白がってしまったりして、政策のことなど考えず、誰かを支持してしまったりします。
この論文は主張します。でも、大人が真剣に選挙に参加していないからと言って、大人から選挙権を奪ってはいけないですよね、と。
であるならば、子どもの知識が不十分であるとか、PRにだまされやすそうとか、議会制民主主義を理解していない、ということは、子どもに選挙権を与えない理由にはならない、というわけです。
最後に、このテーマを考えるにあたり、興味深い論文を研究者ではない私がインターネットを通じて読むことができたことの意義について、記しておきたいと思います。
「子どもに選挙権を与えないのは不当である」という前提から出発したキーゼヴェッターさんの論文は、とても刺激的で、人権や社会参加の権利についてこれまでと違った見方を提示してくれるものでした。原文はドイツ語で私は読めませんから、翻訳のお仕事も大変ありがたいものです。
昨今、高等教育や研究に対して経済界や実務家から厳しい目が向けられています。特に人文系の研究については、社会に役に立つかどうか、という視点から予算縮小・人員削減を当然視する意見を目にします。
一方で、すぐに何かの役に立てようとせず、社会や人権のありようを掘り下げる研究は、時にこういう形で一般人の目に触れて議論を深めることに「役に立ちます」。この点を実務家として、また、納税者としてぜひとも主張しておきたいと思います。
こういう問題提起は、絶対に必要だと思います。
結果を数値で求める風潮で、人文系のこういう議論は「役に立たない」とか言って
軽視されがちですが、そんなことは無いと思います。
物事を深く考えるには、こういう分野は必須ではないでしょうか?
「子供に選挙権がない理由」
あなたも考えてみませんか?
BY いいとこどり
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