2019年04月23日
真のエリートとは? 〜東京大学入学式 祝辞〜
東大の入学式での上野名誉教授の祝辞が話題になっているらしい。
祝辞を呼んだが、別段、珍しいことは言ってはいない。
ごくごく、当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、
それが特別の事のように騒がれている。
それが大問題だと私には見える。
「想像力の欠如」は、最近特に騒がれだしている。
日本の教育面の問題点である。
「相手を思いやる」という「想像力」を育てていないからだ。
そうなんだよね。
親自体がそうだから、子供達だってそうなる。
当たり前のことなのだ。
あまりにも自分に余裕が無さ過ぎて、他人を思いやる、ということが
出来ないのだろう。
何か失敗すると、世間からは非難囂々であり、二度と立ち直れない
状況に追い込んでゆく。
マスコミがそのように報道することも大きな要因だと
私は思っている。
そしてそれを何とも思わずに同調する国民が居る。
「島国根性」の悪い面が大きくなっているようだ。
「村八分」という行為もそれに入る。
いつからこんな国になってしまったのだろうか?
犯罪者でも、「償い」が終われば「普通の人」。
でも「前科者」なので「許さない」という風土。
それどころか、犯罪者ではなく、ただ、「失敗者」でも
世間は「ダメな人」として扱う風潮がある。
その人に「チャンス」を与えないのだ。
しかし、「失敗者」は、「二度とそうならないように」努力する。
再度、失敗するかもしれないが、出直しは、何度でも出来るはずなのだ。
「真のエリート」とは、そういう努力する人々の力になる人を言う。
現代の「エリート意識」を持った人たちに、そういう気持ちが
あるようには見えない。
「成功者」として、世間を見下すような態度である。
「成功者」であっても、世間にお世話になっているはずなのだ。
「感謝」の気持ちが無ければいけない。
「実るほど、頭たれたる、稲穂かな」という諺があるように
「成功者」は「感謝」の気持ちを「弱者」に向けなければならない。
成功した「恩」を世間に返すのである。
人間誰でも最後に死ぬ。
その時に「いい人生だった」と思って、大往生できるのか?
普段の心構えが大事であろう。
BY いいとこどり
祝辞を呼んだが、別段、珍しいことは言ってはいない。
ごくごく、当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、
それが特別の事のように騒がれている。
それが大問題だと私には見える。
東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」
4/16(火) 9:15配信 プレジデントオンライン
東大祝辞の核心「日本は世界一冷たい国」
東京大学入学式での上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題を呼んでいる。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「上野氏は『自分が勝ち抜くことだけを目指すな』と訴えた。多くのデータは、日本が敗者や弱者を排除する『世界一冷たい国』であることを示している。上野氏のメッセージはその危機感の表れだろう」と指摘する――。
■“弱者を見殺しにする日本”の冷酷すぎるデータ
「貧しい人々の面倒を見るべき」とは答えなかった4割の日本人は「そもそも、貧困とは、貧しくなる人たちのせいなのだから、国として助けるべきではない」という考えなのだろうか。
上野氏が指摘したように、「たまたま恵まれた環境と能力と運」によって、分かれ道ができただけであり、いつ自分が向こう側の人間になるかなど、わからない。離婚、不登校、引きこもり、虐待、介護、死別、病気、事故、加齢など、誰もが、あっという間に「弱者」になるのに、その痛みを分かつ「想像力」を持たない人たちが世界のどの国よりも多くいる、これは悲しい事実だ。
「想像力の欠如」は、最近特に騒がれだしている。
日本の教育面の問題点である。
「相手を思いやる」という「想像力」を育てていないからだ。
イギリスのチャリティー団体Charities Aid Foundation(CAF)が、人助け、寄付、ボランティアの3項目についての評価を各国別にまとめて発表する世界寄付指数(World Giving Index)。その2018年の調査では日本は144カ国中、128位だった。項目別でみると、
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●Helping a stranger(他人を助けたか)が142位!! (つまり下から3番目)
●Donating money(寄付をしたか)が99位
●Volunteering time(ボランティアをしたか)が56位
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恐ろしいぐらいに他人に無関心で、冷淡な国民ということになる。
他人の失敗に対するすさまじいネット上のバッシングや渦巻く自己責任論。母親が子供を乗せたベビーカーを一人で持ち、階段を上がっているのに、手を差しのべない人々。お年寄りが目の前に立っていても、スマホに気を取られ、お構いなしに座っている人。もしくは、手を差しのべる人に対して、「余計なお世話」とキレる人……。ことほどさように、日々、ギスギスとした世知辛い話題に満ちあふれ、潤滑油が必要な古い機械のように世の中全体が悲鳴を上げている。
そうなんだよね。
親自体がそうだから、子供達だってそうなる。
当たり前のことなのだ。
あまりにも自分に余裕が無さ過ぎて、他人を思いやる、ということが
出来ないのだろう。
ニッセイ基礎研究所の会長だった故細見卓さんはエッセイでこうつづっている。
「日本の温かさとか紐帯というものは、非常に限られたいわゆるタテ社会に存在するものであって、そこに属していない人に対しては非常に冷たいというか極端に無関心という面を持っているように思われる。(中略)色々な条件で環境に打ち勝つことができずに敗者となったものでも、何回かの再挑戦をさせる機会を与えているかいないかが温かい社会と冷たい社会を分けるのであって、その意味では日本の社会は冷たいと言わざるを得ない」
弱者を見殺しにする冷たさ、多様性を認めぬ冷たさ、敗者を排除する冷たさ。人と人とのつながりが希薄化する中で、凍り付いていく社会。今、ここで、大きく舵を切らなければ、日本は氷河期へまっしぐらだ。
何か失敗すると、世間からは非難囂々であり、二度と立ち直れない
状況に追い込んでゆく。
マスコミがそのように報道することも大きな要因だと
私は思っている。
そしてそれを何とも思わずに同調する国民が居る。
「島国根性」の悪い面が大きくなっているようだ。
「村八分」という行為もそれに入る。
いつからこんな国になってしまったのだろうか?
犯罪者でも、「償い」が終われば「普通の人」。
でも「前科者」なので「許さない」という風土。
それどころか、犯罪者ではなく、ただ、「失敗者」でも
世間は「ダメな人」として扱う風潮がある。
その人に「チャンス」を与えないのだ。
しかし、「失敗者」は、「二度とそうならないように」努力する。
再度、失敗するかもしれないが、出直しは、何度でも出来るはずなのだ。
「真のエリート」とは、そういう努力する人々の力になる人を言う。
現代の「エリート意識」を持った人たちに、そういう気持ちが
あるようには見えない。
「成功者」として、世間を見下すような態度である。
「成功者」であっても、世間にお世話になっているはずなのだ。
「感謝」の気持ちが無ければいけない。
「実るほど、頭たれたる、稲穂かな」という諺があるように
「成功者」は「感謝」の気持ちを「弱者」に向けなければならない。
成功した「恩」を世間に返すのである。
人間誰でも最後に死ぬ。
その時に「いい人生だった」と思って、大往生できるのか?
普段の心構えが大事であろう。
BY いいとこどり
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