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日々起きる問題を、検証することで、
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2019年03月23日

イチロー、イチロー、イチロー!  〜涙・涙・涙〜

言葉は要らないよね。   「レジェンド イチロー選手 」

イチロー2.JPGこの姿勢が感動を呼ぶ

イチロー節全開84分深夜の引退会見/全文一気読み
3/22(金) 13:50配信 日刊スポーツ

イチロー節全開84分深夜の引退会見/全文一気読み

日米通算4367安打(日本1278、米国3089)のマリナーズ・イチロー外野手(45)が21日、アスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)後、引退を発表した。

会見は独特の深みのある「イチロー節」があふれ出た。

現役を引退するマリナーズのイチローは、午後11時56分に登壇した。



<冒頭>

こんなにいるの? びっくりするわ。そうですか。こんなに遅い時間にお集まりいただいてありがとうございます。今日のゲームを最後に、日本で9年アメリカで19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することになりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので…。ここで1つ1つ振り返ることは難しいので、ここではこれまで応援していただいた方々への感謝の思い、球団関係者、チームメートに感謝を申し上げたい。みなさまからの質問があれば、できる限りお答えしたいと思います。


−決断したのは

タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね…。終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするというのが契約上の予定でもあったんですけど、キャンプ終盤で結果を出せず、それを覆すことが出来なかったということですね。

−子どもたちへ

熱中できるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げる。それを早く見つけてほしい。見つかれば、立ちはだかる壁に向かっていける。いろんなことにトライして、好きなものを見つけてほしい。

−一番印象的なことは

今日を除いてですよね。この後時間がたったら今日が1番真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。それを除くとしたら、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものはたいしたことではない。自分にとって、それを目指してやってきたんですけど。いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくのはしなくてはいけないことだと思う。そのことにそれほど大きな意味はない。今日の瞬間を体験すると、小さく見えてしまう。分かりやすい10年200本続けてきたとかは本当に小さいことだと思います。今日のこのあの舞台に立てたということは、去年の5月以降ゲームに出られない状況で、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかった。記録はいずれ誰かが抜いていくと思う、去年の5月からシーズン最後までのあの日々はひょっとしたら誰もできないかもしれない、ささやかな誇りを生んだ日々だったですね。どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ誇りを持てたと思います。

−エイミーさんが見守っていた。ファンの存在とは

ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていた。なかなか日本のファンの方の熱を感じるのは難しいんですね。ゲームは基本的に静かに進んでいくんですけど、印象として、日本の方は表現するのが苦手というか、それが完全に覆りましたね。内側に持っている熱いモノを表現した時の迫力は今まで想像できなかったです。最も特別な時でしたけど、ある時は自分のためにプレーすることが、ニューヨークに行った後くらいにですね、人に喜んでもらえることが喜びに変わったんですね。ファンの方なくして、自分のエネルギーはないと言ってもいいと思うんですね。え、おかしな事言ってます?

−貫けたモノは何か

野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったと思います。おかしなこと言ってます? 大丈夫?(笑い)

−野球が変わることはあった?

ないです。これはないです。ただ、子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、最初の1、2年は1軍を行ったり来たり。行ったり来たり? 1軍に行ったり、2軍に行ったり。これは楽しかったんですよ。94年、仰木監督に出会って、レギュラーで使ってもらったんですけど。ここまでですね、楽しかったのは。いきなり番付を上げられて。力以上の評価をされるのは苦しいんですよね。純粋に楽しいんですけど、やりがいがあること、楽しいかと言われると違うんですよね。将来は楽しい野球をやりたい。プロ野球選手になった後はまた違うことを夢見ている自分がいたんですよね。中途半端に野球をやっている人には味わえないモノ。草野球をやっている人、プロ野球でそれなりに苦しんだ人じゃないと分からない。これからはそんな野球をやってみたいです。おかしいこと言ってます? 

−我々も大きなギフトをもらった。

そんなアナウンサーみたいなこと言わないでくださいよ。

−今後ギフトはある?

ないですよ、そんなの。ムチャ言わないでください。本当に大きなギフトで、去年3月の頭にマリナーズからオファーをいただいて、今日までの流れがあるんですけど、去年の春に全くおかしくない状況でしたから。今この状況が信じられない。あの時考えていたのは、アメリカでプレーする準備、神戸なんですけど、寒い時期に練習するので、へこむんですよね。心折れるんですよ。でも仲間に支えられて、最後は山で、自分なりに訓練を重ねてきた神戸でひっそりと終わるかなと想像していたので。夢ですよ、これは。

 純粋に楽しいと言うことではないんですよね。誰かの思いを背負うというのは重いことですので。1打席1打席立つことは簡単ではない。疲れました。やっぱり1本ヒット打ちたかったですし、僕には感情がないと思っている人もいますけど、意外にあるんですよ。結果を残して最後を迎えられたら良かったですけど、それでも最後まで球場に残ってくれて、そうしないですけど、死んでもいいというのはこういう時なのかなと思いました。

−日本に戻る選択肢はなかったか

無かったですね。それはここで言えないな。ただ最低50までとは思っていたし、それはかなわずに、有言不実行の男になってしまった。だから言葉にして、表現することは目標に近づく1つの方法ではないかなと思いました。

−膨大な時間を野球に費やしてきた。これからは野球に費やしてきた時間とどう向き合うか

今は分からないですね。でも多分明日もトレーニングはしていますよ。じっとしていられないから、動き回ってますね。ゆっくりしたいとかは全然無い。動き回ってますね。

−生きざまでファンの方に伝わっていたらうれしいことは

生きざまというのは僕にはよく分からない。生き方という風に考えれば、先ほどもお話ししましたけど、人よりも頑張るなんてことはとてもできない。あくまでも「量り」は自分の中にある。量りを使いながら、自分の限界をちょっと超えていく。そうするといつの日かこんな自分になっているんだ。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思っているんですよね。一気に高みにいるとすると、今の自分とギャップがありすぎて、それを続けられない。地道に進むしかない。ある時は後退しかしない時もあるので、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それは正解とは限らない。間違ったことを続けているかもしれない。遠回りをすることで、本当の自分に出会えると思っている。今日のゲーム後のファンの方の気持ちを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見てくれたのかなと思います。

−監督になったり、指導者になったりする。イチロー選手は何になる

何になるんですかね。元カタカナのイチローになるんですかね。「元イチロー」って変だね。書く時どうなるんだろうね。どうしよっか。何になる…。監督は絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないんですよ、僕。いやぁ無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。アマチュアとプロの壁が日本の場合特殊な形で存在しているのでね。どうなるんですかね、そのルール。今までややこしいじゃないですか。自分に子どもがいて高校生だとすると、教えられないですよね。そうすると変な感じじゃないですか。今日をもって元イチローになるんで。それは小さな子どもなんで、高校生なのか、大学生なのか、分からないですけど、そこには興味がありますね。

−引退を考えたことは過去にあったか

引退と言うよりも「クビになるんではないかな」はありました。毎日そんな感じでしたね。ニューヨークは特殊な場所です。マリーンズも特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんです。首になる時はそうなるだろうと思っていたんで。マリナーズ意外に行くという気持ちがなかったというのは大きかったですよね。去年、本当にうれしかったですし。その後5月にゲームが出られなくなる、あの時もそのタイミングでもおかしくないわけですよね。この春に向けて可能性があると伝えられていたので、そこも自分が頑張って来られたと思うんですよね。

−菊池雄星が号泣していたが

号泣中の号泣でしょ。びっくりしましたよ。それを見て笑えてきましたよ。

−アメリカのファンに向けてのコメントをお願いします

19年ですよ? アメリカのファンの方々は最初は厳しかったですよ。最初は日本に帰れってしょっちゅう言われましたよ。結果を残した後の敬意というのは、手のひらを返すというか。行動で表す敬意は迫力があるという印象ですよね。認めてもらった後はすごく近くなると言う印象で、ガッチリ関係ができあがる。シアトルとのファンとはそれができたという勝手な印象ですけど。ニューヨークというのは厳しいところでしたね。でも、結果を残せばすごい。マイアミというのはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけど、結果を残さないと人はついてこない。それぞれの場所で関係を築けた。アメリカは広いなと。ファンの人の特徴を見て、広いなという印象ですけど。でもやっぱり、最後にシアトルのユニホームを着て、最後に姿をお見せできなくて申し訳ない思いがあります。−Tシャツのメッセージは

それはいわない方がいいいんだよね。やぼったくなるから。見る側の解釈だから。いちいち説明すると、やぼったくなる。言うと無粋になることは間違いないよね。

−弓子夫人への言葉は

いやぁ…頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで3089本のヒットを打ったんですけど、妻はですね、およそ、ゲーム前ホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを。その数が2800くらいなんですよ。3000行きたかったですね。そこは3000個握らせたかったなと思います。妻もそうですけど、頑張ってくれました。妻にはゆっくりしてほしいですね。それと一弓ですね。わが家の愛犬なんですけど。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラですけど、懸命に生きているんですよね。それを見ていたら俺頑張らないとと思いますよね。ジョークでもなく。あの懸命な姿。まさか最後まで、現役を終える時まで一緒に過ごせると思っていなかったので。一弓の姿は感慨深いですよね。妻と一弓には感謝の思いしかないですよね。

−引退を決めた、打席内の感覚の変化は?

いる? ここで。裏で話そう、後で(笑い)。

−これまでさまざまな決断をしてきた。ポスティング、WBC出場など。考え抜いての一番の決断は何か

これは順番をつけられないですね。それぞれが一番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけではかなわない。当然、球団からの了承がないとかなわなかった。その時に誰をこちら側、球団にいる誰かを口説かないと行けない。その時に1番に浮かんだのが仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいと伝えていたんですけど、仰木監督ならおいしいご飯とお酒を飲ませたら、うまくいくんじゃないかなと。まんまとうまくいきましてね。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったですね。ダメだダメだと行っていた人が、お酒でこんなに変わってくれるんだと、お酒の力をまざまざと見ましたし、しゃれた人でしたね。仰木監督から学んだモノは、計り知れないですね。

−現役時代に我慢したモノは何か

難しい質問だなぁ…。僕、我慢できないですね。我慢が苦手で楽なモノを重ねているイメージなんですよね。我慢の感覚がないんですけど。とにかく体を動かしたいんで、体を動かすことを我慢しました。自分にとってストレスがないように行動してきました。家では妻が考えて料理を作ってくれますけど、ロードにでれば何でもいいわけですよね。だからむちゃくちゃですよ、ロードの食事は。だから今の趣旨の質問は思い浮かばないですね。−台湾で人気。台湾のファンにメッセージ

チェンは元気ですかね。チェンはチームメートだったので。1度行ったことがあるんですよ。すごく優しい印象でした。心が優しくて、なんかいいなと思いました。

−メジャーの後輩に託したいモノはあるか

雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたのは、なんかいいなぁと思っていて、もうちゃんとやれよという思いですね。短い時間でしたけど、すごくいい子で、やっぱりね、いろんな選手見てきたんですけど、左投手の先発って変わってるんですよ。天才肌というんですかね。アメリカでもそうですけど。こんなにいい子いるのかなという感じですよ。キャンプ地から日本に飛行機で移動するんですけど、ドレスコードがあるんですけど、黒のジャージーでOKと。長旅に配慮して。アリゾナをたつ時はいいけど、日本でジャージーはダメだろと話をしてたんですよね。中はジャージーだけど外はジャケットを着ている感じにしようかなと。で、ユウセイもそうしようと言うんですよ。黒のジャージーのセットアップでバスに乗り込んで、日本について、これはメジャーリーグダメだろと言ってたんですけど、羽田に着いた時にアイツまさかのジャージーでしたからね。これはぶっ飛びました。何があったのか分かりませんけど、大物だなと。スケール感を感じましたね。翔平はケガを治して、スケールは大きいですよ。物理的にもアメリカの選手に劣らない。あのサイズで機敏な動きができるのはいないですからね。世界一の選手にならないといけないんですよ。

−野球の魅力とは

団体競技なんですけど、個人競技なんですよ。それが面白い。個人としても結果を残さないと生きていくことはできない。本来はチームとして勝っていけば、チームのクオリティーは高い。でも決してそうではない。あとは同じ瞬間がないということ。必ずどの瞬間も違う。これは飽きが来ないですよね。

−野球を楽しむためにはどうしたらいい

2001年にアメリカに来てから、19年の野球は全く違う野球になりました。頭を使わなくてもできる野球になりつつあるような。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思いますけど。本来野球というのは、頭を使わないと出来ない競技なんですよ。でもそれが違ってきているのは、どうも気持ち悪くて。ベースボールがそうじゃなくなっているのは、危機感を持っている人がいると思うんですよね。日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいと思います。アメリカの野球を追随する必要はないと思うので。アメリカの野球の流れは変わらないと思うので、せめて日本の野球は大切にしなきゃいけないものを大切にしてほしいと思います。

−今日の試合で1年目の開幕は思い出したか

ないですね。

−プロで成功したことは

成功かどうかはよく分からないですよね。全く僕には判断ができない。だから僕は成功という言葉が嫌いなんですけど。メジャーリーグに挑戦するということは大変な勇気だと思うんですけど、あえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生む。やってみたいなら挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はでない。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていった方がいいですよね。

−得たモノは

ま、こんなものかなぁという感覚ですよね。200本もっと打ちたかったですし、できると思ったし。1年目、2年目と勝って、勝つのってそんなに難しい事じゃないと思っていたんですけど、勝つのって大変です。この感覚を得たのは大きいですね。

−神戸に恩返しはあるか

神戸は特別な町です。僕にとって。恩返しか…何をすることなんですかね。僕は選手を続けることでしかできないと思っていて、できるだけ現役を続けていたんですよね。神戸に恩返し…税金を少しでも払えるように頑張ります。

−日本で育成される重要性はあるか

制度は詳しくないんですけど、日本で基礎を作る、自分が将来MLBでプレーする礎を作るという考えはできるだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられるというのはあるんですよね。メジャーリーガーよりも基本的な基礎の動きって、日本だと中学生レベルの方がうまい可能性はありますよ。チームとしての連係は日本で言わなくてもできますからね。アメリカでは個人としてのポテンシャルは高いですけど、そこは苦しんであきらめましたよ。

−大谷と対戦したかったか

世界一の選手にならないといけない選手ですよ。僕はピッチャーで翔平がバッターで対戦したかったです。

−どのように大谷に成長してほしいか

そこは誤解の無いように。そこは占い師に聞いてもらわないと。投げることも打つこともやるのであれば、ワンシーズンごとに、サイヤングとホームラン王とったら。そんなこと考えられないですよ。でも翔平は想像させるじゃないですか。だから人とは違うじゃないですか、翔平は。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、翌年にはMVPを取ると想像したら化け物ですよね。

−野球選手がなくなる自分を想像すると

先ほども言いましたけど、違う野球選手になっていると思います。楽しくやっていると思うんですけど、真剣に草野球を極める選手になると思うんですよね。

おなか減ってきた、もう(笑い)。1時間20分? 今日はとことんお付き合いしようと思ったんですけどね。おなか減って来ちゃった。

−小学校の卒業文集が有名。小学生の自分に今、声をかけるなら

お前、契約金1億ももらえないよって。夢は大きくとは言いますけど、ドラ1の1億って掲げてますけど、遠く及ばないですよ。ある意味で挫折ですよ。こんな終わりでいいのかな。何かきゅっとしたいよね。最後は。

−孤独感はずっと感じてプレーしていたか

現在それは全くないです。それとは違うかも知れないんですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね。体験しないと、自分の中からは生まれないので、孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだよと今は思います。だから、つらいことしんどいことから逃げ出したいと思うことは当然だと思うんですけど、元気な時、エネルギーーのある時にそれに向かっていくのは大事なことだと思います。いやぁ、締まったね最後。眠いでしょ、みなさんも。じゃあそろそろ帰りますか。

(午前1時20分終了。深々と一礼して退席)


野球場からイチローが居なくなる?
どうしても想像できないんだよね・・・。

最初の頃、色々言われて辛かったことが沢山あっただろうと思うと
このインタビューでのイチロー選手の回答が身に染みる。

今日に自分より明日の自分を目指す。
その積み重ねが、今のイチロー選手なんだね。

本当に野球が好きでなければ、ここまで来れなかったんでしょう。
本人の中では「ただそれだけ・・・。」なのかもしれない。

イチロー選手は、きっと、死んでも野球やるんだろうなあ・・・。
これからは、野球を楽しんでほしいね。

ありがとう、イチロー!


   BY いいとこどり

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